記事検索

ぼくしのめがね

https://jp.bloguru.com/horizonjapanese

フリースペース

お正月を前に。。。

スレッド
今年は、ぜひ餅つきをしようと、... 今年は、ぜひ餅つきをしようと、餅つき器を借りてきました。
二台を回して、二回つきました。
つきたては美味しくて、みなさん... つきたては美味しくて、みなさんたくさん食べました。
たくさん作った大根おろしもほぼ完食。
あんこでは、あんころもちも作りました。
今日は、今年最後の土曜日

餅つき器を二台お借りして、餅つき会をしました。

突き立てのおもちは美味しいです。

あんこ、きなこ、のり、大根おろしなどを用意して食べました。

おもちは、すごくお腹がいっぱいになるんですね。。。

忘れていました。

で、つきすぎて、みんな家に持ち帰ることができました。

みなさん楽しまれて、なんだか、これから毎年恒例になりそうです。。。

今年は、いい年でした。

教会の皆さんも、神様の前に大きく成長する年になりましたし、

共に泣き、ともに笑う、愛の共同体として教会としても大きく成長できました。

洗礼者もたくさん与えられました。

いつも、何日もかけて準備していたイベントもみんなでばぱっと準備もできるようになりました。

なんだか、子供が成長していく頼もしさと寂しさの混じったような感情を覚えます。

これも、とってもいいことですね。

今年は、たくさんの祝福をいただいて、神様本当にありがとうございました。

私の学業も守られて、たくさん吸収させてもらっています。

みなさんも良いお年を!

ブログル仲間さんにはたくさん励ましていただいて、いつも感謝しています。



#もち #イベント #教会

ワオ!と言っているユーザー

東方の博士たちの贈り物

スレッド
今月のお誕生日祝いケーキ。カス... 今月のお誕生日祝いケーキ。カスタードイチゴケーキ。ふわふわしっとりの美味しい手作りケーキ。。。。毎回感動します!上には、イチゴゼリーになっています。しかも、金粉がちりばめられていますーー。ごーじゃーす 12月のお誕生日の人たちですー 12月のお誕生日の人たちですー 子供たちがろうそくを消そうとや... 子供たちがろうそくを消そうとやって来るので、彼らからの風をブロックしつつのmake a wish!
2017年12月24日クリスマス礼拝メッセージ


マタイ二章1-12

1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。」6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。8 そして、こう言って彼らをベツレヘムへ送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

★ 博士たちとは誰か?

星占い師、あるいは天文学者。不思議な星について調べていた人たち。その星の意味を知ろうと探求していた知識人たちだった。

★ 神を知らないすべての人へのメッセージ

彼らは、東の方から来たと書かれている。ユダヤや聖書の中では、東方というのは、罪を暗示する言葉であった。神や民の民に敵対する者たちの出どころである。いつも東から来た。神殿にしても東側というのは、罪を表していた。バベルの塔を建てた人たちも東から来た。でも、後の信仰の創始者、信仰の父と呼ばれるアブラハムだって東から出てきた。この全世界の救い主の誕生も、何も神を信じる人たちばかりに知らされたのではない。東の方にいる、神の選びの民ではない、占い師たちが不思議な星にであい、調べているうちにであったのです。キリストの誕生は、全人類のためのものです。あなたがどんなに罪深かろうと、どんなに偶像礼拝と占いの国から来ようと、見つけることができるお方がイエス・キリストなのです。

★ 博士たちの贈り物

素晴らしい救い主、特別なイエス様に彼らは贈り物を持ってきました。礼拝には、必ず贈り物がつきものだからです。黄金、没薬、乳香が捧げられました。

黄金は、王の象徴。非常に高価なもの。
乳香は、イエスの生涯の純粋さ、神性を象徴するもの
没薬は、本来、死んだ人を葬る時に使うもの、またこれは、イエスの苦難の生涯、特に十字架で私たちの罪の身代わりのために死なれることを象徴するものになりました。

後に、この時の贈り物があったおかげで、ヘロデに殺されそうな時に逃げ延びれたとも実際言われています。

クリスマスの時期、私たちも新たにイエス様と出会えるシーズンとなりますように。また、この救い主を礼拝するのに、私たちは何を差し出しましょうか。

博士たちは、不思議な星に導かれて、イエス様にたどり着きました。不思議にあかくぴかびか光る星です。

私も人生の中に、二度、不思議にひかる星のような神のしもべに出会いました。そして、イエス様に行きつきました。一度は、四歳の時、アパートの裏で小さな開拓伝道をしている牧師夫妻。小さな小さな教会でした。精神を病んでいる小さな私を抱きしめてくれました。その思い出は心に深く焼き付き離れませんでした。あの人たちは、キリストを信じている人だとずっと覚えていました。もう一人は英語を教えながら宣教にきた、若干21,2 才の宣教師でした。その人に出会って、信仰を持ちました。あなたも、東方から出てきたものですが、今や、世の光となっています。このクリスマスにますます誰かをイエス様に導くあかく光る星となれますように。。。

しばらく祈りましょう。
#クリスマス #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

クリスマス To be Chosen

スレッド
土曜日は、教会のファミリークリ... 土曜日は、教会のファミリークリスマスでした。皆さん、楽しくわきあいあい。ゲームやクッキー飾りを楽しみました。 教会員有志による、特別賛美 教会員有志による、特別賛美
2017年12月17日日曜日礼拝メッセージ音声は、


クリスマスのお話し https://www.youtube.com/watch?v=JyVXIvdTF20
クリスマスのお話しをご存じない方は、こちらをご参照ください。

クリスマスのために、イエス様のお誕生のために用いられた人たちは誰でしょう。マリヤ、ヨセフ、羊飼い、エリザベツなどなど、いろいろといますが、皆さん共通の特徴があります。それは、神様を受け入れる態度です。マリヤのお話しを見てみましょう。

ルカ一章26-38

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。37 神にとって不可能なことは一つもありません。」38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

★ 神の道と人の道は違う God’s ways are not human’s ways.

