記事検索

フリースペース

南加聖書教会ホームページ: http://wdx.socalbiblechurch.com/ 南加聖書教会フェイスブック: https://www.facebook.com/SoCalBibleChurch/

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA 第11話

スレッド
牧師、バイカー、鮨職人として。...
第11話「初めて貰った献金」

シゲコさんへの訪問が始まった頃、私は小さな日本人教会で伝道師をしながらひたすら神学生として勉強に没頭していた。いっぽうで生活は苦しく勤めていた鮨屋が閉店し全くの無収入(第6話参照)。教会やミッションでの働きは全くのボランティアなので経費は全てこっち持ち。妻のバイト代と貯金を切り崩して何とかしのいでいた。そんなある日、トムさんが「いつもありがとう。これアンタに」と言って300ドルくれた。

それと前後して私の親友でメキシコ人のエミリオ君が「俺の姪でアリッサという名の15歳の女の子が乳がんの手術を受けることになった。今みんなで金を集めてるのだが教会で仕えるミッキーにもお願いできないだろうか」と尋ねてきた。「おお、それはいい。ここにちょうど300ドルある」と思いつつトムにさっそくそのことを伝えたところ、「君にやった金だ。どう使おうか君の勝手だ」と言いつつ目は笑っていない。やはり私に使って欲しかったのだ。「じゃあ150ドルでは?」と半分いただくことにしてトムをなだめ、残り半分の150ドルに教会メンバーらの寄付を加えた約180ドルをエミリオに送金した。恥ずかしいくらいの僅かな金だが彼はとても喜んでくれた。

いっぽうエミリオたちは驚くべき行動に出た。メキシコ人という大家族と友人同士の結束力を生かし、何とバーを借り切り「アリッサのために」というイベントを開催、酒とおつまみが飲み放題食い放題で一般客から寄付を集い数万ドルを集めた。もちろんバーのオーナーも友人である。イベントは大成功だった。アリッサは無事に手術を終え順調に回復、サンキュー(感謝)カードを送ってくれたがしばらくしてテキサスへと引っ越して行った。初めて貰った献金はその何百倍の恵みに与った。

「受けるよりも与える方が幸いである。」使徒の働き20章35節

しかし神の祝福はこんなことだけでは終わらなかった。これらのことをきっかけに、この一年後、とんでもないことが起こることを私は知る由もなかった。      つづく。。。

8-24-2019

ワオ!と言っているユーザー

もの言う牧師のエッセー  傑作選 第47話 「 仮想水/バーチャルウォーター 」

スレッド
もの言う牧師のエッセー  傑作...

第47話 「 仮想水/バーチャルウォーター 」

今年のアメリカの夏は暑かった。暑いだけじゃない、雨が降らなかった。お陰で中西部の穀倉地帯は56年ぶりの大干ばつに見舞われ、ブラジルでもこれまた50年ぶりという干ばつが進行中だ。すでにシカゴ商品取引所でトウモロ͡͡コシ価格が最高値を更新する中、国連食糧農業機関でも食糧危機の警告を開始した。

日本はというと、西日本では台風による豪雨が集中する一方で、関東地方ではサッパリ雨が降らず、利根川流域の1都5県は11年ぶりの取水制限 だ。日本は自他共に認める水の豊かな国ではあるが、実のところ1人あたりの水の利用可能量は、国際的に見れば平均より下に位置する。なぜなら、仮想水/バーチャルウォーターが莫大だからだ。

仮想水とは、日本が大量の食糧を輸入している中で、それらを日本で生産したと仮定した場合に要する水の量を指す。東大の沖大幹教授の試算によれば、日本の水使用量835億トンに対し、仮想水は640億トンというから驚く。要するに仮想水がなければ日本は“枯渇“するのだ。周知の通り、雨が降らず水がなければ我々の生活は成り立たない。キリストは言う。

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、
 決して渇くことがありません。わたしが与える水は、
 その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
             ヨハネの福音書4章14節

