古代紀元前3500年前からあると言う港町、ヤッホ。
ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「わたしは背負って救い出そう」
イザヤ書 46章1~4節
"「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
彼らはともにかがみ、ひざまずく。重荷を解くこともできず、自分自身も捕らわれの身となって行く。
ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。"
(序論)
クリスマスおめでとうございます。
ヨセフの夢の中に現れたみ使いは次のように預言しました。
"「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。"
(マタイの福音書 1章23節)
主イエスが地上にお生まれになることで「神がともにおられる」事実は否定出来ない確かさとして我々の目の前に出現しました。
主イエス誕生以前の旧約時代にもイスラエルの歴史の中でその事実を確認することができます。
背負われたイスラエル
①「ベル」「ネボ」(1)とはバビロニアの神神。それらは荷車に乗せて運ばれて行く。
偶像との対比。神はイスラエルを担われ、運び、背負ってこられた。
② 「背負う」とは、一体となること。
その混乱の歴史の中で滅びることなく神の遺産を守り続けた。
(2) いつから背負われたのか
①「生まれる前から」(3)
つまり自覚できる前から。いや存在の始まる前から神の選びが私たちに働いていた。
② 「しらがになっても」(4)
弱さや限界を知った後も。病に倒れ自らを失い罪に汚れた者であったと気づいた時にも。
⑶ どうやって背負われるのか
①自らの背負っている荷物を主イエスの下に降ろせば良い。
自己が我執としているものからの解放される。
②主は私が担い切れなかった荷物ごと背負って下さる方。
(結論)
私たちにできることは、背負っていただいている主の背中で感激する他ない。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。"
(マタイの福音書 11章28~29節)
・主イエスのところへ行くこと
・主とくびきを共にすること
・主から生き方を学ぶこと
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「私の平安を与えます」
ヨハネの福音書 14章25~31節
"これらのことを、わたしはあなたがたと一緒にいる間に話しました。
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
『わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを、あなたがたは喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
今わたしは、それが起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。
わたしはもう、あなたがたに多くを話しません。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることができません。
それは、わたしが父を愛していて、父が命じられたとおりに行っていることを、世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。"
世が与える平安
①「世」(コスモス)とは神なき世界でありその原理でありその惨状。
② 世にあって平安を得る方法
・パリサイ派〜厳格な宗教実践による民衆からの評価と支持(名誉)
・サドカイ派〜祭司階級が神殿で行っている集金ビジネス(金銭)
・ヘロデ党〜ローマ総督に寄り添う政治的既得権保持者(地位)
(2) イエスの与える平安
①時にイエスの現状は死に至る逮捕直前であり、金銭名誉地位も全て失っている状態。
しかしイエスには満ち足りた平安があり、焦燥や恐れとは無縁であった。
② 弟子たちに残されるイエスの平安
それはこの時には実現していなかった〜この直後弟子たちは恐れから皆逃げ出してしまう。
「そのことの起こる前にあなた方に話しました」(29)とある様に、ある歴史的事件直後に実現すること。
⑶ 「助け主」(パラクレートス)が遣わされる故の平安
①「傍ら」「呼ばれたもの」の意味で、同じ側にあってあなたを弁護し慰め執り成し助けるために呼ばれたもの。聖霊の名称。
②イエスの言葉の全てを教え、思い起こさせてくださる方(26)
イエスと共にいるときの弟子たちには理解できないことであった(25)
イエスの言葉は父なる神の言葉でもある(24)
イエスのご自身の運命とその結果を理解させ、私らにも体現してくださる方。
イエスの死•復活•昇天(28)
(結論)
心騒がせ恐れにとらわれやすい世に生きる私たち。
今こそ主イエスが遣わされている聖霊様に満たされ、主イエスの平安をいただこう。
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