もの言う牧師のエッセー 第166話 再投稿
黒田官兵衛 全3話 “負けて勝つ”①「 一乗谷 」
視聴者の大河ドラマ離れは、数字の取れる “戦国もの“ でも食い止めることはできず、結局12.3%という前作の「八重の桜」を下回る出だしの「黒田官兵衛」ではあったが、やはり ”あの事件” でV字回復の19.4%となった。30話あたりの本能寺の変における信長の憤死と、“中国大返し”からの秀吉の勃興、そして家康の登場である。やはり日本の近世はこの “三人の天下人” がいないと始まらない。
元亀元年(1570年)の春、織田・徳川連合軍は朝倉義景を討伐するために越前国へ進軍。信長の妹、市が浅井長政に嫁いでいたため、織田家は北近江を治める浅井氏とは縁戚関係にあり、悠々と北近江を通過し越前に入った時、突如として浅井氏が信長に向かって反旗を翻した。このままでは浅井・朝倉勢に挟撃され全滅である。鬼神の如く怒涛の生涯を送った信長にとって最大の危機はこの時であった。信長は直ちに撤退を開始。織田家最強の柴田勝家勢もそれに続く。しかし一体誰がそのあいだ敵を討ち払うのか?
「殿!お任せあれ!」とチョコチョコと出て来た貧相な男は木下藤吉郎(当時33歳頃)。そして「助太刀いたす!」と加勢したのが家康(当時27歳頃)であった。信長は腰をからげて京に逃げ帰り、秀吉と家康とは一乗谷で奮戦し殿軍を勤め上げ苦しい退却戦を成功させた。ピンチを見事に克服した二人は、後に天下を治めたのだった。
実は聖書にも逆境をくぐり抜けて勝利する英雄が大勢登場する。
「ダビデとその部下が、三日目にツィケラグに帰ってみると、アマレク人がネゲブとツィケラグを襲ったあとだった。彼らはツィケラグを攻撃して、これを火で焼き払い、そこにいた女たちを、子どももおとなもみな、虜にし、一人も殺さず、自分たちの所に連れて去った。ダビデも、彼と一緒にいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」
1サムエル記30章1-4,6節。
これはイスラエルの王となった戦士ダビデが、彼の若い時に遠征から帰還した際に見舞われた危機である。しかしこの後、彼は神を信頼して敵を追撃して難しい渡河作戦さえもやりとげ、ついに敵を滅ぼし虜となった家族を奪還し、ほどなくして王となった。勢いのある者は誰でも強く見える。だが、負けて勝つ者こそ本当の強者なのだ。一乗谷の退却戦から学べることは多いが、神を信じる者の戦いはさらに凄い。なぜなら豊臣家も徳川家も結局のところ滅んだが、神を信じる者は、苦しい退却戦をキリストの力によって勝利し、永遠に生きるからである。
2015-1-10
とあるスーパー内のATMで札の入れ替えやってた。
現ナマごっそり!一人仕事とは何て不用心な!