待ちに待った救い主の訪れは、こっそり、ある人たちに伝えられました。しかも、有名な人でもなく、権力を持つ人でもなく、普通の人たちのところに来ました。王様や、宗教学者のところに行ったらいっぺんで広まるけれど、神様のやり方は違ったのです。

人は、外見を見るけれども、神様は心を見られるとⅠサムエルにもある通りです。皆さん、よく覚えておきましょう。神の道と私たちの道は違うのです。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。 ・・主の御告げ。・・ 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」 旧約聖書 イザヤ書55章8~9節
“For My thoughts are not your thoughts, Nor are your ways My ways,” says the Lord. 9 “For as the heavens are higher than the earth, So are My ways higher than your ways, And My thoughts than your thoughts.

★恐れるな Do not be afraid.

けれども、その神様の良い知らせのために選ばれた普通の人たちは、戸惑いました。
神に選ばれた者たちに、等しく天使が言った言葉がある。それは、「恐れるな」です。
天使が言っていることは、信じがたいことであった。それは、自分の人生を大いに揺るがすことであったし、自分の力ではどうしても何も解決できるような種類のものでもなかった。

しかし、神は、「恐れるな」と天使に言わせた。
恐れの反対は? そう、信仰ですよね。恐れと信仰の間に距離がありました。それは、信仰をとれば、自分の人生を大きく変えるからです。
マリヤは、シングルマザーにならなければならなかったかもしれませんし、また、人に見つかれば、石打ちの刑で死んでいたかも知れません。信仰には、代価が伴うのです。

しかし、天使は、念押しの言葉を言っていますね。「神には、不可能なことはない。」と。

信仰には、自分の側のコスト、代価と、神の後押しの力が必要です。神には不可能なことはないと信じることが、信仰の本質であり、神はその信仰には必ず報いて下さいます。

★信仰はリスクを伴う Faith requires risk

〇アブラハムのお話Abraham’s case。。。。賜物セミナーでも出てきたお話しですね。

アブラハムは、やっと与えられた一人子を神にささげるように言われ、朝早く、その子イサクを連れて山に登りました。アブラハムはすでに神様と深い信頼関係がありました。二つ返事でした。あなたなら、どうしたでしょうか。大切な一人子を神にささげることができるでしょうか。子供を手放したり、誰かにあげたりすることなど、考えられるでしょうか。まして、この場合は、ほふって捧げるという意味だったのです。アブラハムは、神にはどんなことでもできる、ここだけは、分かっていました。神の約束、イサクから出てくる祝福の約束だって堅く信じていたのです。アブラハムは、自己の葛藤よりも、神の言葉を選びました。

神に言われたことをそのまま、受け入れることは、神を受け入れることでもある。
神をそのままで受け入れたのです。

彼が、子供を殺そうと手をかけようとした瞬間に、神がもうよい、分かった。と声をかけました。
そこには、捧げるのに完璧な動物が神によって備えらていました。神は、私たちの心を見ていらっしゃる。私たちが本来捧げるべきコストさえ、いけにえさえ、贖われるのです。

マリアも、ヨセフもその局面に立ちました。そして、神を取りました。
信仰を取るというときには、必ずしも、やさしいことばかりではありません、難しいことだってあります。しかし、いつも神は、喜んで神を心にお迎えする人の見方であります。

神は、子供のように素直な心で神を迎える人を探していらっしゃいます。あなたも、選ばれている者です。あなたは、神とともに生きる人生を恐れますか。それとも、何があっても、なんでもおできになる神を信頼しますか。神の言葉を受けとりますか。

★神の言葉を受け入れる姿勢 The posture that accept God’s word

「お言葉どおりに、この身になりますように」38 Then Mary said, “Behold the maidservant of the Lord! Let it be to me according to your word.” And the angel departed from her.とマリヤのように受け取りますか。
神は、子供のように、素直に、神をお迎えるする人を探しています。

★ぼくのところに来てください Please come to my place, Jesus!

