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新性能電車の幕開け 第1話

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直角カルダン駆動 Wikipe... 直角カルダン駆動 Wikipedia参照 WNカルダン駆動 Wikipe... WNカルダン駆動 Wikipedia参照
本日から、新性能電車の幕開けとということで南海かに分けてお話をさせていただこうと思います。
しばしお付き合いくださいませ。

1)今までの常識を変えた湘南電車
昭和25年に「運行を開始した湘南電車は、今までの電車の常識を覆すこととなりました。
それまで、電車は振動も多く長距離の移動には向かないのでせいぜい60km程度までの距離を走るものと思われていました。
 100km以上の距離を走る湘南電車は、電車の新しい可能性を示すものと言えました。
80系電車は性能的には吊りかけ駆動のため、分類上は旧型国電ですが、電車による可能性を広げたことは間違いありません。
2)新駆動方式による高性能電車の誕生
昭和27年には、新しい駆動方式、カルダン駆動が国鉄の電気式気動車キハ44000形でが初めて採用され、45kWモーターを駆動する方式が試験的に採用されたました。
 しかし、閑散線区に電気式は不利ということから、電気式気動車は、全車液体式に再改造されましたが、日本初であることには変わりありません。
翌昭和28年には、東武の5700系が直角カルダン駆動方式でデビュー、京阪1800系はWN駆動としてデビューするのですが、東武5700系が初期故障に巻き込まれていた中で、京阪は完成後直ちに営業運転に使われるなど安定した走りを見せました。
ということで、新性能電車(カルダン駆動)の最初の営業運転は京阪ということになりますが、この頃から私鉄では積極的に新性能電車(当時の表現を借りれば)を導入が検討されていきました。
3)眠れる巨人、国鉄
国鉄でも、新性能電車の設計は検討されましたが、その動きは緩慢で、昭和28年当時は63形電車から72形への改造が昭和26年の桜木町事故から行われており、昭和27年当時も半鋼製のモハ72形電車が増備されていた時代でした、全金属タイプの72形電車が登場するのは昭和31年まで待たねばなりませんでした。
しかし、昭和31年頃、大手私鉄は着々と新しい電車を導入して、近鉄では奈良線用として800形を増備したり、阪神でも3011形がジェットカーとして新性能電車が運転を開始していましたが、巨像はまだ、目覚めないと言った状況になっていました。
国鉄の新性能電車がデビューするのは、昭和32年に登場するモハ90系(後の101系)まで待たねばなりませんでした。
101系については、みなさんもよくご存知と思いますが中央線の慢性的遅延を解消するために導入が検討されたものであり全車電動車で当初は3.2km/hの加速を計画していました。
 
続く


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高度経済成長と輸送力増強 第3話 第2次5か年計画と国鉄

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高速鉄道として新幹線の建設が第... 高速鉄道として新幹線の建設が第2次5か年計画の目玉となりました。
昨日は、地方納付金の話にお話がずれたのですが、その辺のお話はまた改めてお話をさせていただくことになるかと思います。
 再び第一次5か年計画のお話に話題を戻したいと思います。

 第一次5か年計画は、老朽資産の取替という目的だけは100%達成し、動力近代化(蒸気機関車を1975年までに全廃し、電気もしくは内燃機関による運転に切替)の端緒も開けましたが、肝心の輸送力増強が追い付かず、昭和35年までで20%程度であったと記録されています。
結果的に輸送が行き詰まり運輸収入が伸びないので、現金が不足することとなり、経済成長に伴うインフレで人件費の向上や物件費の高騰もあいまって、当初予算は昭和35年度で枯渇、昭和36年度を初年度とする新たな5ヵ年計画が立てられることとなりました。

 ここで、注目していただきたいのは、輸送力増強計画は、時の政府の意向に沿って計画されているということです、この点は特に注目しておいてください。
 第1次5ヵ年計画の際は、政府の経済自立計画に即応して立てられた施策であり、第2次5ヵ年計画はこれまた、池田政権による所得倍増計画に呼応したものでした。
 これを見ていると、JR東海の葛西氏が仰っていたとおり、計画のための計画をむしろ政府の尻馬に乗って動いており、誰もそれに対して責任を負わない体制が既にこの頃に出来上がっていたのではないかと思える節があります。
 さて、そんな中で、第二次5ヵ年計画では、以下の方針が確認されました。
1. 主要幹線の線路増設と輸送方式の近代化
2. 経営の合理化

