《“丹沢山地西端・山北・・大野山”❖2020/10/24❖》 ススキ(薄・芒); ススキの穂は花のように見えるが、それは穂先に毛の付いた種の集合体。 イネ科に共通するように花弁はなく、雄蕊と雌蕊だけの花!?! クリーム色のぶら下がっているのが雌蕊、小羽のような形で花粉を付けてるのが雄蕊。 昔はススキの茎が茅葺屋根の材料として使われていた。 ススキは、変異も多く栽培されてる品種も多い。イトススキとかムラサキススキ。 観賞用に栽培されるタカノハススキ、海岸に生えるハチジョウススキ等もある。 地下茎は短く、枝分かれして大きな株となる。茎は直立して硬い。 葉は、長い線形で白色の太い中央脈がある。葉の縁に鋭い刺があってざらついている。 茎の先に長さ20cm位の散房花序を出す。花序に多数の細長い枝が一方に傾いてつく。 この枝に2個の小花からなる長さ5~7mmの小穂を多数つける。 小穂の基部には白~淡紫色の毛があり、それが花穂全体を銀白色に見せている。 伝統文化を見ると、 十五夜のお月見に供えたり、豊作を祈願して穂を門口に挿す風習もあった。 東京都豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神に伝わる「すすきみみずく」。 10月中旬、鬼子母神堂(法明寺)のお会式で授与されてきた郷土玩具があったが。。! また、古くは武蔵野の山里の三分咲き頃のすすきの穂を刈り集めて作ったものを、 安産や子育て、健康のお守りとして、庶民の間で親しまれてきた。 古く「武蔵野の国」の地には、一面にススキの草原がひろがっていた、と。 この薄が原を「武蔵野」と呼び、あたり一面の薄が原に野草も咲き乱れる。 「武蔵野」のイメージは、国木田独歩の田園情景を思いうかべるのだが。 丘陵地帯に広がる田園景観、これも日本の原風景の一つといえまいか。 徐々に失われ面影など残っていない「武蔵野」だが、丘陵景観を創造したい。 『景観探索』 広々とした山頂周辺の草原、芒野原。大野山山頂360°の展望は、素晴らしかった。 大野山(おおのやま)は、標高723.1mの山。箱根と丹沢山地の間に位置する。 山頂一帯は、暫く前まで神奈川県立大野山乳牛育成牧場(昭和43年創設)だった。 そこが平成28年に県営牧場としては廃止され、山頂は公園化している。 展望の良さ、山頂近くまで車で登れる等々、老若男女のポタリングで賑わっている。 大野山乳牛育成牧場として閉鎖はされたが、「まきば館」と牛舎は残っている。 小田原市の食肉会社が、管理を引き継ぎ「大野山かどやファーム」となった。 120頭余りの足柄牛を飼育、2018年には関東肉牛枝肉共進会で最優秀賞を得た。 また、牧場跡地のうち8.8ヘクタールを2018年6月に「薫る野牧場」として開設された。 牧場主は、若い女性。農業大学卒業後東北の牧場で酪農を研鑽、山北町に移った。 開業時は5頭の乳牛を飼育、飲食店向けに材料用牛乳を販売しはじめた。 観光牧場として一般公開はせず、見学は完全予約制で受け付けている由。 牛を自然放牧し、山間部の環境を整える「山地(やまち)酪農」を実践されている。 「幸せな酪農」と牧場主は謳っている。仔牛も生まれ先きが楽しみだ。 山地酪農の牧場に牛舎はなく、搾乳のための小屋だけだとか。 牛達は自由に山を歩き回って、地面を踏み固め、下草を食べる。 そこには地中10~20センチまでに根を伸ばす強い野芝が生え、 土砂崩れを起こしにくい山となる。好循環を生み出す酪農方法である由。 草の色素が影響し山地酪農で取れる牛乳は、黄みがかった色になる。 そして一頭当りで搾乳出来る量は、一日で5~10リットル程度らしい。 ホルスタイン種等の一般的乳牛の搾乳量は50~70リットルと大きい。 山地酪農で牛1~2頭あたりに必要とされる草の量は、約1ヘクタール分だとか。 色々と検討すべきことは多いが、牛乳の味は牛の食べたものに左右される。 季節により、また、日によっても変化する味なんて楽しくもある。 山地酪農とは、多くの乳量を求めるのではなく、牛の力を借りて山作りを行こなえる。 日本国土を思うと、新たなる対策でもあるようにおもった。山地酪農=山林保存!! 山頂で夕暮れを待っていた。富士嶽の夕暮れを拝みたくて。 全きの山容は拝めなかったが、色々と思う事、多く楽しい時を持てた。 * * * * * 好きな文章も思い出せた散歩であった。 “虫のこゑいたりわたれる野(ぬ)のうへに吾も来てをり天(あめ)のなかの月 あらくさに露の白玉かがやきて月はやうやくうつろふらしも ひさかたの乳いろなせる大き輪の中にかがやく秋のよの月 (1936,斎藤茂吉『暁紅』) 秋たちてうすくれなゐの穂のいでし薄のかげに悲しむわれは (1945「疎開漫吟」,齋藤茂吉『小園』) 一むらの萱(かや)かげに来て心しづむいかなる老(おい)をわれは過ぎむか (1945「金瓶村小漫吟」,齋藤茂吉『小園』)”