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万国博覧会と旅客輸送 第二話

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ユニークな万博列車、名古屋から... ユニークな万博列車、名古屋からのエキスポ号に加えて、万博号が運転されています。
河瀬発、新大阪、姫路発、茨木止と言うユニークな列車に注目
ユニークな臨時列車
万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。
国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となっています

当時の時刻表を参照しますと、愛称は、「万博号」となっています。
時刻表を参照してみますと、河瀬始発の快速電車が万博1号として、河瀬7:39に出発、新大阪9:16着という列車が運転されています。
同じく、姫路方面からの列車としては、姫路発7:50 茨木9:42着の万博2号が運転されています。
これ以外にも、上り列車としては、16:30 茨木発 河瀬着18:18、万博4号、21:21 茨木発、河瀬着22:47 万博6号 下り列車としては、他に、茨木発 16:17、姫路18:14 万博3号、茨木発 21:17、姫路着 23:10の三往復が運転されていました。
また、名古屋始発のエキスポ号が陰転されていました。こちらは快速電車ですが、「全車指定席となっていました。
河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する
国鉄線という雑誌の記事を引用したいと思います。
 大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する。

となっています、また、「快速電車の茨木駅臨時停車」として、当初は臨時扱いだったそうです


万国博覧会その後
万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します。
この新快速に関しては、本社は「特別快速」の名称を使わせたかったようですが、大鉄局が押しきった形となりましたが、時刻表の表記は間に合わなかったのか、特別快速と書かれています。

茨木駅と快速停車
茨木駅の快速停車は、万博終了後は正式に、停車駅として認知されることになりました。
万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します

北大阪急行の廃止と延伸
北大阪急行は、万博終了後の経営が懸念されていましたが、万国博覧会会場に通じていた会場線(東西線、万博線とも呼ばれた)については、万博終了後の翌々日に失効すると言うことで、仮駅の千里中央~会場までの約三kmの路線は廃止されました。
元々、中国道の路盤を借用していたものであり、撤去工事の費用は道路公団の予算で行われたほか、鉄道建設費は万博輸送で償却できたため、現在でも初乗りが100円と非常に安い鉄道となっています。
建設当初は、万博終了後は赤字になるのは必至だからとして、大阪市交通局が難色を示したと言うのも笑い話のようです。

1970年(昭和45年)

2月24日:南北線・会場線 江坂 - 万国博中央口間 (9.0 km) が開業。
9月14日:会場線 分岐点 - 万国博中央口間 (3.6 km) が廃止、南北線 分岐点 - 千里中央間 (0.5 km) が開業

阪急の駅廃止と駅新設

もう一つの万博への会場アクセスであった阪急千里線に、南千里と北千里駅の間に、万国博西口駅が開設されました。
この駅は、現在の山田駅より北側に400m程行ったところで、現在は跡地は駐車場になっています。
ちなみに、山田駅が開業するのは、昭和48年11月23日でした。

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万国博覧会と旅客輸送 第一話

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万国博覧会と旅客輸送 第一話
日本万国博覧会とは
日本万国博覧会、大阪府吹田市の千里丘陵で1970年3月15日から9月13日までの183日間開催された国際博覧会であり、現在はその跡地の多くが万博公園として残されているのは御存じの通りかと思います。

輸送計画の概要
万博輸送の概要について、当時の部内誌などを参考にしながら述べてみたいと思います。
当時の資料を参照しますと、
万国博覧会の訪問者は

国内日本人  48,980,000人

  • 近畿    27,500,000人

  • 近畿圏以外 21,480,000人


外国人 1,020,000人

  • うち訪日外国人   740,000人

  •   在日外国人   280,000人

と推定されていました。

現在と比べますと、訪日外国人の数は非常に少ないのですが、なお、交通網に関しては、大阪地下鉄の延伸、国鉄、阪急による鉄道輸送と自動車による輸送が想定されていました。


