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気動車の発展と開発 高出力気動車の試作 第7話

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キハ60 試作車 鉄道技術昭和... キハ60 試作車 鉄道技術昭和35年3月号から引用
今回は、キハ55の後に試作された高出力気動車、キハ60のお話をさせていただきます。
昭和31年、キハ55形気動車が試作されましたが、昭和34年には、DD13形機関車に使われているエンジン(500 PS)を横型にした上で出力を低下させ400 PSとした気動車が3両試作されました。
形式はキハ60とキロ60で、昭和35年1月29日に落成しています。
ちなみに、キハ60-1は東急車輛製造、2は帝國車輛工業で製造されています。
また、キロ60は新潟鉄工が製作に携わりました。
なお、製造後すぐに
外観は量産型のキハ55に準じた軽量車体であり、浮き床構造を採用したほか、キロ60は騒音防止の観点から固定窓になっていました。
結論から言いますと、大排気量エンジンと直結2段変速機をスムーズかつ緻密に同調させることができず、乗り心地はかなり悪かったといわれています。

エンジンの振動や騒音が大きくて実用にならず、エンジンを換装してキハ55に編入されることになりますが、これはもう少し先の話になります。

ただ、エンジン以外で採用された技術はその後の車両のに反映されることになりました。
その一つが、ディスクブレーキで、キハ60で使用されたディスクブレーキはその後80系気動車で採用されました。
1台車2軸に出力が伝わる方式は、その後キハ65の開発の際に活かされることになりました。
そういった意味では、キハ60で開発された技術の一部は十分活かされたといえます。

弊ブログ、こちらも併せてご覧ください。
挫折した試作車・・・キハ60
http://blackcatk.exblog.jp/237662473/

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気動車の発展と開発 キハ55系気動車の誕生 第6話

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キハ55側面図 交友社 回想の... キハ55側面図 交友社 回想の旅客車(下)から引用 妻面にカーブが設けられた車体 ... 妻面にカーブが設けられた車体 交友社 回想の旅客車(下)から引用
少し間が開いてしまいました。
本日も、国鉄時代の内燃気動車の発達史をアップさせていただきます。
今回は、キハ55のお話をさせていただこうと思います。

国鉄では、戦後石油事情が好転したことから、戦後はディーゼル機関搭載の車両が試作され、電気式キハ44000に始まる戦後気動車が幕を開けたことは既に書きましたが、DMH17系エンジンの出力は150 PSその後はエンジンに予燃焼室設けて160 PS、その後180 PSまで引き上げられました、しかし、勾配線区では力不足を露呈してしまい。25‰勾配がある線区には配置しない等の措置が講じられていました。
さて、そんな中でキハ50が試作され、22mの長さは問題があるとして、その後車体長を20.6mに抑えたキハ51が開発されますが、ここまでは車体幅は2.6mの小さな車体に甘んじるしかありませんでした。
昭和30年に開発された、10系客車の手法を活かし、気動車の軽量化と居住性の改善を図ることが計画されました。
モノコック構造を採用しながら車体幅や車体長を拡大した準急用気動車は、車体が大きくなっても、重量は従来のキハ51とほぼ変わらなかったそうです。こうして、開発された気動車がキハ55でした。

キハ55は東武が1700系(後の1720系DRCとは異なる)を投入したことに対する対抗措置という側面もありました。
車体幅は、2.9mまで拡幅され、車体長は電車よりも長い21.3mとなりました。
長さは、その後国鉄気動車の標準長となり、JR移行後もそのまま引き継がれています。
初期のキハ55は車端で車両の角が干渉する恐れがあるとして妻板の両端がカーブしていました。
また、デッキは設置されたものの、床上にトイレ用の水タンクを設置したため、キハ58などに見られる本格的な洗面所は設けられていませんでした。
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気動車の発展と開発 液体式気動車の苦悩2 第5話