 戦前の老朽化資産(木造客車の鋼体化を含む)の更新はほぼ第1次5か年計画で達成したと言われていますが、蒸気機関車による牽引を電化やディーゼル化による動力近代化などで経営の合理化を図ることを意図していました。
 第2次5ヵ年計画の目玉はなんと言っても、新幹線の建設でありこの点は、章を改めてお話したいと思いますが、新幹線建設は、東京オリンピックの開業に合わせるという、非常にハイスピードな建設が求められることとなり、建設費の急騰もあいまって、国鉄財政を急激に圧迫していくこととなりました。

以下に、昭和39年の運輸白書から、第2次5か年計画の概要が 載っておりましたので書かせていただきます。
 (1) 東海道線に広軌鉄道を増設すること。
 (2) 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手すること。
 (3) 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化すること。
 (4) 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入すること。
 (5) 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良すること。
なお、この第2次5か年計画も昭和39年度には頓挫することとなり、昭和40年度から昭和47年度の7カ年の第3次長期計画が計画されることとなりました。
 なお、昭和39年度の運輸白書によりますと、第2次5箇年計画は,38年度でその第3年目を終了し,39年度計画を含めた進ちよく状況は, 全体で69%東海道新幹線を除く一般改良工事では,58%ということでこちらも計画半ばで見直しを図ることとなりました。
こうした事例に対しても、国鉄自らの借り入れ金(財政投融資や鉄道債券による調達)で行われたことがその後の経営を圧迫していくことになるのでした。

参考 昭和39年運輸白書 第3章 重点的に整備増強を図る輸送力 第1節 幹線輸送力の増強 対策一国鉄第2次5ヵ年計画 参照
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa39/ind040301/002.html

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高度経済成長と輸送力増強 第2話 地方納付金と言う名の税金

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宮前駅に進入するキユニ25先頭... 宮前駅に進入するキユニ25先頭の普通列車
 国鉄は、独立採算性という建前を取りながらも、国にすれば、鉄道省時代同様に振る舞われる部分がありましたし。
 実際に国鉄もそうした、鉄道省鉄道局のイメージを持っていたのも事実でした。(運輸省よりも国鉄の方が上であるという意識)
 結果的にそうした意識は、結果悪い方向にも進んでしまいました。
 その一つが、「地方納付金」という税金でした。
 国鉄は、本来であれば、国の機関ですので税金を払う対象にはなっていなかったのですが、地方財政が窮状に在ったとき、政府は国鉄に対して、地方納付金を支払うように求めました。
 当初は、非事業用地のみが対象で、概ね地方の固定資産税に相当する金額を地方への納付金と言う形で支払うこととなりました。
 その後は、事業用地や車両等も対象となり、国鉄の財政を圧迫することになりました。
 結果的に車両を増備すればするほど地方納付金も跳ね上がる仕組みでした。
 なお、国鉄だけではなく、公社であった、電電公社・専売公社も対象になりましたが、国鉄の場合線路や車両も対象となるため一番負担が大きかったのは国鉄であったと言えます。
 本来であれば、国が措置すべきものですが、それを国鉄(電電公社・専売公社)に依存した、また国鉄等もそれに応じざるを得なかったのは残念に思われます。
 
参考 地方納付金とローカル線
http://blackcat-kat.at.webry.info/201701/article_3.html

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ローカル線問題と国鉄 第4話 進むローカル線の建設

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昭和27年交通年鑑昭和27年 昭和27年交通年鑑昭和27年
 ローカル線は、本来儲からない路線であり、積極的に国鉄は敷設したくないと言うのが本音でしたが、政府としては、国鉄を国の組織として置いておきたいと言う思惑も有りました。
 実際、当時の陸上輸送が実質国鉄しかなかったこともあり、全国から鉄道建設の要望があるのですが、連合軍(主にアメリカ軍)は、今後は自動車が中心であり高速道の建設を主体に粉うべきという方針からなかなか認められず、昭和26年に建設が認められたのは、津軽線 青森~蟹田間、赤穂線 相生~播州赤穂間、土讃線 土佐久礼~窪川間だけでした。
講和条約発効後を見越して昭和26年には、運輸省の下に、鉄道建設審議会が設置され本格的に建設が促進されることになりました。
鉄道省時代に設けられていた、鉄道会議が復活したようなもので、国鉄の鉄道建設は再び政府の意向に振り回される仕組みが出来上がってしまいました。
 政治の中に半強制的に組み込まれたと言っても良いのではないでしょうか。
この鉄道会議設置に基づき、昭和26年5月30日には、鉄道敷設法の一部が改正されています。
下記に、条文を一部抜粋します。