防弾チョッキと拳銃で武装してるけど。
私はゆっくり歩く。だが決して後ろ向きには歩かない。
アブラハム・リンカーン
もの言う牧師のエッセー 第172話 傑作選
「 怒りの葡萄 」
カリフォルニアは今年も雨季である冬に雨が殆ど降らなかった。500年に一度とまで言われる大干ばつに見舞われた一昨年から現在までずっとこの調子だ。そんな折、ニュースで “ダストボウル“ の話が出たのでゾーッとした。それは約1世紀前に起こったアメリカ近代史の悲劇で、ジョン・スタインベックのピュリツァー賞受賞作、映画「怒りの葡萄」に詳しい。
大恐慌が世界を飲み込む一方で、中西部の農家たちは、資本家や政府の主導する稚拙な農業政策により沃野を破壊され、倒産・廃業する者が続出。そこへ大干ばつが直撃、耕作放棄地は乾燥し、ひどい時は視界一メートル半という大規模なダストボウル(黒い砂嵐)が発生、彼らはやむなく無一文同然でカリフォルニアなどへ低賃金の仕事にありつこうと移住して行く。
だが、再起を図ろうとした彼らを待っていたのは、又しても資本家と政府による労働者への搾取であった。僅かな仕事に群がる大勢の人々。結果、通常のレートよりはるかに安い賃金でこき使われ、殺される者、病死する者、自殺者や餓死者が続出、彼らの夢は無残に打ち砕かれどん底へと叩き落されるのである。
実は米国では今、ファーストフード業界などで働く低所得者達によるデモが絶えない。また、イラク戦争に従事した志願兵らの多くは、仕事に恵まれない田舎の若者らであったことも思い出す。「怒りの葡萄」は決して単なる物語ではなく今日的な問題なのである。
「そこで御使いは地に鎌を入れ、地のぶどうを刈り集めて、
神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。
その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て...」
ヨハネの黙示録14章19-20節、
と、本作品名の由来が聖書の最終章にあるが、言うまでもなく踏まれる葡萄は神を敬わない人間を指す。それは世で言う“最後の日”の類ではない。罪にまみれ、己の事しか頭にない愚かな人間の為に十字架にかかったキリストを無視した者への裁きの序曲である。ところで、映画化された本作品には一筋の光が差している。一家の肝っ玉母ちゃんを演じたジェーン・ダーウェルだ。彼女は絶対に諦めない。神を見上げいつも明るく歩んで行く。神を信じる者は最後に勝つ。 2015-2-20
私は生き方を学びました。
ただ横で突っ立って見てるだけじゃダメってこと。
オードリー・ヘップバーン
もの言う牧師のエッセー 第170話 再投稿
「 グッド・ツィッター 」
ルールはただ一つ。「良いことだけをつぶやこう。」
ツィッターと言えば今や修羅場の様相を呈していると言っても過言ではあるまい。
ゴシップ合戦、いじめ、強迫。。。
しかし昨年の暮れ、素晴らしいニュースが全米を駆け巡った。 マサチューセッツ州のブロックトン高校にて、同校二年生の匿名の生徒が突然、ツィッターアカウント “@BrocktonComps” を立ち上げたのだ。
「殆どの場合、フェイスブックやツィッターは、残酷な場所になっています。 それで私は、人々をバッシングする代わりにポジティブな投稿ができるページを作りたかったのです。」と本人の弁。「セリーナは私の親友。彼女なしではありえないわ!」「カルロスってスゲー!」「ホーガン先生の授業はサイコーで忘れられないものになりました。」などなど。「本当に素晴らしいです。否定的なものを積極的なものに変えてしまう人がいるとは! 彼らのためだけでなく、他の子供たちにとっても。」と、校長のシャロン・ウォルダー氏は喜びに震える。
聖書はズバリ
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。
ただ、必要な時、 人の徳を養うのに役立つ言葉を話し、
聞く人に恵みを与えなさい。」 エペソ人への手紙4章29節
と、ストレートに語っている。などと本稿を書いている私自身も、つい文句やボヤキをつぶやいてしまう未熟者であるが、不思議なことに良いことをつぶやくと、本人が一番元気になるから面白い。仏作家の テグジュペリは、「言葉は誤解のもと」などと言ったが、余計なことではなく良いことをつぶやきたいものである。とは言え、罪がある生まれたままの人間が良いことを表現するのは非常に難しい。しかし、自身を「言葉」に例えられるキリストを信じて初めて良いことをつぶやけるように変って行く。 2015-2-6
もの言う牧師のエッセー・・・第160話 再投稿
「 マー氏 」
