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詩は元気です ☆ 齋藤純二

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悩み苦しみからの選択肢

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人生の主役が自分であるかのように日々を過ごす。痛みも苦しみも喜びも自分が体験しているのだから、このドラマの主役が他人であるわけがはない、と。しかし、人生っていうのは脚本などないのだから、いつ何処かで心境の変化が起こってしまうのだから面白い。実際、私の場合も変わりつつある。ただ、歳をとったのだろう、そんな話なのかもしれないが気づきを綴って行こうじゃないか。

死ぬほど悩み苦しんだ者には、本人でしかわからない心根がある。痛みなら耐えられず、悩みなら耐えられず、愛足らずして自愛する心が深層へ向かう。どうしようもない孤独がそうさせてしまうのだから、浮上する発想すら消える厄介。しかし、其処から抜け出そうとする。耐えられないからだ。「誰か助けて」と、自分を生かすための自然な言葉を発する。また、このドラマさえ自ら終わらせてしまおうとする「死」の扉へ。

脱出の選択肢はふたつしかないと思っていたが、最近はもうひとつあることに気づいた。苦しみからの完全なる解決策ではないが、人生というドラマの脇役で生きるという発想だ。簡単にいえば「自分をそんなに愛さなくてもいいんじゃねえ」という感覚だろうか。自分はこうでなくてはならない、自分はこんなはずじゃないとか、その執着を全て捨てることはできないが、なるべく捨てられる執着は投げてみる。「そんなことをいってもやはり自分が可愛いから無理だよ」となるかもしれないが、「たいして自分は可愛くない」と諦めてしまえればかなり楽になる。たいして可愛くない自分が、救ってくれることもある。自分への視点をズラしてみると、それもけっこう面白い人生になるのではないだろうか。捨てることは、拾うことなのかもしれない。この気づきが最近の収穫だ。

ああ、秋だからなあ。

#詩

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