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国鉄があった時代、日本国有鉄道史

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Discover Japan 美しい日本と私 お寺に泊まろう

スレッド
「DISCOVER JAPAN... 「DISCOVER JAPAN」 展覧会で再発見 今、何を見つけますか
産経新聞 2014.9.18
前回は、宿泊でお寺に泊まることが出来ると書かせていただきました。
改めて、もう少し詳しく書かせていただこうと思います。

2年目のキャンペーンと言うことで、かなり新しゅう取組が行われていることが窺えます。
丁度、国鉄ではマル生運動も始まった頃であり、若手の国鉄職員を中心に国鉄を変えようという意識があった飲も、今までの常識に囚われない増収に繋がったと思われます。

国鉄の部内誌、国鉄線昭和46(1971)年8月号から、長いですが引用させていただきます。

お寺の販売
最近の旅行はデラックスになりつつある反面、民宿や国民宿舎、ユースホステルを利用した旅行形態もふえている。また、女性週刊誌などにのっているように、若い女性の声として。"お寺に泊ってみたいというのも多い。そこで浄土真宗西本願寺派の寺院に宿泊する”お寺に泊る”販売を実施し、新しいディスカバーの旅の形として販売宣伝を開始した、その要項は次のとおりである。

  1. 全国で約250か寺にしぼった。

    西本願寺派にしぼったのは、ここには統一した組織があり、宿泊設備の改善、指導や、連絡などが徹底できるため。本年の実績をみて、来年以降ふやして行きたい

  2. 宿泊券(お寺券)は、東京、上野、新宿、大宮、名古屋、京都、大阪駅の旅行センターで取扱う。(お寺との販売契約は日本交通公社、日本旅行が行なった)

  3. 宿泊料金 1泊2食 1,350円

    食事は何品と定めてないが、郷土料理など特殊なものを提供するようにしている。(精進料理ばかりではない。)浴衣と洗面道具の提供はない。風呂はほとんどあるが、一部で付近の壇家のもらい風呂がある。朝のおつとめなどは強要しない

  4. 二名以上の女性のグループに限る。

    新しいムードづくりの対象になるのは女性であると考えられたからである。ただし、小学生までは男子でもよい。


ということで、女性の旅行需要を誘発しようとしていました。
お寺の販売
宿泊券のデザイン

ということで、お寺へ泊まってもらう体験を国鉄自らが置こうなったというのは非常に画期的なことであったと言えます。
当時は、アンアン・non・noと言ったファッション雑誌が全盛のころで、独身女性同士の旅などがやっと一般化してきた頃でした。



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Discover Japan 美しい日本と私キャンペーンと国鉄

スレッド
万博輸送その後の計画されたキャンペーン

国鉄は1970年10月に万博終了後の旅客確保対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が開始されました

このキャンペーンの目的は、経済成長により可処分所得が増えたことや、万国博覧会を経て、個人旅行の機会が増えたこと等から更なる旅行者の誘発を目的に昭和44年10月頃~考えられました。

キャンペーンは、昭和45年1014日から始まりましたが、この時初めて売り出されたのがミニ周遊券でした。

それまでの周遊券は、オーダーメイド形と言われるもので、旅慣れない旅行者には手続きが煩雑でした。

そこで、昭和45年10月からは、「ミニ周遊券」と呼ばれるもので、全国9箇所をの周遊値を指定して発売されました。




翌年からは、本格的なキャンペーンの開始
翌昭和46年には更に実質的に商品に結びつけることに重点を置いて推進する積極的なキャンペーンが7月から12月にかけて行われました。
以下に列挙してみたいと思います。


  • 美しい日本と私71の執筆依頼


  • 現代の71人の人たちに「思い出に残る土地と、そこでのできごと」について執筆をお願いし、北はオホーツクから南は指宿までのなかでの思い出の土地を選んでもらい、これを"美しい日本と私"と題して旅への呼びかけを行なう(71にしたのは、今年が1971年であるため。)この71を基本にして、一般へは"71人の人たちは、このような旅と、思い出を持っています"あなたなら、どのような旅をしますか?"といった呼びかけをして旅へのムードをもりあげる。

  • "美しい日本と私71箇所の駅長招待旅行の実施"


  • "美しい日本と私71の思い出に残る土地のもより駅長が、地元観光協会、旅館組合等の協刀を得て、その地へ旅してみたいという人々をグループで招待する。これは、遠くの駅長が旅行に招待してくれるという期待を持って、はがきを出す」という全国的なDISCOVERJAPANムードのもりあげをはかる企画で。官製はがきに応募要項を記載してもより駅長あて投函することにより招待旅行に応募の権利をつかむというもの、7月1日から9月20日(消印有効)間で多数の場合は抽選によることとしている。一箇所について3組(1組は4名以内)のグループを1泊2日ないし2泊3日の旅行に招待するが、現地での行程は駅長が観光協会等と協議してきめたものとしている。なお、全国各地からの応募があるので、招体内旅行のさいの行程は、当選者国鉄もより駅から順路によることとし、途中、特急、急行利用と指定』車、B寝台車は提供することにしている。招待旅行の交通費は国鉄負担、宿泊、観光地めぐりは地元負担で実施する。

