今年は、ぜひ餅つきをしようと、餅つき器を借りてきました。
二台を回して、二回つきました。
つきたては美味しくて、みなさんたくさん食べました。
たくさん作った大根おろしもほぼ完食。
あんこでは、あんころもちも作りました。
今日は、今年最後の土曜日
餅つき器を二台お借りして、餅つき会をしました。
突き立てのおもちは美味しいです。
あんこ、きなこ、のり、大根おろしなどを用意して食べました。
おもちは、すごくお腹がいっぱいになるんですね。。。
忘れていました。
で、つきすぎて、みんな家に持ち帰ることができました。
みなさん楽しまれて、なんだか、これから毎年恒例になりそうです。。。
今年は、いい年でした。
教会の皆さんも、神様の前に大きく成長する年になりましたし、
共に泣き、ともに笑う、愛の共同体として教会としても大きく成長できました。
洗礼者もたくさん与えられました。
いつも、何日もかけて準備していたイベントもみんなでばぱっと準備もできるようになりました。
なんだか、子供が成長していく頼もしさと寂しさの混じったような感情を覚えます。
これも、とってもいいことですね。
今年は、たくさんの祝福をいただいて、神様本当にありがとうございました。
私の学業も守られて、たくさん吸収させてもらっています。
みなさんも良いお年を!
ブログル仲間さんにはたくさん励ましていただいて、いつも感謝しています。
ぼ
土曜日は、教会のファミリークリスマスでした。皆さん、楽しくわきあいあい。ゲームやクッキー飾りを楽しみました。
教会員有志による、特別賛美
2017年12月17日日曜日礼拝メッセージ音声は、
VIDEO
クリスマスのお話し https://www.youtube.com/watch?v=JyVXIvdTF20
クリスマスのお話しをご存じない方は、こちらをご参照ください。
クリスマスのために、イエス様のお誕生のために用いられた人たちは誰でしょう。マリヤ、ヨセフ、羊飼い、エリザベツなどなど、いろいろといますが、皆さん共通の特徴があります。それは、神様を受け入れる態度です。マリヤのお話しを見てみましょう。
ルカ一章26-38
ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。37 神にとって不可能なことは一つもありません。」38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★ 神の道と人の道は違う God’s ways are not human’s ways.
待ちに待った救い主の訪れは、こっそり、ある人たちに伝えられました。しかも、有名な人でもなく、権力を持つ人でもなく、普通の人たちのところに来ました。王様や、宗教学者のところに行ったらいっぺんで広まるけれど、神様のやり方は違ったのです。
人は、外見を見るけれども、神様は心を見られるとⅠサムエルにもある通りです。皆さん、よく覚えておきましょう。神の道と私たちの道は違うのです。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。 ・・主の御告げ。・・ 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」 旧約聖書 イザヤ書55章8~9節
“For My thoughts are not your thoughts, Nor are your ways My ways,” says the Lord. 9 “For as the heavens are higher than the earth, So are My ways higher than your ways, And My thoughts than your thoughts.
★恐れるな Do not be afraid.
けれども、その神様の良い知らせのために選ばれた普通の人たちは、戸惑いました。
神に選ばれた者たちに、等しく天使が言った言葉がある。それは、「恐れるな」です。
天使が言っていることは、信じがたいことであった。それは、自分の人生を大いに揺るがすことであったし、自分の力ではどうしても何も解決できるような種類のものでもなかった。
しかし、神は、「恐れるな」と天使に言わせた。
恐れの反対は? そう、信仰ですよね。恐れと信仰の間に距離がありました。それは、信仰をとれば、自分の人生を大きく変えるからです。
マリヤは、シングルマザーにならなければならなかったかもしれませんし、また、人に見つかれば、石打ちの刑で死んでいたかも知れません。信仰には、代価が伴うのです。
しかし、天使は、念押しの言葉を言っていますね。「神には、不可能なことはない。」と。
信仰には、自分の側のコスト、代価と、神の後押しの力が必要です。神には不可能なことはないと信じることが、信仰の本質であり、神はその信仰には必ず報いて下さいます。
★信仰はリスクを伴う Faith requires risk
〇アブラハムのお話Abraham’s case。。。。賜物セミナーでも出てきたお話しですね。