次のお話は、私が若い時に、クリスチャン新聞か何かに乗っていて、ひどく感動したお話しです。クリスマスのお話しです。教会の降誕劇で、障害をもつ男の子が宿屋の役をもらいました。何度も練習して、セリフを覚えました。「すみませんねー、うちもいっぱんなんですよー。よそに行ってください。」本番が来ました。

イエス様がどんどん断られる。。。

最後の宿屋さん、断る、そして、馬小屋に。。が普通のお話だけど、。。。「いやーうちにもないのです。。。他に行ってください」と、マリアとヨセフが通り過ぎようとしたとき。。。

「イエス様、行かないで、ぼくのお家に泊まってください。」と泣き出した。
劇は、台無しになったどころか、みんなが神様を心にむかえる温かいクリスマスになりました。

〇選ばれたものとなるには、神を受け入れなければなれません。

イエス様は、王だけど、お生まれになる日に泊まるところがなかった。けれども、あなたを選んで、心に住み、あなたと一緒に神様の働きをしようと思っています。「ぼくのところに来てください。」の心で、神様の選びを受け取りませんか。

#クリスマス #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

祝福された感謝祭

スレッド
感謝祭には、欠かせないターキー... 感謝祭には、欠かせないターキーです。朝から仕込んで、四時半に食べ始めました ターキーの脚、大きいーーー!! ターキーの脚、大きいーーー!! たくさんのごちそう。何と、パイ... たくさんのごちそう。何と、パイは六つあったようです! こちらはデザートと、アパタイザ... こちらはデザートと、アパタイザーテーブル。。 若いお兄さん大好物の子供たちは... 若いお兄さん大好物の子供たちは、はしゃいでいたようです みなさんで、感謝なことを分かち... みなさんで、感謝なことを分かち合って、食事と笑いを分かち合った、素晴らしいひと時。この時こられたベルギー人の方は、また翌日の礼拝にも来られました。
感謝祭は、家族で集まる大切なホリデーです。

私たちは、いつも主人の家族に会いに行くので、
教会で何もできないことと、独身の方や、家族が遠くにいてお祝いができない、
ターキーが食べれない方々のことを思って、ずーーーっと気になっていました。

でも、今年は、教会員の方が、申し出てくださって、
家族が近くにいない人で、感謝祭ディナーを食べることになりました。

本当に、嬉しかったです。

私も、出かける前と、出かけた後によりましたが
本当に、喜びにあふれていて、感謝しました。

教会にたくさん、喜びと命が溢れていると思いました。

食事が終わっても、ずっと残っておしゃべりしたり、
みんなで一緒にお片付けしたりと、、、

感動、感動です。

来年もできたらいいなーー。

#感謝祭

ワオ!と言っているユーザー

ホセア十章

スレッド
子供たちプラス、一人大人のアー... 子供たちプラス、一人大人のアート。テーマは犬です。みんな上手ですし、みんな絵とともに、ストーリーを持っています。とてもクリエイティブ。また、どんな人も、インスピレーションを感じたときには、それにともなうストーリーを持っているんだと思い。。感動しました。 この犬は、おうちの中にいて、お... この犬は、おうちの中にいて、お客さんが来たので、うおーーんと言っているそうです。家は自宅で、犬は、お友達の犬らしいです。
2017年12月3日日曜日礼拝メッセージ音声は、



★剪定のないぶどうの木、テストのない人生

ホセア10:1-1

イスラエルは多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。多く実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし、その地が豊かになるにしたがって、それだけ多くの美しい石の柱を立てた。

良く茂った。。。。誰も剪定をすることのないぶどうの木。生い茂り、伸び広がり、実はもしかしたら短い間だけ、初めの年は、小さくてもたくさんつけれるのかもしれない。リサーチしてみたら、剪定してない木はろくなブドウができないと書いていました。また、伸びっぱなしのぶどうの木は病気にもなるそうで、どっちにしろ剪定なしでは木はだめになってしまうようです。

神は、愛しているものを懲らしめる。
へブル12:5-6
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

ダビデも、試練を通して学んだという。
詩篇119篇71節
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。It is good for me that I have been afflicted, That I may learn Your statutes.

イスラエルは、あまりのわがままさに、剪定されることもなくなり、ついに裁きがイスラエルに下っているということになります。。。。みなさん、神様の保護の中、剪定されるぐらい、なんですか。剪定の痛みは、裁きの痛みに比べたら小さなものです。

★二心

ホセア10:2-5
彼らの心は二心だ。今、彼らはその刑罰を受けなければならない。主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。3 今、彼らは言う。「私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう」と。4 彼らはむだ口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。だから、さばきは畑のうねの毒草のように生いでる。5 サマリヤの住民は、ベテ・アベンの子牛のためにおののく。その民はこのために喪に服し、偶像に仕える祭司たちもこのために喪に服する。彼らは、その栄光のために悲しもう。栄光が子牛から去ったからだ。

〇二心になってしまったイスラエル。。。

信仰は聞くことから始まる。。イスラエルは神の言葉を聞くことをやめてしまった。すなわち、他の神々のいうことを聞くようになってしまった。
最初の人、アダムとエバの堕落は、どこから入ったか。それは、神の声を聞くことよりも、サタンの声に聞いた、そしてその声に従った。=自分の人生を支配する権利はあなたにありますというもの。

人は、同時に二人の神に仕えられないとある。
マタイの福音書6章24節
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

両方の声を同時に聞いて従うということはあり得ない。

★王が取り去られ、偶像が取り去られる

王がいない…イスラエルの王は、次々に内部からの反抗で変わっていきます。人は、王がいないと嘆きますが、もともと心が分かれ悪魔に聞き従っている人には、恋焦がれている完璧に王に見えても、すぐにその王も取って変えられるようになります。私たちも、神にそぐわない、偶像化した自分の利益のための王を求めるなら、それは、やってきてはまた去り、落ち着くことがないでしょう。

