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解体心象

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辺路道 長尾の高地蔵

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国道縁から見える石佛 国道縁から見える石佛 もう1体、何処か素人っぽいです... もう1体、何処か素人っぽいですね。 国道は車の往来が頻繁に有ります... 国道は車の往来が頻繁に有ります。 石佛の手前と奥にも観音像が在り... 石佛の手前と奥にも観音像が在ります。 もう一方の観音像 もう一方の観音像 もう一方の観音像の裏手から国道... もう一方の観音像の裏手から国道側を見る。雑木の中にも仏像が在ります。 旧道と国道はここで合流するので... 旧道と国道はここで合流するのですが、国道は石佛のある丘陵を切り通しで通っているのが判ります。
国道側に見える石佛は国道が出来た後に建てられたのでしょうか?
辺路道 長尾の高地蔵 旧道側北から大窪寺方面に向かっ... 旧道側北から大窪寺方面に向かって見た高地蔵 吉野川沿いにはこの様な高地蔵が... 吉野川沿いにはこの様な高地蔵が多く存在する様です。でもそんなに古い地蔵ではない様に見えます。 此処にも石佛が彫られています。 此処にも石佛が彫られています。 仏陀と毘沙門天の様です。 仏陀と毘沙門天の様です。 横に在る仏堂 横に在る仏堂 弘法大師を祀る大師堂の様です。 弘法大師を祀る大師堂の様です。 幕末期左の道路は存在せず、此の... 幕末期左の道路は存在せず、此の背後は大窪寺に続く山道の入り口に当たる場所でした。
以前からここに石佛が有るのは知っていたのですが、初めてゆっくり拝観することが出来ました。場所は長尾寺から最後の札所大窪寺への旧遍路道でいよいよ最後の山越えをする手前の田園地帯から斜面に畑が続くちょうど境目の丘陵の飛び出た所でにあります。旧道の南側から振り返ると 新しい国道は丘陵を切り分けて通されていました。また旧道と新道はここで合流しています。
自然石に彫られた石佛はこちらでは珍しいものです。国道側には説明の立て札がありました。
136回も四国巡礼をした有名なお遍路だったのでしょう、この地で息絶えたそうです。文久元年1861年と言うのは正に幕末期で桜田門外の変や公武合体で和宮皇女の江戸下向があった年だそうです。香川にはまた金比羅詣出と言う信仰の地が有り幕末も賑わっていたそうです。坂本龍馬も琴平で剣術指南と言う名目でこの時期諸藩の情報集めをしています。高杉晋作も捕縛手を逃れて一時期琴平に潜伏しています。そんな中、庶民の信仰のとして四国遍路や金比羅詣が盛んだった事がうかがえます。
近くで見ると石佛の出来栄えも何か素人っぽく見えます。多分幾人かの遍路が彫って行ったのだろうと思われます。また高地蔵と言うのは山地を超えた徳島県の吉野川流域で、川の氾濫から地蔵を守るために高くして地蔵を祀っていていますが それを高地蔵と呼んでいます。100基程あるそうですが、それと関係があるのかどうか?この地も直ぐ南にダムが有るので、昔は川が氾濫して居たのかも知れません。
ダム湖には遍路会館というのが有って遍路の資料を集めた資料館も有るので、次回 ここ高地蔵の由来も調べて見ようと思います。

#長尾の高地蔵

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