    駅掛ポスターを作成

  • ミニブック"美しい日本と私71"の発行


  • 71人の人たちに書いてもらった「思い出に残る地と、そこでのできごと」の短編(3000字程度)と、その地にふさわしいカラー写真をのせたミニブック"美しい日本と私71"という小冊子を発行、駅の売店や、旅行あっ旋業者の窓口、一般書店で発売。新書版(約60ページ)、定価1OO円

    これら"美しい日本と私71"一連の周知宣伝は、従来どおりマス媒体を含めた各種媒体を使って進めているが、とくに駅長招待旅行の応募要領についてはBO版(B全版の二枚連続)駅掛ポスターを作成し、これに71箇所の写真ともより駅名、住所、郵便番号を掲載した。

  • 駅スタンプの増備


  • 駅スタンプの増備

    昨年10月、駅スタンプを整備して、全国的にスタンプムードをもりあげたが、各地から増設の要望もあったので、7月1日から23駅と2個列車(特急さくら、上・下)を追加した。これにより、駅スタンプの数は全国で1357となり、このほか船11、列車8となっている。〔追加駅〕蒲田、桜木町、松田、伊那大島、玉島、日生、茶屋町、道後山、香椎、原田、篠栗、石原町、伊田、後藤寺、新飯塚、新田(東北本線)、屋代、六日町、万座・鹿沢口、大河津、伊達紋別、夕張、岩内

    他にも、女性限定ではあるが、浄土真宗西本願寺派のお寺【全国250箇所限定】で宿泊できるキャンペーンが実施された、女性2名以上での宿泊限定で、食事付きとなっていました。
    浄土真宗西本願寺派のお寺【全国250箇所限定】で宿泊できるキャンペーンが実施された

    お寺に泊まるプランを国鉄が発売していたというのは実は、今回こうしてblogを書いていて初めて気づきました。

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    万博輸送その後 新快速電車の誕生

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    万博輸送その後 新快速電車の誕...
    万博輸送後のダイヤ改正
    大阪府吹田市千里丘丘陵で開催された、日本万国博覧会(Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として開催されました。
    期間中の入場者数は、6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)であり、当初目標が3000万人であったので大成功を収めました。
    国鉄も、輸送力増強で応えた他、茨木駅を万博東口として、バス輸送を行ったほか、新幹線の16両化、12系客車に見られる、波動用客車の増備などが行われました。
    12系客車の話はまた別の機会に詳しくさせていただきますが、15年ぶりに製造された一般型客車であり、6両1ユニットで運用される客車で、冷房装置が付いた車両でありもっぱら急行用に利用されました。
    車体の基本構造は、上下2段式の窓や2枚折り戸など同時期に製造されたキハ65とよく似ていました。
    国鉄としては、こうした万博輸送に向けて増強した輸送力を活かすための方策が幾つか考えらることとなりました。
    その一つが、新快速電車の誕生でした。

    新快速電車の誕生
    新快速電車の誕生
    新快速電車は、万博輸送用の快速電車として投入された車両を使用して増発されることとなり、当初は京都~西明石間に1時間一本の割合で運転されることとなり、京都~西明石間を1時間20分で結びました。
    当時は関東から転属の113系冷房改造車が投入されました。
    当時の時刻表には下記のような説明文が書かれています。
    ただ、国鉄本社は新快速という名称ではなく、特別快速にしたかったようですが、最終的に管理局が押し切ったようです。
    ただし、10月号の時刻表では、本文が「新快速」ではなく、「特別快速」と書かれています。11月号からは「新快速」の表記かと思いますが手元に昭和45年11月の時刻表がないので確認ができません。
    本文が「新快速」ではなく、「特別快速」
    Discover japan(美しい日本と私)キャンペーンの始まり
    そして、もう一つ国鉄が充実させた輸送力を活かすために考えたものが、Doscpver Japanキャンペーンでした。
    駅頭にDiscover Japanと書かれたポスターが貼られ、駅にはスタンプが用意されていました。
    an・anと言う雑誌が発行された頃もこの頃で、女性の社会進出、女性同士の旅行などが増加していった時期でも有りました。
    今でも、youtubeで見ることができますが、当時の情勢のファッションなど見ることができます。
    こうした新しいキャンペーンは、国鉄の強化した輸送力を吸収するのに上手い具合にマッチしてくれました。





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