子牛の栄光は消えてなくなる。…イスラエルは、ベン・エベン= 悪の家の子牛と書いてありますが、これは、有名なヤコブが天への架け橋を見た、べテル=神の家のことです。イスラエルが神に出会ったその場所を、彼らは、偶像の祭壇にしてしまっていたのです。なんということでしょうか。そして、その姦淫の罪のために、もう敵がやってきて、いくら子牛にすがっても、無駄である。栄光は取り去られた。裁きが来るということを、言っているのです。
偶像の栄光は、一時的なものであり、永遠ではありません。また、それが幻想であることを私たちは覚えておきましょう。

★今は、誠実を養う時

ホセア10:12-13
12 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。13 あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べていた。これはあなたが、自分の行いや、多くの勇士に拠り頼んだからだ。

神様は、真の天の父です。イスラエルのしてしまった罪と悔い改めない心の結果として裁きは来ますが、神様は、まだ、道を示していらっしゃいます。それは、人生心を入れ替えてやり直すことです。一つ一つ、神の前に正しいことをし、誠実に生きる。神の言葉を聞き、神の言葉に従って行動すること。これを勧めておられます。

一からこつこつ誠実の種を蒔いていくこと。これが、何よりの近道です。。毎日、神の言葉を頼りに生きること。神のみ言葉に従うことを私たちもしていきましょう。
#ホセア書 #旧約聖書 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

ホセア九章

スレッド
アメリカは、今週木曜日感謝祭で... アメリカは、今週木曜日感謝祭です。私たちの教会でも有志が集って感謝祭ディナーを食べることになりました。同じ建物で礼拝しているヒスパニック教会がみんなで今日感謝祭をしていました。大きな七面鳥です。あまりに大きくて写真を撮りました。 そして、ハム。右側。これも相当... そして、ハム。右側。これも相当大きいです。後ろのサラダボールは、とても大きくて、そうですね。。。。日本のたらいのようです。直径80センチくらいかな。すごいごちそうですーーーもちろん、それと南米料理がたくさんです。 日本人礼拝後、いろいろとおしゃ... 日本人礼拝後、いろいろとおしゃべりしたりなんかして遅くなってたら、なんと、私たちも感謝祭ディナーにご招待いただきました。えへっ。。。ちゃっかりいただいちゃいましたーー。
2017年11月19日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから、



続けてホセア書を読んでいます。このシリーズが終わると、「安息」シリーズを始めたいと思っています。そちらの方で何回もでてくると思いますが、人は、神様の栄光と喜びによって生きていると言っても過言ではありません。神様の栄光のエッセンスがその似姿である私たちのうちに秘められており、私たちが神の前に生きるときに喜びがあるのです。この喜びは、天国のお金、ご褒美でもあり、私たちの日々の生きる糧でもあります。みな、神を知っても知らずしても、何らかの喜びを探して生きているのです。

1. 喜び楽しむな No joy, no pleasure

ホセアHos 9:1-4
1 イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな。あなたは自分の神にそむいて姦淫をし、すべて麦打ち場で受ける姦淫の報酬を愛したからだ。2 麦打ち場も酒ぶねも彼らを養わない。新しいぶどう酒も欺く。3 彼らは主の地にとどまらず、エフライムはエジプトに帰り、アッシリヤで汚れた物を食べよう。4 彼らは主にぶどう酒を注がず、彼らのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中のパンのようで、すべてこれを食べる者は汚れた者になる。彼らのパンは彼ら自身のためだけであって、主の宮に持ち込むことはできない。

〇喜び楽しむな

麦打ち場、酒ぶねも、新しいぶどう酒も欺きである。本来、ルツ記でも読んだように、収穫後の麦打ち場は楽しいものであり、祭であり、お祝いでありました。ぶどう酒を作るワインプレスは楽しみでした。またぶどう酒は喜びの象徴でありました。しかし、アッシリアに移されてから、ますます偽の神々を礼拝していたイスラエルの民には、「姦淫の報酬を愛した」と書いてあるように、真の喜びではなく、自分勝手に頭で描いた喜びを追いかけてそれを楽しんでいるというのです。

よく、イエス様に出会う前の人生を、白黒テレビのようだったがイエス様に出会ってカラーになったように違う。と言い表したり、救われる前は、砂をかむような喜びだったが、今は、フルコースのごちそうを食べているような喜びだと表現する方があります。私も、例外ではありません。罪の中で、自分の思い描いた喜びを追いかけても、ひとっつも私を満足させるものはありませんでした。栄華を極めたソロモン王だってそう言っています。だから、若い日にあなたの創造主を知りなさいと彼は勧めました。その父、ダビデは、神に愛されている神の心近くを歩んだ人でしたが、罪を犯しました。その罪を犯して赦されるまでの日々の苦しみを詩編に書いています。

詩編Psalms38篇
v3 あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、私の罪のため私の骨には健全なところがありません。 6私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。7 私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。8 私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。

罪を持ったまま生きるのは、自分の頭では、自分の思い描いた喜びを追いかけてるようですが、本当はとてもストレスです。骨骨も干からびるほどの疲れ、体には炎症が起きている。何も完全でない。心がずっと乱れていると。。。

2. エジプトでのこらしめpunishment in Egypt

ホセアHos 9:5-9
5 あなたがたは例祭の日、主の祭りの日に何をしようとするのか。6 見よ。彼らが破壊をのがれても、エジプトは彼らを集め、モフが彼らを葬る。彼らの宝としている銀は、いらくさが勝ち取り、あざみが彼らの天幕に生える。7 刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルは知るがよい。預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ。これはあなたのひどい不義のため、ひどい憎しみのためである。8 エフライムの見張り人は、私の神とともにある。しかし、預言者は、すべての道にしかけるわなだ。彼の神の家には憎しみがある。9 彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。

