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Fear not! 恐れるな

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日の出を見ると、神様がなんだか... 日の出を見ると、神様がなんだか、今日も共にいて、祝福してくださるっていう思いが来ます。
God is with you!
明けましておめでとうございます。

みなさんに、今年初めの、励ましの言葉を贈りたいと思います。

二週間前はクリスマスでしたね。みなさん、聞いたことがあるかもしれませんが、イエス様の別の名前は、インマヌエルと言います。その意味は、「主は私たちとともにおられる。」と言う意味です。それがどうして素晴らしいのでしょうか。

聖書の中には、次のような言葉があります。

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』イザヤ書41:10

Fear not, for I am with you;
Be not dismayed, for I am your God.
I will strengthen you,
Yes, I will help you,
I will uphold you with My righteous right hand.’ Isaiah 41:10

そして、「恐れるな」と聖書の中に、なんと365回出てくるのです。
まるで、神様が、一年毎日毎日、私たち人間に恐れるなと念押しをしているようです。

そして、その理由が、わたしがあなたとともにいるから。わたしがあなたを助け、守るから。。とあります。

神様が私と共にいてくれるということを心に持った人は、強いのです。
なぜなら、神には無限の力と知恵があるからです。

2018年という年を迎えるにあたって、すぐに頭に浮かんだのが、今年、神は私とともにいらっしゃるということ。だから、大丈夫! ということです。

一は、アイ私で、8はよこにむけると∞になります。

私は、小さい存在ですが、ちょうど、1のように、しかし、無限の力と知恵と愛のある神様が私とともにあれば、絶対に何があっても大丈夫なのです。

神がともにいてくださるなら、恐れることはないのです。

みなさん、「恐れるな、神が私と共にいるから」と毎日自分に言って聞かせてあげてください。

ぜひ、今日覚えてください。神が私と共にいる。ということを。

皆さんのために、お祈りしています。
ブログル仲間さん、今年も、素晴らしい年になりますように!


#イベント #正月 #教会

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新年礼拝 2018

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今年もたくさんの方々が新年礼拝... 今年もたくさんの方々が新年礼拝に来てくださいました。
皆さんで、書初めも楽しみました!
新年礼拝 2018 新年礼拝 2018 新年礼拝 2018
この日曜日は、

2018年一番初めの日曜日ということで、

新年礼拝でした。

毎年恒例のお節、お雑煮、そして書初めを楽しみました。

想像よりもたくさんの方々が来られて、なんと、お雑煮が足りなくなってしまいましたーー。

結局、63 - 66人くらいいらしたのかな?

皆さんの上に、神様の祝福があり、神様の導きのある一年でありますように
お祈りしました。

初めて来られた方も、あたたかい雰囲気でまた来たいとおっしゃってくださった方も。。。何よりのお言葉です。

来週は、献児式ですーー。

#イベント #正月 #教会

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お正月を前に。。。

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今年は、ぜひ餅つきをしようと、... 今年は、ぜひ餅つきをしようと、餅つき器を借りてきました。
二台を回して、二回つきました。
つきたては美味しくて、みなさん... つきたては美味しくて、みなさんたくさん食べました。
たくさん作った大根おろしもほぼ完食。
あんこでは、あんころもちも作りました。
今日は、今年最後の土曜日

餅つき器を二台お借りして、餅つき会をしました。

突き立てのおもちは美味しいです。

あんこ、きなこ、のり、大根おろしなどを用意して食べました。

おもちは、すごくお腹がいっぱいになるんですね。。。

忘れていました。

で、つきすぎて、みんな家に持ち帰ることができました。

みなさん楽しまれて、なんだか、これから毎年恒例になりそうです。。。

今年は、いい年でした。

教会の皆さんも、神様の前に大きく成長する年になりましたし、

共に泣き、ともに笑う、愛の共同体として教会としても大きく成長できました。

洗礼者もたくさん与えられました。

いつも、何日もかけて準備していたイベントもみんなでばぱっと準備もできるようになりました。

なんだか、子供が成長していく頼もしさと寂しさの混じったような感情を覚えます。

これも、とってもいいことですね。

今年は、たくさんの祝福をいただいて、神様本当にありがとうございました。

私の学業も守られて、たくさん吸収させてもらっています。

みなさんも良いお年を!

