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日本に行っていました 秋田

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お友達が、東大でひきこもりの研... お友達が、東大でひきこもりの研究をしています。彼女は神様に送られた宣教師でもあります。
秋田大学で、教えながら、ひきこもりの回復支援をされています。訪問して学んできましたー
到着すると、お友達のロザリンが... 到着すると、お友達のロザリンが、手作りのシナモンブレッドとコーヒーを出してくれました。ミント味で美味しかったです。 エリックもご満足の様子 エリックもご満足の様子 みんなでアートセラピー この日... みんなでアートセラピー
この日は、アメリカカルフォルニアのサドルバック教会に行かれてる姉妹も来られていて、その方が指導されました。
みなさんの作品。。。。 みなさんの作品。。。。 秋田には素敵な砂浜があります。... 秋田には素敵な砂浜があります。電車に乗って見に行きました。秋田駅から、30分くらいかなー? でも、一時間半に一本しかなくって、帰りに一本のがしたので、合計三時間電車待ちをしました。蚊に刺されるわ、暑いわ。。。。 きれいな海です。。。海水は温か... きれいな海です。。。海水は温かかったです。
日本海は、荒波のイメージがあったんですが、すごく穏やかでした。秋田は、本当に、おもてなしがすごくて、いいところでした。どこに行っても、レストランでも、余計にサービスしてくれました!!! すごいーー


秋田には、友人宣教師をたずねて。。。
友達のロザリンは長い間ひきこもり人口ために仕えています。
とても愛のある働きをされていて、
メンタルヘルスのことを話しても、教会のことを話しても、
話しがぴったっと合いました。
お互い、10年ほどの間、会わなかったけれど
様々な経験をして、同じ結論にたどり着いた感じです。

良い友達に出会えて、感謝です。
また秋田には行くと思います。

素敵な場所でした。
美して、人も優しくて、とても気前が良くて。。。。

東京から二時間半でいけますよ。ぜひ、みなさんも行かれてください。

ひひこもりカフェ
の詳しいことはこちらから
http://h4j-hikikomori.blogspot.com/p/blog-page_29.html

#日本旅行

ワオ!と言っているユーザー

イエス様の道➄気前の良さ Generosity

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土曜日は、私の通っている学校の... 土曜日は、私の通っている学校の卒業式がありました。私のメジャーは三年間のですが、同時期に入学した仲間で、二年コースの方々が卒業しました。とても感慨深いものがありました。私も、あと一年で卒業かーーー。しんどかったなー毎日。来年もしんどそーやなー。。。って。So proud of the grads!
2018年6月24日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


マルコ14:3-9
イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

今日はイエス様の道シリーズ第五弾ということで、神の国、イエス様の法則をまた学んでみたいと思います。
この世の中は、物を買ったり売ったりすることで成り立っています。神の国はどうかと言うと、与えることと、受け取ることでなりたっています。Buying & Selling vs Giving & Receiving

この箇所でも、イエス様は、らい病人シモンの家を訪問し、神の愛、そしてあらゆる意味での癒しを与えておられました。しかも、もうイエス様は、いつとらえられてころされるか分からない、危険な時にでも、与えて折られたのです。

今日は、また、ナルドの香油をイエス様に与えた女性のお話しです。
今日読んだ最後に、このような言葉がありました。「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」wherever this gospel is preached in the whole world, what this woman has done will also be told as a memorial to her.

★この世の尺度とは違う

この女性のしたことは、イエス様の救いの良い知らせである福音とは切っても切り離せないこととなりました。イエス様に大変誉められただけではなく、世界中で語られるほどすばらしいことをしたというのです。
私たちは、立派なことをした人は、きつと立派で社会的にも成功していて、特別賢かったり、賞賛されるような人なんだろうと思うことでしょう。
しかし、今日のお話しは、まさか、この人が神様を喜ばせることはできないだろう人々が思うような、二人の人物が中心になっているのです。このシーンの舞台となっている家は、らい病人シモンの家です。らい病人というのは、当時の社会の敗者であり、どうしてもそこから這い上がることはできない立場でした。また、この名も記されていない女性は、イエス様に七つの悪霊を追い出された売春婦だとも言われていたり、またベタニヤのマリアであるとも言われています。いずれにしても、女性というのは、当時まったく身分の無い存在でしたから、まさか、この人が偉大なことをするとは考えられないことだったのです。

イエス様は、うわべや、社会的位置のある人だけに目を留めているのではありません。たとえあなたが、人生のどん底にいようと、過去の悪い選択によって今の状況が悪くても、イエス様はあなたを一人の人として尊重し、そして心の内側を見ておられるのです。聖書に、「人はうわべを見るが、神はその心を見られる」People look at the outward appearance, but the LORD looks at the heart.と書かれています。

★女の贈り物

この女性の内側には、何があったのでしょうか。人は、誰かに贈り物をする時に、その人の本当の気持ちがわかるものです。どれだけ心がこもっているか。値段でも表されるし、内容でも、その人の欲しかったもの、好きなものをよく注意してビンポイントで上げるととっても喜ばれる、また、時間をかけて手作りのものも、また、心のこもった手がみでも。それを見たら、その人の心が分かるのです。

◎ なぜその時、それをしたのか

この女性がなぜこのようなことをしたのかは、はっきり書かれてはいません。しかし、イエス様はりっぱだと誉められました。イエス様がりっぱだと誉められた人は、あまりいませんでした。百人隊長とカナン人の女くらいだった。弟子たちでさえ、イエス様が近々死なれることを分かりませんでした。この女は、頭で分かってたのか分かりません。しかし、「今、この時、これをイエス様にあげよう」と思ったのです。イエス様は、「埋葬の用意にしてくれたのだ」と言われました。というのも、実際、イエス様が墓に入れられるときに、きっちり油をぬったり、日本でも体をきれいにしたり綿をつめたり、白い着物、死に化粧などしますが、安息日にかかるので、誰もそんなことをしてくれる人がなかったからです。
なぜ、その時、その場所で、その人なのか。私たちは、そこを疑ったり、責めたりすることがあります。なぜ、あの人だけ? なぜ、あそこではそうなのか? などと。私たちにカイロス、神の時にアーメンと同意する信仰がないならば、私たちに何もわからないのです。カイロスが分からないなら、ここに出てくる弟子のような反応をするでしょう。

