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25年目に行動できたワタシの軌跡

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新メニュー お知らせ

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新メニュー お知らせ
fumikoです。

ひとりで抱えている悩みや課題を
誰かに相談したい時に限って
誰にも相談できない時があります。

相手に話を聞く余裕がなかったり…
こちら側の考えがまとまっていなかったり…

そのうち、
時間の経過と共に問題が解決していた、
なんて事もある反面、
ずっとモヤモヤしたままになっている、
なんて事も結構ありませんか?

悩んでいる事を棚卸してみると、
あんなに悩んでいた時間が勿体なかった、
なんて事もあります。

私は
悩みが全くないのも
それはそれで問題ありだと思っています。

悩むから、
考えるし、挑戦するし、成長もできる。

悩まなかったら、
考えないし、挑戦もないから、
成長も期待できません。

でも、ひとりでどうしようもない時は
誰かに打ち明ける事で
自分では想像出来なかった景色に
辿り着ける事もあります。

過去と他人は変えられません。
変えられるのは自分と未来。

4月から、新メニューをはじめました。
お役に立てる事ができれば幸いです。

【セッション&プチ星読み】
上手くいかない毎日を変えたい、
誰かに話してスッキリしたい、
モヤモヤから解放されたい、
そんなお悩みを、コーチングベースの会話とワンポイント星読みで解決しませんか?

悩みの渦中にいる時は辛くて周りが見えているようで見えていない事もあります。誰かに気持ちを打ち明ける事で、視点が変わったり、気持ちが楽になると、見える世界が変わってきます。

「もっと早くに話せばよかった」周りから言われる事の多い私自身の経験から生まれた新メニューです。

通話40分コース 4,000円(税込)
通話60分コース 6,000円(税込)

セッションはオンラインで、SkypeまたはFacebookメッセンジャーを使用します。

平日 19時〜22時
土日 9時〜18時
上記以外の時間をご希望の場合ご相談ください。
お申込みはこちらから↓
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ワオ!と言っているユーザー

大切なあなたへ

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大切なあなたへ
fumikoです。

なかなか書けないエンディングノート、
少しずつ書き足す中で気付いた事は

「大切な人へのメッセージ」を
後回しにしてしまっている事。

『下書きしてから清書しよう』と
変に意気込んでしまい、
いざノートに向かうと書けなくなるのです。

「枠いっぱい埋めなくては」
「きれいに書かなくては」
根底にあったのは
ねばならない星人の心。

メッセージ部分の大きさは、
A4ノート半分のスペースです。

私が相手に残そうとしたメッセージは
割と短めの文章でした。
「枠が埋まらない」ことが
心のどこかに引っかかっていました。

「たったこれだけ?」と思われやしないか…

他人の気持ちは変えられないのを知りながら
どこかでその気持ちをコントロールしたいと
思いがあります。

どんなに短い言葉でも
伝える気持ちに、変わりはありません。
逆に言葉が長過ぎると
言いたい事がブレて伝わらないかも知れません。

残すのは体裁ではなく気持ち。

残すメッセージに長い短いは関係なくて
大切なのは気持ちを伝える事、残す事。

明日、書こうと思っていても
もし明日が来なかったら
メッセージは残す事ができません。

今、やれることは後回しにしない事を
終活を知る中で痛感しました。
人の命はいつまで永らえるのかは
誰にもわかりません。

だから視点を変えて
久しぶりにエンディングノートに
向かうことにしました。

義父が他界して1か月、
最近思った事も沢山あるので
改めてノートの内容を見直しながら
大切な人へのメッセージ、
今の気持ちを書いてみようと思います。

今、思う事や伝えたい事
自分の手と言葉で残していきませんか?

