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本を読むときの心の声

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10/20/2019









変なタイトルだ。が、これをそのまま検索に入れたら色々と出て来た。なるほどわたしだけではなかった、ということが判明。ちょっと安心したような、拍子抜けしたような。


以前はそんなことはなかった。ような気がする。或いはそうだったのかもしれないが、気にもしていなかったのかも?わからない。



本を読むとき、自分の中で声が聞こえる。聞こえるというか、声にして読んでいる。黙読なのに。
それを最近になって気付いたのだ。なんでわたしわざわざ声にしているの?てな風に。
だから本を読むスピードが遅くなったのか?とも思う。長いこと「読書」から遠ざかっていて、それを視力のせいなどとのたまっていたが、意識して読書するようになり、だんだん本を読むことが習慣になってきた。なんだか以前の自分みたいじゃないか、と、嬉しくなる。ちょっぴり自慢。やれば出来るじゃないか。

ただ、読むときいちいち声にしていることに気付いた。意識しないでいると気にならないのだが、ふと、あっ また声になってた、と気付く。若干、舌が動いていたり(実際には動かしていないのだが)、息継ぎをしているような錯覚さえある。これは一体なんなんだ。


補習校講師として、生徒にはいつも「音読」の宿題を出す。日本語環境にない彼らにとって、日本語の言葉を「声」として出すことはとても大切なのだ。なにせ英語の喋り方とまったく違うから、声にしないでいると、言葉が辿々しくなる。これは我が娘とのやり取りで実証済み。発声法とでも言うのか?先の舌の動かし方だけでなく口唇の使い方なども違ってくる。頭の中では読めていても、実際に声に出すとうまく行かない、ということは多々ある。

英語の本を読んでいるときも、心の中で声に出している。思えば、こちらの方がより意識して声にしてしまっているような気がする。そうでないと脳にしっかりと入って行かないのかも?
ということは、言葉や文脈を瞬時に捉える能力が(日本語であっても)劣ってきている、ということなのかもしれない。


昨夜、ベッドで又吉直樹氏の「東京百景」を読んでいた時には、なぜか心の声は自分ではなくて彼の声だった。いや、実際に彼の声かどうかはわからない。男性の声で、それなりに関西弁、そのイントネーションだった。スゲー。でもきっとそれは「似非関西弁」だろう。実際にわたしは関西弁をしゃべることは出来ないから。それなのに頭の中のその声は、スラスラと関西弁を喋っていた。不思議だ。


今こうやって書いている時にも、実は心の中で声にしている。でもってこの声は自分です。


どうでも良い話だけれど、気になっていたので記録しておく。










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