◎ 300 デナリの香油

この女の贈り物は、300デナリするものでした。一年分の給料に等しい物でした。もしかしたら、女には当時財産なんかないですから、嫁入りのための貯金だったのかも知れないし、全財産だったかも知れません。こんなに高額なものを手放したら、もう何もなくなってしまうものだったでしょう。しかし、彼女にとっては、そんなものよりも、イエス様の方がずっと価値があったのです。すべてを失っても、イエス様に何かしてあげたくて、しかも、するのだったら最高のものを、「自分にできることを」とありますが、自分にできるありったけを捧げたのです。

◎ 壺を割った

彼女は、香油をイエス様に注ぐために、わざわざ壺を割って、全てを注ぎ切りました。この香油は、とても高価なもので、少しでもずいぶん香るものです。ですから、この壺は、アラバスターと言って、一滴づつしか出ないような構造になっていました。彼女は、割ったのです。これは、彼女の心を表しています。心が頑なだという言葉がありますが、頑なな心は、中に聖霊様がいらっしゃっても、心の壁が厚すぎて、外から良い物も入らないし、中から良いものも外に出てきません。頑なさはというのは、人間の強情、自我、自己中心、わがままと表現してもいいかも知れません。彼女は、潔く、それを割ったのです。なぜなら、自分のすべてをイエス様に捧げたかったからです。イエス様に従うためには、このメタファー的な出来事が私たちの心に起こる必要があります。私たちは、ある場所を残して、神様に従うことはできないのです。全身全霊でしか、神様に従うことはできないのです。み言葉のこの箇所は従うけど、あの箇所には従うなんて言うことは、神様に従っているという意味にはならないのです。

★責める弟子たち

弟子たちは、激しく起こりました。「なんで、そんなもったいないことをするんだ。こんなに高価なものだったら、売って、貧しい人たちに施せたのに」と。。。弟子たちは、「売り買い」のこの世のマインドセットに縛られているということがわかるでしょうか。私たちも、神の国に仕えるなら、このマインドセットに気を付けなければなりません。効率のいい奉仕、割に合う奉仕なんていうものはないのです。むしろ、逆こそ御国の働きです。

★神の気前の良さと効率の悪さ

このシリーズの始めから思い出してみてください。イエス様は、どうして赤ちゃんで生まれてきたのでしょうか。どうしてあんなに苦しまなければならなかったのでしょうか。なぜ、あの時、わざわざ危険なのにサマリヤを通ったのでしょうか。なぜ、この時も、ライ病人の家に来ているのでしょう。どうして、町の有力者の家に居ないのでしょうか。
聖書の中には、人間の売り買いのマインドセットには無駄に思えるようなことがたくさんあります。神は、とてつもない数の星をなぜ作ったのか。どうしてユダヤ人は荒野を四十年間も旅したのか、どうして、一人の人間ができるために、一つの卵に対して一つの精子でいいのに、一億から四億ビリオンも無駄になります。同じ人間を造る能力があるのに。どうして、神の御子が人間にならなければならず、殺されなければならなかったのか。深海魚の数とか。。。神は、有り余るほどの祝福と数による圧倒的な量のやり方でこの世を祝福している。

★福音の行くところどこにでも 

世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでし ょう。」9 Assuredly, I say to you, wherever this gospel is preached in the whole world, what this woman has done will also be told as a memorial to her.
イエス様は、このような無駄が、気前の良さがなければ福音は伝わらないのだ。と私たちに教えられています。

みなさん、確かに、神に仕えるために、人に仕えていくときに、傷つくことは、たくさんあります。無駄に終わったのではないかという労苦もたくさんあります。しかし、神の国は、Giving & Receiving与え、受けるということで成り立っています。この世と違います。Buying & Selling の考えだと、損得を基準に決断をしようとします。。。だからこそ、そのような心に疑いがくる時に、心の自我のつぼを割らなければなりません。そうして、もう一度、神様に全部かけて、捧げてみようと思いなおさなければならないのです。
不思議ですが、この女のように惜しげもなく、捧げきるときに、Lavish (大胆なほどに気前良く)に神に捧げる時に、福音というのは、人に伝わるものなのです。。。

#イエス様 #礼拝

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摂理と献身God’s Providence & Surrender 

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この日は、静香ちゃんの最後の礼... この日は、静香ちゃんの最後の礼拝。送別礼拝でした。証しをしてくれて、とても感謝でした。これからも神様の導きの中、歩んでいかれますように。。。
2018年6月24日日曜日礼拝音声は、


先週はゆきくんが、素晴らしい証しをしてくれました。今週は、しずかさんが最後で、神の摂理ということを考えさせられました。

エステル記2章5-17
シュシャンの城にひとりのユダヤ人がいた。その名をモルデカイといって、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子であった。6 このキシュは、バビロンの王ネブカデネザルが捕らえ移したユダの王エコヌヤといっしょに捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者であった。7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。9 このおとめは、ヘガイの心にかない、彼の好意を得た。そこで、彼は急いで化粧に必要な品々とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女にあてがった。そして、ヘガイは彼女とその侍女たちを、婦人部屋の最も良い所に移した。10 エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。11 モルデカイは毎日婦人部屋の庭の前を歩き回り、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。12 おとめたちは、婦人の規則に従って、十二か月の期間が終わって後、ひとりずつ順番にアハシュエロス王のところに、入って行くことになっていた。これは、準備の期間が、六か月は没薬の油で、次の六か月は香料と婦人の化粧に必要な品々で化粧することで終わることになっていたからである。13 このようにして、おとめが王のところに入って行くとき、おとめの願うものはみな与えられ、それを持って婦人部屋から王宮に行くことができた。14 おとめは夕方入って行き、朝になると、ほかの婦人部屋に帰っていた。そこは、そばめたちの監督官である王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王の気に入り、指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。16 エステルがアハシュエロス王の王宮に召されたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。

今週の箇所は、エステル記です。一人の若い女性が歴史の中で大きく用いられる物語。

ちょっと世界史のお話し、みなさんバビロン捕囚the Babylonian captivity [exile]は良く知っていますね。聖書の中では、列王記と、歴代誌に書かれています。南ユダが捕囚され、70年後、バビロンがペルシャに破れ、ペルシャ王クロス(キュロス)は、ユダヤ人たちをエルサレムに帰しました。しかし、全員が帰ったのではなく、まだまだ多くのユダヤ人が各地に残っていたようです。聖書では、エズラが神殿建設、ネヘミヤがエルサレムの町の城壁を直しました。

この書は、ネヘミヤ記の後に書かれているが、年代的には、その事件がネヘミヤ記よりも約30年さかのぼっている。エステルは、おそらく相当な権力をもってエズラ、ネヘミヤの事業を支援しただろう。彼女の王との結婚はユダヤ人たちに非常な信仰と希望を与えたことだろう。
この書には、神と言う言葉は出てこないが、神様の不思議な摂理と守りと救いを見ることができる素晴らしい書です。