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気動車では最大級の長さを誇った... 気動車では最大級の長さを誇ったキハ50
軽量化された。キハ45000 概要
液体式気動車として、キハ44500形に試作車をベースにして、前面を貫通構造にしたキハ45000形が、昭和28年10月上旬から随時完成したと記録が残っています。
当初の車両は客車をそのまま気動車に置き換えたような配置でドアのすぐ横まで4人ボックスが並ぶ全クロスシートでした。
非力なエンジンをカバーするために、車体幅はキハ44000に準じた大きさで、車体幅は2600 mmにするなど従来に客車などと比べると一回り小さな車体となっていました。
また、車内も軽量化されており、ひじ掛けも省略し、座席の高さも低くするなど徹底的な軽量化がなされました、ただし、台車はその設計に難があり特にビビり振動が多くて乗り心地はよくありませんでした。
ちなみに、10系気動車に使われたDT19(動力伝達用)とTR49(付随車)の重量はいずれも4.5t、4.4tであり、同時期に使われていた客車の6t(TR50と思われる)と比べても軽い台車が使われていました。
これが原因で、車体にアコモデーション改良もままならなかったと言われています。
私も子供の頃何度か乗りましたが、あまり乗り心地は良いとは言えず、低い座席と相まって、キハ20とキハ17が連結されていた場合は、20は満員でも17は少ないということで、乗客もみなよく知っていました。
全国から配置要望があったキハ17
昭和29年5月の交通技術を参照しますと、昭和28年度末までに220両が落成し全国で気動車の数は458両となり、房総東線、奈良・桜井線・越後線・筑肥線など31線の各線に投入したと記録されています。
具体的な線区等は今後調べてみたいと思いますが、選定にあたっては。
1)機関車と客車を全面的に置き換えできる線区
2)蒸気列車を一部置き換えて運転経費の節減を出来る線区
3)液体式気動車として、キハ44500形に試作車をベースにして、前面を貫通構造にしたキハ
4)列車増発を必要とし、気動車によることが最も有利な線区
を基準にされたと言いますが、地方管理局からは、配置の要望が多かったのですが、極端に管理局ごとに偏ると、気動車不配置地区との格差は出るので、積極的に気動車を投入したくないと言う意見もあったことは事実です。
キハ44500(キハ15)とキハ45000(キハ17)の相違を中心として
キハ44500は外観が湘南形であり、ドアも3か所(両端並びに真ん中)であり、運転台は全室方式でした。
キハ45000(キハ17)は半室運転台で、私の記憶では、運転だの仕切りも貧弱なものでバスのようなイメージであり、横から運転士の操作を覗ける仕様でした。
後ろも壁など無かったように記憶しています。
キハ50の試作とその背景
キハ17の問題点はエンジン出力にあり、実は25‰以上の勾配では入線できず、選定に際しては実はそうした問題点をクリアしなくてはなりませんでした。
そこで、DMH17エンジンを2台積んだキハ44600(後のキハ50)が誕生しました。
この車両は、期間を2台積むために車体長を22mとしてボギー中心距離(ボギー車の台車間の距離)も15.7mとしたのですが、これが後に転轍機の轍叉桿(Detector Bar)と呼ばれる、誤転換を防止する保安装置を跨いでしまう危険性があったため、当初配置された関西線などでは轍叉桿の改修を行ったそうで運転線区が限定されることとなりました。
その後、改良型として、キハ44700(その後キハ51)が誕生しました。
こちらは、車体長を20.6mに短縮した車両で、キハ50で問題となった、轍叉桿の問題はクリアされました。
キハ51は結局20両ほど製造されるのですが、その後は更なる優等列車の開発ということでキハ55が試作され、さらに急行型気動車・特急形気動車と発展していくことになります。

続きます
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気動車の発展と開発 液体式気動車の苦悩 第4話