当時の資料から直接引用させていただきます。
参照、交通技術昭和45年1月号、万国博輸送についてから引用

■万国博会場への交通網
 万国陣の会場は、大阪市の中心から北東へ約15 kmのところに千里ニュータウンと隣接して所在し、広さ約100万坪、中央口を始め東口・西口・南口・北口と5つのゲートを有します。国鉄 茨木駅から西方へ茨木駅前道路を経て2.2 km、阪急京都線、茨木市駅から同じく茨木駅前道路を経て3.5 kmで会場東口にいたり、南茨木駅からは中央環状道路を経て4.3 kmで万博中央口にいたる。会場の西駅を阪急千里山線が走り、臨時に設けられる万国博西口駅と陸橋で会場西口と結ばれる。会場のすぐ東側を名神高速道路か走り、吹田インターチェンジが新設される大阪国際空港からは。中央環状道路を経て釣10 kmで会場中央口にいたる。中央環状道路は。会場を東西に横断しており、西側へは中国縦貫道と並行して池田市にいたり、会場の東側へは、名神高速道路と吹田インターチェンジで立体交差し、近畿自動車道と平行して南下し、大阪市の外周を取り巻き、各衛星都市を貫通し、堺市にいたる大阪高槻京都線。国道1号線、大阪生駒線・阪奈道路。国道25号線、国道26号線など大阪市内から京都・奈良、和歌山など他府県へ伸びる放射軸道路を結ぶ基幹的な環状道路である。
         中略
いわゆる万国博急行といわれる北大阪急行電鉄は、現在、新大阪駅に乗り入れている大阪市地下鉄1号線が御道筋と平行して北上し、江坂まで延長されるが、この後を受けて、上新田にいたり、そこで右折して中国縦貫道の道路敷の片側を占用して会場中央口にいたる鉄道である。(上新田~会場間は万国博終了後撤去される)。以上が移換したように万国博への交通網は、鉄道・道路とも網の目のように整備される。もちろん、空の玄関である大阪空港・海の玄関である大阪港・神戸港も整備される。


となっています。

国鉄の動き
国鉄は、大阪に向かう万博利用者のその多くを引き受けることとなるため、新幹線脳輸送力増強、臨時列車の増発等が行われました。
特に、ゴールデンウィーク以降は、利用者が急増し、ゴールデンウィーク及び夏休みにはエキスポこだまなる、なんともユニークな列車が上りのみ運転(下りは回送)されました。【詳細は後述】

阪急電車の動き
阪急電車では、千里山線の南千里と北千里の間に、万博西口駅が臨時で設けられました。
なお、この当時は現在の「山田駅」は誕生していません。
現在、東寺駅があった付近は駐車場となっており、駅から西口まで歩道橋で結ばれていました。

北大阪急行電鉄の建設
北大阪急行電鉄は、昭和42年6月28日に運輸大臣、通産大臣、大阪府知事、大阪市長、及び阪急社長の5者会議で建設が決定したもので、は大阪市営地輸送が不透明であったことから、最終的には、政府・府・市などの強力なバックアップの元にという条件で、阪急の子会社として設立されました。
実際には、建設費の殆どが万博輸送で償却できたほか、東西線(万博中央口から千里中央仮駅間の撤去費用は、高速道路建設の一環として行われたため負担がなかったことも有り、現在も初乗り100円という非常に安い運賃が実現されています。)

以下は、次回以降に書かせていただきます。

併せてご覧ください


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ヨンサントウ改正、波動輸送の確立と特急列車新設

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昭和43年の改正では、波動輸送... 昭和43年の改正では、波動輸送に備え事前にダイヤが設定された。
ヨンサントウ改正では、波動輸送について特に注意が払われました。
それまでの臨時列車は、いわゆる、「盛りスジ」と呼ばれるもので、既に出来上がったダイヤの隙に押し込む形で臨時列車を設定するようになっていました。
この方式だと、同じ急行列車であっても、途中駅で後続の定期急行列車に抜かれたり、単線区間では普通列車を交換待ちすると言ったことも起こりえるわけで、列車としての価値は低くなるのでした。
そこで、ヨンサントウ改正では、当初から波動輸送が見込まれる線区には当初から定期列車と同じように設定しておくことで、臨時列車の質を高める工夫がなされました。
以下は、紀勢本線のダイヤですが、臨時列車が予定臨として、定期列車とほぼ同じダイヤで運転されています。
例えば、改正前の週末臨時列車の「急行しらはま」は、「急行きのくに」 に統合された上でスピードアップも果たしており、定期列車と所要時間も変わっていません。
昭和43年9月時刻表

「急行しらはま」と異なり、停車駅も整理されてスピードアップしており、定期列車と遜色はありません。

昭和43年10月時刻表


このように、波動輸送の整備を図ったのは、ヨンサントウの改正が最初でした。


また、この改正では中京地区に2本の特急が同時に誕生しました。
1本は、高山本線を走る特急で、急行ひだ2号を格上げする形で設定されています。
急行時代は、富山~名古屋間でしたが、「特急ひだ」は、金沢~名古屋間に延長下にも関わらず、1時間ほどスピードアップしているので、金沢始発の時間は、急行ひだの富山始発の時間と変わらぬ6:45発、(急行時代は富山6:47発)で、名古屋到着は11:57【急行時代は名古屋着12:00)であり、食堂車非連結の6両編成で、1両が1等車【現・グリーン車】で半室が指定席というこぢんまりとした編成でした。
また、もう一つの列車は、「特急しなの」こちらも、「急行第1しなの」を置き換えたようなダイヤで、名古屋始発が急行時代より20分遅い8:40、長野着は12:51で急行時代より50分ほど時間短縮されています。
新製されたキハ181系の堂々9連で、食堂車・1等車を連結した堂々とした編成でした。
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