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「イエスとともにいたのだ」

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「イエスとともにいたのだ」

使徒の働き4章5節〜18節

「5,翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。
6,大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。
7,彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。
8,そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
9,私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
10,皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
11,『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
12,この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
13,彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。
14,そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。
15,彼らは二人に議場の外に出るように命じ、協議して言った。
16,「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。
17,しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」
18,そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。」





(序論)
私たちクリスチャンは外部の人達にどのような印象与えているか。
イエスと共にいたということをわからせるものだろうか。



⑴人に依拠するものでは無い


①無学な普通な人であったペテロとヨハネ(12)〜他者の彼らに対する認識

ラビ専門教育を受けたものでもないのに神殿において群衆を教え男の数で5,000人もの人々が信仰に入った。

彼らは誰特別な才能があるのではないガリラヤ出身の漁師である。


②自分の力とか信仰深さによるものではない(3:12)〜自らの認識

生まれつきの男を歩かせたと言う偉大な奇跡は、イエスの第一弟子として偉大な信仰があったからだと言う自負はなかった。



⑵単純、占有的な福音理解


①イエスの御名が男を立たせた(4:10、7)

それはイエスご自身がした御業であるとの宣唱だった。

「家を建てる者たちに捨てられた石が礎の石となった」
詩篇118:22にあるこの予言がイエスにおいて成就した。

②「この方以外には誰にあっても救いはない」とする占有された世界観。

それはこの世的には受け入れられなくても聖書的なものである。



⑶イエスの霊(聖霊)に満たされていた

①弟子たちに「大胆さ」(4:13)が与えられたのは2章冒頭にあるペンテコステの経験を経た後である。

その時にイエスと一体化し

そのからだなる教会に連なり

イエスの霊に満たされるものとされた。


②聖霊の満たしを継続するために

継続したメソジカルな宗教的営みがあった。

「ペテロとヨハネは午後3時の祈りの時間に宮に上っていった」(3:1)

新しく誕生した教会の群れは、

弟子たちからの教えを受け

交友をし

聖餐式を重んじ

祈りを共にしていた(2:42)


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