〇エジプト--- エジプトとはメタファーとしての引用なのか、その後にバビロンがやって来ることについてなのかは定かではないですが、この世の象徴、そして、かつてエジプトで奴隷の身であったことから解放された身であるにも関わらず、またエジプトにやられるという屈辱を示している。モフ-- エジプトの首都

〇預言者--- 預言者は、イスラエルにとった耳障りのいいことを言わないので、狂ったものと言われていた。はっきりと、神からの警告を語り、神の御心を語っているのに、うっとおしいと感じる、言うことを聞かなかった。私の恩師は、「誉め言葉は悪魔からの言葉と思い、注意をありがたく聞きなさい」と言われました。私のような性格にはもう少し緩い方がいいのかもしれませんが、これには一理あります。

〇ギブアの日のように--- ギブアの日というのは、イスラエル人にとっては忘れることのできない残虐なことが起きた日です。士師記19-20章 レビ族一人が、ベニアミン族の人の家に泊まっている時に、その家のそばめが悪い男に死ぬまで乱暴されました。レビ人はこんなひどいことがあってはならないと死体を12に切り刻んで各部族に送ったという話しのことです。結局、ベニアミンの罪により、同国民が戦い、相手を滅ぼしそうになるという悲惨な結果になりました。その時の罪ほどに、イスラエルの罪は根深いというのです。。

3. 実りがない、子孫がない God sends barrenness

ホセアHos 9:10-14
10 わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。ところが彼らはバアル・ペオルへ行き、恥ずべきものに身をゆだね、彼らの愛している者と同じように、彼ら自身、忌むべきものとなった。11 エフライムの栄光は鳥のように飛び去り、もう産むことも、みごもることも、はらむこともない。12 たとい彼らが子を育てても、わたしはひとり残らずその子を失わせる。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。

〇イスラエルは神のブドウの木、実り期待されている木であった

イスラエルはよく神のブドウ畑とか、ブドウの木に例えられますが、ぶどうはぶどう酒を作る大切なフルーツで、喜びを表すものです。神は、どれほどに、イスラエルが神のために実を結び、そして美味しいぶどう酒のような喜びを神にもたらせ、互いに楽しみ喜ぶ関係を夢見ていたことでしょう。初なりのいちぢくとありますが、果物の木を植えたら実がなるのが待ち遠しいですね。初なりの実は、待ちに待った美味しい実です。神の御心は、産めよ増えよです。それは、神の栄光が増え広がり、地を覆うためです。それは、神の喜びが満ち溢れるからです。しかし、神の栄光の現れである性交が実りのないものとなる。私たちに与えられて委ねられている栄光から、栄光をもう産み出すことができなくなる、というのです。

みなさん、私たちの思いは、行動を産み、行動はその実を産むものです。私たちは、その人のならせる実を見て、いろいろと判断することができます。神様の好意、いつも証しがあるか、無いのか、あるいは、いつも平安と喜びがあるのかないのか。周りにいる人々が成長しているのか、救われてきているのかなどと、実を見ることで、信仰の在り方をも見ることができるのです。

4. さすらい人になる Becoming wanderers

ホセアHos 9:17

17 私の神は彼らを退ける。それは、彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは諸国の民のうちに、さすらい人となる。

イスラエルの民は、エジプトから四十年もかけて神と共に定住せず約束の地に行きました。神と共にいたので、昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれました。しかし、わが罪のために今度は、ほんとうのさすらい人になるのです。本当の迷子です。
神は、私たちを今日も美味しい実のなるぶどうの木とみておられ、実がなるのを楽しみにしておられます。罪から悔い改め、神に従いましょう。
#ホセア書 #旧約聖書 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

ホセア八章 

スレッド
Facebook AZAMI ... Facebook AZAMI さんの写真をお借りしました。うちの近所からみえる風景です。シアトルは、寒いですーー

2017年11月12日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから


ホセア8:1-14 誰に信頼するのか?

引き続き、ホセア書を読んでいます。毎週毎週ここのところは、神の裁きの言葉と憂いの言葉ばかりで、なんだかうんざりしてきます。みなさんもそうでしょうか。そう思うときに、それでも、まだ神は、忍耐して、イスラエルの民が立ち帰ることを待っている。裁きはあるが、それは、立ち直るための懲らしめであることも見ることができます。私たちならば、すぐに立ち去る、あきらめるようなことでも、神様は忍耐強く待つて下さっているということが分かります。

1. 角笛を口に当てよ Trumpet; Calling for War

v1-6
1 角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。2 彼らは、わたしに向かって、「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、3 イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。4 彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。彼らが断たれるために。5 サマリヤよ。わたしはあなたの子牛をはねつける。わたしはこれに向かって怒りを燃やす。彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。6 彼らはイスラエルの出。それは職人が造ったもの。それは神ではない。サマリヤの子牛は粉々に砕かれる。

〇角笛は、戦いのための Trumpet; Calling for War

 神は、戦いのための招集を呼び掛けています。角笛は、戦いのために人々に喚起を呼び掛けるものです。とうとう、アッシリヤが鷹のように襲ってくるというのです。
主の宮というのは、イスラエルのことであり、今や金の子牛のヤロブアムの宗教の宮と化した宮です。
民は、勝手に王を自分たちのために立てていました。しかし、王も助けることはできず、敵が来るというので、民は、「私の主、私は主を知っている」というというのです。。。
しかし金の子牛、イスラエルが拝んでいるにせの神は、粉々に壊されるというのです。

