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世界初の寝台電車登場 第3話

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明星も電車寝台特急としてデビュ... 明星も電車寝台特急としてデビュー 東北では、「はくつる」・「ゆう... 東北では、「はくつる」・「ゆうづる」・「はつかり」が、583系でデビュー 乗務員出入り口後ろに機械室があ... 乗務員出入り口後ろに機械室があるクハネ581 機械室を廃止し、定員が増えたク... 機械室を廃止し、定員が増えたクハネ583
583系電車誕生の頃

世界初の寝台電車は、昭和42年12月のダイヤ改正で誕生しますが、この列車が誕生したのは、寝台列車は昼間休み、逆に昼行列車は夜は休むのを避けることがその目的でした。
最初に投入された「月光・みどり」の場合は、博多と大分で検査が出来るように時間を取ってありましたが、配置区の向日町には着替えを取りに戻るような感覚で、寝台車と座席を変換したら出発・・・そんな感じでした。
寝台の走行中に完全な解体はどうだったのか、回想の旅客車を参照しますと、走行中には原則として寝台の解体は完全に行わず、中段を途中まで跳ね上げられるようにバンドを用意したと記録されています。
当時の寝台使用時間は19:00~07:00迄でしたので、2時間て小渡は我慢して貰おうと言うことだったのかもしれません。少し気になります。

さて、余談はこの程度として、昭和43年には、50/60 Hz共用の583系が誕生【制御車は引き続き581】下のはご存じの通りです。

581系と583系として増備されたグループでは若干外観が異なる部分があり、最初に投入された581系では従来の電車のように千鳥形に通風器が配置されていましたが、昭和43年に製造された581系及び583系からは、片側1列に変更され反対側は滑り止めを設けて通路とした点が異なっていました。

583系電車は運用区間が東北地域にも拡大することから50/60 Hz 両用で設計された変圧器が搭載されました。
なお、583系の特徴は、寒冷地対応を強化すると共に、北海道連絡の関係から1等車【グリーン座席車】が追加で投入されました。
サロ583についてはリクライニング式の座席となりナロ20以来のリクライニングシート付座席車となりましたが、寝台車への転換については、構造的に無理がありA寝台車は誕生しませんでした。
A寝台そのものは、JR発足後、西日本がB寝台車を改造してA寝台にした例はあります。

当時の東北線の時刻表【昭和43年10月号が無いので昭和44年5月号の東北本線などの時刻表をアップしておきますので合わせてご参照ください。

581/583系電車は世界初の寝台特急と言うことで、車体デザインも151系のボンネットと異なり独特のデザインが考案されました。
すなわち、貫通扉を有して、列車の分割併合も可能な構造となっていたのでした。
さらに、この電車の特徴としてボンネットを廃止する代わりに、ボンネット内に収納していたMGやコンプレッサーを運転台後部の床上に機械室を設けてそこに収納していました。
東北新幹線開業前の東北本線は在来線の輸送は旺盛で、一時期寝台電車の15両編成かも計画されたこともあり、MG出力を210KVAに設計変更したクハネ583が設計され、従来の機械室を廃止して、コンプレッサーを助士席下に、MGは床下に配置すると共に、機械室分【8席分、6寝台】が増加した車両が誕生し、それまでのクハネ581は関西に転出することとなりました。
結果的にJR西はクハネ581が多く、東北はクハネ583が集中的に集まる結果となりました。
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世界初の寝台電車登場 第2話

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583系 寝台特急 明星 新大... 583系 寝台特急 明星 新大阪駅にて 581系側面図 581系側面図
昭和42年10月、世界初の寝台電車が誕生しました。
最初に投入されたのは、大阪~九州間を結ぶ、寝台特急「月光」、昼間は特急「みどり」号として運転されました。

時刻表を参照しますと
昼間は、下り列車は、特急みどり号として、新大阪を9:30に出発大分に19:35着、上り列車は大分を9:30に出発。新大阪に19:47に到着、その後寝台車の準備を行い、23:30に新大阪を出発、博多の翌朝の9:20着、夜には19:45に博多を出発、5:45に新大阪に到着するダイヤでした。

この列車の特徴は、下り特急の「みどり」が新幹線に始発列車を受けて大分に向かうと共に、下り寝台特急の「月光」が新幹線最終の列車を受けて博多に向かう点でした。
特に、東京を20:00に出発すれば、翌朝の9:20に博多に到着できるわけで、直通ブルートレインのあさかぜが、1時間ほど早い19:10に出発しても、博多に到着するのは12:00であり午前中は時間を有効に使えないことになります。

同じく、上り列車は、寝台特急「月光」が新大阪始発の新幹線と接続し、9:10には東京駅に到着でき、「みどり」最終列車が、東京行き最終列車に間に合うようにダイヤが組まれていました。

こうして4日間の行程で、関西地方と九州を二往復することになるのですが非常によく考えられたダイヤだと思います。

さて、ここで581系の特徴ですが、改めて説明することも少ないかと思いますが、新幹線連絡を意識し、かつ夜行列車と言うことで側面の青色を多くした上で貫通型の新しいスタイルが作られました。
将来の分割併合を見越して独特の貫通形がデザインされましたが、この方式はその後のJRの車両にも大きな影響を与えたと思っています。
581系は当初、九州地区に投入されたため、変圧器は60Hz専用とされましたが、その後50/60Hz共用の変圧器が開発されたことから50Hz専用電車は存在しないこととなりました。
ただ、当時はコンプレッシャーなどを小型化できなくて運転台直後に従来であればボンネットに収めていたであろうコンプレッサーや電動発電機を運転台下に機械室を設けて、そこに収納することになりました。