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液体式気動車 キハ15を経て量... 液体式気動車 キハ15を経て量産化されたキハ17系気動車
本日は、液体式気動車の発展と言うことで綴らせていただこうと思います。
現在は電車の部品と共用する目的から、鉄道車両では電気式を選択する例も増えていますが、国鉄時代はDMH17エンジンに液体変速機の組み合わせが圧倒的で、昭和43年から量産された181系や同エンジンを積んだ、キハ65等を除けば非電化区間の主役としてそれこそ日本全国走っていました。
日本で液体式が発展した背景には、欧米と比べると貧弱な線路にもその原因はあったと言われています。DMH17系エンジンは、戦前のGMH17(ガソリンエンジン)をディーゼルエンジンに設計変更したものが基本で、液体変速機共々戦前に設計されたもので初期のDMH17系エンジンは150 PSその後160 PS、過給機を付けて180 PSまで引き上げましたが、これ以上は難しかったようです。
液体式気動車の発展
さて、ここで今一度液体式の発展を振り返ってみたいと思います。
キハ44500 初めての液体式気動車でキハ44000と同じ3ドア湘南形 後にキハ15形
キハ45000 後の17形と呼ばれた気動車
さらに、キハ17をベースに2エンジン車としてキハ50が試作されました。
キハ50は、車体長22mは長すぎてポイントで支障が出ることが判明したため、使用箇所は限られてしまいました。
その後車長を切り詰めて21.5mに抑えたキハ51が量産され、勾配線区での活躍も始まることとなりました。
その後、キハ17の後継としてキハ20系が製造されるとともに、昭和31年には準急用ディーゼル気動車として、キハ55が誕生することになりました。
と続くことになります。
液体式気動車誕生(キハ44500形)
キハ44500形は、昭和28年3月に4両が試作車として誕生するのですが、昭和43年の鉄道ピクトリアルでは昭和27年10月に落成したと言う記述もあるのですが、交通技術その他複数の資料では、昭和28年3月日本車両で製造されたとなっていますので、昭和28年落成とします。
液体式気動車成功までの道のり
また、液体式のこうした成功に至るまでには数々の苦労があったようで、昭和43年鉄道ピクトリアル7月号のk時を参照しますと、戦後の燃料事情が好転したことから、昭和26年に
鷹取工場に、神鋼造機製の液体変速機が保管されているものが見つかったのでこれをメーカーに送って整備した後、5月からエンジンと液体変速機を組み合わせた状態で2か月程試験を行ったところ、所定の成績を得られたので、名古屋工場で「機械式気動車を液体式に改造」キハ42500形42503(後のキハ07)に取り付けて、走行試験を行うことになりました。
しかし、十分な加速力も得られず、実用化は不可かと思われたとき、亀山付近の勾配で白煙をあげて停止してしまったそうです。
液体変速機が焼き付きを起こしていたとのことで、原因は変速機に十分な油が充填されていなかったために、十分か加速が得られなかったうえに焼き付きを起こした原因であることが判ったそうです。
再び、神鋼造機株式会社で修理をしたうえで、同年11月2日に再び名古屋~亀山間で現車試験を行い好成績を得ました。
勾配を登れない気動車
その後、キハ42503は大宮配置となり川越線で試用されることになりました。
使用に先立ち、御殿場線で試運転を行ったところ、駿河小山駅の25‰勾配での曲線でクラッチが滑り運行不能となり試験員全員で後押ししたという情けない結果になったそうで、帰路は蒸気機関車にけん引されたと記録されています。
原因を調査したところ、クラッチ版が弱いことが判明し、改造して強化するなどして、同年12月末には安心して運用を任せられるようになったと記録されています。
ただし、160PSではやはり勾配線区では非力であることは否めず、その後2エンジンのキハ50が試作されることとなるのは既に書かせていただいた通りです。
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気動車の発展と開発 電気式気動車試作のお話 第3話

