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合氣道練心館 館長所感集

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実戦は当身が七分(ななぶ)

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        (※写真①)「...         (※写真①)「密着した状態(0距離)からの打撃」
 ミット代わりのタウンページにピタリと拳を当てた状態から、瞬間的に拳の先の一点に「氣」と「重心」を集中させます。
 昔、ブルース・リーが公開し世界に衝撃を与えた中国武術の技法「寸勁(ワンインチパンチ)」ならぬ「ゼロインチパンチ」ですね。
 生命に係わる危険な技法なので、練習では絶対に身体に直接当てないことです。
        (※写真②)「...         (※写真②)「松濤會空手(江上茂先生)の突き」
 先代館長、藤野進先生直伝の松濤會空手独特の「スー突き」です。
 伝説の空手家、江上茂先生により打撃力よりも貫通力を目指して考案されました。
 全身をリラックスさせ、拳の先端から伸びやかに「すぅー」っと突きます。
 本来は「中高一本拳」で行うものですが、ここでは「平拳」になっていることはご容赦下さい。
        (※写真③)「...         (※写真③)「システマのストライクに似た打撃」
 松濤會空手の「スー突き」をコンパクトにアレンジすると、システマに似た打撃になります。
 「スー突き」同様に全身の脱力が大事ですが、特に、肘、肩のリラックスが要となります。
 システマのストライクは、破壊を否定した「非破壊の打撃術」なのだそうです。合氣道の崇高な理念にも通じる、ある意味、究極の打撃、当身なのではないかと思います。
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 お久し振りです。

 いきなり「らしくない」タイトルで始まりました。なので皆様には先に謝っておきます。

 日頃、「戦争やテロの惨禍を知らず、平和な日本で暮らしてきた者が、気軽に『実戦』などという言葉を使うべきではない」と主張してきた自分ですが、
 https://jp.bloguru.com/renshinkan/242691/2015-06-23
今回のブログのタイトルを決める上で、やはり一番キャッチーでインパクトのあるフレーズが、もともとは合氣道開祖、植芝盛平先生の言葉であり、養神館合気道創始者、塩田剛三先生も著書の中で力説されていた「実戦における合気道は、当身が七分(ななぶ)」というものでした。

 なので、今回ばかりは柄にもないタイトルで恐縮ですが、ご勘弁頂きたいと存じます。



 さて、巷でよく言われる「合氣道の技は実戦では使えない」という言葉、全くその通りであると同時に全く見当違いな意見でもあります。

 空手の型や中国武術の套路(※とうろ、型の意)は基本、独りでやるものですが、日本武道の伝統では「受け(打太刀)」と「捕り(仕太刀)」が二者一対でやるため、どうしても「形」そのものを実戦での敵の制圧方法だと勘違いされがちなのでしょう。

 古流剣術や古流柔術でも、現代武道の合氣道でも、「形」は、その流儀の本質的な身体や心の使い方を学び、それらを繰り返すことでその理合、術理を心身に染み付かせていくための「教材」に過ぎません。
 まさに「型(形)は実戦の雛型ではない」ということですね。
 https://jp.bloguru.com/renshinkan/306291/2017-09-13

 柔道家やレスラーにがっちり組み付かれた状態を呼吸投げで投げようとしたり、ボクサーのパンチを取って小手返しを決めようなどというのは、ナンセンス以外の何物でもありません。
 いざ命の懸かった実戦になれば、感覚・感性を研ぎ澄まし、身体能力や周囲の環境をフル動員させて、その瞬間瞬間の閃きで動く以外に方法はありません。

 結果として、開祖や塩田剛三先生の仰る通り、「実戦における合気道は、当身が七分」ということになるのだと思います。



「死ぬか生きるかというような状況に身をさらした場合や、多勢を相手にした場合などは、一瞬の勝負になりますので、当身や瞬間の投げじゃないと身を守り切れません。逆に言えば合気道の本質は、そういうギリギリの闘いにおいて発揮されると言ってもいいでしょう。
 さて、当身といっても、合気道の場合は拳や蹴りなどにこだわりません。体中いたるところが当身の武器になります。(中略)触れたところがそのまま当身となるわけです。
 これは、相手の攻撃をよけてから反撃するのではなく、逆にその攻撃の中に入っていくことによって可能となる技です。といっても、ただやみくもに体を相手にぶつければいいのではなく、そこに体全体から発する力を集中させなければなりません。」
 (塩田剛三『合気道 修行』竹内書店新社 P33~34 より)