アブラハムは、やっと与えられた一人子を神にささげるように言われ、朝早く、その子イサクを連れて山に登りました。アブラハムはすでに神様と深い信頼関係がありました。二つ返事でした。あなたなら、どうしたでしょうか。大切な一人子を神にささげることができるでしょうか。子供を手放したり、誰かにあげたりすることなど、考えられるでしょうか。まして、この場合は、ほふって捧げるという意味だったのです。アブラハムは、神にはどんなことでもできる、ここだけは、分かっていました。神の約束、イサクから出てくる祝福の約束だって堅く信じていたのです。アブラハムは、自己の葛藤よりも、神の言葉を選びました。
神に言われたことをそのまま、受け入れることは、神を受け入れることでもある。
神をそのままで受け入れたのです。
彼が、子供を殺そうと手をかけようとした瞬間に、神がもうよい、分かった。と声をかけました。
そこには、捧げるのに完璧な動物が神によって備えらていました。神は、私たちの心を見ていらっしゃる。私たちが本来捧げるべきコストさえ、いけにえさえ、贖われるのです。
マリアも、ヨセフもその局面に立ちました。そして、神を取りました。
信仰を取るというときには、必ずしも、やさしいことばかりではありません、難しいことだってあります。しかし、いつも神は、喜んで神を心にお迎えする人の見方であります。
神は、子供のように素直な心で神を迎える人を探していらっしゃいます。あなたも、選ばれている者です。あなたは、神とともに生きる人生を恐れますか。それとも、何があっても、なんでもおできになる神を信頼しますか。神の言葉を受けとりますか。
★神の言葉を受け入れる姿勢 The posture that accept God’s word
「お言葉どおりに、この身になりますように」38 Then Mary said, “Behold the maidservant of the Lord! Let it be to me according to your word.” And the angel departed from her.とマリヤのように受け取りますか。
神は、子供のように、素直に、神をお迎えるする人を探しています。
★ぼくのところに来てください Please come to my place, Jesus!
次のお話は、私が若い時に、クリスチャン新聞か何かに乗っていて、ひどく感動したお話しです。クリスマスのお話しです。教会の降誕劇で、障害をもつ男の子が宿屋の役をもらいました。何度も練習して、セリフを覚えました。「すみませんねー、うちもいっぱんなんですよー。よそに行ってください。」本番が来ました。
イエス様がどんどん断られる。。。
最後の宿屋さん、断る、そして、馬小屋に。。が普通のお話だけど、。。。「いやーうちにもないのです。。。他に行ってください」と、マリアとヨセフが通り過ぎようとしたとき。。。
「イエス様、行かないで、ぼくのお家に泊まってください。」と泣き出した。
劇は、台無しになったどころか、みんなが神様を心にむかえる温かいクリスマスになりました。
〇選ばれたものとなるには、神を受け入れなければなれません。
イエス様は、王だけど、お生まれになる日に泊まるところがなかった。けれども、あなたを選んで、心に住み、あなたと一緒に神様の働きをしようと思っています。「ぼくのところに来てください。」の心で、神様の選びを受け取りませんか。
子供たちプラス、一人大人のアート。テーマは犬です。みんな上手ですし、みんな絵とともに、ストーリーを持っています。とてもクリエイティブ。また、どんな人も、インスピレーションを感じたときには、それにともなうストーリーを持っているんだと思い。。感動しました。
この犬は、おうちの中にいて、お客さんが来たので、うおーーんと言っているそうです。家は自宅で、犬は、お友達の犬らしいです。
2017年12月3日日曜日礼拝メッセージ音声は、
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★剪定のないぶどうの木、テストのない人生
ホセア10:1-1
イスラエルは多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。多く実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし、その地が豊かになるにしたがって、それだけ多くの美しい石の柱を立てた。
良く茂った。。。。誰も剪定をすることのないぶどうの木。生い茂り、伸び広がり、実はもしかしたら短い間だけ、初めの年は、小さくてもたくさんつけれるのかもしれない。リサーチしてみたら、剪定してない木はろくなブドウができないと書いていました。また、伸びっぱなしのぶどうの木は病気にもなるそうで、どっちにしろ剪定なしでは木はだめになってしまうようです。
神は、愛しているものを懲らしめる。
へブル12:5-6
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
ダビデも、試練を通して学んだという。
詩篇119篇71節
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。It is good for me that I have been afflicted, That I may learn Your statutes.