米経済誌フォーブスによると、中国の電子商取引大手アリババは今年9月、米ニューヨーク証券取引所で史上最大規模となる250億ドル(約2兆9000億円)の新規 株式公開を達成。それにともない同国一の大富豪とされる創業者ジャック・マー氏の資産総額も195億ドル(約2兆2500億円)に増幅した。さぞ彼は笑いが止まらないと思いきや、何と「大変な苦痛を感じている」そうな。
彼は米TVインタビューで「今月はあまり 幸せではなかった。あまりにプレッシャーが大きかったからだと思う」と語り、さらに「株価が上がる。すると人々の期待も高まる。私は将来のことを考えすぎ、抱えている心配事も多すぎる。」
さらに「金持ちであることは良いことだが、中国一の富豪となると別だ。それがとても苦痛だ。なぜなら世界一の金持ちになれば、お金を求める人ばかりが群がってくる」とこぼす。彼は中国の国営メディアに対しても「中国一の富豪であることは無意味だ」と述べ、「私が最も幸せだった日々は、月に90元(約1700円)を稼いでいた頃だった」とも言い切っているが、なるほど聖書は言う。
「 財産が増えると、寄食者も増える。
持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。
神が富と財宝と誉れとを与え、
彼の望むもので何一つ欠けたもののない人がいる。
しかし、神は、この人がそれを楽しむことを許さず、
外国人がそれを楽しむようにされる。
これは空しいことで、それは悪い病だ。」
伝道者の書5章11節,6章2節。
「見よ。私が良いと見たこと、好ましいことは、
神がその人に許される命の日数の間、
日の下で骨折る全ての労苦のうちに、幸せを見つけて、
食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。」
同5章18節
と。 全くマー氏と同じではないか!
ぼやいているのは今から約3000年前に “黄金の宮殿” を建て、世界の頂点に立ったソロモンである。要するに創造主である神を信じ畏怖せよということだ。幸せになりたいのなら。
2014-11-28
さようなら、アストロ。。。
11年間乗った、教会車両2000年型シェビー・アストロを
売却しました。これまで守ってくださった神さまに感謝。
私が思うに、最も悲しいことは贅沢に慣れることだ。
チャップリン
ボーンフリー・バイクショー 2022!
アーレン・ネスのチョッパー!
ボーンフリー・バイクショー 2022!
アーレン・ネスのチョッパー!
もの言う牧師のエッセー 第158話 再投稿
「 お好み焼き屋の挑戦 」
若者を理不尽にこき使うブラック企業が多い今日、大阪のお好み焼きチェーン「千房 (ちぼう)」の取り組みには目を見張る。5年前から、刑務所で服役した元受刑者や少年院 を出たばかりの元非行少年を雇い、再び犯罪に走るのを防いで社会復帰を手助けしようとし ているのだ。刑務所で募集をかけ、入所中に面接して内定を告げ、出所後には会社の借り上げ住宅で先輩社員と共同生活。6カ月の就労体験をへて双方が同意すれば、正式に社員に採用するという。「1人で反省はできるが、1人で更生はできない」 と、社長の中井政嗣氏の弁。
接客商売だけに社内に反対論もあったが、「社員にチームワークが生まれ幹部が成長した」と経営に良い影響をもたらしたと言うからスゴイ。同じく大阪市内を中心に営業する串かつ「だるま」、和歌山県内でそば店などを展開する「信濃路」など、中井氏に賛同した企業が現在19社までに拡大し、さらに日本財団が借り上げ住宅の家賃などとして1人当たり月8万円を半年間助成する制度で支援し始めた。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、
あなたがた全てと共にありますように。」
2コリント人の手紙13章13節。
これは、毎週教会で礼拝の最後に人々を祝福する為に行なわれる祈りである。残念ながら人間には天の父である神は見えないし、キリストも十字架で殺された後によみがえり天に帰ってしまった。しかし、現在の我らにはイエスが送って下さった「聖霊」が一緒にいて助けてくれるのだ。
これが有名な “三つで一つ、一つで三つ” という難解な三位一体の実存なのだが、いっぽうで、キリストを信じた者同士もまた、神が3つで一つの様に、一人ひとりが一つとなり、支え合わねばならない。一人ではくじけそうでも、神は、神に罪を赦された者に対しさらにバックアップをして下さる。そして、教会とは清廉潔白な人の集まりではなく、神に罪を赦された者同士が助け合う場所なのだ。苦労して一人で立ち直る無理をする必要のないところだ。 2014-11-21
まだまだ暑いので地元のニューポートビーチへ行きました。
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