台風が本土を縦断している。人間は、避難できるが植物は!?! 雨に似合う花、紫陽花。以前「七段花」のことを記した事があった。 あじさいとシーボルト、西洋との架け橋。。。この花は、日本原産。 アジサイ(アヂサヰ)Ajisai(Adzisai).紫陽.あじさい.紫陽花等いろいろに表現される。 アジサイ属で東アジア、フィリピン~インドネシア周辺は落葉性のものが、中央・南アメリカには常緑性のものが多い。北アメリカにはアパラチア山脈にのみ自生している。 先の尖った卵形か広楕円形の大型の葉。特徴的なのは、花で一見花びらに見えるのは、萼片が発達して花弁状に・・・これを装飾花と呼ぶ。 日本原産のガクアジサイ(額紫陽花)H.macrophylla f.normalisを母種として日本で作られた園芸品種の各種のあじさい。時間とともに色も変化する楽しい花だ。江戸期の園芸技術は西洋を越していた!?!「フロラ・ヤポニカ(日本植物誌)」をみると。 「万葉」の時代から文献にいずるあじさいだが、鎌倉時代には園芸品種として栽培が始まるも「よひら」とも呼ばれるように萼が4片で「死」を連想させ、枯れた花がいつまでも枝についていること等から日本では印象悪くヤツデやドクダミと並んで日陰の花扱いされていたようだ。発想が、往時の鎌倉時代らしい。だが18世紀末ヨーロッパに渡ったアジサイは、多色系でセイヨウアジサイ(H.m.f.hortensia)に品種改良され今日、逆輸入されている。酸性土壌の多いヨーロッパでは鮮やかな青色になりやすく、多様な色も出しやすい!!がしかし、その花の色変わりを奇異とするのか、花言葉には「高慢、心変わり」等と説明されている。 漢名「紫陽花」は、白居易(白楽天)の「紫陽花詩」に登場する「紫陽花」をアジサイと解した平安時代の学者・源順( みなもとの したごう )が、「倭名類聚鈔」に「白氏文集律詩云紫陽花、和名安豆佐為」としたのが初見。 だが、この詩の注に「招賢寺有山花一樹、無人知名.色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物.因以紫陽花名之」とあり、紫色で香がある点を考えると「紫陽花」はライラックを指したとも言われている。アジサイを中国では「繍球(花)」と表記する。 1823~8年、日本に滞在したシーボルトが花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイにつけたH.otaksaの小種名”オタクサ”。 これはガクアジサイの変種。 シーボルトの思い入れある花のようだが、1775-6年に来日したツンベルクが命名したH.macrophyllaと同一とされ、有効な学名とされていない。学問的は・・・置いといて、長崎の市花はあじさいである。 長崎といえば・・・”蝶々夫人”でも有名だが、人間的にピンカートンとシーボルトを想うと面白い。 シーボルトが、故郷のドイツに書き送った手紙の中に『 お滝さん以外の女性を妻に迎えることは絶対にない 』。こんな書簡も現存している。 時代背景・西洋と日本での環境背景を垣間見れる。 シーボルトとお滝さんの孫娘に当たるオタカさん( お稲さんの娘) が祖母の『 お滝さん 』を次のように語っている。 『 祖母(お滝さん)は、祖父(シーボルト)が追放になった2年後に、無理矢理再婚させられました 』 『 祖父(シーボルト)も、10年後に郷里のドイツ女性と再婚したようです 』 『 明治時代に入って、白髪の老人になった祖父(シーボルト)が明治維新政府の招きで来日しました 』 『 その折に、祖父と祖母、娘の(お稲)、オタカを交えて、涙の抱擁を果たすことが出来ました 』 『 年老いた祖父(シーボルト)は、今まで肌身離さず持っていた “ 妻と娘の髪の毛 ” を両手に握り締めて言いました 』 『 いかなる時であっても、2人のことを一日たりとも想わなかった日はなかったのだよ! 』 シーボルトが持ち帰った紫陽花や他の植物、現在日本では見られない種類もあるとか。以前、フランスのコレクターが保存、株分けされたものを浜名湖で開催された花博のおりお里帰りした紫陽花があった。「フロラ・ヤポニカ(日本植物誌)」に載っていながら実物を発見できずに幻の花と言われていた紫陽花、「七段花」が、1959年に六甲山で発見され今ではどこでも見られるようになった。これまた、園芸ニッポンだ。 「フロラ・ヤポニカ」には、植物目録・433の植物名がある。 アジサイ属では、アジサイ、ベニガク、フイリベニガク、ガクアジサイやアジサイの園芸品種。 そのほかツバキ、カザグルマ、クサボケ、フヨウ、カノコユリ、シャクヤク、サクラソウ、チャノキ等。 その中で興味深い花がある。 ヨーロッパのツバキは氷河期に絶滅していて化石でしか存在していなかった。 それが短期間の間に小説「椿姫」(アレキサンドル・デュマ・フィス、1848年)が生まれている。 それほどにシーボルトが園芸植物をヨーロッパに普及させる道を開いたといえようか。 その当時は日本のほうが園芸先進国であったようにもおもえてくる。 アジサイ属(Hydrangea)の日本固有種は次の14種が自生している ガクアジサイ、ヤマアジサイ、タマアジサイ、コアジサイ、コガクウツギ、ガクウツギ、ノリウツギ、ツルアジサイ、トカラアジサイ、ヤハズアジサイ、アマギコアジサイ、チチブアジサイ、ヤエヤマコンテギリ、リュウキュウコンテリギ。 今、各地のお寺さん境内に紫陽花が、流行り的に植栽されている。が、野趣あふれるものは、少ない。あじさいは、高木の林床にあるべきと感じる。特にヤマアジサイ系に思う。 シーボルトが持ち帰った花木の中に百合があった。 当時欧州にあった百合の花は白い小さなもので、死者に捧げるものとされていた。 日本でいえば献花や仏花に使う菊の花といった感じか。 それに比べると日本から持っていったいくつかの百合は花も大きくカラフル。それだけで双手をあげて大歓迎をされたのだそうだ。 中には球根がそれと同じ重さの銀と交換されていたものもあったようだ。 日本の花木、特に背の高い木々の下に生育する低花木の類に相当するものは、環境的にも一致する。 シーボルトが日本から西欧に持ち帰った花木類は西欧での庭園に様々に影響を与えてきた。 その一方、日本の原種が消えてしまっている。何とも言いようがない。 今ひとつ、関心を持っているのが、西欧に渡った“フジ”。 ベルギーの民家にシーボルトが持ち帰ったフジの分身が存在していると資料で読んだ。 ベルギー人は、“センジャク”と呼んでいるらしい。 『Wisteria floribunda(wild.)DC.'senjaku'』 日本の何処のフジかもわからないとか、何とも神秘的。 また、オランダのライデン大学植物園のシーボルトコレクションにもない由。 アジサイの七段花のように発見されるとよいのだが・・・。