鉄道敷設法の一部を改正する法律

法律第百六十二号(昭二六・五・三〇)

 鉄道敷設法(大正十一年法律第三十七号)の一部を次のように改正する。
 第二条の次に次の九条を加える。
第三条 日本国有鉄道ノ鉄道新線ノ敷設(以下「新線建設」ト称ス)ニ関シ必要ナル事項ヲ調査審議スル為運輸省ニ鉄道建設審議会(以下「審議会」ト称ス)ヲ置ク
第四条 運輸大臣ハ新線建設ノ許可ニ関シ必要ナル措置ヲ為ス場合ニ於テハ予メ審議会ニ諮問スヘシ
 運輸大臣ハ公共ノ福祉ヲ増進スル為特ニ必要アリト認メテ日本国有鉄道ニ対シ新線建設ニ関シ必要ナル命令ヲ為ス場合ニ於テハ予メ審議会ニ諮問スヘシ
 審議会ハ内閣総理大臣及関係各大臣ニ対シ新線建設ニ関シ建議スルコトヲ得
第五条 審議会ハ本邦経済ノ発達及文化ノ向上ニ資スルコトヲ目標トシ公正且合理的ニ審議決定スヘシ
第六条 審議会ハ委員二十七人ヲ以テ之ヲ組織ス
 委員ハ左ニ掲クル者ニ付内閣之ヲ任命ス但シ第六号及第七号ニ掲クル者ニ付テハ両議院ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス

参考 国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/potal_shiryou/Law/Law_other/s26/s26_162.html

この法令改正では、各大臣が新線建設に対して意見を述べることができるとされており、時の大臣意向で鉄道建設が恣意的に出来ると言う内容となっていました。
 
 結果的に、国鉄は公共企業体として誕生してから僅か2年で鉄道省時代と同じ仕組みに先祖帰りしてしまうこととなりました。
 そんな中、公共企業体としての独立採算性も求められることから、国鉄としてもローカル線輸送のコスト削減と言う視点から昭和29年にはレールバスと呼ばれる車両(現在のレールバスの先祖)を誕生させています。
主にバス用部品を利用したことからレールバスと呼ばれ、エンジンも当時のバスエンジンを利用していました。
木原線を皮切りに北海道や九州の閑散線区を中心に昭和32年までに49両が投入されましたが、これらの車両は連結運転が出来ず、高学歴化とあいまった通学ラッシュの乗客増に対応できずに比較的早い時期に廃車されました。
現在も、小樽鉄道記念館ではキハ02が保存されており、当時のスタイルを偲ぶことが出来ます。

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ローカル線問題と国鉄 第3話 貨物輸送の改善

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昭和27年9月号、国鉄線の記事... 昭和27年9月号、国鉄線の記事から。
自動車による貨車代行輸送について語った記事
参照 http://library.transport.or.jp/
 ローカル線問題とは直接関係ありませんが、昭和25年からは、貨物輸送についてもサービス改善が図られ、小口貨物輸送専用のワキ列車が、汐留~梅田間および吹田~門司間に設定されました。
 汐留~門司間が65時間から43時間に大幅に改善されたと言うお話を以前にさせていただきました。
 改善の動機はドッジ・ラインによる縮小経済で貨物輸送が減少したことと、トラック輸送や船舶輸送の復旧が進みサービス改善に迫られたことも原因としてありました。
その後、朝鮮特需で需要は伸びたものの、ピークを過ぎると貨車の遊休が目立つようになったので国鉄では、サービスアップと貨車の有効活用を図るために、昭和27年9月から小口貨物の速達輸送を図るべく。「急行小口扱」を新設、貨車にも「急行便」の文字が書かれた専用貨車が使われました。これは、後にコンテナ輸送が本格化するまでは、花形列車として活躍することとなりました。
この一環輸送は翌28年には更に拡充され、自動車を活用して都市の小口扱い貨物の特定駅への集約や地方における自動車代行などが実施され、東京都内や名古屋地区、仙石線、八戸線などでは国鉄自動車局が貨車代行輸送を行ったという実績があります。
 記録によりますと、昭和27年から試行されていいたようで、昭和27年の国鉄線によりますと、筑豊線発着の小口扱貨物の自動車による貨車代行輸送が行われると言う記事を発見しました。
 すでに、昭和27年にはローカル輸送特に小口輸送はトラックにかなり喰われていることが当時の資料記事からでも見えてきます。
 都市部の集配はどちらかと言えば、貨物輸送を確保するためですが、仙石線、八戸線などの代行輸送も国鉄として拠点に集約輸送することでコストを抑えつつ貨物輸送を守ろうとする企業防衛と見ることもできます。