ブログル仲間さんにはたくさん励ましていただいて、いつも感謝しています。



#イベント #もち #教会

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毎月恒例のお誕生日祝い

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毎月恒例のお誕生日祝い 毎月恒例のお誕生日祝い
わが教会では、毎月その月ごとの誕生日を祝っています。

今月は、なつこさん、エリック、えまちゃん。。。

えまちゃんはお休みで祝えませんでしたが、

手作りケーキにキャンドルを立ててーーー

あれーー

いくらふいても火がもどってくるーー

あーー。これ、いたづらのやつやんーー!!! と、

なかなか消えず、結局、水の中にじゅっとしたのでした。。

ふーーー疲れた。

ケーキもいつもは、るりこさんの美しい、美味しいケーキですが、
今回は、お留守なので、私が久しぶりに。。。。

結構失敗して、ういろうみたいになってしまった。。。。すまん、みんな。。。

この日曜日は、ゲストスピーカー、ビルマ人のジョシュアが久々に来てくれてメッセージしてくれました。

また、新しい方も来られて、とっても良い日曜日でした。


#教会 #礼拝 #日曜日 #誕生日

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生まれ変わる

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洗礼を受けられた方々と一緒に記... 洗礼を受けられた方々と一緒に記念撮影。
みなさんとても 嬉しそうです。
礼拝中に、どのように神様を信じ... 礼拝中に、どのように神様を信じるようになったか、神様に出会ってどんなふうに変えられたか、などなど、体験談を一人ひとりお話ししてくださいました。
七月に一人、八月に三名方が洗礼 (バプテスマ)を受けられました。

とってもとっても喜びにあふれた素晴らしい礼拝となりました。

聖書の中に次のような言葉があります。

ヨハネ3:3-4

3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

生まれ変わって、人生をやり直せたら。。。と思う人は多い、いや、ほとんどの人がそうかも知れません。

イエス様にあっては生まれ変わることができるのです。

洗礼というのは、神の前にも人の前にも、これからは神とともに生きて行きますという信仰告白の日であり、入学式のような、またお葬式のような日でもあります。

洗礼というのは、水の中に完全に浸かり、水の中は死を表し、水から出る時には、新しい命、イエス様の復活のいのちで新しく生まれるということを象徴します。

クリスチャンとしてとても大切な日です。

牧師をしていて、喜びの大きな日の一つでもあります。

礼拝の中で、みなさん証し/ 体験談をシェアしてくれました。

それぞれの人生が変わり、その人の周りが変わり、喜びと感謝にあふれていました。

素晴らしいです。

あーーーー嬉しい嬉しい! 喜びでいっぱい!



#教会 #礼拝 #日曜日 #洗礼

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栄光は対面の中に Glory is in “face-to-face”

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今日のメッセージは、ブーバーに... 今日のメッセージは、ブーバーに出会ったからこそ、語られたことでした。。。。。
神様、感謝します。
教会は、成長しています。人々が解放され、生き生きとしています。それが、何よりの私の食べ物です。。。
ハレルヤ!