摂理とは…キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。1.(often initial capital letter) the foreseeing care and guidance of God or nature over the creatures of the earth. 2.(initial capital letter) God, especially when conceived as omnisciently directing the universe and the affairs of humankind with wise benevolence. 3. a manifestation of divine care or direction.
摂理とは、振り返るときに、それは、聖なる、永遠の神様の御手であったと気づく。その時は、分からない。

● 選ばれたエステル

退けられた王妃ワシュティの変わりに、新しく王妃の候補者を募ることになりました。ペルシャ全ての州から美しい娘たちがやってきました。私は、ふと思いました。はたして、エステルは、自分から進んで、ペルシャ王の妻になりたかったのでしょうかと。ユダヤ人は、昔から、外国人との結婚は良くないこととされていました。ましてや、異教の神を信じている王との結婚です。どんな、異教との関わりを持たされるか分かりませんし、清くない食べ物も口にしなければならないかもしれません。このストーリーは、なんだか、ビューティコンテストのような、シンデレラストーリーのように表面上は聞こえますが、エステルが自分から喜んでこの道を選んだのではないのです。
たとえ、自分で選んではいない道であっても、エステルは、その特質ゆえに頂点へと選ばれて行きます。

V7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。And Mordecai had brought up Hadassah, that is, Esther, his uncle’s daughter, for she had neither father nor mother. The young woman was lovely and beautiful. When her father and mother died, Mordecai took her as his own daughter.

〇外見の美しさ、

彼女には、もって生まれた特質、神が与えられた外見の美しさがあった。それが故に、白羽の矢がたったとも言えよう。これも、彼女の予期せぬ、摂理である。
賜物セミナーでも学びましたが、私たちは、生まれながらに持っている性質をあまりにも自然なため大したことと思わないが、神があなたにその賜物・特質を与えたには、理由が必ずあることを忘れてはならない。あなたの神の目的は何でしょうか?

〇内面の美しさ…砕かれた魂(柔和)、癒された魂
 
エステルは、若くして両親を失っていました。外国に捕囚された身であり、両親をなくし、いろいろと不自由があったことでしょう。しかし、外面の美しさゆえに彼女は、王妃候補nomineeとして宮殿に行くことになるのです。彼女は、また内面の美しさも供えていたと思われます。
人は、皆傷つきながら生きています。そして、その傷に振り回されて生きるのか、乗り越えて生きるのかでは大きな違いがあります。過去の傷に振り回されている人は、言葉の端々に苦々しさがで、また物の見方が歪んでいまするしかし、傷から癒され、乗り越えた人は、かえって、ひどいことが過去にあったとは、人に思わせないほどのすがすがしさがあります。
また、苦しみを乗り越えた人は、柔和であります。これは、イエス様に現されている素晴らしい特質です。
エステルは、王妃となるコンテストの前に、すでに神様にあって、試され、精錬された金のようであったのです。

〇従順と敬意

V10エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。Esther had not revealed her nationality and family background, because Mordecai had forbidden her to do so.

V15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。

イエス様も、父のしていることを見て物事をしていると言われました。従順さのない人は、神様の時にも従順になれません。

〇人格についてくる好意

V8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。

〇王の愛と、王の信頼

V17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。

★ 摂理の中で神に選ばれる人には、神の目的に向かえば向かうほど、好意が付いて回る。
私たちは、みな神や人に選ばれ、さまざまな役割を担い、様々な場所にいます。しかし、本当に神様の摂理の中で用いられる人には、その資質が伴うのです。

● 神の摂理と私たちの信仰が交わるとき

エステル4章13-16
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」And Mordecai told them to answer Esther: “Do not think in your heart that you will escape in the king’s palace any more than all the other Jews. 14 For if you remain completely silent at this time, relief and deliverance will arise for the Jews from another place, but you and your father’s house will perish. Yet who knows whether you have come to the kingdom for such a time as this?”
15 Then Esther told them to reply to Mordecai: 16 “Go, gather all the Jews who are present in Shushan, and fast for me; neither eat nor drink for three days, night or day. My maids and I will fast likewise. And so I will go to the king, which is against the law; and if I perish, I perish!”

〇神に選ばれている理由を悟る 

神は、エステルをただ異国の王妃にするために王妃に成り上がらせたのではない。

〇神に第一の信頼を置く 「死ななければいけなのなら、死にます」

信仰とリスクは隣り合わせ。神の摂理の中で、自分の役割を悟り、それでも、私は神に信頼します。と、自分より、神を一番にする時に、神の目的が完成される。
イエス様もこういわれました。

ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 Very truly I tell you, unless a kernel of wheat falls to the ground and dies, it remains only a single seed. But if it dies, it produces many seeds.

ヨハネ15:16
16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。You did not choose me, but I chose you and appointed you so that you might go and bear fruit—fruit that will last—and so that whatever you ask in my name the Father will give you. 17 This is my command: Love each other.

私たちも、みんな、神の摂理の中にいます。好まざると好もうと、今歩んでいる道に神様の配慮があります。私たち一人人が、摂理の中で、神に選ばれる人となり、神に自分をおいても従える人となることができましように。アーメン
#エステル記 #旧約聖書 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

イエス様の道④苦しみ

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この日曜日は、ホライズンファミ... この日曜日は、ホライズンファミリーハワイ支部((笑)) のパリスボ夫妻が訪問してくださいました。特別にフラ賛美を礼拝中に捧げてくださいました。以前は、シアトルにおられてバイブルスタディにいらっしゃっていました。 またまた、あ、写真! と気が付... またまた、あ、写真! と気が付いた時には、だいぶん皆さんが帰った後でした。。。苦笑
ハワイの小さい離島では、シアト... ハワイの小さい離島では、シアトルみたいにいろいろなレストランがないそうで、今日はタイ料理に行ってきました。ここ、クイーンアンのオラビンは、野菜もフレッシュで、美味しいです。いつも込んでます。私は、カモのスープヌードルが好きですー。
2018年6月10日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


私たちは、互いに影響し合って存在している。ということを話しています。イエス様は赤ちゃんとして来てくださったという意味と力について学んでいます。今日は、神の苦しみについて話したいと思います。神の苦しみが私たちにどう影響しているのか。また私の苦しみが神に影響を与えたりしているのでしょうか。。。。