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運勢全般 3,000文字 4,000円(税込み)
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ワオ!と言っているユーザー

1年後の自分へのメッセージ

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1年後の自分へのメッセージ
fumikoです。

新年度がスタートしました。

カレンダーが1枚変わるだけで
こんなにも気分が違うものなのかと
毎年思いながら
今年も新年度を迎えます。

日々、多忙な私たちは
時には昨日食べたものすら思い出せません。
無意識に過ごしている事は記憶に残りません。

時間は相似形で
誕生日の1日が
次の誕生日までの1年を現すのだと
西洋占星術の学びの中で教わりました。

そして、
今日は年に一度の牡羊座新月の日。
午後から太陽と月が牡羊座で重なり
身も心も新しくなる1年がスタートする日です。

お正月に新年の抱負を思い描くように、
牡羊座新月に1年後の自分を思い浮かべます。

1年後の自分に贈るメッセージ形式で
ストーリー仕立てにしたり、
写真を切り抜いてマップにして見える化したり、
漢字一文字で現してみたり、
やり方は自由。

もちろん、
絵に描いた餅ではお腹はいっぱいにならないので
行動することもセットで必要です。

それでも
最初の一歩がないと始まりません。

今日は
その最初の一歩を始めるのに最適な日です。

来年の今日を
どんな様子で迎えているのか
イメージしてニヤニヤしてみませんか?

日々があっという間に過ぎるように
1年もあっという間だと
半世紀近く生きてやっとわかってきました。

人生は思ったよりも短い、
それならば
自分の思い描く人生を生きたいと思いませんか?

1年後の私へ、
心に響くメッセージを今日は考える事とします。

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ワオ!と言っているユーザー

私が思う相手と、相手から見た私の

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私が思う相手と、相手から見た私...
fumikoです。

手前味噌ながらも
私は仕事を一生懸命頑張るタイプです。
よく言えば中途半端に出来ない熱血漢、
悪く言えば程々や融通の効かない頑固タイプ。
これは私が自分で思っている私なので
家族や職場の仲間達から見た私は
また違って見えているのだと思っています。

かつて、
周りから見た私について聞いた時は
ショックを受ける内容でした。

もっと手抜きして楽になったらいいのに、
誠実で信頼できるので何でも相談したくなる、
真面目で硬いイメージがあり冗談が言えない、
目力が怖い、
など色々出てきました。

ショックだと感じたのは
「こう見えていて欲しい」イメージではなく
「こんな風に見えたいた」リアルを知ったから。

周りからどう見られるかを意識すればするほど、
本当の私はどんどんと影が薄くなります。
そして代わりに意地やプライドで固められた
よくわからない私が出来上がります。

過去と他人は変えられません。
過去の自分の積み重ねてきた事も
他人から見た私の印象も
私の意志で変えることはできません。

変えられるのは未来と自分自身。
どう思われようがやりたい事はやる、
言わないといけない事はちゃんと伝える、
自分に嘘をつかないで正直に今日を過ごす事が
理想のいっぱい詰まった未来に繋がります。

もちろん、
人様に迷惑や危害を加える事は御法度ですが、
自分の人生なんだから
今からの残りの人生は
他人の目を気にし過ぎないで
スルー力を使いながら
思うように生きていきたいと思うのでした。

春の人事異動で
思うように事が運ばなかったとしても
人からどう見られようと
私はわたしでしかないのですから。

ワオ!と言っているユーザー

打ち明ける勇気を受け止める

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打ち明ける勇気を受け止める
fumikoです。

本当は凹んで落ち込んでいるのに
から元気の私を見て
「いつも悩みが無さそうで良いよね」と言われ
傷ついた事が何度もあります。

人は見聞きした事を自分なりに解釈します。
黙っている人を
殻に閉じこもる、と捉えたり。
カリスマ性があり威厳がある、と捉えたり。
口が硬くて秘密を守りそう、と捉えたり。

目に見える事は氷山の一角です。
見える事が全て真実とは限らないので
から元気な私は
悩みがなさそうに見えたのでしょう。

私の場合は
「深刻な問題を抱えていて辛い」とか
「大失敗して凹んでいる」とか
余程な事がない限り
周りに打ち明けないで
ひとりで抱えることが多く、

根底にあるのは「心配かけちゃいけない」思いと
どのタイミングで打ち明けたら良いか
わからなかった事から
ひとりで抱えてしまう事になっていました。

だから
悩みがあっても人に言わない事が多く
逆に人の悩みを聴く側に回る事が多く
この経験を活かして
自分の悩みを解決する術に繋げていました。

でも、内心は結構辛くてボロボロでした。

そんなある時、
職場で後輩に
「仕事で大失敗して、今とっても大変なんだ」と
ポロリと漏らした事がありました。

後輩はビックリ。
「私が泣き言を言わないので
心の中は聞いてはいけないと思っていた、
辛い時は言ってください、
話を聞く位なら出来ますから」
と言ってくれたのです。

