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イエス様の道②私たちの祈り

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今月のお誕生ケーキ。二階建て!... 今月のお誕生ケーキ。二階建て!!! ハーモニーさんおめでとうござい... ハーモニーさんおめでとうございます。子供たちがろうそくを吹くのをお手伝い。。。顔が真剣! 今日で、英語教会の子供教会の牧... 今日で、英語教会の子供教会の牧師ライアン先生の最後の日でした。ライアン先生は、これから宣教師になる準備に入ります。子供たちは、お別れ会をしました。寂しそうでした。
2018年5月27日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


人は、人に影響を与えずに、また影響を与えられずに存在することができないようにできている。それは、脳科学を見ても証明されている。人は、神の似姿に造られている。創世記二章。神もまた、三位が互いに影響を及ぼしながら存在しているのである。

第一回で、イエス様は赤ちゃんで生まれて来て、周りにいる人たちに世話されるように、その世話を受けるようにされたことを話しました。イエス様は、どこまでも、神と人との隔たりを縮めるようにされた。イエス様はどこまでも私たちと近く、共に、一緒に、親密に存在されたいという願いの現れではないか。私たちがそこにどれほど気が付いているだろうか。

神は、人に助けられる必要が全くないが、神は、人に影響されることをよしとされている。神は、人間に操作される存在ではないが、人と交わりをもち、人から影響を受けることもご自分で良しとされている。

★アブラハムのとりなし

この主のアブラハム家族の訪問の際、来年の今頃、サラは男の子を産むと言われている。そして、神に不可能なことは一つもないという会話をしている。

創世記18:17-19

主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべて国々は、彼によって祝福される。19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」

創世記18:22-33

22 その人たちはそこからソドムとゴモラのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」26 主は答えられた。「もしソドムとゴモラで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

◎祈りは会話である

V33主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた33 When the Lord had finished speaking with Abraham, he left

祈りは、お経、チャンティングではなく、交わりです。交流、経験の共有。敬意と愛の交換。

◎会話を通して、主と交わる

交わりとは、互いに影響を与え受けることです。
アブラハムは、「神に不可能なことはない」という言葉を受け取った後で、自分の甥ロトが住む地域が罪の故に滅ぼされることを聞きました。これはいけない。。。
と、祈ります。もし50人正しい人がいれば、その人たちも滅ぼされてしまわないように、救ってください。。。40人、30人、20人、10人。。。。

◎アブラハムの神経験

アブラハムは、このとりなしの祈りの中で何を経験したのでしょうか。アブラハムは、祈れば祈るほど、神の心を知っていった。神様、五十人、神様が、その五十人のために滅ぼすまい。と言われると、アブラハムは、どんなに、神が少数であっても、神に従う人の存在を尊く思っておられ、そして、その人たちのために、この町全体を救いたいというほどの熱い愛を持っておられることを知ったのです。

四十人、三十人、二十人。。。。祈るごとに、神の心を知っていったのです。
祈りは、自分の願いをお経のように唱えるものではないのです。神体験をするものです。

また、神にますます影響される場なのです。そして、神もまたそれに答えられ、神と私が思いが一つになっていく、愛、目的、悲しみ、願い、働きが一つになっていくものなのです。

神の御心はどこから急に降ってくるものではない。祈りによって、交わりによって、神と二人で一緒に見つけていくものです。一人で神の御心を見つけるのではないのです。

◎そこに脆弱性(ぜいじゃくせい)が求められるVulnerability required

自分のニード、心を相手に知ってもらうということは、脆弱性もとめられる。日本的に言うと腹をわって本音をさらけ出すことが無ければ、互いに理解できない。アブラハムにとっては、自分の家族のことが一番念頭に会ったことだろうが、そのために祈るうちに、神の深い愛と願いを知るようになる。おそるおそる、10人ではどうでしょうと祈ることになった。

