《雅羅・/・ 襍囈〝正月7日〟❖ ’24-7 ❖》

年頭の七草粥。農事従事者に感謝。。合掌!!
《 人日の節供(七草の節供・七草の節句)!!》
一月七日(正月七日)は、別の古称では人日の節供と呼んでいる。
江戸時代、公式の祝日(式日)であった五節供の一つであった。
人日の節供の日に七草粥(七種粥)を食し風習があった由。
一年の無病息災を祈ることで、七草の節供とも呼ばれていた。
今では、正月行事を「松の内」と呼びその終わりが一月七日。
人日の節供に食する七草粥が正月行事の締め括る行事となる。
人日とは、古代中国の荊楚歳時記(けいそ さいじき)によると、
正月一日から「鶏、狗、猪、羊、牛、馬」の順に家畜占いをしていた由。
其々の豊耗(出来不出来)を占い最後に人についての占いをした。
その最後の日、正月七日を「人日」と呼ぶようになった。
荊楚歳時記の正月七日条に「七種の菜をもって羮(あつもの)を作る」とある。
現代日本の七草粥の慣習が、6世紀の中国に遡るが、日本独自の風習になった。
七草とは、「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」。
春の七草を現在の様に粥にして食べる様になったのは室町時代以降に由。
江戸時代、幕府が人日の節供を五節供の一つとし、七草粥を食した。
現鎌倉市にいると、鎌倉時代の事も気になり調べてみると、
鎌倉時代にも七草を食べていたが、粥ではなく羮(あつもの。汁)だった。
正月の七日(人日の節供)、七草の節供とその日の朝にいただく七草粥。
一年の無病息災を願って「七草粥」を食べる。故事由来は、伝えたい孫たちに。
正月のお節料理に疲れた胃をやすめるために七草粥を食べる。
だが、旧暦時代であれば正月七日に七草を摘むことは可能だろうが、
新暦の正月では野原で七草を摘むのは無理。園芸日本の真骨頂。
*      *      *
今年は、年頭から慌ただしい事象が!!
七日を持ってしても余震が続いている由。
被災地を思うと、七草粥は頂くに気が引けた。
願わくば、後遺症が最低限におさまって欲しい。
異国の友からの返信に終始する日々。
有り難い。阪神・北日本、と大震災に被災した仲間たち。
出来ることを対処したい。応援は、有り難い。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月7日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝垣根の柿色〟樹  ❖ ’24-6 ❖》

タチバナモドキ(橘擬き) バラ科(Rosaceae)
学名:Pyracantha angustifolia (Franch.) C.K.Schneid.
別名:ホソバノトキワサンザシ 


タチバナモドキ(橘擬き)の葉。


《 垣根のような庭木の実“柿に見える”!!》
遠目に赤い花かと見え、沢山の実を付けた木にピラカンサがある。
ピラカンサは、トキワサンザシ、ヒマラヤトキワサンザシ、タチバナモドキの総称。
最もよく見られる赤い実はトキワサンザシで、ヒマラヤトキワサンザシは更に赤い。
対して朱色から橙色の実を付けるものは「タチバナモドキ」と呼ばれている。
 タチバナモドキは、ホソバトキワサンザシとも云われ、葉が細い。
中国原産で、明治期渡来した。5~6月に白い小さな(5-8mm)の花を一杯に付ける。
が、秋から冬の実の方がずっとよく目立つ(房上に沢山かたまってついているので)。
拡大して見るとまるで柿の様だ。橙黄色の実は、ひとつ直径8mm程度で小さく可愛い。
樹の高さは3m以下。トゲがあり密に生えるので、垣根に用いられている。
葉は長さ5〜6cmの狭長楕円形〜狭倒卵形。葉裏に灰白色の毛が密生するのが特徴。
橘擬きを日本へ導入したのは福羽逸人(ふくばはやと)、明治の農学・造園・園芸学者。
 フランス・ドイツに留学し、宮内省の宮廷園芸技師として長いこと従事していた。
東京新宿御苑の造園や東京の道路を並木にして沢山のプラタナスやユリノキを育てた。
更にイチゴ、キュウリ、ナスなどの促成栽培方法の開発や普及、品種改良にも尽力した。
西洋での温室を応用し、ガラス障子の片屋根式フレームを考案してもいる。
馬糞や落ち葉たい肥などを内部に置くことで、自然の熱源とした(今流のエコ農業)。
福羽逸人は、今日の温室やハウス栽培・農法(施設園芸)を開発した、施設園芸の祖。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月6日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝里山の白〟植物  ❖ ’24-5 ❖》

識別できない水仙!?!
ヒガンバナ科(Amaryllidaceae)

フサザキズイセン(房咲き水仙) 
学名:Narcissus tazetta L. var. tazetta.
 