ルカ15:11-24
11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』

この章は次の言葉で始まます。イエス様はいつも罪人と一緒だって。。。

ルカ15:2
すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」But the Pharisees and the teachers of the law muttered, “This man welcomes sinners and eats with them.”
イエス様は、問題のある人、苦しむ人、に近くいて下さる方でした。。。自分には問題があっても、問題がないと威張っている人には一緒にいられませんでした。

★私たちの苦しみ

いつも言っている通りに、私たちの苦しみは、三種類あります

①自分の罪の結果から来る苦しみ。言わば、私たちの自由意思によって、チョイスしたことが自分に帰ってくるというタイプ。自分の内に原因があるもの。

②いわれのないところから飛び掛かって来る苦しみ。災害や、盗難、事故、事件、差別なんかもそうかもしれません。自分の外から来るもの。

③訓練としての苦しみ。No pain no gain. 筋トレだって、スポーツだって、練習をしつかりしなければ強くなれません。それと同じように、自分の弱さ、至らなさ、技術的なことに関して何かをできるようになるためには練習、訓練、自己鍛錬が必要ですから、ある意味そこに苦しみが伴います。しかし、この苦しみは、必ず報いがついて来まます。

★放蕩息子の苦しみ v12-13

12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

弟息子は、しつけの苦しみを自ら避け、好き勝手なことをすることを決めました。父のいるところから遠く離れました。財産の分け前をもらって、家を飛び出し、お金を全部湯水のように使い果たしました。自分の選んだ道とやったことの結果、生活ができなくなりました。そして、第二の苦しみ、災害の類ですが、その地に飢饉がおこり、ますます食べれなくなりました。それから、そうなってみて、初めて、豚の世話をするという、第三の訓練としての苦しみを味わうようになるのです。

みなさん、私たちも思い当たることがあるのではないでしょうか。私も若い時は、自分の気持ちの赴くままに決断し、神様にろくに聞かずに、まず鍛錬して自分を磨かずに何かをしようとしたものです。しかし、そうしても、必ず、自己訓練、しつけ、筋肉を鍛えるという段階に導かれるのです。この息子は、父のひざ元でそれをすることもできたのですが、ここまで落ちぶれなければ、自己訓練に耐えることができなかったのです。

この息子は、ある時、はっと我に返ります。すべてを失ってからです。全部を失っても、私には、たくさんの使用人を持っている父がいるではないか。あそこで働く方が、ここで働く方よりはるかにいい、と気が付くのです。
よく、この我に帰ったことが、放蕩息子を変えた出来事だと思うのですが、実はそうではなかったということを今日は教えられています。

★放蕩息子を変えたものとは v18-19

18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
息子は、こうリハーサルして、こう言って、雇人にしてもらおう。と、父に甘えて、お金をもらったときのように、父の好意をあてにして家路につきました。

そうするとどうでしょうか。家が近づくと、遠くから急いで自分の方に駆け寄って来る年いったおじさんがいるではないですか。あれ、お父さんかな。お父さんだ。その、父の慌てて走る様子。その必死さを彼は見たのです。その顔を遠くから見たのです。何ということでしょう。父は、私を待っていたのだろうか。。。。と、思ったでしょう。

苦しみが放蕩息子を変えたのではなかった。父の顔を見たから変わったのです。。苦しみぬいた、涙にむせぶしわくちゃの顔。子を愛する父の顔である。その顔を見たとき、放蕩息子は、リハーサルしたあの言葉が、本心として腹の底から出てきたのだ。「今までどれほど、父を心配させたか、父を傷つけたか、父を苦しめたか、今までどれほど父が私を愛していてくれたか、それは、今日も変わらないのだ。」それと直面した時、全てが変わったのです。

◎放蕩息子の苦しみは、帰る家を見つけたのだ

父の苦しみ、愛しているから苦しんだその苦しんだ顔が、放蕩息子を変えたのです。神の苦しみは、愛ゆえであった。この苦しみの意味が分かる時、私たちは、魂の家を見つけることができる。神の苦しみと私の苦しみは決してかけ離れていないものであり、私の苦しみは神の苦しみであり、神の苦しみは私たちに癒しと慰めをもたらすものである。

究極的な愛の図がキリストの十字架の苦しみ。

◎苦しみには家がある。その家は、神の苦しみであり、イエス・キリストである。

私たちの苦しみ感情は、消化されないかぎり、傷となり、私たちを過去に縛る縄目となる。私たちの感情が解決する時は、誰かが、わたしの苦しみを味わってくれ、共感してくれ、一緒に泣いてくれる時に、慰められる。自分の中で消化する助けとなる。
私たちは、誰かがいないと存在できないのです。赤ちゃんの時からこうして私たちは存在している。

◎私の苦しみの証し(不妊) --- 苦しみの家を見つけた。神の苦しみと一体化したとき慰めを受けた

神様は、苦しむ必要のない方なのに、放蕩息子の父のように、私たちを愛するがゆえにご自分が苦しむことに甘んじてくださっています。全世界を完璧に造られた方なのに、この世界が罪によって、被造物すべてに影響していること。数千年も、神様に背く人たち、すべての人の救いを完成するために、わが子イエス様を地上に赤ちゃんとして送り、十字架の苦しみを味わわせなければならなかった。私たちを愛するがゆえに、神は私たちの行動によってインパクトを受けていらっしゃるのです。

一方、私たちの苦しみというのは、もっていきどころがないともっと苦しく感じます。イエス様は、私たちの苦しみの帰る家を作ってくれました。

◎あなたは今、何に苦しんでいますか。何番の苦しみを味わっていますか。あなたが苦しんでいる時、天の父も苦しんでいることをぜひ知ってください。父の苦しみ抜いた顔を見てください。

あなたには帰るところがある。苦しみには家があるのです。
#イエス様 #礼拝 #苦しみ

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イエス様の道③伝道

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学校で、子供と思春期のトラウマ... 学校で、子供と思春期のトラウマの回復、カウンセリングの授業がありましたが、そのシリーズでは、休み時間に遊ぶことを推奨されていて、お席にはクレヨンや、粘土が用意されていました。私は、餃子を作ってみました。アジア系の学生は大爆笑。食べれそうーーって。我ながら美味しそうにできたぞ!
2018年6月3日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


この世においては、人というのは、ヒエラルキーのマインドセットに影響されて生きている。人にいいことを教えるものは、立場が上ではないといけない、なんて思っている人が多いのではないでしようか。私は、まだまだ聖書の知識がないから、伝道なんてできないなどということをいう方も多いです。しかし、それは本当でしょうか。イエス様はどうされたでょうか。