2017年8月13日日曜日礼拝メッセージ音声はこちらから、


今週ある方と話していて、ディスカッションしたことを分かち合いたいと思います。みなさん、イエス様の変貌の箇所を読んだことがあるでしょうか。そこから、今日は学んで行きたいと思います。

マタイ17:1-8

1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」5 彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。6 弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。7 すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。8 そこで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。

マタイ16章、17章にはいろいろとペテロの言動が取り上げられて出てきます。時期は、イエス様が十字架にかかる前に弟子たちに心備えを促していた時。十字架で死ぬんだよーと教え始めたころです。ペテロは、あなたは私を誰というか? と聞かれ、「あなたは神の子キリスト」と告白し、それは神様が言わせてくれているのだよと、ちょっとほめられた感じになり、その後、イエス様が殺されるんだよ、という話になると、「いやいや、そんなことないよ」とイエス様をいさめて、「下がれ、サタン」と怒られちゃったりしました。
私たちは、こんなペテロの姿を見て、自分を見るような気分になります。。。あるときは、霊的で、聖霊によって、バシッと話せたり、そうかと思えば、とても肉的になって、神様に叱られたり。。。私たちは、そんな危うい存在なのかもしれませんね。誰しも経験が。。。
その出来事の一週間後、イエス様は、特別に三人の弟子を連れて、山に登りました。そして、不思議な体験をしたのです。

★ 神は公平、不公平?

イエス様は、このペテロとヤコブとヨハネをいつもそばに置きました。ゲッセマネにだって連れて行きました。ここぞ、というときには必ず連れて行きました。イエス様にはほかにも弟子はたくさんいました。女の弟子たち、12弟子、七十人弟子。。。。どうして三人だけ。。。肉的な人は、三人を特別扱いされていると思うかも知れません。どうやったら、あの三人になれるのか。。。などと、実際に、他の箇所では、誰が天でイエス様の近くに座るかなどと議論されたり、誰が一番偉いかと議論される箇所がありますね。私たちは、肉の目で見ると、このような失敗をします。

ヨハネの16章でも、「あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を選んだのです。」とあります。神様の世界は、教室的な学校ではないのです、一人ひとりにカスタマイズされた選びがあり、使命があります。誰が偉いとか、下だとかありません。ただ一つ、賞賛に値するのは、自分の置かれた場所で、導かれていることに、忠実であることです。小さいことに忠実である人は、多くをやがて任されるようになります。(ルカ16) 私たちが注目するべところは、いかに神に誠実に、忠実であるか。。。である部分です。

忠実であるときに、神の喜びとともに喜ぶというご褒美に預かることができるのです。(マタイ25)

★ 変貌への応答から学ぶこと

さて、この三人は、この光栄な出来事の中で忠実であることでできたのでしょうか。。。

2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

① 栄光のとどめ方レシピ?

ペテロは、あまりにもすごい光景を見て、驚きました。モーセとエリヤは、モーセは神から律法をいただいた偉大な指導者、エリヤは預言者の代表、ユダヤ人にとっては二大英雄、律法と預言二つ合わせて聖書全体をあらわし、それを全うしたイエス様と出会っている様を見たのです。なんというすごい光景。しかも、光輝き、この世のものとは思えない光景です。いよいよ、十字架の話をみんなにしている時期に、旧約の二大英雄、そして神の教え全体を表す二人と「あなた方に新しい戒めを与えよう、互いに愛し合いなさい」と言われた、新しい生き方のイエス様が対面しているというこの意味深さ。。。弟子たちには理解できたのでしょうか。

その時、ペテロは、あまりの栄光に圧倒されて、これを保てればいい。。。ずっとここにいたい。。。とも思ったことでしょう。彼は、話しているイエス様に割って入って言いました。「おひとりおひとりのためにここに私が幕屋を作ります!」と。。。ここに、私たちへの警告が示されています。

私たちは、何かすごいムーブメントがあれば、それと同じことをフランチャイズしてそのムーブメントをとどめようとします。幕屋を立てて、そこにとどまってもらう。。。というのは、何か、クッキーカッターのように、これをすれば、この栄光がまた来るという期待からのもので、これが、宗教の霊の始まりです。クッキーカッターとムーブメントの約束があれば、神との関係なんていらないのです。また、信仰なんて必要ないのです。型、形、に神はいないことを私たちは知らなければなりません。

② 栄光はどこにあるか?