 シロバナスイセン(ペーパーホワイト) 
 学名: Narcissus papyraceus =Narcissu tazettae subsp. papyraceus
 
《 里山に見る白い花“冬を感じさせる華” だが!!》
フサザキズイセン(房咲き水仙)≧≦ シロバナスイセン(ペーパーホワイト) 
日本に帰化したニホンズイセンと呼ばれスイセンの原種にあたる。
交配親の特徴を持つ品種、香り良い水仙で地植え栽培される寒咲き種。
一般的にスイセンといえば、このフサザキスイセンを指す水仙の代表種。
暖地の海岸近くに野生化している。
イギリス王立園芸協会の分類ではタゼッタ水仙と称している。
学名の tazetta は「小さいコーヒー茶碗」を意味する。
フサザキスイセンは、茎先に白い花を房状に付け、
副花冠は小さな杯状でここも白い。
根際から生える葉は平らな線形で、時計回りにねじれる。
樹々が、紅葉・黄葉し始める事に、咲き始める可愛い花であるが。
 
※ フサザキスイセン Narcissus tazetta subsp. tazetta;
西アジア、東ヨーロッパ、北アフリカ原産。
球根は卵形、直径4~6㎝、幅 3~5㎝、外皮は淡褐色~暗褐色。
葉は4個つき、長さ25~35㎝、幅8~15(20)㎜、粉白色を帯びる。
花序は散形花序、花が5~15個つき、長さ25~35㎝。
苞は淡褐色、長さ4~6㎝、紙質。花は強い芳香がある。
花被は幅2~4㎝。花被の筒部は長さ1.5~2㎝。基部は次第に細くなる。
花被片の分かれた部分は平開又は反り返り、
白色~クリーム色、線状卵形~倒披針形、長さ1~2㎝、幅0.5~1㎝、先は鋭形。
副花冠は黄色、杯形、深さ3~5㎜、幅5~10㎜、先は円鋸歯又はしわくちゃになる。
雄しべ6個、3個は短く、花被の筒部の中にあり、
長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。
花柄は不等長、長さ8㎝以下。種子ができる。2n=22(x=11)。
 シロバナスイセン(ペーパーホワイト)
 Narcissus papyraceus =Narcissu tazettae subsp. papyraceus;
ヨーロッパ南部等原産、アメリカなどで野生化している。
球根は卵形、長さ4~6㎝、幅3~5㎝、外皮は暗褐色。
葉 は4個付き、扁平、骨があり、長さ20~35(45)㎝、幅6~15(20)㎜、粉白を帯びる。
花序は散形花序、花を 5~15(20個つけ、長さ25~35㎝。
苞(spathe)は淡褐色、長さ4~6㎝、紙質。
花は強い芳香があり、花被は幅3~5㎝、花被の筒部は長さ1.5~2㎝、
基部で次第に細くなる。
花被片の分かれた部分は平開又は反り返り、白色、狭卵形~倒披針形、
長さ1~2.5㎝、幅0.8~1㎝、先は鋭形。
副花冠は白色、杯形、深さ2~4㎜、幅5~8㎝、先は円鋸歯~しわくちゃになる。
雄しべ6個、3個は短く、花被の筒部の中にあり、
長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。
花柄は不等長、長さ6㎝以下。2n=22。
多くの初期の文献ではフサザキスイセンと同種としていたため、
混同されていることがある。※
 
正月・元日にぽつんとさいてる水仙、少し離れた所で魅せてくれた。
この花が、フサザキスイセンか、又は、シロバナスイセン(ペーパーホワイト)か、
正直、識別できなかった。今年の課題ができた。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月5日、記」
 
 

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《雅羅・/・ 襍画〝火と水〟!!  ❖ ’24-4 ❖》

泉の森・引地川源泉(大池)から流れ出る場所。
ここの柵のところに地中より湧き水が湧いている。
大池の近くに、水車小屋を、公園にするとき設置した。
泉の森から流れ出した小川。ふれあいの森に向かう小川。
このあたりまで鮎が遡上する。
ふれあいの森に入ると、熊野神社下に通じる。
地元民の初詣りで溢れて、長蛇の列を作っていた。
丘上、画面右が、社である。なんとも温かみある焚き火。
焚き火脇では、獅子舞等お囃子。実に楽しい風景。

