詩人が駅前を文学館に 向かって歩いている ひとが誰もいない不思議な街 2017年4月8日 駅のロータリーを抜けると 曇り空に合わせた演出 靴音だけが異空間に響く 詩人が歩くと街中のひと達が 寂しさから遠ざかろうと 街の外れまで逃げてしまった 寂しさに寂しさを重ね 川の流れだけが肯定を見せる まだ可能性があるように 確かにあったのだ 詩人がひとを集め賑わった時代 文学館の受付には誰もいない 拝観者も誰もいない そこにはひとりの孤独がいるだけ 天才は孤独である 時代に合わない才能は悲劇を 演じては彷徨い歩く 詩人の孤独が月に吠えたら 涙くらいは流がせるのだろうか
どうしたということだ。文豪たちがアニメで登場しているらしい。『文豪ストレイドッグス』、なんだか文豪たちがバトルする話だそうだ。中島敦、太宰修、芥川龍之介、中原中也などが出てきてドンパッチなのか。コミックスを480万冊売り上げている。人気があるということは、たぶん面白いのだろう。齧ってみるか、どうか…… 中原中也記念館でもこの文豪ストレイドドッグスと生誕110年記念のイベントコラボするらしい。中原中也は人気キャラだそうだ。今回は一般公募で文芸の展示はないみたいだ。ちょっとさみしい気がするが、賑やかなイベントになり詩が注目されるといいな、なんて思うのである。
人身事故のため電車が止まったり、動いたり。前橋の手前、高崎でまた待たされるみたいだ。それなら途中下車をしようじゃないか。 たしか、高崎には山田かまち美術館があったはず。インターネットで検索。よしゃ、ビンゴだ! が、しかーし、駅からずいぶんと遠かった。片道2.5キロ、往復5.0キロ。ちょっと疲れたがそれ以上に元気をもらったので、行ってよかった。 美術館の客は私だけ。貸し切りだ。 どこからか時計の音がカチッカチッと雰囲気を盛り立ててくれている。山田かまちの絵と詩が誘う、己と会話する声が聞こえそうな表現からのエネルギー空間。荒削りだがそれがよく、それでいて繊細(優しさとか…)かつ美しい若さでグイグイ私に入って来る哲学。 また、すでに三歳の時に描いた絵から完成されている。ああ、天才っていうのかな、こういう人を。 しかし、悔やまれる、早すぎた死。 エレキギターが展示されていた。こいつで感電死なのか。 そのグレコのギターが私に何かを伝えようとしていた。。。
未来、未来、未来に子どものピンクちゃんとイエローちゃんがいました。ふたりはとても仲が良くて、いつも一緒、宇宙船に乗って旅を続けています。ケンカなんてしたこともありませんでしたし、もともとケンカの意味も知りません。ピンクちゃんはとてもお喋りで、イエローちゃんはニコニコと話を聞いて微笑んでいました。ピンクちゃんはお父さんとお母さんの話をしていました。 「ねえ、わたしたちにはやっぱり、お父さんとお母さんはいないのかな」 と、ピンクちゃん。微笑むイエローちゃん。 「だって、だってさみしいもん。知っているもん。私たちが試験管から生まれたこと」 「うん」 「でもさ、ほんとうにいないのかな」 「う〜ん」 「できることなら、会いたいなあ」 「会えるよ」 「イエローちゃん、今なんていった?」 「会えるよ」 「そうなの、ほんとうにそうなの」 「うん」 「信じる、イエローちゃんのこと」 「うん」 宇宙船はどこへ向かっているのでしょう…… ピンクちゃんとイエローちゃんの先には希望と夢しかありません。それはさみしいけどさみしくない、孤独だけど孤独でないということなのでしょう。ひとりじゃない幸せがあれば、どこへ行こうがどうでも良いことなのかもしれません。 「イエローちゃん、なんだか眠くなっちゃった。おやすみ」 「おやすみ」
なんてことでしょう〜〜〜っ!! えっ〜〜!! 休みだというのに朝六時前から前橋文学館へ行くため準備してきたが、高崎線がななななんと人身事故。。。 とうぶん電車は動かないらしい。もうオープン式典も間に合いません。新幹線を使っても間に合いません。運転再開を祈り、大宮駅にて下車中なのです。ががが、しかし、ラッキーなことがありました。なななななんと、えらく鉄ちゃんがカメラを持っているじゃないですか。おっと、ディーゼル機関車!? 詳しいことはわかりませんが、レアなことは間違いないでしょう。って、いうことで半日がかりで前橋へ向かいます。辿り着くのだろうか。。。。。 いや、ぜったいに辿り着きます。萩原朔太郎が待っているので、なんて。