◎神との親密さに制限をかけないこと

そして、結局10人も正しい人がいなかったので滅ぼされることになるが、そのまま、祈りを続けていたら、どうだっただろう。。。不可能のないお方が、例えば、一人の正しい人であったノアにあげたプランのような、箱舟というシェルターのような、何かそんな計画が出てくる可能性もあったかもしれません。

どこまでも、どこまでも、神の心を求めて、私たちは、祈り続けるべきです。私たちは、神を知ることを第一に、神に近づいていくべきです。

◎イエス様の話された言葉

祈りは、神を支配することではありません。祈りは、神を操作するものではありません。イエス様は言われました。

ヨハネ15:15

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

友は互いに支配関係にない。同等である。と、私たちから影響を受けたい、私たちに影響を及ぼしたい、王の王であり、主の主であるイエス様がおっしゃっているのです。
大胆に、そして、もっと神を知るために、祈りの交わりを神様と持っていきましょう。



#イエス様 #礼拝

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良きサマリヤ人に!

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先週はエリックがメッセージをしました。
エリックは、いつもメッセージの前に、何か出来事が起きます。
不思議です。
なんでしょうね。
身をもって体験して語るように神様に召されているのでしょうね。

ワオ!と言っているユーザー

イエス様の道①—弱さを通しての力

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二週間前の日曜日は、ファンドレ... 二週間前の日曜日は、ファンドレイザーランチを作って売りました。
教会の皆さんが、私たちの夏の日本ミニストリー旅行のためにご苦労してくれました。焼きそばチーム
こちらは、日本式ホットドッグ盛... こちらは、日本式ホットドッグ盛り付け こちらは、焼き飯チーム こちらは、焼き飯チーム 焼き飯の盛り付け 焼き飯の盛り付け こちらは、お店担当。。一日立ち... こちらは、お店担当。。一日立ちっぱなしのまきさん。ありがとう。
2018年5月13日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


ヨハネ14:4-7
4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」You know the way to the place where I am going.” 5 Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?” 6 Jesus answered, “I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. 7 If you really know me, you will know[b] my Father as well. From now on, you do know him and have seen him.”

イエス様は、過ぎ越しの祭が近くなり、ご自分の死が近いことを悟り、弟子たちと話した。私が行く道、みなの知っている道だ。それは、みんなが今まで目の当たりにしてきた道だ。その道は、わたしだ。私を見たものは父を見たのだ。と。
当時の弟子たちは、とても政治的な期待をもってもイエス様について行っていた。イエス様こそ、立派なリーダーでローマからユダヤを解放してくれるのではないか。と。イエス様は力を持っているからと。。。
イエス様は、私の道は、あなたが知っている道です。あなたがイエス様にすでに見て知っている道だと言われる。。。

★この世の権力理解

悪魔はもともと、権力を持ちたがった。天のワーシップリーダーだったが神をあがめるリーダーでいるより、みんなにあがめられる神の位置に行きたいと思い。天から落とされた。イザヤ書14章12-15 最初の人が、神の声を聞かずに悪魔の声を聞いたことで、彼らに従うものとなり、悪魔の子ともいわれるようになった。世の力、権力について、この悪魔の考え方の影響があることを忘れてはならない。

先週、イスラエルの民は、王を欲しがったという話をしました。人々は、他国が王に治められてるように、一人の王に治められたかった。すなわち、神のやり方でない方法でコントロールされたかった。人の世界、この世の力は、コントロールです。誰が、全ての利権、権力を持つのかと。

★聖書的な権威とは

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます。
イエス様は、ペテロを再任命する時にも、わたしの羊を飼いなさいと言われた。
羊飼いは、羊の人生のすべてです。イエス様は私たちの良い羊飼いです。夜には、羊の門となり門に横たわり悪い泥棒や、動物から羊を身をもって守ります。食べる者、飲むものを羊に与え、目の弱い羊を導いて、危険から守り、病気の羊の手当てをし、癒し、そして、迷子になったら、99匹を置いて一匹を探しに行きます。
聖書の権威とは、このような羊飼いのような権威です。この世の権威とは違います。