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戦前の気動車キハ43000 画... 戦前の気動車キハ43000 画像 Wikipedia 戦後試作された電気式気動車 キ... 戦後試作された電気式気動車 キハ44000(第1次試作車)国鉄線から引用 キハ44000~キハ44500... キハ44000~キハ44500 側面図 交通技術から引用
本日は、戦後の電気式気動車のお話をさせていただこうと思います。
電気式気動車自体は、戦前キハ43000形式が試作されましたが、戦争の激化により開発は中止、戦後は中間付随車が電車の付随車として飯田線で使われたそうです。
さて、今回は戦後試作された電気式気動車、キハ44000のお話を中心にさせていただきます。
開発が再開されたディーゼル気動車
戦後しばらくの間は、石油も未だ自由に使うことができず、かつ列車増発の要請も強かったことから、千葉並びに新潟では天然ガスが噴出することから。天然ガスを動力源とする天然ガス動車が改造で使用されましたが、石油も比較的安価に流通するようになったこと、特に軽油は比較的安く手に入ることから戦前から試作されていたディーゼル機関を使った気動車を使う気運が高まってきました。
軽油はガソリンと比べて引火の危険性が少なく、ガソリンの1/4の価格で調達できるとのことで注目されました。
試作気動車、キハ44000誕生
そこで、昭和27年8月、2両編成各2の4両が製造(日車及び汽車が製造)され木更津機関支区(当時の名称)に配置され。房総線で活躍しました。
その後、好評であったため追加で11両が製造された他、九州向けには、仕様を一部変更し、乗降口が両端2か所のキハ44100、中間車のキハ44200(後液体式改造後はキハ19)が合計15両製造され、こちらは、北九州地区で活躍しています。
比較として試作された液体式気動車 キハ44500
更に、これ以外に比較のために液体式気動車の試作として、キハ43000形と同じ車体としたキハ44500形4両を試作車として製造、川越線などで試用されたと記録が残っています。
最終的に液体式を国鉄としては選択
以下に、液体式(当時の資料では液圧式)は電気式と比較した場合、電気式の方はエンジンを常に最適な回転数を保っておけ、速度制御も容易ですが車体重量が大きくなるほか液体式と比較すると変換効率が悪い(液体式の場合高速域ではエンジン直結となるため結果的に効率は高くなる)こと 等の理由から、その後の国鉄形ディーゼル機関車は気動車で増備されることとなり、量産型としてキハ45000(後のキハ17)が誕生することになるのですが、その辺のお話は明日以降にさせていただきます。
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気動車の発展と開発 天然ガス動車のお話 第2話

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キハ42000の一部は、天然ガ... キハ42000の一部は、天然ガス動車に改造されたが、その後軽油の供給が増えたことで、天然ガス動車は3年程度で廃止され、ディーゼル機関の気動車に再改造されました。
戦後の仇花、天然ガス動車
今回は、戦後一時的に使われた天然ガス動車のお話をさせていただこうと思います。
戦後の一時期、新潟県と千葉県で天然ガスが採取できたことから。
ガソリン不足で休車となっていたキハ42000(後のキハ07)を改造して天然ガスで走れるようにした車両が存在したそうです。
天然ガスが噴出する千葉では鉄道の救世主に
そこで、当時の技術資料などを参考にしてみますと、昭和21年頃から天然ガス動車を活用してはどうかという意見があったそうです。
天然ガス動車の技術は昭和10年頃には完成していたそうで、小湊鉄道は昭和16年に内燃気動車(ガソリン車)の天然ガス気動車化の改造を行い戦時中も気動車を運転したと言う記録もあります。
当時の総武線は車両の老朽化が著しく、輸送力が慢性的に不足していたこともあり、千葉区におけるガスカーの導入は待望されたものでした。
天然ガス動車の問題点
当時の資料などを参考に調べてみますと。
天然ガス動車の運転開始は概ね昭和23年頃であり、昭和27年にはDMH17エンジンに換装されて消滅しています。
天然ガス動車は、ガソリンエンジンを使う気動車と比べれば割安でしたが、
1)出力は、ガソリン機関と比べて、85%程度の出力
2)床下にボンベを搭載しなくてはならず、重量面でも不利
といった問題点がありました。
当時の石油事情に振り回された、天然ガス動車
また、天然ガス動車は、ガソリンエンジンの気動車と比べても割高という問題もありましたが、ディーゼルエンジンの軽油+天然ガスで走らせる、混合型にしますと、ガソリン車よりも安く出来るようになったそうで、本格的な天然ガス動車の発展が期待されたのですが、軽油の供給が安定したこともあり結局、天然ガス動車はその使命を終えて消えて行きました。