《 元日に思った事, 丙寅 甲子 》
元日の恒例散歩・初詣りに出掛けると、結構の人々と行合った。
泉の森は、引地川の水源地。水源地(大池)には湧き水がある。
水源地は、一般に開放されていないが、希少な植物も見える。
 元日の朝に初めて汲む水を「若水(わかみず)」と云う。
歳徳神に供える神聖な水のことを云うらしいが、
若水(新しい水の意)、生華水(しょうかすい)、初釣瓶(はつつるべ)とも云う。
 若水を汲むのは年男(一般には一家の主)の役割とされる。
日本的には、主婦こそが、実質的一家の主、と子供心に思った記憶がある。
若水を汲む際、手順や使用する道具、汲む際に唱える言葉等、決まり事がある。
 又、若水を飲むと一年中、邪気払い、若返りの霊力があるとも言われている。
万葉集や古事記にある様に飲むと若返る変若水(おちみず)信仰から来ている。
子供の頃、ご近所の井戸水を汲み分けてもらいに行かされた。
正月の生花。雑煮等にも井戸水を使っていた。小さな事だが良き風習だ。
 
能登半島の大地震、あらためてお見舞い申し上げます。
 
初詣に参る熊野神社は、小さな社だが獅子舞等の風物詩も見られる。
脇の焚き火がとってもあたたかく正月風情を感じ好きな瞬間。
新年の新しい火と言った感じだろうか。
生活になくてはならない火だ。新年を迎えた時に行われた行事を思う。
現代では大分廃れてしまった行事!?!
きりび(鑽火または切火)、こんな表現は、今やあまりきかなくなった。
「きりび」は檜の様な堅い木で作った火鑽臼(ひきりうす)と呼ばれる板に、
堅い木質の山枇杷(やまびわ)などで作った、
火鑽杵(ひきりぎね)と呼ばれる棒を揉み込んで熾す火で、神聖な火。
新年を迎えるに際し鑽火を熾す鑽火神事。生まれた清い火を、参拝者に分ける。
京都の八坂神社で大晦日から元日にかけて行われる白朮祭(おけらまつり)、
典型的な、かつ有名な行事。
参拝者は鑽火を火縄に移して持ち帰り、この火種から熾した火で新年の雑煮を作る。
鑽火は、木と木の摩擦から生まれた新しい火で清浄な火。
鑽火神事は、清浄な火によって新しい一年を迎えようというもの。
白朮祭の朮(おけら)という植物、根茎を乾燥させ、砕いて漢方の生薬とした。
本殿前で鑽火を点火した鉋屑(かんなくず)にこの生薬の朮が混ぜられている由。
「きりび」、火打石と火打金とを打ち合わせて出した火、「切火」も清浄な火。
今までの火を受け継ぎ絶やさないようにして、新しい年を迎えると意味する。
大晦日の晩に囲炉裏に正月中持つように大きな樫(かし)等の堅い材質の木をくべ、
火を絶えさせない。この様な薪木片を世継榾(よつぎほだ)と呼ぶ由。
今や囲炉裏自体がなくてこんな風習は、消えてしまったが残したい風習。
家が代々絶えることなく続くことを願った行事、「世継榾」と云う位だから。
×     *     *     *     *
身近な里山を歩いていて、コロナ禍をおもうこともあった。
焚き火とか、バーベキュウ禁止。詣でる社の階段、一段おきに!!
水と火、震災を思うと、この2つの重要さをおもった。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月4日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝玄関飾り〟甲辰歳  ❖ ’24-3 ❖》

干支・辰土鈴。
 
 
《我が家の龍 神 様+α  》
元日から世の中・・社会は、混沌としている。
時間は戻らない。先を見て心し、進むしかない。
辰(龍)歳の今年、我が家玄関を彩ってるは土鈴。
毎年、干支の土鈴を飾って、来客をお迎えしている。
子供の頃は、元旦(一日朝)鎌倉鶴岡八幡宮へ家族で初詣。
2日は、近所へ年頭のご挨拶。子供としては、お年玉が目的。
3日は、車で川崎大師に詣でた。知人宅に年頭の挨拶も兼ねて。
父親達は、箱根駅伝の大ファン、横浜駅近くで復路走者を応援。
その後に厄除け大師(川崎大師)へ。祖父時代よりの初詣行事。
元旦は、お宮へ。そして3日は、川崎の川崎大師平間寺へ。
難しい事は別として神仏習合(混交)はあって良いと思える。
江戸時代まで鎌倉の八幡様は、鶴岡八幡宮寺と称していた。
*       *       *
土鈴は、干支土鈴として鶴岡八幡宮で年頭に求めるのが最初だったか。
そして僕が松本で求めた道祖神土鈴が始まりで、土鈴収集が始まった。
特に母は、土鈴に関心を持ち色々と集め、膨大な数に上ってしまう。
かつては、個々神社で独特の土鈴が存在しお参り土産で集めのめり込む。
更には、土鈴作家物も諸々集め干支に即して飾るようになり今がある。
我が家のお守り。近年は、孫たちを思って雛土鈴等も飾っている。
全国各地には、其々特有なものがある。旅の折々に探そうとも思う。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月3日、記」
 