本音を打ち明けるのはとても勇気が要ります。
自分の弱さを出せなかったのだと
この時にやっと気付きました。

人に何かを打ち明けたり相談するのは
実はとても勇気がいる事なのだとわからず
それまでの私は
人の悩みや相談事を聞いていたのです。
なんと高飛車だったのか…
恥ずかしくなりました。

共感していても
心の底からの共感だったのか
今となっては申し訳ない気持ちになります。

この、目から鱗の出来事の後から
後輩といろんな話をするようになりました。
お互いに話す中で
「自分に打ち明けてくれた」嬉しさや
「そんな風に見えなかった」意外性や
「誰だって失敗はする」共感の気持ちや
色んな発見をする事が出来ました。

そして
言葉には出来ない絆に気付くようになり
話すたび絆が深まるように感じていきました。

あれから10年以上の歳月が過ぎ
私は今も多くの人と日々関わっています。

袖触れ合うも多生の縁、
さまざまなご縁から生まれる絆を大事にしながら
日々を生きていきたいものです。

ワオ!と言っているユーザー

自分の現在地を知る

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自分の現在地を知る
fumikoです。


名古屋ウィメンズマラソン
無事に完走する事が出来ました。

名古屋ウィメンズマラソンといえば
完走したらもらえるティファニーのネックレスが有名です。
ランナーのモチベーションが上がる起爆剤です。

42キロを走りながら色んな事を考えました。

前半の調子がいい時は
人生をフルマラソンに例えると
私は今、何キロ地点にいるのだろう?
折り返しはしたのかな?
と、余裕がありました。

しかし、後半に調子が悪くなると
もっと長距離走る練習を沢山していたら
こんなに苦しくなかったんだろうな。
どれくらい練習したら良かったんだろう。
あと〇〇キロ走ったら終われる。
と、楽しむ余裕よりたらればのリピートでした。

年々体力が落ちている事は薄々わかっていたので
ずっとトレーニングを続ける事だけでなく
体調などその時の自分に合ったやり方を
併せて取り入れる事が必要だと痛感しました。
「これをしていたから大丈夫、安心だ」が
通じない時がやってきたようです。

そして
練習量も睡眠時間も少ないままで挑んだ今回、
フルマラソン甘く考えて過ぎていました。
今までの積み重ねがあるから
そこまで大きく崩れる事はないだろうと
たかを括ってもいました。
が、実際は後半ガタガタと崩れてしまいました。

42キロを走ると
身体はとても正直に今の状況を教えてくれます。嘘偽りも誤魔化しもありません。
自分の現在地をハッキリ知る事が出来るので、
受け入れ難い現実に対峙する事にもなります。

今の私には
2-3年前の体力はなく走力も落ちていることを
ハッキリ知った今回の経験。
かと言って走るのをやめたいとは思いません。
やっぱり走った後の爽快感や達成感は格別だし、
走っている時に見かけた
何人もの6-70代の先輩方は楽しそうに
「今」を過ごしている様に見え、
「あんな風に、ずっと素敵でいたい」
とも思いました。

目を背けないでしっかり現状を見ることは
未来を変えるきっかけにもなります。
辛い気持ちは乗り越えないといけませんが…

今の自分を悲観するのではなく
やけになるのでもなく
どうしたら体力が落ちた分をカバーできるのか
トレーニングだけでなく
睡眠や食事面など生活全般で
取り組みたいと思った苦い経験の一コマ。

自分の現在地はマラソンだけでなく
仕事でも勉強でも知る事はできます。

私はマラソンを走って現在地を知れました。
年度末の締めが近い月末、
仕事面での現在地ともしっかり対峙して
まだまだ続くと信じる未来に
繋げていきたいと思ったのでした。