 合氣道の稽古では、「受け」が「取ろうとする」「打とうとする」「突こうとする」瞬間に「投げ」は相手と氣を結び、心を合わせ身体を合わせるという高度な技法が要求されます。

 初心者の方にはまだその実感が得られず、一体何のことやら?と思われるかも知れませんが、これを「空間の合氣」と呼ぶ方も居られるようで、それぞれレベルの差はあれど、合氣道の稽古では誰もが意識するしないに関わらず、自然にやっていることです。

 その、相手と氣を結び心を合わせる瞬間は、決して「争い」ではなく、目には見えない氣を媒介とした互いの心身の「調和」が生まれます。
 そして実は、我々がいつも稽古でやっているこの相手と氣を結び、心を合わせる瞬間こそが、実戦では捨身で入身して当身を入れる瞬間です。

 合気会師範として長年活躍され、柔道、空手道、居合道、杖道、などの他武道の経験も豊富だった西尾昭二先生は、「当身の呼吸」という言葉を使ってこれを説明されています。



「我々の体技の投げ、押さえに必要な、つくり、崩しは、ほとんど当身なんです。私の場合、当身の手法と呼吸を、つくりや崩しに使っています。
 私が入った頃は合気道には投げ技なんてほとんどなかったんです。入身投げ、四方投げ、小手返ししかないんです。
 ( 中 略 )
 投げというのは、つくり、崩し、掛け、が三位一体になっているもの。(中略)それを私の場合は、当身の呼吸でもって、つくり、崩しをやっているのです。
 よく相手を倒して押さえてから、『やぁーっ』なんてやっていますが、あれは合気道ではありません。本来はやる前に、一緒に当身が入るべきなのです。
 それを我々はやるわけにはいかないから、その呼吸で相手を崩して、投げ、押さえの形で、合気道らしい表現でやるんですね。実際は当身なのです。」
 (『決定版 開祖を語る直弟子たち 植芝盛平と合気道Ⅱ』合気ニュース P144~146 より)



 また、塩田剛三先生はもっと平易な「タイミング」という言葉を使ってこの「当身の呼吸」を説明されています。



「何が大切かというと、タイミングです。
 ボクシングなんかを見ていても、何げなく出したパンチで相手がKOされてしまうことがよくあります。これなどは、相手の動きの変化と、こちらの出したパンチが、ちょうどいいタイミングでぶつかった例です。
 相手の動きの一瞬の状態を察知して、ここぞというときに突きを出すことが大切なのです。
 それは相手の出鼻を叩く場合もありますし、逆に、相手が空振りして体が伸び切ったところを叩く場合もあります。
 面白いもので、タイミングさえちゃんと合えば、こちらはさほど力を使わずとも突きが効くのです。拳が痛いだのなんだのということはありませんし、衝撃が反発力となって自分に返ってくるようなこともありません。
 ちょうど野球のバッティングで、ジャストミートしたときにほとんどボールの勢いを感じないのと同じです。」
 (塩田剛三『合気道 修行』竹内書店新社 P42~43 より)



「相手の出鼻を叩く」というのは剣術で言うところの「先の先(せんのん)」であり、「相手が空振りして体が伸び切ったところを叩く」というのは「後の先(ごのせん)」ですね。

 因みに、自分も稽古中に技の説明をする時はこの「先の先」「対の先(ついのせん)」「後の先」という剣術用語を度々使用してしまうことがありますが、開祖、植芝盛平先生はこれらの用語があまりお好きでなかったと聞きます。
 確かに、これらの用語は合氣道の理想である「宇宙と完全に一体化した敵味方もない絶対的境地」から見れば、空間的な分断と時間的な対立を感じさせます。
 結局は、相対的な勝ち負けの域を出ない次元の低いものと言わざるを得ないのかも知れません・・・。