みなさん、この栄光は、どこから来ていたのでしょうか。。。それは、モーセとエリヤとイエス様がそれぞれ顔と顔とを合わせて語り合っているそのただ中にあったのです。やり方や、フランチャイズされたムーブメントではないのです。神との対峙の中に、栄光は宿るのです。

ブーバー。。。純粋な二人の人が対峙するところに神がいる。。。私の証し。
神との対峙、対面こそが一番のメッセージであって、現象ではないのです。現象は、とどめることができません。それは、無くなったり、行ったり来たりします。けれども、愛、神との出会いは無くなりません。

③ 彼の言うことを聞きなさい

ペテロが幕屋の一件を言うと。。。天からの声が、「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がしました。
私たちの第一とするものは、ムーブメント、現象ではなく、イエス様の声に聞き従うことです。「見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(一サムエル記15)つまり、聞き従うことは、宗教に勝るのです。私たちは、イエス様との関係、出会い、対峙、愛の関係を宗教に成り下がらせてはいけないのです!

★ 変貌目撃の結果

マタイ16章の最後の方に、「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。」V24 とありますが、この栄光を目撃した三人は、みな神様のために死にました。ヤコブは初めの殉教者となり、ペテロも十字架刑になりましたし、ヨハネは、パトモスで死にました。
現象をとどめようとしたペテロは、後の文書でこのように書いています。

Ⅱペテロ1:16-19

私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

彼は、試練の中で、あの体験で経験した、神との対話、顔と顔とを合わせる中にある栄光に思いをはせながら、耐えたのです。神との出会いが彼の生涯の力となったわけです。あの栄光のある天国を見据えながら耐え抜いたのです。それは、信仰によりました。
神との対面は、私たちを強める。私たちは、神と対面しながら、日々生活し、日々奉仕し、試練に耐え、等々。。。全て、神との関係、神と顔と顔とを合わせながら歩むのです。

私たちは、あの現象がこの現象がと現象を追いかけてはいないでしょうか。あれさえあったら。。。などと。。。しかし、あなたが愛の関係、日々のface to faceの時間が神とないならば、栄光などないのです。神を心から求めませんか? 神との愛の関係を築くことをもう一度考えてみませんか?


#教会 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #栄光 #神との会話

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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きpart 2

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木曜日は、子供たちを連れてシア... 木曜日は、子供たちを連れてシアトルセンターにピクニック。
暑かったです。
私もすごく日焼けしました。
お弁当も食べて、楽しい一日でし... お弁当も食べて、楽しい一日でした!

子供たちは、いくら泳いでも元気... 子供たちは、いくら泳いでも元気いっぱい。
すごい体力です。
暑いのに。。。
2017年8月6日日曜日礼拝メッセージ音声と書いたものと、だいぶ違うことになっています。音声の方がおすすめです!


今日は、先週の続きです。先週は全部カバーすることができませんでした。

ヨハネ1:1-2 “初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.” 
イエス様のことを話している箇所ですが、私たちも、クリスチャンとして成熟すればするほどキリストに似たものとなります。私たちも神の言葉を体現するものとなります。そして、それが私たちの働きとなります。先週「神に造られた健全な私であることが私の召しである」という話しをしました。

よく聞かれる質問ですが、「自分が無くなることが、キリストのようになることですか」答えは、Yes and No です。神様と対話し、私が神様と一つになれば一つになるほど、ますますあなたらしくなるのです。本来は、神様に造られた通りで生きられていれば、何も問題がないのですが、生まれて来て私たちは、罪を犯し、罪にまみれた世の中で生きているので、いろいろな自己防衛システムができました。自分らしさ、自分の素晴らしさということに気付き、また、それを大いに発揮している人というのは少ないのです。

