宿場町、草津。
中山道と東海道の分岐点となる道標に立ち寄りました。
いわば江戸時代の東西を結ぶ幹線道路の最大の交差点と言ってしまっても良いよね?
当然往時、宿場町として賑わった。
宿場町には歴史に名を留めている有名人が宿泊したり休息した本陣と呼ばれた旅籠があった。
その本陣にある大名や公家の貴賓室と言うべき奥の間にお邪魔しちゃいましたよー。
隣接して風呂場やトイレもある。
トイレには床の間にいけ花が飾られ
臭い消しにお香を焚く台もあった(^ ^)
トイレの下には箱が据えられていて使用後は毎回、引き出され処理されたという。
あーあ、何とも不衛生で薄暗い生活。
トイレだけを取り上げても今日の日本人なら誰でも当時のお殿様より優雅な生活をしていると言えるのではないか?
この時代に生まれて良かったとつくづく思った。
景教を考える上ではずせない京都には太秦にある広隆寺を訪問しました。
広隆寺は603年(推古天皇11年)に建立された山城最古の寺院とされています。聖徳太子が建立した7大寺の一つでもあります。
日本書紀によると、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から賜った仏像をご本尊としたとあって、そのご本尊とは現存している弥勒菩薩であることが国宝の広隆寺にある国宝の実録帳に記されてあります。
その秦氏族は大陸の優れた文明を日本に持ってきましたが、その主なものは養蚕・機織りのスキルでありさらに農耕、醸酒など当時の地方産業育成に貢献するものであったとされています。
法隆寺のすぐ近くに蚕ノ社・木島神社がありまして秦氏族の功績を裏付けるものとなっています。
「景教徒の群れを歴史的に区分すれば
1つは、、、
2つは、、、、
3つは、弓月の国から199年と283年に来日し、帰化した秦の始皇帝の子孫の一群から派生した秦氏族たちです。この中国景教徒と秦氏とは異質の群れでしょう」
(「景教のたどった道」 p123. 川口一彦著)
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