〇ファンタシーと自分の思い Fantasy & Your desire

想像力はイマジネーションは神様からの賜物。人は、心に思うことを行動に移すものです。
 人は、窮地に追い込まれると、必ずファンタシーを持ちます。辛さに直面し続けることが成因的に耐えられないからです。空想の世界に休みを見出すことは、自然なことです。しかし、本当の休みがファンタシーの中にはないのです。人は、自分の思いと願いと人間的な知恵によって実現しようと必死になります。イスラエルの民は、金の子牛にその思いを託したわけですが、人は、自分の神を作り出す。また、ここで神に指摘されているように、自分にとって神に導かれていない人間・リーダーについていく。神様に選ばれていない人についていく。神の導きでなく、自分が良かれと思う人についていく。。。ということが起きます。すべての根っこは、偶像礼拝です。

〇偶像礼拝は、恐れからくるマニピュレーションであります。恐れは信仰の反対。

偶像礼拝の反対は、信頼です。苦しみの中にあるとき、祈りの課題があるときに、何に信頼するのか、空想を持つとき、ビジョンを持つとき、願いを持つとき、計画を持つときに、その都度神を信頼しましょう。神に導かれていくことを選びましょう。前回話したように、神に導かれて行くことは、時には、全てを壊されることかもしれない。しかし、信頼しているならば、必ず勝利を見ることになるでしょう。

神は、本物ではないもの、神から来ていないもは、粉々にすると、ここでも語られていますね。

2. 裁きを受けるイスラエル Judgment on Israel

v7-10
7 彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ない。麦粉も作れない。たといできても、他国人がこれを食い尽くす。8 イスラエルはのみこまれた。今、彼らは諸国の民の間にあって、だれにも喜ばれない器のようだ。9 彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリヤへ上って行った。エフライムは愛の贈り物をした。10 彼らが諸国の民の間で物を贈っても、今、わたしは彼らを寄せ集める。しばらくすれば、彼らは王や首長たちの重荷を負わなくなるであろう。

〇風をまくようなもの、

すなわち、種をまいたら刈り取りができるが、彼らは、神にあって何も種をまかず、風を撒くようなものであった。すると、つむじ風が来て、全部滅ぼしてしまう。アッシリアのことを言っている。

〇誰にも喜ばれない器、ひとりぼっちの野ロバ。――

器もロバも、用いられるためにあります。誰にも喜ばれない器とは、何も入れることができない、使うことができない壊れた器のこと。器が伝えなければ、器の意味がない。ロバも、交通や労働の大切な人間のパートナー。一人ぼっちの野ロバとは、労働のための人の役に立つものではない。ということ。

本来イスラエルとは、神に選ばれた民であるから、世界中の国々、人々に神を指し示す、神を紹介する役目を持っていたはず。。。

私たちも「用いられる」とは、ということを考えてみると分かる。自己実現の道ではないのです。弘法筆を選ばず、という言葉がありますが、弘法さんはどんな筆を使っても素晴らしい作品を書かれる。あなたがどんな立派な筆か知らないが、書く人がへたっびなら、いい作品はできない。私たちを用いられるのは、神です。
神に用いていただかないのなら、いい実はならない、いい作品は出てこないのです。
自分という器を、神に差し出すことがなければ、いいものができないのです。

イスラエルは、自分のわがままと、繁栄を求め、偶像と人によりたのんだので、いいものができなかったのです。ここにも、誰に信頼するのか。。。と神さまに問われているようです。

3. 神はイスラエルの捧げものを受け取られない Unaccepted Sacrifice

v11-14
11 エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、これがかえって罪を犯すための祭壇となった。12 わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす。13 彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。彼らはエジプトに帰るであろう。14 イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。

〇祭壇は、神に捧げているようで、金の子牛に捧げていた。
 多くの祭壇を作ったが。。。真の神へのものではなかった。。。

〇神の言葉をないがしろにしている。――神の教えを持っていることは、イスラエル人の誇りであり特権であったのに、自分の心の赴くままに行動し、神の言葉を無視することとなった。

〇いけにえ、宗教行事は、いけにえの肉を食べる会と変化し、いけにえの意味は踏みにじられてしまった。

〇神の存在を忘れているイスラエルに安息はない。

神の存在を全てにおいて認める。信頼する。

箴言Proverbs 3:5, 6

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。rust in the Lord with all your heart, And lean not on your own understanding; 6 In all your ways acknowledge Him, And He shall direct your paths.