ですが、この罪の性質につられて生きてしまう自分を古い人といいますが、神の愛の中に歩む時に、この古い人を脱ぎ捨てながら、生きていったらいいのです。そうすれば、あなたらしく、イエス様の似姿に成熟していけるのです。
この「あなたらしく」の中には、過去の苦労や、悲しみ、そして罪も含まれています。これらを神にあって回復され癒されるときに、ますます、あなたの持ち味がでてくるのです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、真の意味で用いられる。古い自分の思うがまま、奔放に自分のしたいことをするのが神の働きではありません。Ego-centered vs God-centered service 神と心が一つになってれば、思いのままに動いても間違いはあまりせん。しかし、神と思いが一つになってないのに、思いのままにやると、それは、肉の働きになり、何の益ももたらされません。

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

ブドウの木は、つるです。リンゴの木のように、どこからどこが幹でどこが枝がよくわかりません。つるなのです。キリスト者というのは、それほどキリストと一つになっているのです。キリストが私のうちにおられ、私はキリストのいのちのうちに隠されている存在です。ブドウの木のように、他から見れば、一つに見えるものであるはずです。しかし、必ずしも、私たちを見たらキリストを見る人はいないのかもしれません。。。。そのためには大切なことがあります。

ヨハネ15:1,2
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away; and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit.

神様は、実を結ばない、枝は剪定してくれるのだそうです。私たちは、痛い思いをしたくないし、また、自分の自己中心的な思いで、ああしたい、こうしたいという枝を伸ばし放題にしていたいのですが、それでは、実がならないのだそうです。たとえ、それが、この世の目で見て、人間的に成功的に見えていても、神と一つになってないなら、きっと実ができていないはずです。

★実をみたら分かる

「愛があったら、わかります」の言葉。。。私の恩師が言いましたが。。。

神と一つであるかどうかというのは、自分の側では、ただ、神を純粋に愛する、人を純粋に愛することを求めて行ったらいいと思います。ただし、神との対話の中で。。。しかし、それが本当に神様から来ていたことかどうかという、吟味は、日がたってみないと分からないことが多々あります。ああ、あの人、活躍しているなー。すごいなーと思うかもしれません。しかし、実際、その人に会ってみたら、御霊の実を感じないとしたら、なんとがっかりでしょう。その人に、忍耐がなく、愛がなく、喜びが無ければ、がっかりするのです。

ガラテヤ5:22-23
122 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません

美味しい御霊の実は、どこから来るのでしょうか。

★死は、あなたが無くなることではない

受肉を考える時に。。。神と思いを一つにするためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。
常に、はじめの愛に帰ること、常にキリストの死と葬りと復活と一つであることを知ること。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまること

ヨハネ14: 23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」Jesus answered and said to him, “If anyone loves Me, he will keep My word; and My Father will love him, and We will come to him and make Our home with him.

私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

人は、人に愛された通りに、また人にするものです。これが、生きた命令です。神の言葉・愛があなたの中に生きるようにするには。愛にとどまること。多く愛され、おおく赦されることによります。

あなたは、神の言葉です。イエス様の美味しい実を周りの人に食べてもらいましょう。それが、あなたの働きであり、召しです。

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #受肉

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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きYou are Incarnated His Word

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これは、先週の写真ですが、最近... これは、先週の写真ですが、最近ギターの練習の成果が出てきて、Mさんが一人でも奏楽の奉仕ができるようになりました! すごい!! さすが、男性ですねーー。楽器を練習している方々もいらっしゃるので、これからも楽しみです。。。牧師としては、喜んで主に仕える姿を見ることが何より一番の喜びです。技術は二の次三の次です。。。。
2017年7月23日日曜日礼拝メッセージ音声は