ヨハネ4: 3-9

3 主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。

①バウンダリーを越える

V4 サマリヤを通って行かなければならなかった。

サマリヤはユダヤとガリラヤの間にありますが、普通は、ユダヤ人ならばサマリヤを通らずに回り道をしてガリラヤに行きました。というのも、こないだからメッセージの中に出てくるように、サマリヤ人はユダヤ人は仲が悪かったからです。ユダヤの長い歴史の中で、ユダヤ人から出た人たちですが、サマリヤ人は、異邦人と混血の民であり、ユダヤ教と異教の混じったような信仰をもち、救い主はゲルジム山から来ると信じていました。皆さん、今の世の中も、宗教の違い、民族の違いというものは、少なくともアメリカでは大きな問題です。当時のユダヤ人サマリヤ人の対立というものは激しかったようですね。もしも、ユダヤ人がサマリヤを通ろうものなら、罵声をあびさせられたり、何かいやがらせをさせることもあったようです。ユダヤ人も、絶対にサマリヤ人とは口をききませんでした。

◎しかし、イエス様はサマリヤを通ることを選ばれた。

あえて、Vulnerable な状況に入られることにされた。あえて、対立の渦の中に行かれた。。。「行かなければならなかった」という言葉の中には、父なる神の意図があった。ご計画があり、そこには、出会わなければならない人がいた。。。ということを示しているのです。

②弱さを通して ---- 水を一杯くれませんか。V7

イエス様は疲れを覚えられました。このストーリーはイエス様の弱さから始まります。イエス様は、完全な人であり、完全な神であります。私たちと同じように疲れられたようです。なんだか親近感を覚えますよね。。。

 第六時、現在のお昼頃、ある女が井戸に水を汲みに来ました。イエス様は、この女性に話しかけました。というシーンですが、ここで、またバウンダリーをいくつも越えているイエス様を見ることができます。ここで普通では起こらないことが起きています。

1. ユダヤ人がサマリヤ人に話しかける-- 先ほど説明した通り、こんなことはありません。
2. 男が女に話しかける – 当時の文化で、男女が個人的に話すということはなかった、イエス様はラビですから、その立場ではもっとなかったことです。
3. 第六時に水を汲みに来るようないわくつきの女に話しかける – 当時は、夕方水を汲みに来て、女性たちが井戸の周りにたまっておしゃべりをするのが普通でした。この女性は、誰も来ないうちにこそこそ水を汲みに来ている理由のある女性でした。村ではきっと悪名高い女だったに違いありません。

◎弱さを通して

イエス様は井戸に水を汲みに行ったサマリヤ人の女に水をくれと言った。パンを増やし五千人以上に食べさせ、水をワインに変えることのできる方が、水を一杯恵んでくれませんかと、この問題の多い女性に頼んだ。

イエス様は、しかし、人間のとしての性質、疲れ、弱さ、人の世話にならなければ存在できないというようなその脆弱性を通して、サマリヤの女とコミュニケーションをとったのです。
言うまでもなく、この女性は大変驚いて、あなたの言っている意味が分かりません的な反応をします。ユダヤ人なのに、どうして私に話しかけるの? 見たところによると、ラビっぽいけど。。。一体、水って言われても、汲むものも持ってないやん! と。。

◎会話が始まる V10-19

10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」11 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。12 あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。

女性は渇いていました。身も心もからから。。。もう渇かないなんて水、あったらほしい。。この女性は、心が渇いている人でした。イエス様は夫を連れてきなさいと言いましたが、彼女は、次々に男の人を渡り歩き、一緒に住んでいる人がいたが、その人は、正式な夫ではありませんでした。満たされない心を男の人に探していました。しかし、イエス様が、渇かなか水があるんだよ。と、教えてくれたのです。

◎その水を私にください。

女は、その水をイエス様に求め、自分の傷ついた心の癒し方が間違っていたことを認め、イエス様に出会うことができました。この後、この女性は、恥ずかしげもなく、自分の身に起きたすべてのことを人々に話し、サマリヤにリバイバルが来ました。誰がそうぞうしたことでしょうか。ちゃんとした宗教観、間違った礼拝をしていた混血のサマリヤ人にリバイバル、本当の救い主を受け入れたのです。

◎互いに影響を受ける 

イエス様は、脆弱性を通して、いわば、ご自分の肉体の渇きを通して、この女性と繋がることができました。また、へりくだって、低い位置から、すみませんが、助けて下さいという態度で、女性に近づきました。なんと、私たちのマインドと違うことでしょうか。私たちは、良いものを与える者は、立場が上でないといけないような感覚を持っています。

◎宣教師を思い出す

私は、日本に来た宣教師たちを思い出します。
文化の違い、言葉の不自由さ。助けがいっぱい必要な外国人。何やら一生懸命私たちに伝えようとしている。。。人は、困っている人を見たら助けたい、気にいった人、気になる人を助けたいという思いを持つもの。。。また人とは、助け合わなければ存在できないというものです。日本に来た西洋の宣教師たちは皆助けが必要だった。日本語が流暢な自由な人はそんなに多くない。教会に来ている人も、来ていない人も、喜んで助けた。そんな中で、キリスト教が広まった。

◎ AA Meeting

先日、学校の宿題の一環で、AA meeting に出てきました。
まず不安だったのは、アルコール中毒でない私がいったら場違いで気まずいのではないか。ということでした。しかし、彼らは、大喜びで私を迎えてくれました。そして、一人の女性は泣き出しました。私たちに興味を持つてくれて、来てくれてありがとうと。。。
彼らの話を後で聞きましたが、みんな、アルコールのせいですべてを失っていました。友達、家族、職場、自尊心。全て。人に諦められても、興味を持たれることはありませんでした。
わたしも、彼らの話しを聞いていてたくさんの恵みを受けました。
そこに一人もクリスちゃんがいませんでしたが、私は神様をみましたし、大切なメッセージをいただきました。

コミュニティが人を癒すこと。彼らは、そこに集い、始まりと終わりに祈ることで力を得ていました。仲間に励まされていました。そこに、心からのケアと、愛がありました。教会が学ばなければいけないものがあると思いました。

わたしも助けがなければ、生きていけない。

イエス様は、赤ちゃんで生まれて来て、財産もなく何もなく、ただの小さいな赤ちゃんで来てくれた。私たちの腕の中に来てくださった、意味がここにあるのです。
私たちは、独立して決して存在しないんだというメッセージ。私たちは、相互依存して存在している。Interdependent. 私たちの三位一体の神もそうである。

