暫く投稿しないうちにBLOGURUのVIDEO容量がすごく増えています。これなら動画投稿もバリバリ出来ます。BLOGURUさんありがとう😄 前回に続きアイフォンによるタイムラプス撮影です。アイフォンのタイムラプス撮影は全てオートなので簡単に撮影出来ます。しかも どれだけ長時間撮影しても全て30秒に仕上げてくれます。これって超便利なタイムラプスです。 さて高松市内の高台にあって 市街から瀬戸内海さらに岡山方面を一望出来るスーパービューを誇るホテル「花樹海」さんのテラスから高松と瀬戸内海の夕景タイムラプスを撮影しました。撮影時間は約1時間20分です。
不動の滝の名前が付いてるように不動明王の小さな祠が有ります。アイフォンによる撮影です。4K撮影した動画ですが1/8サイズにして さらにMP4圧縮(H265圧縮約7.2Mb)しています。 最近発売のアイフォン14Proではシネマティック撮影モードというのがあって背景をソフト的にボカしたり、編集時に画面の任意の所に焦点をずらす事が出来る様になっているいる様です。また動いて撮る時のカメラのブレも無くして非常にスムーズな映像が撮れます。 端子もライトニングからUSB-Cに変更の噂も出て来ているので、来年のバージョンは更なる期待が持てますね。
「道の駅」とか「海の駅」とかは知ってるけれど「おへんろの駅」と言うのは初めてです。四国88ヶ所巡礼が有る四国ならではのお店の名前ですねぇ(笑) しかも、「ソーメン定食 500円」と書いているので安いし興味津々で入店しました。 そこそこテーブルのあるお店ですが、なんとほぼ満席でした。近くのご老人御用達のお店のようですね。 注文した「ソーメン定食」を激写 如何ですか?「お値段以上」の豪華さでは無いですか!食堂界の「ニトリ」ですね(笑)
前々回の記事の続きとなります。1979年12月の写真です。厳冬の岬に放牧されて冬を越す日本原産の馬です。その事を聞いて夜行列車で青森まで行きました。カメラはCanonのA-1とAE-1を持って行ったのですが、AE-1は寒さでフィルム巻き上げが出来なくなり、充分な撮影が出来ませんでしたが、下北半島での取材は今でも感慨深いものがあります。 ここの所ところ少しずつカメラを持って出かける事が増えてきましたので、あれこれ雑多な写真ブログをアップしたいと思います。
瀬戸内寂聴さんが先日亡くなられました。もう少し長生きされたら100歳になられたのに残念です。 十数年前の数年間 寂聴さんは地元徳島県鳴門に「ナルトサンガ」を開かれ毎月青空説法をされていました。その時ご縁で記録映像を毎回撮らせていただいてました。また寂聴さんの資料を収集している徳島文学館において 小説「場所」特別展示の為に「場所」の映像化に携わる事が出来ました。香川県、徳島県、京都府、名古屋駅、神奈川県、東京都を短期間で撮影しました。 小説「場所」は得度して寂聴さんになる前、瀬戸内晴美時代の幼少から得度前までの半生を移り住んだ「場所」に後年再び訪ねてエッセイ風にまとめた作品です。 撮影するに当たりその場所を特定するのに結構苦労しました。特に京都府、神奈川、東京都の取材撮影は何とか1週間で終えましたが ハードスケジュールだったけれど 何だか映画のロケ地巡りの様な感覚で楽しかったので、いつか改めてゆっくり撮影して見たいと思っていました。ただその時からも十数年経っていて 例えば寂聴さんが東京に最初に間借りした三鷹下連雀の「下田商店」さんも今は道路拡張の為に建て替えられていて、周りの環境も変わってしまいました。他も同じく変化しています。 去年、香川県引田町と徳島県丈六寺周辺は撮り直してみましたが、小説「場所」に描かれた寂聴さんの想いで風景を観ると実際にはその当時の建物や景観は大きく変わっていても 今までとは全く違ったドラマチックな風景を観る事が出来て、とても新鮮な旅が出来ました。 寂聴さんはいませんが、その作品は永久に残り多くの方達に感動を与え続けるでしょう。小説「場所」は小説を読みその場所を訪れる人たちにとって まさにワクワク、ドキドキの体験をさせてくれる小説です。一人の女性としての寂聴さんの生き方を彷彿としてくれるのではないかと思います。 興味のある方は 小説「場所」を読んで その場所を訪ねて行かれる事をお勧めします。
青森駅のシーンで「なつどまり」とう言う名の列車の前で、この列車に乗って来たのかどうか判らないけれど、おばあちゃんと孫を撮影したカットが2枚あった。おめかしした孫娘の手を引いた二人連れの様子に触発されシャッターを押したのだろうけれど、スローシャッターで被写体ブレを起こし今まで注目していなかった。整理中に1枚目に写る列車の名前の「なつどまり」に興味があったので調べてみた。 盛岡から東北本線を経て青森に着き、更に奥羽本線の錠が関駅を終着としたローカル急行であることが判った。撮影した1978年当時は快速列車に格下げになった様だがこの地域の重要で定番の列車だった様だ。列車名の「なつどまり」は陸奥湾に突き出した夏泊半島にちなんだ名前だろうが、何か語呂が良いので今回取り上げてみた。 年末の買い出しのために付いて行った オシャレした孫と祖母のイメージがとても良かった。カラースライドでの撮影は当時最新鋭のCanon A1にパワーワインダーを着けて撮影したカットで秒間2コマで撮影出来た。格段にシャッターチャンスを掴め易くなったが、スローシャッターでの手振れは抑えきれなかった様だ。 写真的にはボツカットなのだが、なつどまりという名の列車とおばあさんと孫の情景が今どうしても残したかったのでアップした次第です。
前年、石川さゆりが唄う「津軽海峡冬景色」が大ヒット曲となっていた。私も冬の津軽海峡を見てみたいと思っていたのかもしれない。それと、下北半島にある尻矢崎に厳冬下放牧されている日本原種の「寒立馬(かんだちめ)」も撮りに行きたいと思っていたので、年の暮れに上野から歌の通り夜行列車に乗り込んだ。青森行きの夜行列車は幾つかあったが、撮影フィルムから奥羽本線経由の「寝台特急・あけぼの」で青森駅に着いた様だ。曇り空であったが雪は無かった。長い通路を通って連絡船乗り場に向かうのだが、歌にある情景そっくりの光景と巨大な青函連絡船に驚いた。宇高連絡船の様な内海を航行するのでは無く、津軽海峡を渡るのだからもっともな事ではあるのだが… その当時の石川さゆりの「津軽海峡冬景色」: https://youtu.be/BhSQI0AiSy4 青函連絡船 洞爺丸の出港を見送って、漁港へ向かった。漁船には漁り火が付いている。夏から秋にかけてイカ釣り漁に使うのであろう、瀬戸内の漁船と比べて荒々しい船体にカメラを向けた。 現在、撮影から40数年経ったが、撮影したモノクロームフィルムとリバーサルカラーフィルムはあまり色褪せる事なく残っている。最近は画像処理ソフトなども良くなって来たし、このコロナ禍の中で自由に撮影出来なくなっているので、過去の写真の整理をしつつ当時の足取りを探ってみたいと久しぶりにブログルを書いている次第です。続く 青函連絡船 摩周丸をバックに 石川さゆり 「津軽海峡冬景色」: https://youtu.be/UUDXgxFmJOU