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もの言う牧師のエッセー 第374話 再投稿 

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もの言う牧師のエッセー 第374話 再投稿  
コロナは警告する ④「 戻れない。戻らない。 」

  コロナ危機が始まって以来このところ気になっていたことを作家の乙武洋匡氏がブログで吐露してくれた。「自由に仕事ができないって、しんどいですよね。自由に学校に通えないって、しんどいですよね。自由に遊びに行けないって、しんどいですよね。でもね、知ってほしいんです。この世の中には、コロナが蔓延する前から、そうした生活を強いられてきた人々がいることを。そう、私たちの社会には障害や病気とともに生きる人々がいます。コロナが消え失せても、満員電車には乗れない人々や、学校には通えない人々がいるのです。劇場やライブハウスにいけない人々がいるのです」 と。

つまり最近よく耳にする「日常に戻ろう」とする願いや試みは多くのことをミスしている。世の中にはそういう議論にさえ与れない少数派が大勢いるということだ。にもかかわらず我々“健常者”は彼らに留意しないのみならずエゴむき出しで文句ばかり、感謝も思いやりもないのでは?

会社に通うという働き方もあれば、リモートワークという働き方もあり、教室で授業を受けるという学び方もあれば、オンライン授業を受ける方法もある。劇場やライブハウスで楽しむように、画面の前でリアルタイムで楽しむ。「そんな選択肢にあふれた世の中になってくれたらな、と思っています。そうすることで、社会から排除される人がいなくなるから。これまで排除されてきた人が救われるから。」と彼は結んでいるが、これは弱者救済だけでなく技術的進歩や多様性も促される。

さらに言えば、排除されているのは障害者だけじゃない。シングルマザーや非正規労働者、貧しい名もなき高齢者など枚挙に暇がない。もっと言えば、「元に戻るべきではない」事が多すぎる。ジェンダーギャップや旧態然とした職場、人手不足、外国人差別、儲け主義の企業群や政府の無策などなど。コロナは「当り前のことが当たり前ではない」ことを気付かせると同時に「当り前であるべきことが当たり前になっていない」ことも教えてくれた。 昔、イスラエルは疫病や飢饉、戦争で滅んだが、

「 わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。呪術者、姦淫を行なう者、
 偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、
 在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。」
                    マラキ書3章5節、

と神がじきじきにその理由を述べている。今ならまだ間に合う。元に戻るのではない、変革し先に進もう。悔い改め、イエスの愛の力で。キリスト者一人一人が今 試されている。   2020-6-22

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