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ローカル線問題と国鉄 第2話 割増運賃制と国鉄運賃

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福知山線 旧武田尾駅 新線建設... 福知山線 旧武田尾駅
新線建設で、旧線は廃止されてしまいました。
 国鉄では、ローカル線の割増運賃を導入することを検討し、実施することとなりました。
昭和35年3月22日に開通した指宿枕崎線(山川~西頴娃間) には割増運賃として基本賃率の1.75倍を課した運賃となっていました。
 この方式は4線区に導入されましたが、翌年に新線建設補助特別措置法が成立するとこの制度は廃止されました。
 新線建設補助特別措置法に関しましては、下記に関連blogを、最下段に条文を載せましたので参照願います。
なお、割増運賃制度は、後年ローカル線問題が再燃する中で導入されますが、こういった事例がすでに、昭和35年頃にはあったことを理解しておいて頂きたいと思います。
なお、この制度を見ていると、国鉄としては独立採算制に則った方式で収支を相償うことを目指していたにもかかわらず、それを逆なでするような条文であったことは注目に値すると思います。

新線建設補助特別措置法の経緯は、下記国鉄があった時代blog版を参照していただければ幸いです。

国鉄があった時代blog版
日本国有鉄道新線建設補助特例措置法案について

昭和35年3月22日に開通した指宿枕崎線(山川~西頴娃間) については、基準運賃の1.75倍の運賃設定を図りました、その後この運賃制度は、日本国有鉄道新線建設補助特例措置法が制定されたことで、廃止となっているのですが。
概要的には、昭和36年から40年までの時限立法、建設費の補助ではなく建設に伴う利子相当分とされています。
すなわち、建設は引き続き自前なんですね。
そのうえ、営業開始語利益が出たら利益が出た分だけ補助金を減らすというかなり国鉄には不利な内容なんですけど、当時の国鉄は、国の経済発展を支えているという自負がありましたので、こうした条件を受け入れたのだと思います。
続きは、こちらをクリック

法律第百十七号(昭三六・六・七)

  ◎日本国有鉄道新線建設補助特別措置法

1 政府は、日本国有鉄道に対し、昭和三十六年度から昭和四十年度までにおいて、日本国有鉄道が昭和三十五年度以降当該年度の前年度までに鉄道敷設法(大正十一年法律第三十七号)別表に掲げる予定鉄道線路の建設に要した資金について、運輸省令で定めるところにより計算して得た当該年度の前年度分の利子の額に相当する額の範囲内において、予算で定めるところにより補助することができる。

2 前項の規定による補助(以下「新線建設補助」という。)に係る予定鉄道線路について、営業の開始後、運職省令で定めるところにより計算して得た利益を生じた場合は、その利益の額に相当する額を翌年度の新線建設補助に係る前項の利子の額から控除するものとする。

3 日本国有鉄道は、前項の場合において、その利益が当該線路につき最初に新線建設補助が行なわれた年度から起算して十五年度以内に生じたときは、その翌年度において、政府に対し、その利益の額の二分の一を下らない金額を、運輸省令で定めるところにより計算して得た当該線路に係る新線建設補助の額の合計額に相当すると認められる額に達するまで還付しなければならない。

4 運輸大臣は、前三項の運輸省令を定めようとするときは、大蔵大臣と協議するものとする。

   附 則

 この法律は、公布の日から施行する。

(大蔵・運輸・内閣総理大臣署名) 

******引用、ここまで********


簡単にいえば、利子だけは補助しましょう、但しその当該路線で利益が出て来たら、利益の一部から補填した利子分のおカネは返してねという、何とも国鉄には限りなく不利なというか理不尽な理屈なのです。

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ローカル線問題と国鉄 第1話 古くて新しい、ローカル線問題