★イエス様に見られる父の権力

良い牧者の権威は、負の投資があったから与えられたものであった。 Divestment

マルコ10:43-45
43あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。44あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。45人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためです。

●弱さを通して

イエス様は、生まれてくる時も、死ぬ時も弱さを選びました。処女マリヤから生まれることを選ばれ、いわば、いわくつきの子供のレッテルを選ばれました。普通ではないという。また、学者や政治家の家に生まれたのではなく、大工の息子として生まれました。
また、人として生まれてきたイエス様は、私たちの一人のような無防備な赤ちゃんで生まれました。赤ちゃんは、誰かに守られなければ生きて行くことができません。神の子は、私たちの人間に守られながら成長することを選ばれたのです。なぜでしょうか。

みなさん、私たちは、権威者を恐れます。しかし、あんなかわいい赤ちゃんを恐れる人が一体いるでしょうか。私たちの一人のような人を恐れる人がいるでしょうか。
私たちの一人のような家庭に育った、この方を誰が脅威に感じるでしょうか。

私たちの神は、弱さを通して権威を示される神でもあるのです。
イザヤ書には、イエス様の十字架の預言で、人があまりにもかわいそうでむごたらしくて顔を背けるほどであった。とあります。そんなに、弱い方をどうして恐れることでしょうか。

●無力さが力の武装を解除する 

 イエス様の十字架は、世のすべての権威の武装を解除するためにあったのです。イエス様の前には、DMZゾーン。イエス様がいらっしゃるところでは、どんな権威も、コントロールしようとする力も、その武器と策略を下さなければいけないのです。何も、イエス様の権威に勝物はないのです。

コロサイ2:13-15
13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。13 When you were dead in your sins and in the uncircumcision of your flesh, God made you alive with Christ. He forgave us all our sins, 14 having canceled the charge of our legal indebtedness, which stood against us and condemned us; he has taken it away, nailing it to the cross. 15 And having disarmed the powers and authorities, he made a public spectacle of them, triumphing over them by the cross.

●本当の力は、人々を自由にし、和解させ癒す。

この世の力にいつもコントロールが伴い、分裂が伴う。自分の力を行使するなら、自分の強さはコントロールし保てるが、自分と神を分裂させ、人と分断する。交わりがない。共有がない。イエス様の十字架の苦しみと弱さは、私たちの人間関係を

エペソ2:14-15
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。For he himself is our peace, who has made the two groups one and has destroyed the barrier, the dividing wall of hostility, 15 by setting aside in his flesh the law with its commands and regulations.

●弱さの中に完全に働く神の力

パウロは言いました。そして、誇りました。

Ⅱコリント12:9
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore, I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
私たちには、神に従う時、戦いがあります。弱さを覚えます。しかし、パウロのようにたくさんの困難と迫害にあった人がいうのです、イエス様の力は弱さの中に完全に現れると。あなたが弱くて、もがいていてもそこに、イエス様の力が完全に働くことを信じますか。それとも、この世の力を得ようとして、もっともがきますか?

●イエス様の弱さは、愛の故であった また神の権力とは、愛である。

この世のすべての権威の武装を解くのは、愛の力でした。イエス・キリストの、良い牧者は羊のために命を捨てます、という、その愛なのです。自分よりも、あなたを生かしたいという、愛。あなたの苦しみ、あなたの悩み、あなたの罪の呪いと恥を取り除きたいという、その愛なのです。

ヨハネ14 に、イエス様は私たちにわたしよりも大きなわざをすると言われている。私たちが、この世の権力に集中するのではなく、イエス様を通して表された神の力を真に行使するのなら、きっとこの世の中は変わるでしょう。
●天においても地においてもすべての権威が与えられています、だから、出て行って。。。

マタイ28:18-20
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」“All authority in heaven and on earth has been given to me. 19 Therefore go and make disciples of all nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, 20 and teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age.”