なお、天然ガス動車では、キハ41000(後のキハ04)では、ボンベを8本、キハ42000(後のキハ07))では、12本~16本を床下に搭載していたそうで、ボンベ1本あたり10㎞~12㎞でしたので、キハ42000で、120 km~144 km、空ボンベを一本一本取り替える方式でしたが、その後は親ボンベから充填する方式に、昭和25年時点ではガス会社に引き込み栓を、設けて直接ガス会社で充てんする方式に変更したと記述があります。
その後は、
なお、ボンベ1本あたり10 km~12㎞程度しか走れず、120 km~144㎞程度であり、当初は終着駅でボンベを積み替える作業が伴っていたそうですが、その後はガス会社に直接引き込み線を伸ばして、直接ボンベに充填する方式に変更されたそうです。

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気動車の発展と開発  戦前の気動車のお話 第1話

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キハ07 九種鉄道記念館(画像... キハ07 九種鉄道記念館(画像 wikipedia)
西成線列車脱線火災事故(画像 ... 西成線列車脱線火災事故(画像 wikipedia)
1)戦前はガソリン動車、戦後はディーゼル動車
戦前の国鉄でも、実は気動車は運用されており、特に地方ローカル線などでは経営の合理化として使われる例がありました。
戦前の気動車としては、大宮の鉄道博物館に保存されている、キハ41000形(キハ04)やキハ07(キハ42500形)が存在しましたが、戦前はディーゼル機関車ではなく、ガソリンエンジンを搭載した気動車が一般的でした。
ディーゼル機関の開発は遅く、試作エンジンが、昭和11年に作られました。
試行錯誤の結果、予燃焼室付きのでエンジンが開発され一応の完成を見るのですが、戦争の激化により開発は中止されてしまいます。
この時試作されたエンジンがm戦後の気動車化発展の基礎をつくるDMH17ですが、その辺はもう少し後の話となります。
なお、昭和15年には西成線(現在の桜島線、安治川口駅)で駅員が列車通過中にポイントを切り替えたため車両が脱線転覆した事故がありました。
これについては、Wikipediaの西成線列車脱線火災事故に詳しく書かれていますので、詳細は省略しますが、概要は下記の通りです。
遅れていたダイヤを復旧させるために、信号掛が分岐器付近を通過中していた列車の位置を十分な確認をしないままポイントを切り替えたため、走行していた3両編成気動車の最後尾1両が、2対のレールにまたがったまま進行することとなり(泣き別れ)、同駅構内の島屋町踏切付近の構築物に衝突して脱線・転覆。何らかの火花などが、これまた運悪く破損していたガソリンタンクから漏れたガソリンに引火、火災が発生して189名が死亡、重軽傷者69名を出した事故です。→ 西成線列車脱線火災事故

2)戦後の一時期使われた天然ガス動車
3)10系気動車の誕生
続きます
以下は、本日の夜以降に書かせていただきます。
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2)戦後の一時期使われた天然ガス動車
3)10系気動車の誕生
続く

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国鉄VS東武 日光観光客争奪戦 第2話

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157系電車(画像 wikip... 157系電車(画像 wikipedia) 準急日光号運転開始当時の編成 ... 準急日光号運転開始当時の編成 Wikipedia参照
東武を震撼させた157系

157系の登場が、昭和34年、東武の1720系(DRC)の登場が昭和35年ですから、東武が157系の登場に危機感を持ったのは言うまでもありませんでした。
東武がどれ程危機感を持っていたかといいますと、昭和31年から製造していた1700系に代えて急遽新しい車両を投入したこと、更に従来車の1700系も、ボディを載せ代えて1720系と同じ仕様にしたことから伺えるとおもいます。

157系諸元

ここで、東武に1720系(DRC)を導入させる切っ掛けとなった157系について簡単に紹介させていただきます。
157系直流電車 4M2Tの6両編成   Mc+M'+T+Ts+M'+Mc
電車としては153系と同じモーター(MT46)ですが、勾配区間における抑速ブレーキとノッチ戻し機能が付加された構造で、準急電車として製造されていますが、当時の準急列車のレベルを遥かに超えたものでした。