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建設途上で廃止となった五新線鉄... 建設途上で廃止となった五新線鉄道橋、この高架線の上を鉄道が走ることはなかった。 仙石線の組織図 国鉄線昭和32... 仙石線の組織図 国鉄線昭和32年7月号から抜粋
この章では、国鉄解体問題の端緒となったとも言え、現在もその方策について広く論議されるべき対象であるローカル線問題についてお話ししたいと思います。
昨日投稿したのですが、誤って消してしまったので改めて投稿させていただきます。

古くて新しい、ローカル線問題。(特に昭和30年代を中心として)

国鉄の経営は、戦後の復興と進駐軍(連合軍)輸送に追われ、インフレの高騰の中で赤字経営を続けていました。
 昭和20年代の終わり頃もまだまだ、赤字体質からは抜けられず、運賃値上げなどを繰り返していました。
 そんな国鉄に対しては、赤字に対する批判が強くなっていき、当然ローカル線に対する批判も強くなっていきました。
独立採算制を建前とする国鉄でもこの問題について取組まざるを得なくなり、昭和29年、千葉県の木原線と久留里線にそれぞれ大原運輸区・木津運輸区を設置して線区別経営を試みました。
具体的には、駅長の廃止、無人駅化、貨物列車の隔日化、気動車による増発など、運輸部門を一括して合理化したもので、ある程度の成果を得ることが出来ました。
 入りを増やすのではなく出を減らすことで週h氏を改善しようとしたものであり、積極的に入りを増やすというものではありませんでした。
その後、運輸業務以外に保線・信号などの業務も線区別にまとめ、権限を大幅に委譲した管理所制度が発足させ、この テストケースとして仙石線が選ばれました。
最初のケースに選ばれた理由として、元々が私鉄であったたことなどと言われています。
管理所制度は一応の成果を納め、ローカル線経営のモデルケースと言われました。
 具体的には、所長に線区ごとに権限を委譲し、所長の判断で機動的に動けるようにしたもので、所長の判断で車両の改良や営業運動等も併せて行ったそうです。
 実際に、昭和33年からは全国に展開、運輸区は38線区、管理所は30線区まで広がりました。 この管理所制度は、現在の「地域鉄道部」の先駆けのようなものであったと考えていただければ理解しやすいのではないかと思われます。
ただし、仙石線では、増収活動まで取り組んだものの、他の運輸区や管理所では積極的に増収を図れる組織にまで行かなかったようで、ある一定の合理化を達成するとその存在価値自体が無くなってしまい、昭和45年頃までには全部姿を消してしまいました。
他に、戦時中に不要不急路線として線路が撤去された路線についても復活要望が起こり、路線として復活した所もありますが、「白棚線」の場合のように、復活に際して鉄道よりもバスの方が有利であるとして、旧線路敷きを専用自動車道として再整備して国鉄自動車白棚線とした例や、阪本線のように、当初は鉄道として建設されたが途中で採算性に疑問があるとして、路盤を自動車専用道に再整備のうえバス専用路線として(五条~城戸間)運用される例など、既にローカル線の建設に対しては批判が出始めていたのは注目していただきたいと思います。

余談ですが、坂本線も利用者の減少で現在は旧来の坂本線経由のバスは廃止されてしまいました。

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組織改変論議と国鉄 第8話 第三次長期計画と輸送力増強

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Econmy Coupon 略... Econmy Coupon 略称エック
旅館の手配と乗車券類が一体となったもので、いわゆるパック旅行のさきがけのようなものでした。
昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画は、輸送量の増加が当初予想を上回り、計画がこれをカバーしきれないことが確実となったほか、資材・用地・賃金等の高騰が当初予想の資金では不足をきたす結果となったうえ、三河島事故の発生で、安全面の投資不足が大きくクローズアップされるなど、昭和37年7月には第2次5ヵ年計画はまたまた修正を余儀なくされました。

