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イエス様の道➄気前の良さ Generosity

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土曜日は、私の通っている学校の... 土曜日は、私の通っている学校の卒業式がありました。私のメジャーは三年間のですが、同時期に入学した仲間で、二年コースの方々が卒業しました。とても感慨深いものがありました。私も、あと一年で卒業かーーー。しんどかったなー毎日。来年もしんどそーやなー。。。って。So proud of the grads!
2018年6月24日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


マルコ14:3-9
イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

今日はイエス様の道シリーズ第五弾ということで、神の国、イエス様の法則をまた学んでみたいと思います。
この世の中は、物を買ったり売ったりすることで成り立っています。神の国はどうかと言うと、与えることと、受け取ることでなりたっています。Buying & Selling vs Giving & Receiving

この箇所でも、イエス様は、らい病人シモンの家を訪問し、神の愛、そしてあらゆる意味での癒しを与えておられました。しかも、もうイエス様は、いつとらえられてころされるか分からない、危険な時にでも、与えて折られたのです。

今日は、また、ナルドの香油をイエス様に与えた女性のお話しです。
今日読んだ最後に、このような言葉がありました。「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」wherever this gospel is preached in the whole world, what this woman has done will also be told as a memorial to her.

★この世の尺度とは違う

この女性のしたことは、イエス様の救いの良い知らせである福音とは切っても切り離せないこととなりました。イエス様に大変誉められただけではなく、世界中で語られるほどすばらしいことをしたというのです。
私たちは、立派なことをした人は、きつと立派で社会的にも成功していて、特別賢かったり、賞賛されるような人なんだろうと思うことでしょう。
しかし、今日のお話しは、まさか、この人が神様を喜ばせることはできないだろう人々が思うような、二人の人物が中心になっているのです。このシーンの舞台となっている家は、らい病人シモンの家です。らい病人というのは、当時の社会の敗者であり、どうしてもそこから這い上がることはできない立場でした。また、この名も記されていない女性は、イエス様に七つの悪霊を追い出された売春婦だとも言われていたり、またベタニヤのマリアであるとも言われています。いずれにしても、女性というのは、当時まったく身分の無い存在でしたから、まさか、この人が偉大なことをするとは考えられないことだったのです。

イエス様は、うわべや、社会的位置のある人だけに目を留めているのではありません。たとえあなたが、人生のどん底にいようと、過去の悪い選択によって今の状況が悪くても、イエス様はあなたを一人の人として尊重し、そして心の内側を見ておられるのです。聖書に、「人はうわべを見るが、神はその心を見られる」People look at the outward appearance, but the LORD looks at the heart.と書かれています。

★女の贈り物

この女性の内側には、何があったのでしょうか。人は、誰かに贈り物をする時に、その人の本当の気持ちがわかるものです。どれだけ心がこもっているか。値段でも表されるし、内容でも、その人の欲しかったもの、好きなものをよく注意してビンポイントで上げるととっても喜ばれる、また、時間をかけて手作りのものも、また、心のこもった手がみでも。それを見たら、その人の心が分かるのです。

◎ なぜその時、それをしたのか

この女性がなぜこのようなことをしたのかは、はっきり書かれてはいません。しかし、イエス様はりっぱだと誉められました。イエス様がりっぱだと誉められた人は、あまりいませんでした。百人隊長とカナン人の女くらいだった。弟子たちでさえ、イエス様が近々死なれることを分かりませんでした。この女は、頭で分かってたのか分かりません。しかし、「今、この時、これをイエス様にあげよう」と思ったのです。イエス様は、「埋葬の用意にしてくれたのだ」と言われました。というのも、実際、イエス様が墓に入れられるときに、きっちり油をぬったり、日本でも体をきれいにしたり綿をつめたり、白い着物、死に化粧などしますが、安息日にかかるので、誰もそんなことをしてくれる人がなかったからです。
なぜ、その時、その場所で、その人なのか。私たちは、そこを疑ったり、責めたりすることがあります。なぜ、あの人だけ? なぜ、あそこではそうなのか? などと。私たちにカイロス、神の時にアーメンと同意する信仰がないならば、私たちに何もわからないのです。カイロスが分からないなら、ここに出てくる弟子のような反応をするでしょう。

