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なおも、ほめたたえる

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なおも、ほめたたえる



詩篇42篇5節

「わがたましいよ。なぜおまえはうなだれているのか。
私のうちで思い乱れているのか。
神を待ち望め。
私はなおも神をほめたたえる。
御顔の救いを」

私たちの日常生活には、
心がうなだれ、失望するようなことが時に起こります。

その時の対処法ですが、


⑴自分を知れ

そんな時まず大切なのは、

客観的にそして俯瞰的に

自らのその姿を正確に揃える事です。



「わがたましいよ。

なぜ、お前はうなだれているのか」



少し前の新改訳聖書では、
「なぜ
お前は絶望してるのか」とあります。



絶望している自分をまず知ることから
脱出への糸口が掴めます。


絶望している自分を否定すると

いよいよストレスがかさみ、

やがてはパニックとなり

良くない決断をしてしまって

さらなる傷口を広げることになりかねません。





⑵過去のデータベースを掘り起こせ




絶望して思い乱れている心であることを認めた上で


「神を待ち望め」と自らに問いかけています。


なぜならかつて神がどのように祝福し

祭りを喜びをもって祝い

栄誉と勝利を経験した基盤となる経験値があったのです。


「私は自分のうちで思い起こ

私のたましいを注ぎ出しています。

私が祭りを祝う群衆とともに喜びと感謝の声をあげて

あの群れと一緒に

神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを」

(42:4)





⑶人格との出会いがある 「私の救い、私の神を」



アブラハム・イサク・ヤコブの神は

イスラエルの歴史の中で出エジプトと言う

輝かしい奇跡を持って民を贖い救い出されました。


民族を救われた神は、

私たち一人一人と出会い

その窮状を知り

そこから引き上げてくださることができるお方です。









昨日の夜、長女から緊急連絡が入りました。

車のタイヤをパンクさせ

アルバイト先から帰れずに

スーパーの駐車場に車を乗り捨ててきたと言うのです。

翌日は私が学校まで送って行くことになったのは良いこととして

牽引トラックの手配

新しいタイヤの調達

保険を使うかどうかなど

面倒な懸案事項が湧き上がりました。



翌朝、彼女を起こそうとベッド脇で唸っている最中にも

電話が入りました。

すでに牽引トラックが現場に到着しているとの事。

予定より15分早いのですが

私がそこにいなければならないのです。


そんなことで私にもストレスがかさんでいました。

さらにその間に長男を朝食を食べさせ

彼の学校に送らねばならない。

ところがその途中、彼が携帯電話を忘れたため

家にまで引き返したりという

トラブルが重なりました。



こういったうなだれる、絶望する要因は

私たちの日常には事欠きません。


そんな自分を10メートル上空から客観的に把握することができたならば


心を憔悴させることから幾分か解放されて行きます。


必ず解決がある!


必ず脱出の道がある!


必ず勝利が待っている!


過去ののデータベースからそう確信できたら幸いです。

それは私自身に根拠あるのではなく


私を生かし

今も支えて下さっている方が

そばおられ、

必要な助けを与えて下さる事実から。




「私はなおも神ををほめたたえる。

私の救い、私の神を」(42:11)



結果的には

トラック会社がタイヤショップに車を牽引してくれ

長女も学校の授業に間に合い

すべては半日で解決してしまいました
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