#ホセア書 #旧約聖書 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

ユダヤ教安息日体験

スレッド
大きなシナゴーグの天井はぐーー... 大きなシナゴーグの天井はぐーーーんと高く、空から星が落ちてくるような風になっています。すごく美しいです。ちゃんと写真が取れなかったのが残念 外は、こんな感じ。前の二人は1... 外は、こんな感じ。前の二人は180cm はあるとおもうので、どれだけ大きな建物か分かりますかね。。。天井が高ーーーいです。 会堂の前には、こんな感じで、メ... 会堂の前には、こんな感じで、メノーラなどのモチーフ、金色で豪華な感じです。。。大理石かなーー 小さいおヘや。真ん中の扉には、... 小さいおヘや。真ん中の扉には、聖書の巻物が入っています。途中で、ラビがじゃじゃーーん、という感じで開いて、巻物を取り出し、前の大きなテーブルに広げて読み上げます。 これは、安息日に使う、祈りや聖... これは、安息日に使う、祈りや聖書のみ言葉が
ヘブル語と、英語で書いてる本です。
聖書朗読には節がついていて歌いながら読みます。昔は、ニクドや句読点がなかったので、歌いながら読み方、区切り方を覚えて伝えたそうです。そのなごりだそう。。
みなさん、こんにちは

先週の土曜日には、素敵な体験をしました。

大学院の授業で、霊性と安息日というのを取っているのですが、
その授業の一環で、ユダヤ今日のシナゴーグを訪問することになりました。

シアトルのにあるシナゴーグは、とても豪華でした。1970年代に建ったようです。

大きな天井の高い会堂は、ステンドグラス風のモザイクの窓がとても印象的。
そして、いろんなところに、ダビデの星のモチーフ、メノーラ、モーセの十戒のタブレットなどのモチーフがほどこされています。

私たちは、小さいお部屋で、安息日の集いに参加しました。
ラビもとてもやさしく、みなさんもあたたかく迎えてくれました。

ユダヤ教は、もてなしの心が伝統ですが、本当にそれを肌で感じることができました。
おばあさんに、今日は、あなたたちと一緒にできてうれしかったよ。また来てね。と。

また、ラビもいろいろと私たちの質問に答えてくれました。

安息日の集いは、たくさんの祈りと、聖書の朗読、また聖書の内容のディスカッション、歌などがありました。
一時間ほどの集いのクライマックスは、聖書の巻物が現れ、それをラビがもって会衆の間を歩きます。
会衆は、お辞儀をしたり、キスをしたりして、神の言葉にたいする敬意を表します。

私の予想していたユダヤ教とは違っていまた。聖書の理解ももちろん、旧訳に関してですが、私たちに近いですし、神の言葉を愛する態度も素晴らしく、たくさん共感することがありました。

また、日本人としても、共感しました。
それは、集いの終わりにその日に亡くなった方々の名前を読み上げ、家族のために祈っていたことです。
ユダヤ教は、「記憶する」ことを大切にしていることは、旧約聖書を通して知っていましたが、死者に対しても、忘れない態度、というのは、非常に感動しましたし、何か、日本人にも通ずるあたたかい気持ちを感じました。

一つ、ラビから、優しく言われた言葉が、クリスチャンは、自分たちの教理の方が究極で優れていると思っていると思いますが、
そんなに素晴らしい教理なら、それに従って、よい行いをしてください。。。
と、

クリスチャンの国と言われている国ではありますが、アメリカに住んでいる悪は、底知れず、また、究極の資本主義、マテレアリズムは、強烈です。

「行いのない信仰は、死んでいる」という言葉が

新約聖書にもあります。

深く心に刻みました。

イエス様の究極の愛に従って、その教えの通りに生きるものでありたいと思った安息日の出来事でした。

いい体験をさせいただきました。

感謝しますーー

#ユダヤ教 #大学院 #安息日

ワオ!と言っているユーザー

ホセア七章

スレッド
今日は、英語の礼拝で子供たちの... 今日は、英語の礼拝で子供たちの表彰がありました。なんと、小さいねずみちゃんが、新約聖書のタイトルを全部そらで順番通りに言えました。みなさんの前で披露しました。すごいーーー。えらかったわー 日本人礼拝後は、エリックとブロ... 日本人礼拝後は、エリックとブロック遊び、男同志で遊ぶのはいいよねーーーって感じ。いろいろと作っていましたよ。エリック、ありがとう。 秋です。。。家の近所はこんな感... 秋です。。。家の近所はこんな感じです。
2017年10月29日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから。。。


今週も引き続きホセア書です。今週もイスラエルの罪とその結果についてと続いています。ホセア書のテーマをもう一度おさらいしておきたいと思います。預言者ホセアの言葉、ホセアの意味は、「主は救い」という意味です。また、彼自身が不誠実な自分の妻との間を神様に導かれて、何度も愛するようにしめされながら、並行して、神のイスラエルへの言葉を語っています。結婚関係に現されいる通りに、神と人との間のテーマは、契約に基づく愛であり、また、それに反してイスラエルのしていることは、姦淫であるというキーワードがありましたね。
さて、戦争になり、神に頼るのではなく、他国の王に頼るイスラエルの民、どうなるのでしょうか。

★主の癒しのあるところにカオスあり。

ホセア7:1 わたしがイスラエルをいやすとき、エフライムの不義と、サマリヤの悪とは、あらわにされる。彼らは偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。

一節では、神は、イスラエルを癒す時、と始まります。すなわち、神の御心は、神の民が癒されることです。私たちは、みな、神に従いたいと思っているのです。が、そうできない。それは、私たちのうちに霊的な病気があるからです。神の側では、それを癒したいというご意思がはっきりしていることを見ることがでます。また、できる、できないで裁かれるのではなく、できない理由を癒してあげようとする神の優しさを読み取ることができます。しかし、癒されるときには、私たちの不義と悪があらわにされなければならないというのです。癒されるためには、自分のありのままの姿が露呈されなければ、自分自身でさえも認めることができないのが、人の恥の仕組みであり、人の高慢、欺瞞であります。あなたは、神に癒していただきたいですか? 神の前に、あるいは、人の前にもありのままの姿をさらしてまでも、神の前に正しく生きて行きたいという、意思と覚悟があるでしょうか?