◎ 300 デナリの香油

この女の贈り物は、300デナリするものでした。一年分の給料に等しい物でした。もしかしたら、女には当時財産なんかないですから、嫁入りのための貯金だったのかも知れないし、全財産だったかも知れません。こんなに高額なものを手放したら、もう何もなくなってしまうものだったでしょう。しかし、彼女にとっては、そんなものよりも、イエス様の方がずっと価値があったのです。すべてを失っても、イエス様に何かしてあげたくて、しかも、するのだったら最高のものを、「自分にできることを」とありますが、自分にできるありったけを捧げたのです。

◎ 壺を割った

彼女は、香油をイエス様に注ぐために、わざわざ壺を割って、全てを注ぎ切りました。この香油は、とても高価なもので、少しでもずいぶん香るものです。ですから、この壺は、アラバスターと言って、一滴づつしか出ないような構造になっていました。彼女は、割ったのです。これは、彼女の心を表しています。心が頑なだという言葉がありますが、頑なな心は、中に聖霊様がいらっしゃっても、心の壁が厚すぎて、外から良い物も入らないし、中から良いものも外に出てきません。頑なさはというのは、人間の強情、自我、自己中心、わがままと表現してもいいかも知れません。彼女は、潔く、それを割ったのです。なぜなら、自分のすべてをイエス様に捧げたかったからです。イエス様に従うためには、このメタファー的な出来事が私たちの心に起こる必要があります。私たちは、ある場所を残して、神様に従うことはできないのです。全身全霊でしか、神様に従うことはできないのです。み言葉のこの箇所は従うけど、あの箇所には従うなんて言うことは、神様に従っているという意味にはならないのです。

★責める弟子たち

弟子たちは、激しく起こりました。「なんで、そんなもったいないことをするんだ。こんなに高価なものだったら、売って、貧しい人たちに施せたのに」と。。。弟子たちは、「売り買い」のこの世のマインドセットに縛られているということがわかるでしょうか。私たちも、神の国に仕えるなら、このマインドセットに気を付けなければなりません。効率のいい奉仕、割に合う奉仕なんていうものはないのです。むしろ、逆こそ御国の働きです。

★神の気前の良さと効率の悪さ

このシリーズの始めから思い出してみてください。イエス様は、どうして赤ちゃんで生まれてきたのでしょうか。どうしてあんなに苦しまなければならなかったのでしょうか。なぜ、あの時、わざわざ危険なのにサマリヤを通ったのでしょうか。なぜ、この時も、ライ病人の家に来ているのでしょう。どうして、町の有力者の家に居ないのでしょうか。
聖書の中には、人間の売り買いのマインドセットには無駄に思えるようなことがたくさんあります。神は、とてつもない数の星をなぜ作ったのか。どうしてユダヤ人は荒野を四十年間も旅したのか、どうして、一人の人間ができるために、一つの卵に対して一つの精子でいいのに、一億から四億ビリオンも無駄になります。同じ人間を造る能力があるのに。どうして、神の御子が人間にならなければならず、殺されなければならなかったのか。深海魚の数とか。。。神は、有り余るほどの祝福と数による圧倒的な量のやり方でこの世を祝福している。

★福音の行くところどこにでも 

世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでし ょう。」9 Assuredly, I say to you, wherever this gospel is preached in the whole world, what this woman has done will also be told as a memorial to her.
イエス様は、このような無駄が、気前の良さがなければ福音は伝わらないのだ。と私たちに教えられています。

みなさん、確かに、神に仕えるために、人に仕えていくときに、傷つくことは、たくさんあります。無駄に終わったのではないかという労苦もたくさんあります。しかし、神の国は、Giving & Receiving与え、受けるということで成り立っています。この世と違います。Buying & Selling の考えだと、損得を基準に決断をしようとします。。。だからこそ、そのような心に疑いがくる時に、心の自我のつぼを割らなければなりません。そうして、もう一度、神様に全部かけて、捧げてみようと思いなおさなければならないのです。
不思議ですが、この女のように惜しげもなく、捧げきるときに、Lavish (大胆なほどに気前良く)に神に捧げる時に、福音というのは、人に伝わるものなのです。。。

