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80歳で蘇る岩魚太郞の我が青春

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(写真はWebサイトより引用、... (写真はWebサイトより引用、画像の加工は岩魚太郞の作業)
Webウィキペディアより引用 ... Webウィキペディアより引用
監督:木下惠介 脚本:木下惠介 原作:木下惠介
出演者:高峰秀子 佐田啓二
(シナリオ会館Home Pag... (シナリオ会館Home Pageより切り取り引用)
第二期生:月/畳一畳¥1.000円。
3畳・¥3,000円。トイレ共同・炊事場:共同・机:ミカン箱。
鉛筆3本、消しゴム1個、国語辞典一冊。
懸命に勉強した!
リメーク版「喜びも悲しみも幾年... リメーク版「喜びも悲しみも幾年月」のシナリオ。
神保町で昔の恋人のような熱い気持ちでめぐり会った。
自称「シナリオ小説紙上映画館」... 自称「シナリオ小説紙上映画館」
Amazonでは「警視庁西新宿分署特捜班」検索

構想3年記述3年。 内容で勝負... 構想3年記述3年。
内容で勝負といきたいところだが、ボリューム?
ナルシシスト(自己陶酔型)?
古巣はこのようなに変わっていた... 古巣はこのようなに変わっていた。
岩魚太郞人生はシナリオ

自己紹介:私池内昭雄(岩魚太郞)1937年 (昭和12年 80歳)
人生の転機は誰しも数回ある。

■第一回目の転機
岩魚太郞(当時7歳))
松山大空襲は、太平洋戦争末期の1945年7月26日 私は体験した。
疎開した夜1945年7月2?(記憶にない)日、よそ者で防空壕に入れてもらえなかと母から聞いた。入ってたらこの写真のような状態になり、岩魚太郞の人生は7歳で終わっていた。

■第二回の転機
1957 喜びも悲しみも幾歳月  1958 楢山節考
この映画を三重県四日市の封切り館(新作映画の上映館・当時はそう呼んでいた)で見た事である。1957年 (昭和32年:岩太郎20歳)
翌年1958年: 楢山節考 も見た。岩魚太郞21歳)

■第三回の転機
初恋をした。彼女は夜行列車「伊勢那智号」に乗って東京に去った。
見事我が青春の淡い恋は失恋に終わった。
その時何故か、木下恵介の 喜びも悲しみも幾歳月 を思いだした。

■第四回の転機
失恋をバネに、誠に単純に、木下恵介のような「シナリオ作家」になりたいと思った。
当時の月刊映画雑誌「キネマ旬報」に、シナリオ研究所が開校したと言う記事を見た記憶がある。記憶は定かではない?
東京に出た。
シナリオ研究所第二期生夜間部を卒業した。
TVの台頭で映画産業が大不況、シナリオの才能もさることながら、東京で親からの仕送りもなく、食うこと(生きる)で、シナリオ作家の夢は、ものの見事に消滅した。

シナリオ研究所の、授業料稼ぎのアルバイトをしていた弱電零細企業で、食っていくために本腰を入れて仕事に励んだ。
電気の電の字も知らないど素人の私が、臨時雇用・正社員・班長・係長・課長・部長・300名の従業員を要する、福島工場、取締役工場長になった。

何故?取締役工場長にまで昇進した理由私なりに考えて見た。

その答えは、「シナリオ研究所」のシナリオ講座にあった。
シナリオ作家に挫折したが「シナリオ書く思考能力」であった。
「無から有(映像)を生む」
与えられた仕事の目的達成のために、380度の方向から思考した。
私はその思考方法を「シナリオ的思考」と、勝手に定義している。