★中途半端は、ゼロと一緒

ホセア7:8-10 エフライムは国々の民の中に入り混じり、エフライムは生焼けのパン菓子となる。9 他国人が彼の力を食い尽くすが、彼はそれに気づかない。しらがが生えても、彼はそれに気づかない。10 イスラエルの高慢はその顔に現れ、彼らは、彼らの神、主に立ち返らず、こうなっても、主を尋ね求めない。

イスラエルとは、そもそも、神に選ばれた民であり、全世界が神と共にある彼らをみて、神を知るようになることが彼らの使命であり、特権でありました。しかし、今や、他国の民の中に入り交じり、神の民としてのなんの塩気も特徴もなく生きているというのです。新約にも、塩が塩気をなくしたらなんの意味がありましょう。という箇所がありますね。エフライムは生焼けのパンだと言われています。半分は焼けて半分はできてない。神の言葉を聞いても、従わない。神の民のようで、そうでない、中途半端な状態であるというのです。そして、何よりも、その生焼けのパンのようである自分自身の姿に気が付いてないとうのです。みなさん、自分の姿に気が付くというのは、簡単なことではないですよね。まず、他者がいないと、自分の姿に気が付くことができませんし、他者に反映している自分を受け入れてこそ、気づきになります。受け入れることも簡単ではありません。しかし、塩気を持つためには、半分神様に従い、半分自分の思いを通すということではできないのです。

★自ら罠にかかるナイーブさ

ホセア7:11-13
エフライムは、愚かで思慮のない鳩のようになった。彼らはエジプトを呼び立て、アッシリヤへ行く。12 彼らが行くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き落とし、その群れが騒々しくなるとき、わたしはこれを懲らす。13 ああ、彼らは。彼らは私から逃げ去ったからだ。彼らは踏みにじられよ。彼らはわたしにそむいたからだ。私は彼らを贖おうとするが彼らはわたしにまやかしを言う。

箴言16:1-3
人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。3 あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

愚かで思慮のない鳩のようだと言われた民は、大きな外国に頼ることが得策だと思い、そうするが、その大国は、敵国であり、飛んで火にいる夏の虫状態であることを盲目的に理解できないという状態でした。私たちも、自分の思いに頼ると、罠に陥ります。しかし、箴言にあるように、神に委ねるときに、私たちの道はゆるがないものになります。ある人が言いました、神に委ねるというこは、自分の計画、思い事、全部、ぽーんと神様の方に投げ捨てることです。自分の手元にも何にもない状態。私たちも神様に委ねることができるでしょうか。委ねるとは、それがたとえその通りにならなくても、取り去られても大丈夫という精神状態です。ある意味、計画に対しての自我の死です。

★この世の満たしにご注意

ホセア7:14
彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。彼らは、穀物と新しいぶどう酒のためには集まって来るが、わたしからは離れ去る。

人々は、食べるもの、すなわち、生活、新しいぶどう酒、一時的な喜びにひかれて行って、神に心から叫ばず、一時しのぎの満たしのために神から離れてるということです。私たちも、その点でよくよく考えなければなりません。イエス様も、マモンに仕えるか、主に仕えるか? 同時に二人の主人には仕えられないとおっしゃいました。

★的外れ

ホセア7:15-16わたしが訓戒し、わたしが彼らの腕を強くしたのに、彼らはわたしに対して悪事をたくらむ。16 彼らはむなしいものに立ち返る。彼らはたるんだ弓のようだ。彼らの首長たちは、神をののしったために、剣に倒れる。これはエジプトの国であざけりとなる。

最後に、イスラエルはたるんだ弓のようだといいます。どんなに的を得ようとしても、たるんだ弓では、的をまっすぐにいることはできません。的外れは、罪を表す言葉です。弓がたるんでいては、正しいことをしようとしても、必ず間違うのです。弓とは、なんでしようか。それは、神様との関係ではないでしょうか。癒す神が、今日、あなたの弓を正しくしてあげようと招いておられます。今日、神様に立ち返りましょう。


#ホセア書 #旧約聖書 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

秋のパンプキンパーティ

スレッド
パンプキン君のお話し中。 ぼこ... パンプキン君のお話し中。
ぼこんとへっこんだパンプキン君を、農夫さんが養子にすることを決めたところ。。。
パンプキン君のお話し中。 心の... パンプキン君のお話し中。
心の中の汚いものを取り除いているところ。。。
みなさんの作品。 数えると30... みなさんの作品。
数えると30以上の作品が並びました。。。私のお気に入りは、下の段の右から二つ目。。。。
作り主にそっくりでした。。。。笑
ろうそくを入れて、電気を消すと... ろうそくを入れて、電気を消すと。。。あらきれいーーーーー
去る10月14日に毎年恒例のパンプキンバーティを行いました。

なんと、63名の方々が集われました。

まだシアトルに来たばかりの家族、またもうすぐ帰られる家族など、

様々な方々がいらっしゃいました。

童心に帰って、無心に、パンプキンを彫り、パイを食べました。

毎年恒例の、パンプキン君のお話も、披露され

神様の福音の種もまかれました。

#イベント #秋

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり