【北海道新聞】7月26日に北海道は松前町で執り行われました「鈴木秀二命日章旗返還式」について紙面が届きましたので掲載させて頂きます。
【松前】太平洋戦争末期に多くの住民を巻き込んだ1945年(昭和20年)の沖縄戦で戦死した鈴木秀二さん(享年38)が戦地で持っていた日章旗が、戦後78年を前に町内在住の遺族の元に返還された。旧日本兵の遺品返還に取り組む米国のNPO法人「OBONソサエティ」の仲介で実現した。長男の一弘さん(86)は「父親の形見がひとつもなかった。うれしい」と話した。
同団体や遺族によると、秀二さんは留萌市出身。旧陸軍第24師団輜重兵(しちょうへい)として、武器や弾薬などの運搬を担当していたという。旧日本軍が組織的な戦闘を終えたとされる6月23日の2日前の21日に死亡した。最期の様子は分かっていない。
今月26日に町役場で行われた返還式には、遺族7人が出席した。一弘さんと妻の玲子さん(83)が石山英雄町長から日章旗を受け取った。縦約65センチ、横約80センチの旗には「必勝」「大和心」などの寄せ書きが記され、出征時に渡されたとみられる。一弘さんは「優しい父だった」と在りし日の姿に思いをはせ、玲子さんも「夢のよう」と涙ぐんだ。日章旗は自宅の仏壇に供えるという。
日章旗は、沖縄戦に参戦した元米国陸軍大佐が持ち帰った。その後、孫が旗に込められた思いを知り、2020年に同団体に返還を依頼した。直後に連絡を受けた札幌在住の同団体スタッフの工藤公督さん(48)が留萌市内などで調査を開始。60年ほど前に松前町の企業に就職し、現在も町内で暮らす一弘さんの存在を知り、1カ月ほど前に連絡した。
一弘さんは小学校入学前に秀二さんと別れ、「連絡が来た時はびっくりした。工藤さんや団体には感謝しかない」と話した。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/884427
【松前】第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年6月に沖縄戦で亡くなった留萌市出身の陸軍兵士、鈴木秀二(ひでじ)さん(当時37歳)の日章旗が26日、米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」を通じて松前町在住の遺族に返還された。日章旗は米国の元兵士が長年保管していて、78年の年月を経て長男の鈴木一弘さん(86)の手に渡った。一弘さんは「ありがたい。うれしい」と喜んだ。
同法人によると、秀二さんは日本陸軍第24師団に所属し、食料や武器の輸送などを担う輜重(しちょう)兵第24連隊第五中隊の伍長だった。激戦地だった沖縄本島の糸満市真栄平(まえひら)で、6月21日に亡くなった。
秀二さんの日章旗は米国の元陸軍大佐、エイドリアン・リンジー氏(故人)が戦場から持ち帰り、長年保管していた。リンジー氏が他界した後は孫のジョージ・ヘルムスタッター氏(アイダホ州在住)が受け継ぎ、2020年9月に同法人に所有者、遺族の捜索と返還を依頼していた。
遺族探しを担当したのは、同法人スタッフで、札幌在住の工藤公督さん(48)。日章旗に「留萌土木現業所 鈴木秀二君」などと書かれていたことや、日本遺族会の情報などから秀二さんが留萌市礼受(れうけ)出身と特定。工藤さんはさらに礼受の地域住民などから鈴木家の足跡を尋ね、松前町の一弘さんを探し出した。
26日は松前町役場で返還式が行われ、一弘さんら遺族7人が出席。一弘さんは石山英雄町長から日章旗を受け取り感慨深げに旗を見つめた。同法人共同代表のレックス・ジーク氏、敬子・ジーク氏のメッセージが動画で紹介されたほか、石山町長も「故人の家族への思いと関係各位の平和と友好を思う気持ちが実を結んだ。町としても平和の尊さを次世代につないでいく」と述べた。
秀二さんが出征時、一弘さんは小学校入学前だったが「父はマージャンが好きだった。温厚で優しかった」と懐かしみ、「連絡を受けた時はドキドキした。感謝の気落ちでいっぱい」と話した。一弘さんの次男、修二さん(50)は「日章旗が戻ってくるとは思ってなかった。祖父が眠る沖縄にお参りしたい」と話した。
https://hokkaido-nl.jp/article/30215
太平洋戦争の沖縄戦で戦死した留萌市出身の男性の日章旗が、終戦から78年となるのを前に、道南の松前町に住む遺族の元に返還されました。
返還された日章旗は、昭和20年6月に太平洋戦争の沖縄戦に従軍し、38歳で戦死した留萌市出身の旧日本陸軍の軍人、鈴木秀二さんが所持していたものです。
松前町役場で行われた返還式には、鈴木秀二さんの長男の鈴木一弘さん(86)ら遺族が出席し、石山英雄町長から日章旗を受け取りました。
日章旗には秀二さんの名前とともに、「必勝」などの文字が寄せ書きされていて、手に取った遺族は時折涙を浮かべ生前の記憶に思いをはせていました。
日章旗は沖縄戦に参戦したアメリカ陸軍の元軍人が戦地から持ち帰っていましたが、その孫が、戦没者の遺留品を遺族の元に返す活動をしているアメリカのNPO「OBONソサエティ」に依頼し、遺族を探し出したということです。
一弘さんの妻の鈴木玲子さんは「夢のようです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20230726/7000059478.html?fbclid=IwAR19sUCjzSPPEUdxhjpp53TFkwSzhUqOZU6iLE0lTM9C9IZiwdQxrT2sylI
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