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牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA  第8話

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牧師、バイカー、鮨職人として。...
第8話「独立伝道開始」

  めでたく茂子さんは救われたが予想通り色々問題が出て来た。入居施設へは遠く毎週の礼拝への出席は叶わない。しかも彼女は単独では外出できず常にトムさんが付き添わないといけない。無理して来れたとしても献金や奉仕が出来るわけではないし、洗礼するにも先に学びをしないといけない。当時の私は小さな教会で伝道師をしていたのでとりあえず主任牧師に事の次第を話したところ、彼は茂子さんの救いを喜ぶどころか「その施設にはチャプレンがいるはずだからその人に任せろ」と言う。牧師というのは”自分の教会へ来てくれる人”には優しいがそうでない人には冷淡な場合が多い。

いっぽう、その施設のチャプレンは常駐しておらず、礼拝もなく、仕方なくトムさんは周辺の日系教会の門を叩き始めた。実は施設はリトルトーキョーの近所なので周辺に10件以上の日系教会があるが、どこも日曜の朝以外は空っぽ。50キロ離れたOCで日曜礼拝を守っている彼は誰とも接触できなかった。さらに私自身は鮨屋をクビになったのをきっかけに1日十数時間かけて神学生として猛勉強中で余裕がなく、何も出来ないまま時間が過ぎ焦りは募った。

しかしある日、ひょんなことからモヤモヤを吹き飛ばす奇蹟が起こる。何と私のオヤジが約50年前にテキサス州のダラス神学校で学んでいた時の“日本人クラスメート“がこのLA在住であることが分かった。リトルトーキョー近くのLAバプテスト教会引退牧師の山田和明師である。親父より一回り上の80過ぎの見知らぬ爺さん。会いに行ったら私には初対面だが彼には”再会“で、私がダラスで生まれた時、彼は私を腕に抱いてくれたそうだが私はそのことを全く知らなかった。その時の赤子が今ガラの悪いオッサンになって50年ぶりに突然バイクで現れたわけだが、彼は大声で「神よ。あの時の赤ちゃんが今、目の前に主の僕として現れてくれたことを感謝します!」と主を称え、2人で神の不思議な導きを分かち合えたのだった。

彼に今回のシゲコさんを巡る教会の問題などを打ち明け これからの進路などについて聞いたところ、「君は単立教会の出身だろ?じゃあ“単立の神学”を継ぐべきじゃないのか?!」とはっきり言われた。大きな衝撃を受けた。当時の私は伝道師として小さな教会の”お手伝い“であり、独立して開拓する気など全くなく、その度胸もなく、ましてや日本にいたころ私の両親は自宅を使って開拓教会を始めたために散々な目に会い言わば「単立教会なんかこりごり」だった。それにどうやってアメリカで教会を一から始めるのだろうか?

などと一瞬考えたが、次の瞬間、怒涛のような聖霊の波動を感じ「そうか!」と我に返った。困っている人が目の前にいるのに何もしない牧師、施設の名ばかりで役に立たないシステム、いつも空き家の教会。これらの問題を解決するにはまず自分が動けばよい。なのに私は矢面に立つことを恐れ中途半端な働きしかしていなかった。考えてみれば私は教会から給料を貰わず自分の経費で動いているので端からもっと自由に行動できたのだ。今更ながら自分の器の小ささと不信仰を恥じた。「独立しよう!」 腹は決まった。これからは“教会のボランティア”ではなく教会の矢面に立ち、十字架を担ぎ、持てる全てを使って主にお仕えしよう。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
                     ヨハネ15章16節
                           つづく。。。

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