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牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA

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牧師、バイカー、鮨職人として。...
第3話「鮨屋にて。デイブのボスが。。。」

   その日もデイブはやって来た。「調子どう?」といつも通り聞いてみる。「ボチボチだね。俺はもう大丈夫だよ。」「そうだね。イエスさまはいつも君を愛してるんだよ。」「そうだな。感謝。」 と答える彼はすっかり大丈夫そうだ。 改めて心の中で神さまに感謝する。

しばらくして彼が鮨を3オーダーほどつまんだところで彼の携帯が鳴った。
デイブ:「はい、もしもし。。。え?! 何だって?!! そうか。。。
     分かった。。。」
ボク :「どうした??」
デイブ:「俺のボス(社長)が今さっき死んだ。。。ジョギング中に心臓発作
     で。。。」
ボク :「えー?! デイブのボスって歳取ってる人??」
デイブ:「いやとんでもない。彼はまだ若いよ。40歳そこそこかな。
     すこぶる健康で筋骨隆々、男前でスポーツマン、若くてキレイな
     奥さんとまだ小さな2人の男の子がいるよ。けっこう金持ちで、
     いつもビーチ沿いをジョギングするのが日課だったんだよ。
     その最中に死んだ。。。」
ボク :「何だって!? 信じられん!!」
デイブ:「ああ、全くだ。。。とにかく今日は俺もう帰るわ。」
     と足早に去って行った。

それにしても何と言う悲劇だろうか。先月、彼は婚約者を亡くしたばかりで、今度は彼の社長とは。。。ダビデは、
「ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。
 私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、
 盛んなときでも、全くむなしいものです。」  詩篇39篇5節

と詠っている。言い得て妙とはこのことだ。人の人生など風前の灯火。いつどうなるか分かったものではない。余談ながら、勤めていたその店もほどなく閉店となった。もともと経営不振だったが、突然スポンサーが降りたらしい。おかげで私もクビになり、生活苦に喘いだ。結局、私がそこに勤めたのはたった1か月半だった。人の命、人の営みや計画が全くアテにならないものであることを思い知らされた。だからこそ、デイブに福音を語れたことは本当に良かった。我々は神を敬い、信頼しないといけないのだ。なぜなら神は、彼を畏れる者を守って下さるから。

あれから10年。人の死による突然の別れと、解雇による生活苦は、私の牧会生活でその後、幾度となく繰り返された。しかし、毎回苦戦を強いられるもののここまで守られてきた。そして思う。「今日やるべきことをやろう」と。「今日も福音を語ろう」と。今日が最後なのかも知れないから。
                        4-18-2019

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聖書の言葉

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聖書の言葉
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、
あわれんでくださる神によるのです。

         ローマ人への手紙9章16節

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もの言う牧師のエッセー 傑作選

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もの言う牧師のエッセー 傑作選
第25話「 LA RIOTS(ロス暴動) 20years Later 」

   早いもので“ロス暴動”から20年が経った。誠に悲しい事件ではあったが、それを記念してNBCニュースに懐かしい人が出ていた。タイタス・マーフィー氏だ。

1992年4月29日、ロドニー・キング事件に関わる4人の白人警官への無罪評決を機に、判決を不服とする主に黒人を中心としたLA市民の怒りが爆発、後に全人種を巻き込む大暴動へと発展する。そして同日午後6時45分、仕事でLA市内を18輪トレーラーで27トンの 土砂を輸送中だった白人男性レジナルド・デニー氏がフローレンスとノルマンディアベニューの交差点でたまたま信号待ちをしていたところ、ストリートギャング”クリップス“の幹部ら 4人を初めとする暴徒によりトラックから引きずり出され、コンクリートブロックでこめかみを殴られたり鉄の塊を頭部に落とされたりなどの暴行を受け血まみれのまま捨て置かれた。

その一部始終をテレビの生中継で見ていた黒人男性マーフィー氏は、その場所が自宅の近所であることに気付くと自宅を飛び出し現場に駆けつけデニー氏を救出、同じく地元から駆けつけたやはり黒人であるボビー・グリーン氏がデニー氏のトラックを運転して病院に向かったのだった。

イエスのたとえ話、敵を救った「良きサマリヤ人」を地で行くこの話に多くのアメリカ人は 混沌と暴力の中で希望を見たに違いない。「俺はただ助けを必要としてる人を助けただけ」とマーフィー氏は言う。

聖書の詩篇46編1節に
「神はわれらの避け所また力なり。悩める時のいと近き助けなり。」文語訳

とあるが、キリストは決して単なる“キリスト教の教祖“でもなく、どこかの先生でもない。 まさに人類の“助け”となるべく十字架にかかって血まみれになるほど我々を愛してくださった「救い主」なのである。  2012-5‐8

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第2話「鮨屋にて。デイブとトム、そして私」

   デイブはその後もちょくちょくやって来たので色々話をした。「ところでデイブは何の仕事してるの?」「カスタム(改造車)・リモ(リムジン)のペインター(塗装工)だよ。」「へえ、俺、カスタムバイク乗ってるけど、昔、俺のバイクをカスタムしたやつが凄腕のペインターで、トムって言うんだけど、『バイクは儲からんので、これからはリモをカスタムする』とか言ってたなぁ。」「何!? トムだって? トム・プリウィッツか?」「え?彼を知ってるの!?」「知ってるも何も昨年まで一緒に仕事してたんだよ。」「え~!ホンマに!? 俺あいつのこと長いこと探してたんだよ!」。 