そして忘れてはいけないのは
「出来た事を認めて自分を労う事」
反省ばかりではドンドン凹みます。
出来た事をしっかり見つけて認めること。
自分に厳しいとないもの探しになりますが、
必ず出来た事はあります。

どんな過酷な状況でも
自分の足でしっかり走り抜いた42キロ、
この頑張りは私自身が創り出したものです。
私、お疲れ様でした。
心と体を労う今日が
次に繋がるスタートです。


ワオ!と言っているユーザー

お洒落をしよう

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お洒落をしよう
fumikoです。

名古屋ウィメンズマラソンに出るため
久々に名古屋の地に降り立ちました。

3月の柔らかい温かな日差しに
すれ違う人々の装いも華やかで
街の雰囲気からも春の訪れを感じます。

名古屋に来たのはマラソンを走るため、
荷物を最小限に抑えたかった事もあり、
私はとてもラフな格好です。

ラフと言えば聞こえはいいのですが
言い方を変えると
準備をせずに本番を迎えてしまった、
という事でもあります。
見た目は無難で普通ですが、
私の中では何もお洒落感がなくて
無味無臭の装い。

言い訳すると、
直前まで仕事が立て込んだ上に
家の用事も色々と重なってしまい、
気持ちに余裕のないまま名古屋に来ました。
足りないモノがあっても買い足せば何とかなる、
そんな安易な気持ちもありました。

街でお洒落な人とすれ違う度に
お洒落感ゼロの自分に
反省やダメ出しの連続で
足取りはどんどん重くなってしまいます。

よぎるのは後悔ばかり。
「毎日少しずつ用意しておけば良かった」
「1日に10分でも準備の時間を取るべきだった」
「イベント前は自分時間を多めに取るべきだ」
「着ていく服はもっと吟味したほうが良かった」

でも、心をよぎった後悔は
次に同じ失敗をしない方法になるはずだと
気持ちを切り替えました。

自分ではお洒落に気を使っている方だと
思っていたのですが、
気持ちに余裕がないと
こんな風になってしまうのだと
自分で痛い経験をしてしまいました。

季節は春、
柔らかな日差しに誘われて出かけるなら
ちょっとお洒落するだけで
何倍もお出かけは楽しくなります。

高価なものを身につけなくても
好きな色やお気に入りの小物をアクセントにして
胸を張って街を闊歩してみるだけで
きっと気持ちは上向きになり
前を向きたくなるはず。

気持ちに余裕があるを持つことで
日常のちょっとした瞬間が豊かになる、
やっぱり余裕は大切だと感じた経験でした。

ワオ!と言っているユーザー

100年前から変わらない事

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100年前から変わらない事
fumikoです。

100年前の日本は大正11年です。

今の私が100年前にタイムスリップしたら
生活できないと思います。
多くの事が発達、進化した
今の時代しか知らないので
タイムスリップは致命的です。

今は便利で快適に暮らせる時代、
過去の「あったらいいな」が
リアルになる事を体感できています。

クルマは自動運転、
優れた家電製品の登場で家事は時短、
スマホがあれば離れていても
多くの人とコミュニケーションが取れます。

大正時代から100年の間に
私たちの日常は大きく進化しました。

反対に全く進化していない事もあります。
それは人間関係。
100年前も今もあちこち争いが絶えません。
誰かを批判したり、騙したり、侵略したり…
悲しく残念な出来事が後を立たず、
見聞きするニュースに
目や耳を塞ぎたくなる事もあります。

人の悩みの9割は人間関係と言われます。

私自身の1日を振り返ってみても、
人間関係であれこれ考える時間が
何と多い事でしょう。

他人とのコミュニケーションを円滑にするには
相手に求めるばかりではなくて
自分を変える事や
自ら働きかける事も
大切だと私は思っています。

素直に返事をしたり、
感謝の気持ちを言葉に出したり、
小さな意地やプライドを脇に追いやるだけで、
相手との関係が円やかになったり
こちらの気持ちが楽になる事は
沢山あることを経験してきました。