#イエス様 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

摂理と献身God’s Providence & Surrender 

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この日は、静香ちゃんの最後の礼... この日は、静香ちゃんの最後の礼拝。送別礼拝でした。証しをしてくれて、とても感謝でした。これからも神様の導きの中、歩んでいかれますように。。。
2018年6月24日日曜日礼拝音声は、


先週はゆきくんが、素晴らしい証しをしてくれました。今週は、しずかさんが最後で、神の摂理ということを考えさせられました。

エステル記2章5-17
シュシャンの城にひとりのユダヤ人がいた。その名をモルデカイといって、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子であった。6 このキシュは、バビロンの王ネブカデネザルが捕らえ移したユダの王エコヌヤといっしょに捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者であった。7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。9 このおとめは、ヘガイの心にかない、彼の好意を得た。そこで、彼は急いで化粧に必要な品々とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女にあてがった。そして、ヘガイは彼女とその侍女たちを、婦人部屋の最も良い所に移した。10 エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。11 モルデカイは毎日婦人部屋の庭の前を歩き回り、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。12 おとめたちは、婦人の規則に従って、十二か月の期間が終わって後、ひとりずつ順番にアハシュエロス王のところに、入って行くことになっていた。これは、準備の期間が、六か月は没薬の油で、次の六か月は香料と婦人の化粧に必要な品々で化粧することで終わることになっていたからである。13 このようにして、おとめが王のところに入って行くとき、おとめの願うものはみな与えられ、それを持って婦人部屋から王宮に行くことができた。14 おとめは夕方入って行き、朝になると、ほかの婦人部屋に帰っていた。そこは、そばめたちの監督官である王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王の気に入り、指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。16 エステルがアハシュエロス王の王宮に召されたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。

今週の箇所は、エステル記です。一人の若い女性が歴史の中で大きく用いられる物語。

ちょっと世界史のお話し、みなさんバビロン捕囚the Babylonian captivity [exile]は良く知っていますね。聖書の中では、列王記と、歴代誌に書かれています。南ユダが捕囚され、70年後、バビロンがペルシャに破れ、ペルシャ王クロス(キュロス)は、ユダヤ人たちをエルサレムに帰しました。しかし、全員が帰ったのではなく、まだまだ多くのユダヤ人が各地に残っていたようです。聖書では、エズラが神殿建設、ネヘミヤがエルサレムの町の城壁を直しました。

この書は、ネヘミヤ記の後に書かれているが、年代的には、その事件がネヘミヤ記よりも約30年さかのぼっている。エステルは、おそらく相当な権力をもってエズラ、ネヘミヤの事業を支援しただろう。彼女の王との結婚はユダヤ人たちに非常な信仰と希望を与えたことだろう。
この書には、神と言う言葉は出てこないが、神様の不思議な摂理と守りと救いを見ることができる素晴らしい書です。

摂理とは…キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。1.(often initial capital letter) the foreseeing care and guidance of God or nature over the creatures of the earth. 2.(initial capital letter) God, especially when conceived as omnisciently directing the universe and the affairs of humankind with wise benevolence. 3. a manifestation of divine care or direction.
摂理とは、振り返るときに、それは、聖なる、永遠の神様の御手であったと気づく。その時は、分からない。

● 選ばれたエステル

退けられた王妃ワシュティの変わりに、新しく王妃の候補者を募ることになりました。ペルシャ全ての州から美しい娘たちがやってきました。私は、ふと思いました。はたして、エステルは、自分から進んで、ペルシャ王の妻になりたかったのでしょうかと。ユダヤ人は、昔から、外国人との結婚は良くないこととされていました。ましてや、異教の神を信じている王との結婚です。どんな、異教との関わりを持たされるか分かりませんし、清くない食べ物も口にしなければならないかもしれません。このストーリーは、なんだか、ビューティコンテストのような、シンデレラストーリーのように表面上は聞こえますが、エステルが自分から喜んでこの道を選んだのではないのです。
たとえ、自分で選んではいない道であっても、エステルは、その特質ゆえに頂点へと選ばれて行きます。

V7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。And Mordecai had brought up Hadassah, that is, Esther, his uncle’s daughter, for she had neither father nor mother. The young woman was lovely and beautiful. When her father and mother died, Mordecai took her as his own daughter.