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《雅羅・/・ 襍画  〝正月2日〟年頭  ❖ ’24-2 ❖》

江ノ島神社、瑞心門(ずいしんもん)。龍宮城を模した楼門。
「奥津宮」源頼朝が建てた鳥居。
江ノ島神社各所の鳥居は、独り個別にくぐる。
一緒にくぐると縁が切れてしまう、という言い伝えがある。
「奥津宮」内に龍宮大神(龍宮・わだつみのみや)がある。
中々の迫力の龍像。


箱根・芦ノ湖湖畔にたたずむ九頭龍神社。




お守りも今年は龍紋模様。




《  龍 神 様  》
元日を穏やかに過ごせるか、と思っていたら能登の大地震。
言葉をもてなかった。
金沢周辺の災害地、不安を取り除くべ早急な救援をお願いしたい。
而して2日にも大きな事故が起こった。飛行機の延焼事故。。
飛行機内が、火だるまと化してる光景、初めて見たが。
昔、旅先の駐車場で車数台が延焼する場に遭遇した事があった。
車載の自転車は、フレームを残して綺麗に燃えてしまって。
燃え上がる車中から聞こえる破裂音等々に唖然・呆然、見てるしかなかった。
TVNewsを見ながら、嫌なことを思い出して、背筋がゾォッと・・。
新年そうそう、大変なことが続く。何なんだ、この事象。心するしかない。
×     *     *     *     *
今年の干支は、龍(辰)。近間で龍神様が祀られてる社は、2箇所。
2箇所とも鎌倉時代まで遡る社。往時の幕府要人が密接に関係している。
鎌倉を代表する寺、円覚寺の洪鐘祭と江島社も参加している(神仏混交)。
江ノ島は『龍の住処』と言われ、関東の龍神参拝の要所であもある。
江島神社(江ノ島神社)は、日本三大弁財天のひとつで、三姉妹の女神様を祀る。
長女が祀られる「奥津宮」内に龍宮大神(龍宮・わだつみのみや)がある。
悪縁切りの御利益あるとされる・・「奥津宮」(江ノ島神社)。
最も高台に鎮座する多紀理比賣命を祀っている奥津宮(おくつみや)。源頼朝が建てた鳥居。
拝殿天井には、眼光が鋭い『八方睨みの亀』。
奥津宮社の脇には、龍神が祀らている龍宮(わだつみのみや)がある。
ここに龍神伝説がある;
五つの頭を持つ暴れん坊の龍がいて、天女が来て「暴れるな」と説教。
龍は天女に一目惚れ、「暴れないと約束したら結婚してあげる」と天女。
龍は暴れん坊を卒業、天女と結婚(人々に尽くす良い龍に生まれ変わる)。
この奥津宮・龍宮の真下は、“龍の住処”と言われる洞窟がある。
江ノ島は龍神伝説が残る聖域だが、鎌倉幕府要人とも縁がある。
『太平記』によると・・・
 北条時政は、幕府草創の始めに江の島へ参籠して子孫繁栄を祈った由。
 祈ること三七日(21日)の 満願の夜、、、
赤い袴に裏が青い衣を着た美女(弁財天)が忽然と時政の前に現れた。
 美女(弁財天)は時政に・・・ 「お前の前世は箱根法師である。
 六十六部の法華経を書写して、
六十六箇国の霊地に奉納した功徳で、
この世に生まれ変わった。
子孫は永く日本の主となって繁栄するであろう。
 ただし、正しい行いをしなければ七代以上は続かない。
 私の言うことに不審があるなら、国々の霊所を見てみよ」と告げた。
 美女(弁財天)は二十丈(約60m)の大蛇(龍)
となって海中へと姿を消すが、その折、大きな鱗を3つ落としていった。
 時政は「所願成就した」と喜び、3つの鱗を北条の旗の紋とした由(ミツウロコ)。
 そして、美女(弁財天)のお告げのとおりに国々の霊所へ人を遣わすと、
奉納した法華経の筒の上に「大法師時政」と書かれていた。
江島神社御神紋は龍神三つ鱗。江の島は、龍神信仰と弁財天信仰が習合した島。
 