便利になり過ぎて
省略してしまいそうになる
素直な気持ちや感謝の心。

どれだけ便利になっても
人間関係はアナログで変わらないもの。

どの時代でも悩みは同じです。
目の前の相手としっかり向き合って
素直な気持ちを省略しないで伝えることを
これからも変わらずに続けていきたいものです。

そして
みんなの日常に平和な世界がやって来る事を
祈らずにはいられません。

ワオ!と言っているユーザー

永遠に続かなくても

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永遠に続かなくても
fumikoです。

ずっとずっと昔の話です。
当時、お付き合いしていた人と
「ずっと一緒」と約束をしました。

しかし、
その方とはご縁がなく
ずっと一緒にいる約束は叶いませんでした。

当時の私は
超恋愛体質で相手依存型。
私の落ち込み方は相当なもので
ご飯も食べられず
何も手につかない状態でした。

彼がいなかったら生きていけない、
本気でそう思って毎日泣いて過ごしました。

でも、彼がいなくても生きていたし
時間の経過と共にリカバリーもできました。

彼がいないと生きていけないと
思い込んでいただけで、
実際はそうではない事を自分で体感し、
思い込みの持つ凄さや怖さを実感しました。

今思えば、
相手依存型だった私は
かなり重い存在だった事は間違いなく、
相手が逃げ出したくなるのも
今となっては納得がいきます。

この世は諸行無常、
何一つとして変わらない事柄はなく
常にそれぞれの世界感の中で変化し続けます。

私自身も少しずつ代わりながら
日々を過ごし
かつて依存型だった私はもう居ません。
いつしか相手から依存される側になることも増え
自分のやってきた事を知ることもできました。

永遠に続かないこの世の中で
今を、この一瞬を大切に生きることは、
やがて豊かな思い出となって心の糧になり、
希望ある未来へと繋がります。

この事が分かってからは
自分の人生の舵取りは
自分自身で取らないと
最後の最後に後悔しそうだと本気で思います。

一度しかない人生は永遠には続きません。
これはみんな同じ。

残りの人生、
自分らしく生きるために出来る事は何だろう?

去年思っていた事とも
先月思っていた事とも違うことを感じるのは
今も変化し続けているからなのだと思います。

今、私に出来ること、
今日できることをやっていきたい、
何だか心の底から強く思った今日の日です。



ワオ!と言っているユーザー

何処かにあるはず?本当にある?

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何処かにあるはず?本当にある?
fumikoです。

家族など近い人が亡くなった後でよく聞くのは、
「色々探すのが大変だった」話。

確かに4年前に父が急逝した時、
やらないといけない事と並行して
探し物が多くて大変でした。

「家の何処かにある」事は分かっているけれど
何処にあるのかがわからないのです。

一緒に住んでいた母でさえ
全てを把握していませんでした。

本人のものは
やっぱり本人にしかわからない事が
あるとわかったのは
本人がいなくなってからでした。

我が家の場合、
頻繁に使わない
年金手帳や印鑑登録カードなど証書類は
決めた場所に置くルールが昔からあったので
大規模捜索しなくて済みましたが
困ったのは「写真」でした。
故人を見送る時の祭壇に使う写真です。

先ず、ひとりで正面を向いている写真がない。
そして年齢と反比例して写真数が少ない。
数少ない中から
限られた時間で選ぶのは至難の業でした。

そして、皮肉な事に
慌てて行った物事ほど
後になってから
事実が判明したり
探していたものが出てきたりするものです。

痛烈に思ったのは
ある程度の準備は必要だという事でした。

一昔前なら「縁起でもない」と嫌がられた事も
現代では普通に会話ができる時代です。

可能なら
家族間で様々な物の保管場所を共有したり、
貸金庫に入れるのも1つの方法だと思います。

何より
写真は自分で用意しておくことも大切です。
私自身、自分の写真がほぼありません。
カメラマン役にはなるけれど
自分が被写体になる機会はなくなっています。
私がいなくなっても
家族や大切な人が困らないよう
「何処かにあるはず」
から
「ここにあるから大丈夫」
にできることから一つずつ
変えていきたいと改めて思った法要の後でした。

ワオ!と言っているユーザー

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