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気動車の発展と開発 キハ55系気動車の誕生 第6話

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キハ55側面図 交友社 回想の... キハ55側面図 交友社 回想の旅客車(下)から引用 妻面にカーブが設けられた車体 ... 妻面にカーブが設けられた車体 交友社 回想の旅客車(下)から引用
少し間が開いてしまいました。
本日も、国鉄時代の内燃気動車の発達史をアップさせていただきます。
今回は、キハ55のお話をさせていただこうと思います。

国鉄では、戦後石油事情が好転したことから、戦後はディーゼル機関搭載の車両が試作され、電気式キハ44000に始まる戦後気動車が幕を開けたことは既に書きましたが、DMH17系エンジンの出力は150 PSその後はエンジンに予燃焼室設けて160 PS、その後180 PSまで引き上げられました、しかし、勾配線区では力不足を露呈してしまい。25‰勾配がある線区には配置しない等の措置が講じられていました。
しかし、気動車の配備要望は強く、勾配線区では2エンジンの方針が決定され、試作車としてキハ50が製作されました。
車体長は、22mの長さとなり、これでは分岐器の保安装置(轍叉桿(Detector Bar)に問題があるとして、その後車体長を20.6mに抑えたキハ51が開発されます、ただし、ここまでは車体幅は2.6mの小さな車体に甘んじるしかありませんでした。
昭和30年に入ると、10系客車の手法を活かして、気動車の軽量化と居住性の改善を図ることが計画されました。
モノコック構造を採用しながら車体幅や車体長を拡大した準急用気動車が誕生しました。
この車両は、車体が大きくなっても、重量は従来のキハ51とほぼ変わらなかったそうで。軽量客車の構造を活かされており、キハ55と言う形式が与えられました。

キハ55は、東武が1700系(後の1720系DRCとは異なる)を投入したことに対する対抗措置という側面もありました。
車体幅は、2.9mまで拡幅され、車体長は電車よりも長い21.3mとなりました。
この長さは、その後国鉄気動車の標準長となり、JR移行後もそのまま引き継がれています。
また、初期のキハ55は車端で車両の角が干渉する恐れがあるとして妻板の両端がカーブしていましたが、その後に製造される車両では普通に切妻とされています。

デッキは設置されたものの、床上にトイレ用の水タンクを設置したため、キハ58などに見られる本格的な洗面所は設けられていませんでした。
その辺は、153系電車と比べると設備面で劣ると言わざるを得ませんでした。
余談ですが、キハ28/58で初めて気動車も、電車並みの接客設備を獲得しましたが、キロ28に関しては照明カバーが省略されるなど、電車と比べると本質的で無い部分で、コストダウンが図られていました。
これは、特急も同様で、181系や485系が背ずりの反対側もモケットバリであったのに対して、塩ビの化粧シートが貼られており、カーテンも横引きではなく、普通のロールカーテンになるなどの相違がありました。

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気動車の発展と開発 液体式気動車の苦悩2 第5話

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気動車では最大級の長さを誇った... 気動車では最大級の長さを誇ったキハ50
軽量化された。キハ45000 概要
液体式気動車として、キハ44500形に試作車をベースにして、前面を貫通構造にしたキハ45000形が、昭和28年10月上旬から随時完成したと記録が残っています。
当初の車両は客車をそのまま気動車に置き換えたような配置でドアのすぐ横まで4人ボックスが並ぶ全クロスシートでした。
非力なエンジンをカバーするために、車体幅はキハ44000に準じた大きさで、車体幅は2700 mmにするなど従来に客車などと比べると一回り小さな車体となっていました。
また、車内も軽量化されており、ひじ掛けも省略し、座席の高さも低くするなど徹底的な軽量化がなされました、ただし、台車はその設計に難があり特にビビり振動が多くて乗り心地はよくありませんでした。
ちなみに、10系気動車に使われたDT19(動力伝達用)とTR49(付随車)の重量はいずれも4.5t、4.4tであり、同時期に使われていた客車の6t(TR50と思われる)と比べても軽い台車が使われていました。
これが原因で、車体にアコモデーション改良もままならなかったと言われています。
私も子供の頃何度か乗りましたが、あまり乗り心地は良いとは言えず、低い座席と相まって、キハ20とキハ17が連結されていた場合は、20は満員でも17は少ないということで、乗客もみなよく知っていました。
全国から配置要望があったキハ17
昭和29年5月の交通技術を参照しますと、昭和28年度末までに220両が落成し全国で気動車の数は458両となり、房総東線、奈良・桜井線・越後線・筑肥線など31線の各線に投入したと記録されています。
具体的な線区等は今後調べてみたいと思いますが、選定にあたっては。
1)機関車と客車を全面的に置き換えできる線区
2)蒸気列車を一部置き換えて運転経費の節減を出来る線区
3)列車増発を必要とし、気動車によることが最も有利な線区
を基準にされたと言います。
地方管理局からは、配置の要望が多かったのですが、極端に管理局ごとに偏ると、気動車不配置地区との格差は出るので、積極的に気動車を投入したくないと言う意見もあったことは事実でした。