◎伝道を恐れないで、あなたの弱さから始まるかもしれません。垣根を越えて、相手に興味を持ち、あなたの弱さを正直に示していく、そこからイエス様の働きが始まるかも知れません。

自分の境界線、カンフォートゾーンから出ることを心がけましょう
#イエス様 #礼拝

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イエス様の道②私たちの祈り

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今月のお誕生ケーキ。二階建て!... 今月のお誕生ケーキ。二階建て!!! ハーモニーさんおめでとうござい... ハーモニーさんおめでとうございます。子供たちがろうそくを吹くのをお手伝い。。。顔が真剣! 今日で、英語教会の子供教会の牧... 今日で、英語教会の子供教会の牧師ライアン先生の最後の日でした。ライアン先生は、これから宣教師になる準備に入ります。子供たちは、お別れ会をしました。寂しそうでした。
2018年5月27日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


人は、人に影響を与えずに、また影響を与えられずに存在することができないようにできている。それは、脳科学を見ても証明されている。人は、神の似姿に造られている。創世記二章。神もまた、三位が互いに影響を及ぼしながら存在しているのである。

第一回で、イエス様は赤ちゃんで生まれて来て、周りにいる人たちに世話されるように、その世話を受けるようにされたことを話しました。イエス様は、どこまでも、神と人との隔たりを縮めるようにされた。イエス様はどこまでも私たちと近く、共に、一緒に、親密に存在されたいという願いの現れではないか。私たちがそこにどれほど気が付いているだろうか。

神は、人に助けられる必要が全くないが、神は、人に影響されることをよしとされている。神は、人間に操作される存在ではないが、人と交わりをもち、人から影響を受けることもご自分で良しとされている。

★アブラハムのとりなし

この主のアブラハム家族の訪問の際、来年の今頃、サラは男の子を産むと言われている。そして、神に不可能なことは一つもないという会話をしている。

創世記18:17-19

主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべて国々は、彼によって祝福される。19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」

創世記18:22-33

22 その人たちはそこからソドムとゴモラのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」26 主は答えられた。「もしソドムとゴモラで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

◎祈りは会話である

V33主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた33 When the Lord had finished speaking with Abraham, he left

祈りは、お経、チャンティングではなく、交わりです。交流、経験の共有。敬意と愛の交換。

◎会話を通して、主と交わる

交わりとは、互いに影響を与え受けることです。
アブラハムは、「神に不可能なことはない」という言葉を受け取った後で、自分の甥ロトが住む地域が罪の故に滅ぼされることを聞きました。これはいけない。。。
と、祈ります。もし50人正しい人がいれば、その人たちも滅ぼされてしまわないように、救ってください。。。40人、30人、20人、10人。。。。

◎アブラハムの神経験

アブラハムは、このとりなしの祈りの中で何を経験したのでしょうか。アブラハムは、祈れば祈るほど、神の心を知っていった。神様、五十人、神様が、その五十人のために滅ぼすまい。と言われると、アブラハムは、どんなに、神が少数であっても、神に従う人の存在を尊く思っておられ、そして、その人たちのために、この町全体を救いたいというほどの熱い愛を持っておられることを知ったのです。

四十人、三十人、二十人。。。。祈るごとに、神の心を知っていったのです。
祈りは、自分の願いをお経のように唱えるものではないのです。神体験をするものです。

また、神にますます影響される場なのです。そして、神もまたそれに答えられ、神と私が思いが一つになっていく、愛、目的、悲しみ、願い、働きが一つになっていくものなのです。

神の御心はどこから急に降ってくるものではない。祈りによって、交わりによって、神と二人で一緒に見つけていくものです。一人で神の御心を見つけるのではないのです。

◎そこに脆弱性(ぜいじゃくせい)が求められるVulnerability required

自分のニード、心を相手に知ってもらうということは、脆弱性もとめられる。日本的に言うと腹をわって本音をさらけ出すことが無ければ、互いに理解できない。アブラハムにとっては、自分の家族のことが一番念頭に会ったことだろうが、そのために祈るうちに、神の深い愛と願いを知るようになる。おそるおそる、10人ではどうでしょうと祈ることになった。

◎神との親密さに制限をかけないこと

そして、結局10人も正しい人がいなかったので滅ぼされることになるが、そのまま、祈りを続けていたら、どうだっただろう。。。不可能のないお方が、例えば、一人の正しい人であったノアにあげたプランのような、箱舟というシェルターのような、何かそんな計画が出てくる可能性もあったかもしれません。

どこまでも、どこまでも、神の心を求めて、私たちは、祈り続けるべきです。私たちは、神を知ることを第一に、神に近づいていくべきです。

◎イエス様の話された言葉

祈りは、神を支配することではありません。祈りは、神を操作するものではありません。イエス様は言われました。

ヨハネ15:15

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

友は互いに支配関係にない。同等である。と、私たちから影響を受けたい、私たちに影響を及ぼしたい、王の王であり、主の主であるイエス様がおっしゃっているのです。
大胆に、そして、もっと神を知るために、祈りの交わりを神様と持っていきましょう。



#イエス様 #礼拝

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良きサマリヤ人に!

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先週はエリックがメッセージをしました。
エリックは、いつもメッセージの前に、何か出来事が起きます。
不思議です。
なんでしょうね。
身をもって体験して語るように神様に召されているのでしょうね。

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イエス様の道①—弱さを通しての力

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二週間前の日曜日は、ファンドレ... 二週間前の日曜日は、ファンドレイザーランチを作って売りました。
教会の皆さんが、私たちの夏の日本ミニストリー旅行のためにご苦労してくれました。焼きそばチーム
こちらは、日本式ホットドッグ盛... こちらは、日本式ホットドッグ盛り付け こちらは、焼き飯チーム こちらは、焼き飯チーム 焼き飯の盛り付け 焼き飯の盛り付け こちらは、お店担当。。一日立ち... こちらは、お店担当。。一日立ちっぱなしのまきさん。ありがとう。
2018年5月13日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


ヨハネ14:4-7
4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」You know the way to the place where I am going.” 5 Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?” 6 Jesus answered, “I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. 7 If you really know me, you will know[b] my Father as well. From now on, you do know him and have seen him.”