157系電車の発展

日光号の他に、なすの号、中禅寺号があり、日光号が東京始発日光行きであったの対し、中禅寺号は、新宿発日光行きであり、なすの号は、上野から黒磯止まりとなっていました。
ただし、中禅寺号となすの号は季節列車として冬は11月21日から1月末までは運休となっており、運休期間中の間合いを利用して東京~大阪間に昭和34年には、「特急ひびき」として運転されました。
こだまと比べますと、ビュフェがありませんでしたが、2等車はリクライニング装備、3等も回転クロスシートであり、2等車のモケットが151系のモケットと異なりワインレッドのモケットであることや、冷房が付いていないことを除けば、特急列車と何ら遜色のない車両でした。
さらに、昭和36年4月1日からは、伊豆と日光の両観光地を直結する季節準急「湘南日光」が伊東~日光の間で運転されることとなりました。
この頃には、「ひびき」も2往復に増発される等、本来の日光船への直通から、東海道線にその活躍の場は移っていきました。
その後も、157系は日光線で使われるのですが、「中禅寺」・「なすの」については157系から165系に車両が置き換えられ、グレードアップどころかダウンしてしまいました。
この頃から、国鉄は東武に対して戦意を喪失したように受けられます。
結局、日光号だけが157系運転で残っていましたが。昭和44年4月25日の改正で、急行日光号も165系に置き換えられ。いよいよ日光への観光客輸送は東武に軍配があがることになりました。

東武の車両がJRに乗り入れる時代
時代は流れ、現在のように東武とJR東日本が乗入りするようになるとは夢にもおもいませんでした。

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国鉄VS東武 日光観光客争奪戦 第1話

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国鉄が最初に日光線に投入したキ... 国鉄が最初に日光線に投入したキハ55 157系電車の登場を受けて、急... 157系電車の登場を受けて、急きょ東武が投入した1720系
世界的観光地日光

現在でこそ、JR東との相互乗り入れが行われていますが、かつて国鉄時代は国鉄と東武双方が競争していました。
昭和31年、東武が1700系特急車と呼ばれるロマンスカーを導入、国鉄も負けじと同年10月10日から、準急用気動車として開発したキハ55を投入します。
160PSのエンジンを2基搭載した強力型とはいえ、東武の1700系と比べれば見劣りする車両であり。
決して有利な戦いとは言えませんでした。
その後、昭和34年には、日光線も電化されることとなり、東武と競争条件がほぼ同じとなりましたので、ここで積極策に出ることになります。

攻める国鉄と追われる東武

国鉄は日光線の電化工事を行い、電車列車並びに一部列車は客車に戻して機関車牽引とし、当時地方で要望の多かった気動車は地方線区に回す措置が取られたそうです。
観光輸送列車である「日光号」に関しては、キハ55に代えて、157系と呼ばれる特別準急電車が製作されました。

157系電車は、既に多くの鉄道雑誌などで紹介されているのでご存じの方も多いと思いますが、当時としては珍しく列車名によって始発駅が異なっていました。(東京起点で)
1)日光号  東京~日光
2)中禅寺号 新宿~日光
3)なすの号 上野~黒磯
となっていました。
当時から、新宿発の設定があったことも興味を持たされるところです。
157系電車の特徴は、準急電車とはいえ当時の特急とほぼ同じ設備を持っていたことであり、3等車(後の2等車)は電車特急こだまの3等車と同じ回転クロスシートであり、2等車(後の1等車)もリクライニング装備となっていました。
当初は冷房装置の搭載も計画されたそうですが、そうなると特急列車との格差が無くなってしまうと言うことで冷房装置取り付けは見送られたものの、準備工事が行われていました。
冷房を設けない代わりに窓は開閉式とされ、下降窓が設けられましたが、この下降窓の設備に不備があり結果的に車体寿命を縮めてしまったことも皆様よくご存じだと思います。
157系の登場で焦ったのは、東武の方でした。
今まで優位性が157系の登場で大きく崩れてしまったからです。

157系がDRCを誕生させた
157系の登場で焦ったのは、東武の方でしょう。
今まで増備されていた1700系の製造を打ち切り、マイナ^チェンジ版として1720系(DRC)が誕生するきっかけとなりました。
151系を意識しつつも、独自のデザインの車両でした、製造はナニワ工機(後のアルナ工機)が製造を行いました。
阪急の2000系以降に見られる、窓枠にアルミを巻く独特のスタイルを関東で見ることが出来ました。
また、当時の車両としては珍しく、4号車にはジュークボックスを備えたサロンカーを設けるなど、国鉄の157系をかなり意識した車両でした。
明日は、東武1720系登場以降の様子をアップします。