 そこで、政府は総理府に「日本国有鉄道基本問題懇談会」を設置し、審議の上意見書として5ヵ年計画の見直しを提言しました。
 この提言に基づき、国鉄は第2次5ヵ年計画を39年度までで打ち切り、新たに昭和40年度から第2次計画の2.2倍に当たる、総額2兆9,720億円を投入する第三次長期計画が昭和46年までの7年間の計画でスタートしました。
 おりしも、昭和39年には、国鉄は赤字を計上したにもかかわらず、その無謀とも言える計画はスタートしたのです。
 この計画では、通勤通学輸送の改善に関する投資額が大幅に増えたことで、第2次5ヵ年計画では5.8%、777億円だったものが、17.5%、5,190億円と大幅に増えました。
この背景には、線路増強を行なわなかったために過密なダイヤとなり結果的に三河島事故や鶴見事故と言った重大事故を起こしたという事実がありました。
 この通勤路線増強計画の主体は、東京に放射状に集中する5路線、すなわち東海道・中央・総武・常磐・東北の各線を指し、一般的には「東京(通勤)5方面作戦」などと呼ばれました、なおこの詳細は別に機会に譲りたいと思います。
 ただ、これらの資金は、独立採算制を建前とする国鉄ですので基本的には運賃収入及び借入金で賄う必要が生じたのです。
 やがて、国鉄の第三次長期計画も、収入に対して過大な投資を強いられていたので、黒地経営に転換することもなく、昭和43年には積立金も食い潰してしまう、破産状態となってしまいます。
 この頃を境として、国鉄は政府からの出資を受け入れることになるのですが、既に高速道路などは、道路公団時代は、自動車重量税などに代表される特定財源で補てんされていたのに対し、国鉄の場合はその額は、他の港湾整備や空港整備と比べても少なく、かつ、運賃は引続き法令改正によることとされていたため、時には意図的に値上げ率を引き下げられたリ、場合によっては改定時期をずらすと言ったことも行われ、結果的に建設費用の不足をきたすこととなり、臨時で国鉄に貸し付けると言った法案を別途審議するといった無駄なこともありました。
 その反面、石田総裁時代には営業面で積極的な増収策もい打ち出されたことは注目に値すると思います。
 例えば、エック(旅行会社に委託したエコノミークーポンの愛称)の販売がありました。また、「Discover Japan 美しい日本と私」は、国鉄時代の最大のヒット企画だったと言えますが、こうしたキャンペーンの導入などを含めて国鉄は輸送力の増強とともに、積極的に旅客を誘致する方向に変わっていきました。
 しかし、第3次長期計画も国鉄に対して政府が積極的に補助を行うことはなく、もっぱら郵便貯金を中心とする大蔵省資金運用部資金を借り入れた他、鉄道債券(政府保証付)等で調達されました。
その後、鉄道債券の償還期間が10年程度と短く、かつ金利も7%近くあったため、建設が終わるころには最初の償還期限を迎えることとなり、財政的には償還金を返すために更に鉄道債券を発行すると言った悪循環となり、例えは悪いが高利の金融機関で借りた元金を返すために更に別の金融機関で借りる状況になっていました。
事実、国鉄の負債は昭和50年頃から急激に増大していくのでした。
 その結果、国鉄に対して政府からの補助金、利子の棚上げなど、つじつま合わせのような施策が行われますが、事態は改善せず。
 公共企業体国鉄は、運輸省、国会議員や政府の顔色を伺う状態となっていくことになっていきました。
 歴史にIFはないのですが、昭和40年代の第三次長期計画が、政府主導で資金助成などが行われていたならば財政悪化も抑えられたのではないでしょうか。
 ただ、国鉄の問題は、単純にここに原因があった・・・と言えるほど単純ではなく、複数の要素が絡み合っているだけに。建設補助を出したら国鉄は赤字にならなかったとか、労使関係が良好であれば赤字にならなかったとか。分割民営化は無かったとは言い切れないと言えます。
 
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組織改変論議と国鉄 第7話 昭和32年監査報告書

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昭和32年 国鉄監査報告書序文... 昭和32年 国鉄監査報告書序文
引用 公益財団法人 交通協力会 から引用
http://transport.or.jp/
<昭和32年の監査報告書には>