 話を元に戻します。

 当身をするタイミング(呼吸)は、確かに剣術における「先(せん)の理」であり、我々がいつも稽古でやっている「相手と氣を結び、心、身体を一致させる」瞬間ですが、それと並行して、ボクシングの「パンチ」や空手の「突き」とは根本的に性質の違う、合氣道(※柔術)の「当身」の技法を我々はマスターしなければなりません。

 合氣道(※柔術)における「当身」とは、一言でいえば「重心移動」そして延いては「重心操作」です。

 そのために何よりも一番大切な事は「リラックス・脱力」と「一点への集中」です。
 更に付け加えるならば、「股関節、膝関節、肩甲骨の柔らかさと動きの滑らかさ」「体軸の確立」「呼吸法と腹圧の感覚の養成」「心身統一体」等々、書き連ねていくときりがないのでやめて置きますが、この感覚をどうやって身に付けていくかといえば、要は、普段やっているいつもの合氣道の稽古を、いかに緻密に丁寧に行うかということです。

 塩田剛三先生も次のように仰っています。



「首を傾げる人もいるでしょう。突きで勝負を決めるなら、よほどその一発に威力が無ければダメだ。しかし、合気道の道場で空手やボクシングのようにパンチ力を鍛える稽古をしているなんて、聞いたことがないぞ、と。
 確かにそのとおりです。合気道では普通、巻藁を叩いたり、レンガを割ったりというようなことはやらないわけですから。
 ところが、じつは突きの稽古をちゃんとやっているのです。何も特別なことではありません。道場生の皆さんがいつも繰り返している基本動作や基本技、あれがそのまま突きの稽古になっているのです。
 突きが威力を発揮するために必要なことといったら何でしょうか。それは、右足なら右足から踏みこんだときに、体全体の重心がそれに乗るかどうかということです。
 乗ったら効くのです。
 ( 中 略 )
 踏みこんだときに膝がなめらかに前にせり出し、重心をそのまま前へ伝えることができるかどうかなのです。これができると、体全体の力が拳に乗って、大きな威力を生み出すことができます。これが集中力です。そのとき当然、前の膝のせり出しと腰の前進にともなって、後足が引きつけられる形となります。
(中略)合気道の最も基本的な体の前進動作は、そのまま突きの動きとして応用できるというわけです。
 ( 中 略 )
 要は、重心の移動、それを前に伝えること、そして拳にその力を乗せること、この三つをすべて一致させた動作ができればいいのです。」
 (塩田剛三『合気道 修行』竹内書店新社 P35~39 )



 リラックスと心身統一を忘れず、感覚を研ぎ澄ませて丁寧に基本技や基本動作を繰り返し稽古していると、自ずと「重心移動」の感覚が分かってきます。それが更に進んでいくと、自身の体内で自在に「重心操作」が行えるようになってきます。

 そしてこの修練には中国武術、特に太極拳、形意拳、八卦掌(拳)などの内家拳の技法が非常に参考になります。

 中国武術では「重心移動(操作)」と「氣の集中」で生み出す力を「勁力(けいりょく)」として、「沈墜勁(ちんついけい)」「撞勁(とうけい)」「靠勁(こうけい)」「纏糸勁(てんしけい)」「十字勁(じゅうじけい)」等々、様々に分類され綿密に体系付けられています。これらを参考にすると体得するための大きなヒントとなるかも知れません。



(※写真①)をご覧下さい。

 胸に当てたミット代わりのタウンページに拳をぴったり当てた状態で脱力します。瞬間的な重心操作で拳の先端に重心を集中させると重い衝撃波が相手に伝わります。
 ただ、ここで重要なことは、この練習をする場合は安全を考慮して、絶対に直接人体には当てず、必ずミットや座布団、分厚い辞書や電話帳などを間に入れること。これが鉄則です。

 実はこの打撃法は、昔の武術における、一撃で相手の内臓を破壊する暗殺術でした。

 約20年前、自分がまだ高校の教員だった頃、当時世間では格闘技が大ブームでした。そんな男子生徒の中に、是非ともこの「勁力」を体験したいという者がいたので、胸に分厚い教科書や資料集などを数冊当てさせ、この打撃をやったことがありました。
 その生徒は口から霧のようなものを吹きながら、教壇の前から教室の後ろのロッカーまで吹っ飛び、ロッカーに背中を強打してそのまま尻もちを着いて倒れてしまいました。
 幸い、何とか大事には至らないで済んだのですが、あの時は、可愛い生徒を自らの手で殺してしまったのではないかと心底焦りました。この一件以来、自分はもう大幅に手加減した打ち方でしかこの打撃はやったことがありません・・・。