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新幹線建設と国鉄 第2話 新幹線計画概要と建設基準

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在来線と新幹線の車両限界比較 在来線と新幹線の車両限界比較 ヘビーコンパウンドカテナリ方式 ヘビーコンパウンドカテナリ方式
東海道新幹線は、十河総裁と島技師長が推進する形でスタートを切ることになりましたが。
車両限界等の建設基準等は、昭和36年4月から国鉄部内に設けられた、新幹線建設基準証左委員会で検討されました。

昭和36年8月には最終決定がなされ、その記事が「交通技術昭和36年10月号」にアップされていましたので、当時の記録を引用しながら簡単に解説させていただきます。

なお、一時期通勤輸送に山手線をオール2階建てにすればいいと言う発言があり、車両限界を無視したものだと物議をかもしたことがありますが、これは在来線の車両に場合新幹線と異なりレール面上3m(車内から見れば2m付近から大きくカーブを描く車両限界のためです、トンネルなどの構造物によって車両の大きさが制限を受ける例の一つと言えます。
新幹線の場合は、全く新規に作るものですから、自由に車両限界などを選択できました、その計画によりますと、貨物輸送を行うことを想定していたことから、コンテナ輸送以外にセミトレーラーをそのまま載せて貨物輸送できることを想定して積載限界を決めたため、であり、結果的に在来線と異なり矩形型の大きな車両限界を設定できたと言われています。
以下簡単に概要を記述させていただきます。

1)車両限界 車両高さ 4,500mm 車体幅 3,400㎜ ちなみに、在来線は、車両高さ 4,100mm 車体幅 3,000㎜です。
2)停車場及び列車長、旅客電車は、車両長25m(1車平均〉16両編成を基本とし、貨物は
4M6Tの単位編成を考え、必要により30両まで編成して運転する計画である。従って停車場内本線有効長は、この列車長に停止のための余裕を加えて500m以上、旅客電車のみの線路では450m以上とした。と書かれており、当時から16両編成の旅客運転が想定されていたことが伺えます。
3)電化方式については、国際標準電圧である25,O00Vとし。周波数については、東海道沿線では富士川を境として東が50c/s(当時はサイクルで表記)、西は60c/sとなっているため、新幹線の交流電車は、50/60両方の周波数に対応した車両を開発するか、地上設備で周波数を統するかを検討した結果、当時の技術では両用周波数の変圧器の開発が困難で有ったため、地上設備で統一する方法を採用することにしたそうで。当時は回転変流器(モーターで発電機を回して50→60Hzに変換する方式が採用されました。
現在は、インバータ方式で変換されますが、当時はそのようなアナログな方式が使われていました。2014年まで実は回転式が一部使われていたようです。
2014年11月27日の社長会見が出ていました。
興味のある方はぜひ、こちらも併せてご覧ください。

https://jr-central.co.jp/news/release/nws001563.html
https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000024902.pdf

4)運転保安装置として、連続制御式自動列車制御装置(ATC装置)を設備するとともに、運転指令業務の能率化を図るため、到着進路をほぼ自動的に設定する半自動化列車集中制御方式(CTC方式)を採用するとして、運転保安度の向上を図ることになりました。
5)その他として、新たに50Tレールと呼ばれる、新幹線独自の形状のレールが開発された他、架線についても高速運転での集電性を向上させるため、合成コンパウンドカテナリ式と呼ばれる、従来のコンパウンド式架線を改良した方式を開発しました。
どのようなものかと言いますと、ドロッパーと呼ばれるトロリー線と補助架線をつなぐ装置に合成素子で作られたダンパーのを取り付ける方式で、集電装置による架線の振動を減衰させることを目的に開発されました。
しかし、実際には強風などで共振現象が大きくなり、架線事故の原因となったので現在では新幹線では使われていないとのことです。
実際、国鉄時代は架線が切れて新幹線が運休することが多々ありました。
現在は、より安定性を高めたヘビーコンパウンド架線方式を採用しているようです。
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