私岩魚太郞65歳、東京神保町を通りかかったとき、映画関係専門の古本屋で、偶然見つけた本が、リメーク版「喜びも悲しみも幾年月」のシナリオであった。
著作:木下恵介(新潮社発刊)1986年(昭和61年発刊)¥320円の本を¥700円で購入した。
木下恵介(著者)のシナリオを読むのも勿論初めてある。 
1957年第一回作品を鑑賞してから29年目に神保町の古本屋で見つけた木下恵介著作のシナリオ!
何故か岩魚太郞の運命的な「魂」を感じた。

2004年1月岩魚太郞67歳、脳梗塞で倒れ、神に「言語障害」の罰を食らった。
文字は判読出来たが、カタカナとひらがな書けなかった。
PCのキーボード入力データも、完全に脳から消去されていた。
脳の消去データの復旧工事要した日数は365日を要した。
復旧工事の原動力となったのは、シナリオ研究所時代、青春の熱き思いと、神保町で偶然出会ったシナリオであった。

脳の復旧工事が完成してから13年間の80歳まで
Webサイト
1.「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」をUP
2.「岩魚を釣る本」
3.「女と男の人類学」
4.「刑事 朝霧恵子」
5.「警視庁西新宿分署 特捜班」(刑事 朝霧恵子の改版) Amazonで販売
上記2・3・4は:電子書セクサイト発刊(ブグログ) http://p.booklog.jp/users/hongoutarou

Amazonでは「警視庁西新宿分署特捜班」検索
神保町で購入した木下恵介のシナリオは、「ト書き」で「電話のベルが鳴る」と書かれていると、映画のシーンで「電話に応対している」写真が印刷されていた。
シナリオを読み慣れていない読者とっては、よりイメージが湧いて読みやすかった。
私は「これだ!」と思った。

「刑事 朝霧恵子」改版「警視庁西新宿分署・特捜班」も、木下恵介の写真掲載の手法を参考に、写真・イラスト・図・を多数取り入れ、「シナリオ小説紙上映画館」とした。

80歳の節目でAmazonに新着本と紹介された。

その節目で、古巣の「シナリオ研究所」を訪ねた。
木造建屋研究所が、8Fのビルに、研究所が「シナリオ会館」と変わっていた。
短い時間ではあったが、多忙な時間、80歳の老人(若者)に対応してくれた職員のY氏に感謝!

「80歳で蘇る岩魚太郞の我が青春」を、新作「シナリオ小説紙上映画館」を起草したい。

「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」 PDFで閲覧出来ます
http://iwana-yamame.sakura.ne.jp/

参考:木下恵介作品歴
---------
1943 花咲く港・ 生きてゐる孫六
1944 歓呼の町・ 陸軍
1946 大曾根家の朝・わが恋せし乙女
1947 結婚・不死鳥
1948 女・肖像・破戒
1949 お嬢さん乾杯・新釈四谷怪談(前・後編)・破れ太鼓
1950 婚約指環
1951 善魔・カルメン故郷に帰る・少年期・海の花火
1952 カルメン純情す
1953 日本の悲劇
1954 女の園・二十四の瞳
1955 遠い雲・野菊の如き君なりき
1956 夕やけ雲・太陽とバラ
1957 喜びも悲しみも幾歳月・風前の灯
1958 楢山節考・この天の虹
1959 風花・惜春鳥・今日もまたかくてありなん
1960 春の夢・笛吹川
1961 永遠の人
1962 今年の恋・二人で歩いた幾春秋
1963 歌え若人達・死闘の伝説
1964 香華(前・後編)
1967 なつかしき笛や太鼓
1976 スリランカの愛と別れ
1979 衝動殺人・息子よ
1980 父よ母よ!
1983 この子を残して
1986 新・喜びも悲しみも幾歳月
1988 父













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Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2017-05-18 10:28

喜びも悲しみも幾歳月 
子供のころ両親と見に行きましたが、
自分はディズニーの子供の映画を兄弟で見ました。
なんだか懐かしいですね・・・。

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岩魚太郎
岩魚太郎さんからコメント
投稿日 2017-05-18 21:57

古い古い老人の戯言です。
コメント頂いて恐縮です。

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