キハ44500(キハ15)とキハ45000(キハ17)の相違を中心として
キハ44500は外観が湘南形であり、ドアも3か所(両端並びに真ん中)であり、運転台は全室方式でした。
キハ45000(キハ17)は半室運転台で、私の記憶では、運転台の仕切りも貧弱なものでバスのようなイメージであり、横から運転士の操作を覗ける仕様でした。
後ろも壁など無かったように記憶しています。
キハ50の試作とその背景
キハ17の問題点はエンジン出力にあり、実は25‰以上の勾配では入線できず、選定に際しては実はそうした問題点をクリアしなくてはなりませんでした。
そこで、DMH17エンジンを2台積んだキハ44600(後のキハ50)が誕生しました。
この車両は、期間を2台積むために車体長を22mとしてボギー中心距離(ボギー車の台車間の距離)も15.7mとしたのですが、これが後に転轍機の轍叉桿(Detector Bar)と呼ばれる、誤転換を防止する保安装置を跨いでしまう危険性があったため、当初配置された関西線などでは轍叉桿の改修を行ったそうで運転線区が限定されることとなりました。
その後、改良型として、キハ44700(その後キハ51)が誕生しました。
こちらは、車体長を20.6mに短縮した車両で、キハ50で問題となった、轍叉桿の問題はクリアされました。
キハ51は結局20両ほど製造されるのですが、その後は更なる優等列車の開発ということでキハ55が試作され、さらに急行型気動車・特急形気動車と発展していくことになります。

続きます

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気動車の発展と開発 液体式気動車の苦悩 第4話

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液体式気動車 キハ15を経て量... 液体式気動車 キハ15を経て量産化されたキハ17系気動車
本日は、液体式気動車の発展と言うことで綴らせていただこうと思います。
現在は電車の部品と共用する目的から、鉄道車両では電気式を選択する例も増えていますが、国鉄時代はDMH17エンジンに液体変速機の組み合わせが圧倒的で、昭和43年から量産された181系や同エンジンを積んだ、キハ65等を除けば非電化区間の主役としてそれこそ日本全国走っていました。
日本で液体式が発展した背景には、欧米と比べると貧弱な線路にもその原因はあったと言われています。DMH17系エンジンは、戦前のGMH17(ガソリンエンジン)をディーゼルエンジンに設計変更したものが基本で、液体変速機共々戦前に設計されたもので初期のDMH17系エンジンは150 PSその後160 PS、過給機を付けて180 PSまで引き上げましたが、これ以上は難しかったようです。
液体式気動車の発展
さて、ここで今一度液体式の発展を振り返ってみたいと思います。
キハ44500 初めての液体式気動車でキハ44000と同じ3ドア湘南形 後にキハ15形
キハ45000 後の17形と呼ばれた気動車
さらに、キハ17をベースに2エンジン車としてキハ50が試作されました。
キハ50は、車体長22mは長すぎてポイントで支障が出ることが判明したため、使用箇所は限られてしまいました。
その後車長を切り詰めて21.5mに抑えたキハ51が量産され、勾配線区での活躍も始まることとなりました。
その後、キハ17の後継としてキハ20系が製造されるとともに、昭和31年には準急用ディーゼル気動車として、キハ55が誕生することになりました。
と続くことになります。
液体式気動車誕生(キハ44500形)
キハ44500形は、昭和28年3月に4両が試作車として誕生するのですが、昭和43年の鉄道ピクトリアルでは昭和27年10月に落成したと言う記述もあるのですが、交通技術その他複数の資料では、昭和28年3月日本車両で製造されたとなっていますので、昭和28年落成とします。
液体式気動車成功までの道のり
また、液体式のこうした成功に至るまでには数々の苦労があったようで、昭和43年鉄道ピクトリアル7月号のk時を参照しますと、戦後の燃料事情が好転したことから、昭和26年に
鷹取工場に、神鋼造機製の液体変速機が保管されているものが見つかったのでこれをメーカーに送って整備した後、5月からエンジンと液体変速機を組み合わせた状態で2か月程試験を行ったところ、所定の成績を得られたので、名古屋工場で「機械式気動車を液体式に改造」キハ42500形42503(後のキハ07)に取り付けて、走行試験を行うことになりました。
しかし、十分な加速力も得られず、実用化は不可かと思われたとき、亀山付近の勾配で白煙をあげて停止してしまったそうです。
液体変速機が焼き付きを起こしていたとのことで、原因は変速機に十分な油が充填されていなかったために、十分か加速が得られなかったうえに焼き付きを起こした原因であることが判りました。
再び、神鋼造機株式会社で修理をしたうえで、同年11月2日に再び名古屋~亀山間で現車試験を行い好成績を得ました。
勾配を登れない気動車
その後、キハ42503は大宮配置となり川越線で試用されることになりました。
使用に先立ち、御殿場線で試運転を行ったところ、駿河小山駅の25‰勾配での曲線でクラッチが滑り運行不能となり試験員全員で後押ししたという情けない結果になったそうで、帰路は蒸気機関車にけん引されたと記録されています。
原因を調査したところ、クラッチ版が弱いことが判明し、改造して強化するなどして、同年12月末には安心して運用を任せられるようになっりました。
ただし、160PSではやはり勾配線区では非力であることは否めず、その後2エンジンのキハ50が試作されることとなるのは既に書かせていただいた通りです。

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