又、旅客設備に目を向けてみますと、寝台列車として更に特急列車にふさわしい、車両と言うことでさらなる検討が加えられ、最終的には実物大モックアップの試作品を関係者のみならず本社幹部自らが検討した結果、従来の形態にとらわれず、いわゆるBロネ(開放式A寝台)の3段化といわれる方式、つまり中央通路の両側に車両の長手方向に3段の寝台を記し、昼間は4人向い合い座席とするタイプとすることが決定されました。

結果的に、従来の2等(B寝台)寝台と比べると、3段による窮屈さはあるものの、下段は1m、中段、上段も70cmの寝台幅を確保することが出来、従来の52cmの車両と比べると大幅何サービスアップと言えました。
反面、従来の3段寝台は、54人の定員を確保していたのに対して、45名と9名も少なくなることから、寝台料金については電車寝台料金を新たに設けて、上段・中段1100円、下段は1300円となりました。従来の客車列車の運賃が上段800円。中段900円、下段1000円と比べると大幅な引き上げでしたが、1等寝台並みに浴衣が標準で準備されるなど、今までの2等(B寝台)寝台とは異なる大幅なサービス向上が行われました。
その後、寝台電車は変圧器を50/60Hz共用に変更した583系に変更されてさらい増備されるのですがこの辺のお話は、次回にさせていただきます。

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世界初の寝台電車登場 第1話

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世界初の寝台電車登場 第1話 世界初の寝台電車登場 第1話
寝台電車誕生の背景
昭和42年10月の改正で、世界初の寝台電車が誕生した。
これは、寝台車が昼間は遊んでしまう状態であった、高速道路も東名・名神以外は高速道路も整備されておらず、陸上輸送の基本は国鉄に委ねられている状況であり、効率的な運用行える夜行列車の存在が検討されていた。
また、国鉄側の問題として、高価な車両が夜もしくは昼間は遊んでしまうことは勿体ないので、鉄道車両という高価な財産を有効かつ、合理的に使用し、車両基地の設備も充分に活用することが出来るように計画されたのでした。

交通技術 42(1967)年5月号から引用

電化がもっとも進んでいる東京~九州問は、まさにこの例のとおりで、山陽線の昼間の特急列車はすべて電車か気動車で、夜行寝台特急列車はすべてブルー・トレイン客車列車である。このことは逆にいえば、481系交直流両用特急電車や181系直流特急電車は夜間は向日町基地か、南福岡基地などにまるまる滞泊し、逆にブルートレイン20系特急は品川基地か、九州、内各基地に昼間滞泊していることになる。
ここにおいて、車両として高価な財産を有効に、合理的に使用し、かつ設備をも充分に活用するための一つの有力な手段として、夜間は寝台、昼間は座席にそれぞれ切換え使用しうる車両の開発と云うテーマが提案されたのである。

典型的な例を示して車両運用を考えてみると、上図でAB両駅間の特急列車の所要時分8時間程度の場合、昼行特急lM2Mは電車による座席特急、3レ、4レは寝台専用客車特急、ブルー・トレインと云うのが従来のやり方であった。この場合、使用編成をみると電車が2本、客車が2本、合計4本となり、このほかに予備車がそれぞれ必要となる。ここで、昼は座席・夜は寝台とした電車を、この線区に投入するとし、B駅側に車両基地があれば、4レは1Mに、2Mは3レにそれぞれ運用がきくので、使用編成は2本となり、予備車も車種が減るので当然、少なくてすむこととなる。もちろん、いずれの場合もこのほかに検査のための編成が必要とはなるが、所要車両数はうんと少なくてすむことは明らかである。
また同時に、基地に滞泊する時間も非常に少なくなり、当然その分だけ他の車両を収容できることとなって、実質的に基地能力を向上したことになる。


そこで、動力分散式車両を利用して昼間は座席車で夜間は寝台列車で走らせるべく列車が検討されることになったそうです、当初は急行列車を想定しており、二等寝台【B寝台】も従来の開放型寝台をそのまま電車にしたものを想定していたそうです、この辺を昭和49年9月号の鉄道ジャーナルで星 晃さんが書かれた記事にその辺が詳しく書かれていました、要約しますと、当初の案では現在の寝台車(ナハネ10など)をそのまま電車にしたようなイメージ、昼間の居住性を強調するため昼間は、座席を移動させて普通の座席車仕様に、夜は再び座席を移動して寝台とする、Bロネ(開放式A寝台)を3段化したもの。
が案が検討されたそうです。
昭和40年12月の常務会では、従来型の寝台車をそのまま電車にするのが良いのでは無いかという結論となりました。
ただ、交直流電車のため交流機器が大きく占めるため一区画ほどは2段にせざるを得なくなり、定員は50名(従来の寝台車は54名が標準)になるのはやむを無いだろうということになったと言われています。
実際、高千穂等は昼間は寝台車を座席にして使っていたわけであるからもんだは無いであろうという結論であったそうです。
その後、寝台電車の運用区間として想定されていた、新大阪~九州間について検討を行った結果、急行列車では折り返し運用に適切で無いとのことで再び検討する必要が生じたと言われています。
そこで、再び特急列車でかんがえることに変更されていったと記録されています。
特急運用となると、こだま形電車がその標準となるため、デザインを含めて一から検討することとなったそうです。(特急電車581系誕生・・・次回に続きます)


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