 しかしその後、更に研究を進めて判ったことがありました。

 派手に後ろに吹っ飛ばす打ち方は、ダメージも体内を通り抜け後ろに突き抜けていくむしろ安全なやり方で、「勁力」が体内に留まるような打ち方こそが、ダメージも体内に残留させ相手を殺傷してしまう本当に危険な打ち方だということでした。
 そして、重心操作さえできれば身体のどの部位でもこの打撃はできますが、中国の伝説的武術家、李書文の「二の打ち要らず」の逸話通り、有名な八極拳の「頂肘(ちょうちゅう)」が中国武術の中でも最強の威力だと言われるように、「肘」での打撃が一番威力があるということでした。



 続いて(※写真②)をご覧下さい。

 打撃を受けるモデル(実験台?)になって下さったのは、武道・格闘技好きで自身も武道家でいらっしゃる某情報誌編集者のKさんです。

 Kさんの個人ブログでは「合気道で吹っ飛ばされた!」とありますが、実は正直に白状すると、(※写真②)のこの突きは合氣道の当身ではなく、練心館先代館長、藤野進先生直伝の、日本空手道松濤會、江上茂先生が考案し伝授された、全身をリラックスさせて先端から伸びやかに「すぅー」っと突く、所謂「スー突き」というやつです。
 https://lineblog.me/youngdellneng/archives/1549861.html

 先代館長の藤野進先生は、合氣道に転向する以前、この江上茂先生門下で松濤會空手を最高段位まで修行されていました。
 因みに、新体道・剣武天真流創始者の青木宏之先生は兄弟子になります。

 江上茂先生は、沖縄から本土に初めて空手を伝えた松濤館流空手創始者、船越義珍先生の高弟でしたが、自身の空手修行に限界を感じ、その時運命的に出会った「親英体道」の井上鑑昭(※いのうえのりあき、植芝盛平の甥で元々は合氣道の指導者だった)先生に師事し、柔らかく伸びやかな、全く新しい異次元の空手を創始されました。

 この松濤會空手独特の「スー突き」ですが、「鍛え上げられた空手家のボディには空手の突きが一番効かなかった」という衝撃の事実から研究を重ね、鋼のようなボディにも確実に効かせるため、「衝撃力」ではなく「貫通力」を求めて創始されたものだそうです。
 やはり、人間の身体は瓦やレンガとは違うということでしょう。



 更に(※写真③)をご覧下さい。

 ここ数年の自分の主要な研究テーマだったのが、臍下丹田の力や「勁力」のような破壊的な力ではなく、合氣道で高度な「氣結び」の技を行う時のような、体軸も丹田も消し去って相手と共に宇宙そのものに溶け込むような、そんな高次元の合氣の当身はできないものか、というものでした。

 そんな自分にヒントをもたらしてくれたのが、ロシア武術「システマ」独特の打撃である「ストライク」でした。

 そして、全身をリラックスさせて先端から伸びやかに突く松濤會空手の「スー突き」を、動きをコンパクトにして、自然に立った状態から肩、肘をリラックスして先端から伸びやかに出すと、システマの「ストライク」のようなものになることを発見しました。

 システマの「ストライク」の理念は、打撃技でありながら「破壊の否定」であり、まさに「非破壊の打撃術」なのだそうです。

 これはある意味、合氣道の目指す理想である、愛と調和、そして平和への道にも通じるもので、これこそが究極の打撃、究極の当身だと言えるのかも知れません。

 システマは、もともとは旧ソ連の特殊部隊兵士のために開発されたものだそうですが、なぜか合氣道にも通じる高度な精神性を持ち合わせています。
 合氣道も、戦時中は旧日本軍で採用されていましたが、戦後、愛と調和、平和への道として新たにスタートしたという点では、システマと何か共通するものがあるのかも知れません。

 今後、我々合氣道家が「システマ」から学ぶべきことは多そうです・・・。
#ブログ #合気道 #武術 #武道

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