と。これは全宇宙の創造者である神が雨を降らせて下さるのは元より、さらにキリスト自身が“バーチャル”ではない水そのものであることを説明している。今日の世界に生きる我々は、まるで干からびたアメリカのトウモロコシ畑のようにカラカラに乾いてはいないだろうか。おいしい水を豊かに飲みたいのではなかろうか。干ばつの脅威を間近で見る今こそ、「命の水」であるキリストを信じ、渇きを癒そう。             2012-9‐25

ワオ!と言っているユーザー

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA 第10話

スレッド
牧師、バイカー、鮨職人として。...
第10話「本来の教会」 シゲコさんシリーズ part 5

教会が発足し、自宅(当時はアパート)を使って妻と2人で日曜礼拝を細々と始めたが、シゲコさんは日曜礼拝に来れないので私は出張礼拝という形で週一度の割合で施設まで通っていた。いっぽうで、何とか彼女が教会に来ることは出来ないものかと思案する日々。息子のトムさんはOCからLAまで2往復する覚悟でいたが、往復200キロプラス彼と私の家の往復50キロが加わり合計250キロ以上もの運転を強いる分けにはいかない。

そんなある日、「教会の日本語看板を造ろう」と思い立ち、かつて在籍した教会の友人で達筆で知られる台湾人の林(リム)愛子さんを訪ねた。80歳と思えないほど若々しく、柔和で思いやりに富み、身を挺して教会を支える善きキリスト者の見本のようなご婦人なのだが、「あのー、フルバヤシ先生、もし出来たらここで月一度くらい礼拝できませんか?」といきなり聞かれた! ここならLAまで2往復140キロ程度、月一度ならトムさんも運転できるかも知れない。「ありがとうございます!」と2つ返事で決まった。月一度の夕礼拝ということで、礼拝後に皆さんに食事もしていただこうと言うことになり彼女は料理も振舞うことになった。すごいバイタリティである。しかもこの家にはプールがあるので洗礼式ができ、さらにグランドピアノまであり礼拝にうってつけなのだ。結局ここで半年ほど世話になり一人の青年が受洗できた。

ところで、リムさんは幼き頃より台湾教会へ数十年通っている。息子さんは台湾で数千人規模のメガチャーチを牧会してるほどのクリスチャンファミリーだが、彼女の世代は日帝教育の影響で日本語が流暢、大の親日家なので自身の教会へ行った後に近所の日本語教会へも通い続け奉仕されてきた。

実はアメリカにはこういうケースが多い。今回の”シゲコ・ミッション“の口火を切ったドーソンもウチの教会員ではないが、あれ以来10年にわたって月々の1/10献金の中から幾らかを捧げてくださり、折にかなった様々なヘルプをしてくれている。同時に彼は他の教会に在籍する友人と祈祷会も行う。また、シゲコさんの息子さんのトムも自身が通う母教会に加え、他教会へ通うクリスチャン男性の交わりを毎週月曜の夜に何十年も続けている。共通しているのは彼らが決して教会から教会へ渡り歩く”チャーチ・ショッパー“ではなく、母教会にしっかりつながり1/10献金や奉仕を続けつつ、他のミッションを手伝うミニスターであることだ。

日本では農耕文化のせいか終身雇用のごとく同じ教会へ通いそこの人々とだけ交わることが殆どで、せいぜいクルセードや音楽イベントなどでたまに”よその人”と会うだけの人が多い。また、近くに教会がないなどの理由でキリスト者と交われない”教会難民”も少なくない。だが、彼らのように「超教会型教会」なら何でも可能だ。ずばり“彼ら自身が教会”だからだ。我が南加聖書教会も日曜礼拝に来れない人のために出張礼拝や聖餐式、補填クラスなどを続けている。これがイエスさまが言う本来の教会の姿なのだ。

「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、
 わたしもその中にいる。」 マタイの福音書18章20節

8-8-2019

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