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労働運動と国鉄 第4話 2・1ゼネストの中止

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NHKでゼネスト中止宣言をする... NHKでゼネスト中止宣言をする伊井弥四郎委員長 wikioedia参照
戦前は、認められていなかった労働者の権利が労働組合法や、労働基本権を確立する労働基準法などが整備されるなかで労働組合運動は急速に発展しました。21年8月には、日本社会党系が中心となった、都道府県単位で結集した日本労働組合総同盟と、共産党が指導する21の産業別労働組合会議が発足したことは前述のとおりですが、その中で目立った行動をとっていたのは、共産党が運動の中心にあった産別会議です。産別会議は民間労組の賃上げや団体協約の締結等の要求を中心とする10月闘争を行いました。この戦いでは東芝を中心として行った電産労協が、電産型賃金と呼ばれる生活給を確保することに成功しています。
 この成功を受けて官公労組も10月闘争を組織していく事となりました。官公労で中心的存在だった国鉄総連合、全逓(現・JPUであるが。組織は全く別物と考えた方が良い。)、教職員組合等の諸組合は、全官公庁労組共同闘争委員会(以下、共闘委と略す)を結成しました。このときの委員長は国鉄総連合の伊井弥四郎でした。
 昭和22年年頭吉田首相は、ラジオの放送で「労働左派一部指導者を指して、「不逞の輩」と発言」、この発言が労働者の怒りを買うことなり、争議は賃金闘争から、政治闘争へと変容していきました。これを受けて社会党・共産党も内閣打倒の方針で組合の支援を決定。共闘委のゼネスト宣言拡大共闘委員会は、1月8日、2月1日午前零時に無期限スト突入と宣言しました。
 いわゆるゼネラルストライキと呼ばれるもので、官公労働者260万人を含む400万人と言う空前の規模のストとなるはずでした。1月22日、GHQ経済科学局マーカット少将は、「ストライキを実施しないよう警告。」理由は経済的要求でストを行うのは認めるが、政治的に結びつけることは認められず、占領目的に違反する行為であると言う理由からでした。しかし、共闘委はこれを勧告程度に受け止めていたためストの準備を進めていきました。
 1月30日になって、GHQは、口頭でゼネストの中止命令を発しましたが、これを拒否。さらに1月31日には再び文書で中止命令が出され、伊井共闘委員長はGHQの監視のもと、スト中止の全国放送を行い、「1歩前進、2歩後退」の名言を残し、ストはあっけなく中止となりました。
 このストの挫折は、労働運動にとっても大きな転機となりましたが、これによる成果も大きいものがありましたがこれについては項目を改めたいと思います。
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