〇外見の美しさ、

彼女には、もって生まれた特質、神が与えられた外見の美しさがあった。それが故に、白羽の矢がたったとも言えよう。これも、彼女の予期せぬ、摂理である。
賜物セミナーでも学びましたが、私たちは、生まれながらに持っている性質をあまりにも自然なため大したことと思わないが、神があなたにその賜物・特質を与えたには、理由が必ずあることを忘れてはならない。あなたの神の目的は何でしょうか?

〇内面の美しさ…砕かれた魂(柔和)、癒された魂
 
エステルは、若くして両親を失っていました。外国に捕囚された身であり、両親をなくし、いろいろと不自由があったことでしょう。しかし、外面の美しさゆえに彼女は、王妃候補nomineeとして宮殿に行くことになるのです。彼女は、また内面の美しさも供えていたと思われます。
人は、皆傷つきながら生きています。そして、その傷に振り回されて生きるのか、乗り越えて生きるのかでは大きな違いがあります。過去の傷に振り回されている人は、言葉の端々に苦々しさがで、また物の見方が歪んでいまするしかし、傷から癒され、乗り越えた人は、かえって、ひどいことが過去にあったとは、人に思わせないほどのすがすがしさがあります。
また、苦しみを乗り越えた人は、柔和であります。これは、イエス様に現されている素晴らしい特質です。
エステルは、王妃となるコンテストの前に、すでに神様にあって、試され、精錬された金のようであったのです。

〇従順と敬意

V10エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。Esther had not revealed her nationality and family background, because Mordecai had forbidden her to do so.

V15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。

イエス様も、父のしていることを見て物事をしていると言われました。従順さのない人は、神様の時にも従順になれません。

〇人格についてくる好意

V8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。

〇王の愛と、王の信頼

V17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。

★ 摂理の中で神に選ばれる人には、神の目的に向かえば向かうほど、好意が付いて回る。
私たちは、みな神や人に選ばれ、さまざまな役割を担い、様々な場所にいます。しかし、本当に神様の摂理の中で用いられる人には、その資質が伴うのです。

● 神の摂理と私たちの信仰が交わるとき

エステル4章13-16
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」And Mordecai told them to answer Esther: “Do not think in your heart that you will escape in the king’s palace any more than all the other Jews. 14 For if you remain completely silent at this time, relief and deliverance will arise for the Jews from another place, but you and your father’s house will perish. Yet who knows whether you have come to the kingdom for such a time as this?”
15 Then Esther told them to reply to Mordecai: 16 “Go, gather all the Jews who are present in Shushan, and fast for me; neither eat nor drink for three days, night or day. My maids and I will fast likewise. And so I will go to the king, which is against the law; and if I perish, I perish!”

〇神に選ばれている理由を悟る 

神は、エステルをただ異国の王妃にするために王妃に成り上がらせたのではない。

〇神に第一の信頼を置く 「死ななければいけなのなら、死にます」

信仰とリスクは隣り合わせ。神の摂理の中で、自分の役割を悟り、それでも、私は神に信頼します。と、自分より、神を一番にする時に、神の目的が完成される。
イエス様もこういわれました。

ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 Very truly I tell you, unless a kernel of wheat falls to the ground and dies, it remains only a single seed. But if it dies, it produces many seeds.

ヨハネ15:16
16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。You did not choose me, but I chose you and appointed you so that you might go and bear fruit—fruit that will last—and so that whatever you ask in my name the Father will give you. 17 This is my command: Love each other.

私たちも、みんな、神の摂理の中にいます。好まざると好もうと、今歩んでいる道に神様の配慮があります。私たち一人人が、摂理の中で、神に選ばれる人となり、神に自分をおいても従える人となることができましように。アーメン
#エステル記 #旧約聖書 #礼拝

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