イスラエルは、あまりのわがままさに、剪定されることもなくなり、ついに裁きがイスラエルに下っているということになります。。。。みなさん、神様の保護の中、剪定されるぐらい、なんですか。剪定の痛みは、裁きの痛みに比べたら小さなものです。
★二心
ホセア10:2-5
彼らの心は二心だ。今、彼らはその刑罰を受けなければならない。主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。3 今、彼らは言う。「私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう」と。4 彼らはむだ口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。だから、さばきは畑のうねの毒草のように生いでる。5 サマリヤの住民は、ベテ・アベンの子牛のためにおののく。その民はこのために喪に服し、偶像に仕える祭司たちもこのために喪に服する。彼らは、その栄光のために悲しもう。栄光が子牛から去ったからだ。
〇二心になってしまったイスラエル。。。
信仰は聞くことから始まる。。イスラエルは神の言葉を聞くことをやめてしまった。すなわち、他の神々のいうことを聞くようになってしまった。
最初の人、アダムとエバの堕落は、どこから入ったか。それは、神の声を聞くことよりも、サタンの声に聞いた、そしてその声に従った。=自分の人生を支配する権利はあなたにありますというもの。
人は、同時に二人の神に仕えられないとある。
マタイの福音書6章24節
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
両方の声を同時に聞いて従うということはあり得ない。
★王が取り去られ、偶像が取り去られる
王がいない…イスラエルの王は、次々に内部からの反抗で変わっていきます。人は、王がいないと嘆きますが、もともと心が分かれ悪魔に聞き従っている人には、恋焦がれている完璧に王に見えても、すぐにその王も取って変えられるようになります。私たちも、神にそぐわない、偶像化した自分の利益のための王を求めるなら、それは、やってきてはまた去り、落ち着くことがないでしょう。
子牛の栄光は消えてなくなる。…イスラエルは、ベン・エベン= 悪の家の子牛と書いてありますが、これは、有名なヤコブが天への架け橋を見た、べテル=神の家のことです。イスラエルが神に出会ったその場所を、彼らは、偶像の祭壇にしてしまっていたのです。なんということでしょうか。そして、その姦淫の罪のために、もう敵がやってきて、いくら子牛にすがっても、無駄である。栄光は取り去られた。裁きが来るということを、言っているのです。
偶像の栄光は、一時的なものであり、永遠ではありません。また、それが幻想であることを私たちは覚えておきましょう。
★今は、誠実を養う時
ホセア10:12-13
12 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。13 あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べていた。これはあなたが、自分の行いや、多くの勇士に拠り頼んだからだ。
神様は、真の天の父です。イスラエルのしてしまった罪と悔い改めない心の結果として裁きは来ますが、神様は、まだ、道を示していらっしゃいます。それは、人生心を入れ替えてやり直すことです。一つ一つ、神の前に正しいことをし、誠実に生きる。神の言葉を聞き、神の言葉に従って行動すること。これを勧めておられます。
一からこつこつ誠実の種を蒔いていくこと。これが、何よりの近道です。。毎日、神の言葉を頼りに生きること。神のみ言葉に従うことを私たちもしていきましょう。
Facebook AZAMI さんの写真をお借りしました。うちの近所からみえる風景です。シアトルは、寒いですーー
2017年11月12日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから
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ホセア8:1-14 誰に信頼するのか?
引き続き、ホセア書を読んでいます。毎週毎週ここのところは、神の裁きの言葉と憂いの言葉ばかりで、なんだかうんざりしてきます。みなさんもそうでしょうか。そう思うときに、それでも、まだ神は、忍耐して、イスラエルの民が立ち帰ることを待っている。裁きはあるが、それは、立ち直るための懲らしめであることも見ることができます。私たちならば、すぐに立ち去る、あきらめるようなことでも、神様は忍耐強く待つて下さっているということが分かります。
1. 角笛を口に当てよ Trumpet; Calling for War
v1-6
1 角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。2 彼らは、わたしに向かって、「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、3 イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。4 彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。彼らが断たれるために。5 サマリヤよ。わたしはあなたの子牛をはねつける。わたしはこれに向かって怒りを燃やす。彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。6 彼らはイスラエルの出。それは職人が造ったもの。それは神ではない。サマリヤの子牛は粉々に砕かれる。
〇角笛は、戦いのための Trumpet; Calling for War
神は、戦いのための招集を呼び掛けています。角笛は、戦いのために人々に喚起を呼び掛けるものです。とうとう、アッシリヤが鷹のように襲ってくるというのです。