  国鉄監査委員会<委員長は後の国鉄総裁に石田礼介氏長)が発表した、昭和32年度監査報告書の序章で、「国鉄経営理念の確立」を唱え、公共企業体審議会の答申と、産業計画会議の勧告を正面から取り上げていました。
以下引用すると
 「監査委員会は、これらの意見に対して、必ずしも全面的に賛意を表するものではないが、国鉄は、このような批判の、よって生じる所以を深く顧みる必要がある。そもそも国鉄は公共企業体であるが、一つの企業体である以上、それが自主性をもち、企業性の発揮によって企業としての確固たる基盤を持たなければならないことは当然である。・・・・ 今や国鉄の経営刷新が強く要望されているこの時において、国鉄が公共企業体としての、その使命を果たすための”新しい経営理念”は、外に対しては自主性を確立することであり、内に対しては企業性を強化するとともに、業績に対する全責任を明らかにすることがあると考えられるものである」
 以上のように、国鉄が新しい「経営理念」を作るべきあることを強調していました。
 国鉄の監査報告書は、ややもすると政府の意向を反映する傾向にありましたが、この報告書は国鉄に対してはきわめて厳しい批判と取れる反面、力強いバックアップとも言えました。ただし、大国鉄を大きく動かす原動力とはなりえなかったのは残念でなりません。
 むしろ、国鉄ではそういった意見を耳にしながらも、戦中戦後に酷使した老朽資産の置換えもさることながら、戦後増大した輸送需要に対して、国民の付託に応えるために、大々的な輸送力増強を含めた、大幅な改善計画を発表するのです。
これが後の第一次5ヵ年計画と呼ばれたものでした。
概要を以下に簡単に書かせていただきます。
 第一次5ヵ年計画の背景には戦後の国鉄輸送量の増大がありました、具体的には戦前の昭和11年と比較して旅客で3.74倍、貨物のトン数では1.65倍の増加となっていました。
 ところがこれに対し、国鉄では、戦時中の酷使で老朽化した施設や車両で対応せざるをえず、輸送力不足は否めませんでした。
 しかし、戦後のインフレーションの中では、収入で経費を賄うことも難しく、桜木町事故のように戦時中の粗悪品を使っていたことに対する国鉄の批判も大きくなっていたことから、計画されたものでした。
5ヵ年計画の基本は、
1. 資産の健全化、老朽施設の更新、信号保安度の向上
2. 輸送力増強
3. 動力・設備の近代化
以上の3点を重点事項とし、総投資額は5000億円にも達しましたが、昭和32年のなべ底不況で資金事情が悪化。資金不足で設備投資が十分に出来ず、老朽資産の取替えに追われ、輸送力増強が出来ませんでした、景気が回復すると今度は輸送需要が逼迫という状態となり、計画自体が過少であったとして、第一次5ヵ年計画は35年度でひとまず打ち切り新たに第2次5ヵ年計画を策定することとなりました。
 なお、第一次5ヵ年計画では、電化・気動車化を中心とした動力近代化の端緒を開いたことは大きな功績でしたが全体としては、計画に対する達成率は68%でした。
さて、国鉄の第一次5ヵ年計画は、電化の推進(東海道線全線電化)など一定の成果は得られましたが、計画が過少であったとして、輸送力の増強。動力と輸送の近代化を盛り込み、経営の長期安定を目指し、昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画がスタートしました。
これは、投資総額が9,750億円(当時)という巨大なものでした。
具体的な内容は、昭和39年版運輸白書で参照すると、以下のようになっています。
1. 東海道線に広軌鉄道を増設すること。
2. 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手すること。
3. 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化すること。
4. 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入すること。
5. 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良すること。
 ただし、昭和38年度までの進捗状況は概ね60%以下で推移しており決して充分な進捗状況であると言えるものではありませんでした。
 しかし、ここで注目いただきたいのは、国鉄諮問委員会(原安三郎委員長)が、昭和35年9月に、第2次5ヵ年計画への切替えを勧告した意見書で、過度の公共負担や、不採算路線の建設、運賃制度の不合理、中ぶくれの人員構成の、「4つの根本的な病根」と呼び、政府に抜本的な対策を政府に望んでいました。
第2次5ヵ年計画も、東海道新幹線は完成にこぎつけたものの、急激な高度経済成長に追いつけず39年度で再び見直しを迫られることとなりました。
特にこういった一連の輸送力増強計画に際して、自己資金以外は、国鉄自身の借入金で賄わせたことに大きな問題がありました。
昭和38年5月に提出された監査委員会の答申書「国鉄経営の在り方についての答申書」によると、国鉄が名ばかりの公共企業体となった原因を政府にあると、その責任を追及しています。
ここでその内容を引用させていただきますと、