又、箱根・芦ノ湖湖畔にある箱根神社境内にある九頭龍神社新宮。
芦ノ湖の守護神、九頭龍大神をお祀りする神社(仔細は、略)。
*     *     *
僕等年代の者、何かの折、唱えた表現!!
〝かみさま・ほとけさま〟と手を合わせ、言ってたことを思い出した。
願わくば、今年一年が安寧にあってほしく希す。 
 
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月2日、記」

ワオ!と言っているユーザー

《雅羅・/・ 襍画 〝2024〟年頭  ❖ ’24-1 ❖》

甲辰 丙寅 甲子(2024/1/1)
元日の昼間、我が身・知人達の安全を祈願してきたのに!!
自然は、何を暗示しているのだろう。
《 肇歳(ちょうさい)から驚愕 》
我が住む地の元旦は、穏やかに初日の出を拜む事ができた。
大晦日~元旦は、メールやネット電話で寝る時間などない程に徹夜。
年賀状を出さなくなって久しいが電話は、結構便利だ。
眠気覚ましに、近所の熊野神社に詣でた。近在の人で混んでた。
帰宅して、捜し物に没頭。夕方、携帯に緊急連絡情報が!?!
見て言葉を失う。金沢の親類家族は、無事に由。 
被災された皆様、而してブログルの皆さん、お見舞い申し上げます。
まだまだ予断を許さないことと存じます。慎重に活動されますように。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月1日、記」

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《襍・/・囈  〝2023回顧(3)〟  ❖ ’23-143 ❖》

洪鐘祭・・ポスター。
以下、祭礼行列の点描。
建長寺山門前の祭礼儀式。
稚児行列参加母子。
洪鐘(おおがね)をイメージした手編みの帽子。
洪鐘祭り関係者の意気込みが感じられる帽子。
円覚寺・地元神社等々社寺の関連性が垣間見られる。


竹の花。古民家「あしがり郷瀬戸屋敷」広報より転載画像。



今年は、紅葉・黄葉鑑賞が叶わなかった。
どことなく感傷的な歳の瀬である。


《半世紀~一世紀前を思う;???》
1965年4月8、9日に円覚寺で洪鐘祭が、催されこの目で観た。
祭礼行列では、前回は見られなかった面掛け行列。一世紀ぶりの復活だ。
面掛行列自体は、坂の下で毎年開催されているが洪鐘祭では前回なかった。
感慨を新たにし、而して祭礼の神仏混淆を思い伝統文化の復活を切に期す所。
前々回の洪鐘祭は、1901年に開催された。時間的経過を思うと!!
そんな120年を思っていたら“120年に一度!?咲く”花の記事を見た。
神奈川県開成町で竹の「花」が開花した、と。
江戸期から残る古民家「あしがり郷瀬戸屋敷」(神奈川県開成町金井島)。
屋敷敷地内の竹林で咲いているのが見つかったというのだ。
敷地北側に位置する竹林の100本程度の「紋竹」に花がついた由。
一見すると花というより稲穂の様で独特な形で先が割れ雌蕊と雄蕊が確認でる。
細く伸びた花が垂れ下がる。これ又、不可思議な姿だ。
瀬戸屋敷は、江戸期に名主を代々務めた瀬戸家屋敷で、
母屋は300年前に建った。
竹林もその当時に植えられたと考えられている。
現在に至るまで何回、花を付けたか?
竹の花は一斉に咲いて枯れることから、古くより凶兆ともされてきた。
枯れ倒竹した竹の花が、地面に触れたところから新たな竹が生えてくる由。
なんとも驚きと共に不可思議な現象(開花)である。
人生に一度見れるか否か??なんとも不可思議な感覚である。
2023年の事象、60~120という数字、気が遠くなる!!
我が2023年度の2大事象として挙げたい。
 
今年は、余り行動が持てなかった。
来たるべく新年は、頑張り行動したい。
 
ブログルの皆さん、来年も宜しくお願い申し上げます。
 
「令和伍年(皇紀2683年)12月31日、記」

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《襍・/・囈  〝2023回顧(2)〟  ❖ ’23-143 ❖》

ブッシュカン(佛手柑) ミカン科(Rutaceae)
学名:Citrus medica var. sarcodactylus
ダイダイと比べると大きさがわかる。
正月飾りに似合う!!
見慣れた飾り付けに比べ迫力がある。魅せる!!
 