主の宮というのは、イスラエルのことであり、今や金の子牛のヤロブアムの宗教の宮と化した宮です。
民は、勝手に王を自分たちのために立てていました。しかし、王も助けることはできず、敵が来るというので、民は、「私の主、私は主を知っている」というというのです。。。
しかし金の子牛、イスラエルが拝んでいるにせの神は、粉々に壊されるというのです。
〇ファンタシーと自分の思い Fantasy & Your desire
想像力はイマジネーションは神様からの賜物。人は、心に思うことを行動に移すものです。
人は、窮地に追い込まれると、必ずファンタシーを持ちます。辛さに直面し続けることが成因的に耐えられないからです。空想の世界に休みを見出すことは、自然なことです。しかし、本当の休みがファンタシーの中にはないのです。人は、自分の思いと願いと人間的な知恵によって実現しようと必死になります。イスラエルの民は、金の子牛にその思いを託したわけですが、人は、自分の神を作り出す。また、ここで神に指摘されているように、自分にとって神に導かれていない人間・リーダーについていく。神様に選ばれていない人についていく。神の導きでなく、自分が良かれと思う人についていく。。。ということが起きます。すべての根っこは、偶像礼拝です。
〇偶像礼拝は、恐れからくるマニピュレーションであります。恐れは信仰の反対。
偶像礼拝の反対は、信頼です。苦しみの中にあるとき、祈りの課題があるときに、何に信頼するのか、空想を持つとき、ビジョンを持つとき、願いを持つとき、計画を持つときに、その都度神を信頼しましょう。神に導かれていくことを選びましょう。前回話したように、神に導かれて行くことは、時には、全てを壊されることかもしれない。しかし、信頼しているならば、必ず勝利を見ることになるでしょう。
神は、本物ではないもの、神から来ていないもは、粉々にすると、ここでも語られていますね。
2. 裁きを受けるイスラエル Judgment on Israel
v7-10
7 彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ない。麦粉も作れない。たといできても、他国人がこれを食い尽くす。8 イスラエルはのみこまれた。今、彼らは諸国の民の間にあって、だれにも喜ばれない器のようだ。9 彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリヤへ上って行った。エフライムは愛の贈り物をした。10 彼らが諸国の民の間で物を贈っても、今、わたしは彼らを寄せ集める。しばらくすれば、彼らは王や首長たちの重荷を負わなくなるであろう。
〇風をまくようなもの、
すなわち、種をまいたら刈り取りができるが、彼らは、神にあって何も種をまかず、風を撒くようなものであった。すると、つむじ風が来て、全部滅ぼしてしまう。アッシリアのことを言っている。
〇誰にも喜ばれない器、ひとりぼっちの野ロバ。――
器もロバも、用いられるためにあります。誰にも喜ばれない器とは、何も入れることができない、使うことができない壊れた器のこと。器が伝えなければ、器の意味がない。ロバも、交通や労働の大切な人間のパートナー。一人ぼっちの野ロバとは、労働のための人の役に立つものではない。ということ。
本来イスラエルとは、神に選ばれた民であるから、世界中の国々、人々に神を指し示す、神を紹介する役目を持っていたはず。。。
私たちも「用いられる」とは、ということを考えてみると分かる。自己実現の道ではないのです。弘法筆を選ばず、という言葉がありますが、弘法さんはどんな筆を使っても素晴らしい作品を書かれる。あなたがどんな立派な筆か知らないが、書く人がへたっびなら、いい作品はできない。私たちを用いられるのは、神です。
神に用いていただかないのなら、いい実はならない、いい作品は出てこないのです。
自分という器を、神に差し出すことがなければ、いいものができないのです。
イスラエルは、自分のわがままと、繁栄を求め、偶像と人によりたのんだので、いいものができなかったのです。ここにも、誰に信頼するのか。。。と神さまに問われているようです。
3. 神はイスラエルの捧げものを受け取られない Unaccepted Sacrifice
v11-14
11 エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、これがかえって罪を犯すための祭壇となった。12 わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす。13 彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。彼らはエジプトに帰るであろう。14 イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。
〇祭壇は、神に捧げているようで、金の子牛に捧げていた。
多くの祭壇を作ったが。。。真の神へのものではなかった。。。
〇神の言葉をないがしろにしている。――神の教えを持っていることは、イスラエル人の誇りであり特権であったのに、自分の心の赴くままに行動し、神の言葉を無視することとなった。
〇いけにえ、宗教行事は、いけにえの肉を食べる会と変化し、いけにえの意味は踏みにじられてしまった。
〇神の存在を忘れているイスラエルに安息はない。
神の存在を全てにおいて認める。信頼する。
箴言Proverbs 3:5, 6
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。rust in the Lord with all your heart, And lean not on your own understanding; 6 In all your ways acknowledge Him, And He shall direct your paths.
ぼ
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