  「国鉄に果たして”企業性”が与えられてきたか、ほとんど完全に否である。・・・、国鉄の理事者は、その判断の自由と行動の自由とを、運輸省の一般監督、大蔵省の予算制度上の監督、国会が運賃決定権を握り、国鉄総裁は、その万般にわたる質問に対して自ら答弁に当たらなければならないことなどによって、まさにガンジガラメに縛られていたのである。・・・国鉄は、”企業性”を阻まれてきたが故に、そのうべかりし”収益力”を発揮しないできた、と同時に国鉄は”公共性”の名によって過大なる公共負担を負わされてきた。それが国鉄の今日ある所以である。別のいい方をすれば”独立採算制の公共企業体”たるべき国鉄に、その実が与えられていないこと、そこに全ての原因があるのである」
とはっきり指摘していました。
また、民営化論議に対しても、国鉄に対してもっと公共企業体としての実を与えることができるように配慮すべきであると指摘していました。
「国鉄を一会社の運営にまかせるのはムリだが、分割の方法が立ちにくい、資産の評価もむずかしく、今の国鉄には買い手がつかないだろう。民営にしたらうまくゆくという保証もえられない」として退けています。また、官営に戻す案に対しても、「国鉄が企業体であることによる利益を放棄してしまうことになるとし、政府に対し、国鉄に公共企業体としての実を与えることを求めていました。

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組織改変論議と国鉄 第6話 産業計画会議の勧告

スレッド
新幹線産みの親、十河信二氏 画... 新幹線産みの親、十河信二氏
画像 wikipediaから引用
〈産業計画会議の勧告〉

公共企業体審議会答申からしばらく経った、昭和32年7月には、民間組織の産業計画会議が「国鉄民営化論」を発表、新聞社・評論家をあげて賛否両論が繰り広げられました。.

その際の勧告の要旨は以下のとおりです。

「Ⅰ 国鉄を特殊会社とし、その経営に完全な自主性を与えよ」
1.  現在の公社による国鉄経営には、運輸省、大蔵省、国会などからあまりにも制縛が多い。私鉄と体等の自主性を与え、経営者の経営責任を確立せよ。自主なきところに責任は存せず、責任なくしてはサービスの改善も能率の向上も行なわれえない。
2. お役所仕事の弊をなくすため、特殊会社制度とする。政府出資に若干の民間出資を加えて数個に分割し、政府(運輸大臣)監督は長期事業計画・運賃決定など重要事項と財務の審査にとどめる。私鉄に許されている程度の兼業も認める。
3. スト権を認め、労働関係を正常化する。

「Ⅱ 国鉄を分割経営せよ」
1. 経営単位が大きすぎて、中央の意思が末端までゆき届かない。日々、計数的に経営の実態を明らかに出来ない。
2. 事業経営の能率をあげ、サービスを改善するには、競争が必要だが、全国一本の国営的独占事業では、たと経営上の比較が出来ない。
3. 全国的なプール計算では、経営努力によって黒地となりうる路線の赤字に対しても、経営者は不感症となり、赤字路線の原因も責任も不明確となる。

 さらに産業計画会議は、ローカル線建設の廃止や、不採算路線の撤去、小駅の廃止、荷役機械化の促進、自動車業の兼営、動力近代化、全線複線化、原価主義の原則にたった合理的な新運賃体系の改革案など、具体的な資料をもとに提言されており、少なくとも昭和30年代には地方ローカル線の多くは、大きな荷物になるであろうことが予想されていたといえます。

全体の流れとしては、国鉄の分割民営も視野に入れて検討すべきではないかともとれる内容であったようです。
産業計画会議は、民営分割を一つの方向として示していましたが、これに対して国鉄あるいは批判的な評論家は以下のような理由で民営化を牽制しました。

1. 世界の鉄道は公共企業体奉仕への統合が進んでおり、民営化は時代に逆行していること。
2. 組織を分割すると、ラッシュ時などを中心として、能率的なダイヤ編成が出来ない。
3. 分割論の利点は支社制度の強化で実現できる。
4. いわゆる民営にしても、資本は国がみなければならず、形式的なものになる。

など、批判的な意見がありました、ただ、分割民営化に反対だが、政府の干渉をなくして、経営の自主性を持たせる点などは、概ね賛成の意向を示す人が多数いました。
 当時の産業計画会議には、十河国鉄総裁や、島技師長ら国鉄幹部もそのメンバーとして名を連ねており、民営分割という、当時としては刺激的な形を通じて、国鉄部内における問題点を露呈したのかもしれないという見方もあります。
 実際に、当時の国鉄では運賃の改定一つにしても国会の審議を経なくてはならず、国鉄労働者への賃金引上げも基本的には経営者側で決定できない状態に有ったのですから、会社を経営しているとはとてもいえない状態といえました。

下記に参考になる、産業計画会議の提言がありましたのでリンクを貼らせていただきます。

参考 http://criepi.denken.or.jp/ 電力中央研究所
http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_04.pdf
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