★超自然的な力

自分の弱さを乗り切るという目的ではない、それ以上。あなたを通して神の力が現わされるのです。不思議ですが、イエス様の人生を通して、父の力は人を赦し、人を解放し、人を和解させる力を与えられたのです。
God blessed and gave power in Weakness, God blessed and gave power in powerlessness.
“My strength made perfect in weakness.” 2 Cor.12:9
#イエス様 #礼拝

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イエス様と一緒にしましょ Do it with Jesus

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朝の礼拝中、女子の井戸端会議。... 朝の礼拝中、女子の井戸端会議。。。。。
めちゃかわいい。。。。。
今日は、新しいお兄さんが二人来... 今日は、新しいお兄さんが二人来られて、子供たちは大喜び、優しくゲームを教えてくれたりしました。
やっぱ、お兄さんって好きなんだよねーーー♪
Yくん、Rくん、また続けて来てねーーーーーー♪
2018年5月6日日曜日礼拝の音声は、こちらから


ヨハネJohn 6:1-14

1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。2 大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」10 イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。14 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。

★ ピリポを試して言われた Jesus tested Philip v4-6






◎大勢の人の群れがイエス様を求めて来ていた。Multitude is seeking Jesus


◎イエス様と一緒に Do it with Jesus


◎試して言われた Jesus said to test Philip


◎ピリピの答え Philip’s reply


★ 一人の少年のお弁当 A boy’s Bento


★ 分けるごとに増えたパン Food Increased as you shared


★ イエス様が示すものは What’s Jesus is saying here?



◎一人ひとり隣の人に手渡しをする One to Another



◎自分の手の内にあるパンを隣に分けていく。A Piece of Bread in your Hand



◎出来立てほやほやのパンをお隣に Share it when it is fresh
#イエス様 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

どんな時にも主にあって Always in the Lord 

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今週は、日本から、しずかちゃん... 今週は、日本から、しずかちゃんのご家族が訪問してくださいました。とてもよい交わりを持つことができました。この写真は、お父さんがとってくださいました。 礼拝後、お天気で、お兄さんが、... 礼拝後、お天気で、お兄さんが、ボーイズを連れてシアトルセンターで遊んでくれましたーー すごく高いロープでできたジャン... すごく高いロープでできたジャングルジムと、滑り台。。。。子供にはたまらない、楽しいものですが、大人にはどうだったでしょうか。。。

2018年4月29日日曜日礼拝音声は、


先週は、今この時を主とともに生きることについてお話しました。人は、過去と未来に縛られて生きているものであるが、今を主とともに生きるところに力があるというお話しでした。今日もその続きをお話ししたいと思います。
先週も話しましたが、私たちの感情は神様からのメッセンジャーです。私たちは、感情によって物事を絶えず判断して生きています。また、私たちの感情が過去、現在、未来を自分と結びつけます。私たちの天国の通貨、ご褒美は喜びです。これも感情です。

私たちの感情が消化されていないところに、自己防御システムができることも先週話しました。

自分の感情すべてを神さまとともに経験することは、私たちが全身全霊で神の前に存在し、神の前に今を生きるために大変重要なことです。自分の感情すべてと繋がることは、神と繋がることに通ずるのです。
例えば、男性なら悲しみ、女性なら怒りを覚えることに難しさと不自由さを感じます。それらの感情は、文化的にタブー視されているものでもありましょう。私たちは、その感情を避けるためにいろいろな工夫をするのです。その工夫が私たちを自分から分離させ、神にも距離を置かせる結果となります。

聖書の中に、一人、自分の感情と近く歩み、また神と近く歩んだ人がいます。それは、ダビデです。ダビデは、サーミストでした。幼い時から、竪琴を弾き、羊の世話を野でしながら、神に賛美を捧げていました。ダビデは詩をたくさん残しました。

◎野で羊の世話をしている時 
詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。The Lord is my shepherd; I shall not want.