《 幸運を呼ぶ果実!?! 》
これが柑橘!?!と驚く程の形の奇妙な柑橘植物である。
"縁起物"として有名な『仏手柑-ブッシュカン-』だそうだ。
ミカン科ミカン属の一種で檸檬や香母酢や柚子等と同じ香酸柑橘類。
Citrus(シトラス)は、レモンの木に対する古い呼び名。これが属名になった。
元はインド原産「シトロン」の変種で、果実の形が手の指に似ており
千手観音を思わせることから「仏手柑」と呼ばれるようになった由。
ブッシュカンには実がない。断面は、どこを切っても白い綿の様である。
更には、仏手柑は、桃、ザクロと共に縁起が良いと言われている。
果物の吉祥文様の三果文(サンカモン)のひとつとも云われている由。
仏手柑(ブッシュカン)は縁起物としてお正月の飾りにも使われている。
一般的に流通量が少ない仏手柑(ブッシュカン)、多用されるのは年末年始。
値段的にも高価、他の柑橘類に比べるとであるが。
お正月のお供え餅の上に橙(ダイダイ)を載せるのは、普通だろう。
仏手柑(ブッシュカン)も正月の飾りに使われている(実際に見たことは無い。
飾り棚にしつらえるだけで雰囲気のある空間になる事は想像に難くない。
枝先に水引をつけ、和紙を引いて飾ってみるとお正月らしい雰囲気だ。
変わった果実を用いるお正月の飾りに使ってみたい。
*      *      *
仏手柑は、果皮と葉にユズ(柚子)等の柑橘類に似たシトラスの強い芳香がある。
果肉が無いので分担同様、皮の渋を抜いて砂糖菓子やマーマレードにして食用とする。
皮を乾燥させ漢方薬とする。そして花言葉には「本当の私を見て」「媚びない美しさ」。 
樹高2m前後。葉は、互生。葉腋から総状花序~円錐花序を出し、白花、花弁5枚。
果肉色は、黄色。実重量、50g。収穫期:12月~1月。
*      *      *
今年の己は、諸々の事情で行動が思うように出来なかった。
仲間も気遣ってか??探訪のお誘いもなかった。
我慢して、漸く動ける状態になってきた。
動けないことで、利点もあった。植物観察記録を読み返せた。
記録資料は、両親のものだ。それを見てブログに使えて幸運だった。
来年は、より良き年になってほしくせつに思ってやまない。

「令和伍年(皇紀2683年)12月30日、記」

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《襍・/・囈  〝2023回顧(1)〟  ❖ ’23-142 ❖》

中央・FUJiFILM-GFX-100II,上左LeikaIIIf,上右NikonSP,
左下NikonZf、右下Nikon8
《 フィルムカメラ~デジカメ〝2023・名機〟!?! 》
レンジファインダーから一眼スタイルの現代カメラ。変異は目を見張る。
仕様はどんどん進化しているが、レンジファインダースタイルが好きだ。
それ故、FujiFilmのX-Pro3やX100Vは、目を離せない。
他方、一眼スタイルのデジカメの中に今年は嬉しい機種が登場した。
この所、一眼デジカメメーカーで元気がなかったNikonが開眼したのだ。
そのNikonのすごい機種のひとつが、古いスタイルのデジカメ・・Zf。
クラシックスタイルと最新テクノロジーの融合は、素晴らしいの一言。
そして、今後の方向性を示す機種、技術のNikonらしいZ8が発売された。
仕様等の詳細は、専門家の記事に譲るとして一ファンとして注目をしている。
個人的には、撮影範囲的に関心を持つラージフォーマットセンサのカメラ。
FUJiFILM GFX100IIの発売は、驚きを持って・・わくわくした。
そして中判カメラに適したティルトシフトレンズが2種類発売される。
フジノンレンズGF110mmF5.6 T/S Macro、GF30mmF5.6 T/S。
植物写真や建築・静物写真を撮る者にとって待望のレンズだ。
今年一年は、怪我や諸事情で撮影行脚が出来なかった、来年は、と思う。
それにしても高価な機材が、ランキングサイトの上位にくる!!
我が国の生活環境は、安全・安心なのだろう。来年は、行動の一年にしたい。
 
「令和伍年(皇紀2683年)12月29日、記」

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