イエス様は、過ぎ越しの祭が近くなり、ご自分の死が近いことを悟り、弟子たちと話した。私が行く道、みなの知っている道だ。それは、みんなが今まで目の当たりにしてきた道だ。その道は、わたしだ。私を見たものは父を見たのだ。と。
当時の弟子たちは、とても政治的な期待をもってもイエス様について行っていた。イエス様こそ、立派なリーダーでローマからユダヤを解放してくれるのではないか。と。イエス様は力を持っているからと。。。
イエス様は、私の道は、あなたが知っている道です。あなたがイエス様にすでに見て知っている道だと言われる。。。

★この世の権力理解

悪魔はもともと、権力を持ちたがった。天のワーシップリーダーだったが神をあがめるリーダーでいるより、みんなにあがめられる神の位置に行きたいと思い。天から落とされた。イザヤ書14章12-15 最初の人が、神の声を聞かずに悪魔の声を聞いたことで、彼らに従うものとなり、悪魔の子ともいわれるようになった。世の力、権力について、この悪魔の考え方の影響があることを忘れてはならない。

先週、イスラエルの民は、王を欲しがったという話をしました。人々は、他国が王に治められてるように、一人の王に治められたかった。すなわち、神のやり方でない方法でコントロールされたかった。人の世界、この世の力は、コントロールです。誰が、全ての利権、権力を持つのかと。

★聖書的な権威とは

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます。
イエス様は、ペテロを再任命する時にも、わたしの羊を飼いなさいと言われた。
羊飼いは、羊の人生のすべてです。イエス様は私たちの良い羊飼いです。夜には、羊の門となり門に横たわり悪い泥棒や、動物から羊を身をもって守ります。食べる者、飲むものを羊に与え、目の弱い羊を導いて、危険から守り、病気の羊の手当てをし、癒し、そして、迷子になったら、99匹を置いて一匹を探しに行きます。
聖書の権威とは、このような羊飼いのような権威です。この世の権威とは違います。

★イエス様に見られる父の権力

良い牧者の権威は、負の投資があったから与えられたものであった。 Divestment

マルコ10:43-45
43あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。44あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。45人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためです。

●弱さを通して

イエス様は、生まれてくる時も、死ぬ時も弱さを選びました。処女マリヤから生まれることを選ばれ、いわば、いわくつきの子供のレッテルを選ばれました。普通ではないという。また、学者や政治家の家に生まれたのではなく、大工の息子として生まれました。
また、人として生まれてきたイエス様は、私たちの一人のような無防備な赤ちゃんで生まれました。赤ちゃんは、誰かに守られなければ生きて行くことができません。神の子は、私たちの人間に守られながら成長することを選ばれたのです。なぜでしょうか。

みなさん、私たちは、権威者を恐れます。しかし、あんなかわいい赤ちゃんを恐れる人が一体いるでしょうか。私たちの一人のような人を恐れる人がいるでしょうか。
私たちの一人のような家庭に育った、この方を誰が脅威に感じるでしょうか。

私たちの神は、弱さを通して権威を示される神でもあるのです。
イザヤ書には、イエス様の十字架の預言で、人があまりにもかわいそうでむごたらしくて顔を背けるほどであった。とあります。そんなに、弱い方をどうして恐れることでしょうか。

●無力さが力の武装を解除する 

 イエス様の十字架は、世のすべての権威の武装を解除するためにあったのです。イエス様の前には、DMZゾーン。イエス様がいらっしゃるところでは、どんな権威も、コントロールしようとする力も、その武器と策略を下さなければいけないのです。何も、イエス様の権威に勝物はないのです。

コロサイ2:13-15
13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。13 When you were dead in your sins and in the uncircumcision of your flesh, God made you alive with Christ. He forgave us all our sins, 14 having canceled the charge of our legal indebtedness, which stood against us and condemned us; he has taken it away, nailing it to the cross. 15 And having disarmed the powers and authorities, he made a public spectacle of them, triumphing over them by the cross.

●本当の力は、人々を自由にし、和解させ癒す。

この世の力にいつもコントロールが伴い、分裂が伴う。自分の力を行使するなら、自分の強さはコントロールし保てるが、自分と神を分裂させ、人と分断する。交わりがない。共有がない。イエス様の十字架の苦しみと弱さは、私たちの人間関係を

エペソ2:14-15
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。For he himself is our peace, who has made the two groups one and has destroyed the barrier, the dividing wall of hostility, 15 by setting aside in his flesh the law with its commands and regulations.

●弱さの中に完全に働く神の力

パウロは言いました。そして、誇りました。

Ⅱコリント12:9
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore, I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
私たちには、神に従う時、戦いがあります。弱さを覚えます。しかし、パウロのようにたくさんの困難と迫害にあった人がいうのです、イエス様の力は弱さの中に完全に現れると。あなたが弱くて、もがいていてもそこに、イエス様の力が完全に働くことを信じますか。それとも、この世の力を得ようとして、もっともがきますか?

●イエス様の弱さは、愛の故であった また神の権力とは、愛である。

この世のすべての権威の武装を解くのは、愛の力でした。イエス・キリストの、良い牧者は羊のために命を捨てます、という、その愛なのです。自分よりも、あなたを生かしたいという、愛。あなたの苦しみ、あなたの悩み、あなたの罪の呪いと恥を取り除きたいという、その愛なのです。

ヨハネ14 に、イエス様は私たちにわたしよりも大きなわざをすると言われている。私たちが、この世の権力に集中するのではなく、イエス様を通して表された神の力を真に行使するのなら、きっとこの世の中は変わるでしょう。
●天においても地においてもすべての権威が与えられています、だから、出て行って。。。

マタイ28:18-20
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」“All authority in heaven and on earth has been given to me. 19 Therefore go and make disciples of all nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, 20 and teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age.”

★超自然的な力

自分の弱さを乗り切るという目的ではない、それ以上。あなたを通して神の力が現わされるのです。不思議ですが、イエス様の人生を通して、父の力は人を赦し、人を解放し、人を和解させる力を与えられたのです。
God blessed and gave power in Weakness, God blessed and gave power in powerlessness.
“My strength made perfect in weakness.” 2 Cor.12:9
#イエス様 #礼拝

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イエス様と一緒にしましょ Do it with Jesus

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朝の礼拝中、女子の井戸端会議。... 朝の礼拝中、女子の井戸端会議。。。。。
めちゃかわいい。。。。。
今日は、新しいお兄さんが二人来... 今日は、新しいお兄さんが二人来られて、子供たちは大喜び、優しくゲームを教えてくれたりしました。
やっぱ、お兄さんって好きなんだよねーーー♪
Yくん、Rくん、また続けて来てねーーーーーー♪
2018年5月6日日曜日礼拝の音声は、こちらから


ヨハネJohn 6:1-14

1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。2 大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」10 イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。14 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。

★ ピリポを試して言われた Jesus tested Philip v4-6






◎大勢の人の群れがイエス様を求めて来ていた。Multitude is seeking Jesus


◎イエス様と一緒に Do it with Jesus


◎試して言われた Jesus said to test Philip


◎ピリピの答え Philip’s reply


★ 一人の少年のお弁当 A boy’s Bento


★ 分けるごとに増えたパン Food Increased as you shared


★ イエス様が示すものは What’s Jesus is saying here?