◎恐怖と混乱の時…サウル王から逃げ、ペリシテのガデの王アキシュのところへ行ったとき気が狂っている体を取った時

詩篇34:1-3  1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

詩篇56:3恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。Whenever I am afraid,
I will trust in You.
詩篇56:8 
8あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。 
You number my wanderings; Put my tears into Your bottle; Are they not in Your book?

◎喜びの時  主の箱をいよいよダビデの町まで運んだ時
2サムエル6:14
ダビデは、主の前で、力の限り踊った。Then David danced before the Lord with all his might;
妻ミカルの話によるとダビデは裸で踊ったとされる

◎悔い改める時 バテシェバとの罪ナタンに示されて
詩篇51:10神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
Create in me a clean heart, O God, And renew a steadfast spirit within me.
詩篇51:17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。The sacrifices of God are a broken spirit, A broken and a contrite heart—
These, O God, You will not despise.

◎自分の子供が死にそうな時
2サムエル12:16 -17
ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。17 彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から引き起こそうとしたが、ダビデは起きようとうもせず、彼らといっしょに食事を取ろうともしなかった。

◎自分の民に命を狙われている時 …ダビデは自分の妻や子供たちも敵に奪われた、民も自分たちの家族が奪われたことで、ダビデを恨み、石打ちにしようとした。
1サムエル30:6
ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。"But David strengthened himself in the Lord."

★ 私たちが神様に繋がる

ヨハネ15:4-5
4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。4 Abide in Me, and I in you. As the branch cannot bear fruit of itself, unless it abides in the vine, neither can you, unless you abide in Me. 5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

★ 心の一新のチャンス

先週も、神様と適合していくことについて話しましたが、自分の感情と向き合い、神様に私たちの感情を知ってもらう時、私たちの感情は消化されます。また、過去の出来事、トラウマの場合には、脳内の回路が訂正され、神様による健康的な回路に改正されます。聖書にある通りです。

ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

★ 感情の出どころが泉の出どころ

ヨハネ7:37-39
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。37 On the last day, that great day of the feast, Jesus stood and cried out, saying, “If anyone thirsts, let him come to Me and drink. 38 He who believes in Me, as the Scripture has said, out of his heart will flow rivers of living water.” 39 But this He spoke concerning the Spirit, whom those believing in Him would receive; for the Holy Spirit was not yet given, because Jesus was not yet glorified.

〇心の奥底 ギリシャ語でコイリアkoi-lē'-ä --- belly, (upper, lower), womb, feelings, the innermost part of a man, the soul, heart as the seat of thought, feeling, choice

私たちの感情は、私たちの脳への燃料であり、私たちの脳、すなわちマインドは、私たちの創造の場所です。心、あるいは、腹の奥底からと書いてあるその場所に、聖霊様がいらっしゃる。あなたの感情の奥底、はらわたにしまい込んでいるその感情。。。そこに聖霊様が来られるのです。

以前にもビデオをお見せしたことがありますが、2006年ころに、アメリカのニュース番組で、異言での祈りが脳にもたらす影響について、やっていました。普通の祈りとの違い。。。普通の祈りと仏教のお経は同じで、前頭葉が活発になりました。異言の祈りは、脳全体が活発に動きました。これは何を意味しているかというと、あなたの過去も未来も現在も皆、互いに適合し合っているということです。神様は、時も状況もすべてを越えて私たちを造り変えることができるお方です。

●わたしの「だっこ」証し
音声を聞いてください。

感情は、神様からのメッセンジャーです。人は、いつも何かを感じなが生きています。感情に気が付くとき、それは、神様と繋がるチャンスです。シグナルです。合図と考えてください。そして、ダビデのように、その都度、自分を主にあって強めてください。あなたは、必ず、主にとどまり、多くの実をむすぶことでしょう。
#ダビデ #感情 #礼拝

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