トム・プリウィッツ。今から20年ほど前の一大モーターサイクルブームの頃、アメリカのカスタムバイクシーンでその名を知らぬ者はいなかった。ハーレーだけでなく、当時マイナーだった日本車の改造も行い、レースバイクも造ってしまう。その頃ディスカバリーチャンネルを賑わしたウェストコースト・チョッパーズやOCチョッパーのバイクの多くは彼の手によるものだった。あまりに出来栄えが素晴らしいので、カスタムではない日本のメーカーであるカワサキでさえ大量生産を依頼したほどだ。

当時、私は30代半ばで、有り余る体力と気力を使って鮨職人として稼ぎまくり、今の貧乏ぶりからは想像もつかないほど羽振りが良かったので、何百万円つぎ込んでトムに愛車を3度にわたってカスタムしてもらったのだった。しかし彼はある日突然バイク業界から足を洗い、いずこへと消え去った。家庭崩壊だと噂で聞いたが、まさかデイブと一緒に仕事していたとは。しかしトムはそこも引き払い行先は分からないそうだが、この鮨屋に導かれたこと、デイブに伝道できたことなど改めて神の不思議な導きを感じずにはいられなかった。

そして、デイブと交わしたトムの逸話は、私に“荒れていたあの頃”の記憶を鮮やかにフラッシュバックさせた。教会に属し、1/10献金もしっかり捧げていたが、いつもイライラしていた。板長の仕事は儲かり楽しく充実、板場で客と酒を飲んで毎晩ドンチャン騒ぎ。大型バイクは3台に増え、休暇を取って全米を走り回ったが、いつも満たされず不安で、感謝もなく、気に入らないことがあると相手が誰だろうが怒鳴り散らした。これはイエスでなく自分を中心にしたダメキリスト者の典型例だ。しかも呆れたことに、自分は結構“いい人間“だとさえ思っていた。毎週礼拝に行き、聖書を読み、献金もしていたのだから。

「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、
 あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」       
             エペソ人への手紙3章16節

とあるように、主の前にへりくだり、心を開き、己の力ではなく聖霊の力によって内側から造り変えられねば、キリスト者は弱いままであり、以前の古い自分のままなのだ。いま考えると本当にアホやったと思う。イエスさまはそんなアホを見捨てず、守り導き、ついには伝道者の道を備えてくださった。私でさえ出来るのだから誰でも出来る。イエスの力で。  4-3-2019

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第1話「鮨屋にて。デイブ」

   今から10年前の話。20年ぶりに神に召され、近所の鮨屋の板場に立ちながら、とある小さな教会で伝道師をしていた時のこと。ひょろっとした地味な30歳後半くらいの白人男性がカウンターに座った。
後ろ髪がやや長く、野球帽をかぶってるので店内での彼はやや暗いイメージだ。

彼が3品ほど注文した鮨を食べ終えたところで、私はいつも通りで、「いかがですか?」と聞いた。アメリカではレストランの客に対し必ずこの質問を飲食中に行い、水を足したり、空の皿を引いたり、他のメニューの説明をしたりする。

が、彼はその瞬間!「いかがだと!? 俺が大丈夫な分けねえだろ!! 俺の婚約者はなあ、2週間前にガンで死んだんだよ!! おい!! どうしてくれるんだよ!! お、俺はいったいどうすりゃいいんだよ!?」

「ゲッ!!。。。」 一瞬、私の背中が凍り付いた!。。。
が、その瞬間! 私は「俺はアンタに何もしてやれない!! でも Jesus Loves you!!(イエスさまはアンタを愛してるぜ!!)」 と叫んだ!(と言うか叫んでいた)。。。
キョトンとして彼は私を見つめ、数秒の沈黙が続いた後、「そ、そうだよな。。。 イエスさまだよな。。。 俺は彼に愛されてるんだよな。。。 ありがとう。。。」

「え?! マジで?? ホンマに??」などと心の中で彼の従順な態度(と自分自身の言葉)に驚きながら、神さまに感謝しつつ、詳しい事情を聞いたところ、彼の婚約者の女性は生前、彼を小さなバイブルスタディに誘い、一緒に通っていたそうな。彼の名はデイブ。まだ確信はないらしい。聖書の内容も難しいと言う。ともあれ楽しい“クリスチャン会話”が始まった。

「どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるから
です。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの
父の御霊だからです。」            
マタイの福音書10章19-20節

とあるように、伝道師とはいえ20年のブランクがあり、久しぶりに宣教の現場へ復帰し右も左も分からぬ中、改めて神のミッションとは人の説得力や気合のごときもので成るのではなく、聖霊の力で成ることを思い知ったのだった。
「俺はもう大丈夫だよ。ありがとう。」 そう言ってデイブは帰って行った。 主に感謝(^^)      3-20-2019   続く。。。

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