◎一人ひとり隣の人に手渡しをする One to Another



◎自分の手の内にあるパンを隣に分けていく。A Piece of Bread in your Hand



◎出来立てほやほやのパンをお隣に Share it when it is fresh
#イエス様 #礼拝

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どんな時にも主にあって Always in the Lord 

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今週は、日本から、しずかちゃん... 今週は、日本から、しずかちゃんのご家族が訪問してくださいました。とてもよい交わりを持つことができました。この写真は、お父さんがとってくださいました。 礼拝後、お天気で、お兄さんが、... 礼拝後、お天気で、お兄さんが、ボーイズを連れてシアトルセンターで遊んでくれましたーー すごく高いロープでできたジャン... すごく高いロープでできたジャングルジムと、滑り台。。。。子供にはたまらない、楽しいものですが、大人にはどうだったでしょうか。。。

2018年4月29日日曜日礼拝音声は、


先週は、今この時を主とともに生きることについてお話しました。人は、過去と未来に縛られて生きているものであるが、今を主とともに生きるところに力があるというお話しでした。今日もその続きをお話ししたいと思います。
先週も話しましたが、私たちの感情は神様からのメッセンジャーです。私たちは、感情によって物事を絶えず判断して生きています。また、私たちの感情が過去、現在、未来を自分と結びつけます。私たちの天国の通貨、ご褒美は喜びです。これも感情です。

私たちの感情が消化されていないところに、自己防御システムができることも先週話しました。

自分の感情すべてを神さまとともに経験することは、私たちが全身全霊で神の前に存在し、神の前に今を生きるために大変重要なことです。自分の感情すべてと繋がることは、神と繋がることに通ずるのです。
例えば、男性なら悲しみ、女性なら怒りを覚えることに難しさと不自由さを感じます。それらの感情は、文化的にタブー視されているものでもありましょう。私たちは、その感情を避けるためにいろいろな工夫をするのです。その工夫が私たちを自分から分離させ、神にも距離を置かせる結果となります。

聖書の中に、一人、自分の感情と近く歩み、また神と近く歩んだ人がいます。それは、ダビデです。ダビデは、サーミストでした。幼い時から、竪琴を弾き、羊の世話を野でしながら、神に賛美を捧げていました。ダビデは詩をたくさん残しました。

◎野で羊の世話をしている時 
詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。The Lord is my shepherd; I shall not want.

◎恐怖と混乱の時…サウル王から逃げ、ペリシテのガデの王アキシュのところへ行ったとき気が狂っている体を取った時

詩篇34:1-3  1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

詩篇56:3恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。Whenever I am afraid,
I will trust in You.
詩篇56:8 
8あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。 
You number my wanderings; Put my tears into Your bottle; Are they not in Your book?

◎喜びの時  主の箱をいよいよダビデの町まで運んだ時
2サムエル6:14
ダビデは、主の前で、力の限り踊った。Then David danced before the Lord with all his might;
妻ミカルの話によるとダビデは裸で踊ったとされる

◎悔い改める時 バテシェバとの罪ナタンに示されて
詩篇51:10神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
Create in me a clean heart, O God, And renew a steadfast spirit within me.
詩篇51:17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。The sacrifices of God are a broken spirit, A broken and a contrite heart—
These, O God, You will not despise.

◎自分の子供が死にそうな時
2サムエル12:16 -17
ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。17 彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から引き起こそうとしたが、ダビデは起きようとうもせず、彼らといっしょに食事を取ろうともしなかった。

◎自分の民に命を狙われている時 …ダビデは自分の妻や子供たちも敵に奪われた、民も自分たちの家族が奪われたことで、ダビデを恨み、石打ちにしようとした。
1サムエル30:6
ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。"But David strengthened himself in the Lord."

★ 私たちが神様に繋がる

ヨハネ15:4-5
4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。4 Abide in Me, and I in you. As the branch cannot bear fruit of itself, unless it abides in the vine, neither can you, unless you abide in Me. 5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

★ 心の一新のチャンス

先週も、神様と適合していくことについて話しましたが、自分の感情と向き合い、神様に私たちの感情を知ってもらう時、私たちの感情は消化されます。また、過去の出来事、トラウマの場合には、脳内の回路が訂正され、神様による健康的な回路に改正されます。聖書にある通りです。

ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

★ 感情の出どころが泉の出どころ

ヨハネ7:37-39
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。37 On the last day, that great day of the feast, Jesus stood and cried out, saying, “If anyone thirsts, let him come to Me and drink. 38 He who believes in Me, as the Scripture has said, out of his heart will flow rivers of living water.” 39 But this He spoke concerning the Spirit, whom those believing in Him would receive; for the Holy Spirit was not yet given, because Jesus was not yet glorified.

〇心の奥底 ギリシャ語でコイリアkoi-lē'-ä --- belly, (upper, lower), womb, feelings, the innermost part of a man, the soul, heart as the seat of thought, feeling, choice

私たちの感情は、私たちの脳への燃料であり、私たちの脳、すなわちマインドは、私たちの創造の場所です。心、あるいは、腹の奥底からと書いてあるその場所に、聖霊様がいらっしゃる。あなたの感情の奥底、はらわたにしまい込んでいるその感情。。。そこに聖霊様が来られるのです。

以前にもビデオをお見せしたことがありますが、2006年ころに、アメリカのニュース番組で、異言での祈りが脳にもたらす影響について、やっていました。普通の祈りとの違い。。。普通の祈りと仏教のお経は同じで、前頭葉が活発になりました。異言の祈りは、脳全体が活発に動きました。これは何を意味しているかというと、あなたの過去も未来も現在も皆、互いに適合し合っているということです。神様は、時も状況もすべてを越えて私たちを造り変えることができるお方です。

●わたしの「だっこ」証し
音声を聞いてください。

感情は、神様からのメッセンジャーです。人は、いつも何かを感じなが生きています。感情に気が付くとき、それは、神様と繋がるチャンスです。シグナルです。合図と考えてください。そして、ダビデのように、その都度、自分を主にあって強めてください。あなたは、必ず、主にとどまり、多くの実をむすぶことでしょう。
#ダビデ #感情 #礼拝

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