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2022/05/17 今朝の「随想」

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 今朝は5時前に目覚、早いので待機。起床は5時半を回ってしまいました。外へ出たら6時過ぎて、近所を一回り。外気温度は15℃。早朝食品スーパーを覗き、明日、5時と6時の二回、卵Lがワンパック¥98のチラシが、一人2パックの。最近は近くのスーパーでも¥100ワンパックが目玉に出ています。 帰宅は6時36分。ダンベル体操と前後屈運動を。どうにか腰痛が治りました。

 『森銑三著作集』第九巻を中程過ぎまで読み進みました。
 文化時代(1800年代)の『墓所一覧』編者「老樗軒」に面白い箇所を見つけました。当時、「掃苔」などの名称で故人の墓を尋ね、著名な文人や儒者、学者などの葬られた寺や碑文、経歴などを一覧する書物が編纂されました。
 この『墓所一覧』に書かれた跋文に「河崎敬軒」が書いています。
 「吾が友樗軒は江戸の人也~~文化十二年(1815)樗軒と下毛に遊びて古河城を過ぐ、大堤鮭延寺に[熊沢蕃山]の墓あり、往て探る。田間路失す。適ま包を負ふ者の前行するを見て、追いて之に及ぶ、其人曰く、公等蕃山の探る人にあらず乎。僕は越後の客商也。昨始めて此に到る、先に拝殿す、請ふ公等の為に前導せむと。松林荊棘中を穿ちて寺に至る。墓は数十武在り、其の側古河藩文人韵士の墓多し、越商と碑字を搨寫して喜色面溢る~~ 文化十三年(1816)丙子二月七日の事也~~」
 江戸時代には陸奧、桑折近辺には「近江商人」が頻繁に商売に動いて居た記録が沢山残されています。
 今回の内容から「越後の商人」が荷物を背負い、関東へどの様な商売で歩いていたのか知りたいものです。多くの「随筆」「諸書」「書状」「書牘(しょとく・手紙)」から知られない事実が沢山あります。
 この[熊沢蕃山]は備前岡山藩に出仕。幕府と藩の圧力から致仕。その後、下総古河藩に蟄居。蕃山の思想に傾倒した人物に「藤田東湖」「山田方谷」「吉田松陰」などがいます。「山田方谷」には長岡藩河井継之助が尋ね指導を受け,長崎を廻り帰藩しました。
 朝から歴史談義を。MLBエンゼルス戦が始まっています。
 明るく楽しく元気にスタートしましょう。

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