★人生とは、対話である。

前回のメッセージを覚えていますか。人とは、神と対峙し、神に応答するために造られているというお話しでしたね。マーチン・ブーバーという、有名なユダヤ人哲学者が言うには、「人生とは、対話である」。第一回でも話したように、私たちのアイデンティティは、人との関係性の中で見いだされる。三位一体の神の関係から学びましたね。また、感情についてのお話しでもいかに、自分にとって対峙する相手が必要か分かりましたよね。人は、他者と対話をするごとに、自分を見出していくのです。不思議なことですが、私たちの傷というものは、人から来ます。でも、癒しも人からくるのです。私たちの人生にとって他者は切り離せない存在です。人生は対話。対話の中で自分を見出し、癒され、そして成長していく。隣人は、対峙しコミュニケーションをとる相手である。すなわち愛の対象であり、共感の対象である。ブーバーは、真の私と、隣人が本当に出会うところに神が働かれる。と言います。少し、真の私とは何かということを探ってみたいと思います。

★私になるという召し。

私たち一人一人に名前がついているように、私たちには一人ひとりユニークなデステニーが神に用意されています。神の意図された私になるには、召しがいる。召しがある。召しというのは、すべての人に与えられている。神からの天職というか、神の目的ともいえましょうか。自分が自分になるために献身する必要ある。私たちは、自分が分かるまで、自分の人生の目的が分かるまで、すっきりしないのではないでしょうか。

私がよく聞かれる質問に、どうやったら自分の召しが分かるのですか? 私は、どうやって自分の召しを自分のものにしたらいいですか? 私は、宣教師になるという召しが与えられましたが、どうやったら宣教師になれますか? と聞かれます。実は、この質問は本末転倒なのです。

召しは、あなたであることが召しなのです。もし、健全な神に造られた通りのあなたであるなら、ほかの働きはすべてついてくるのです。頑張って達成するゴールではないのです。

ただ、そこには、コミットメントが必要。自分が健全な自分になるために献身しなければ到達できません。ふわっと、ただ生きているだけでは到達しません。ライザップも結果にコミットするというてます。。

1、 神との対話を大切に
2、 人との対話を大切に
3、 真剣に神の声に従う= 神を恐れる= 神の愛することを愛し、神の嫌うことを嫌う
4、 自我に死ぬことを知ること
5、 赦すことを学ぶ = いつも心の癒しを受け取っている

これらをまとめると、愛することと言い換えることができます。愛の中にとどまること。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること。

召しは、賜物ではありません。神に造られたあなた自身になることです。私たちは、神のために生きる。または、自分の召しを全うするということに関して、たびたび賜物を用いることと混同して考えてしまいます。ですから、パウロは、他者の集まりのキリストの身体のことを説明し、そして、愛について説明し、それから聖霊の賜物について説明しているのです。一緒に、あなたがあなたとなるために必要なみ言葉、を読んでみましょう。

★最も優れているのは、愛。

 Ⅰコリント13章

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のしたあくを思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔を顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知らされているのと同じように、私も完全に知ることになります。13 こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

賜物を追いかけるでもない、実際、聖霊様が働かれるのは、召されて、召しに応じているあなたが、神と対話し、対峙する中で、他者に出会うときに、流れるものがある。それが、神様のお働きであり、御業である。エリックの父の日のメッセージでも話されましたが、愛によって、父から子に渡る霊的財産があるのです。イエス様も、ヨハネ14: 15 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」If you love Me, keep My commandments.と言われました。愛の関係のあった人の信念というのは、自然に受け継ぐものです。死んだおばあちゃんがよく、こんなことをしてくれた。私も知らず知らずのうちに、同じことをしているな、と、言うものです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、用いられる。一つになることも、愛。相手に向かう愛がなければ、働きもない、また働きの実も愛である。神と一つになることは、先週も感情というシグナルも大切だという話しをしましたが、「死」も大切な要素です。「死」とは、どういうことでしょうか。それは、古い肉の自分に死ぬことです。自己中心の肉が、愛の一番の邪魔者です。

受肉を考える時に。。。神と一つになるためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまりなさい。

ヨハネ14: 23

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

  私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

神を愛することは、神の愛していることを心から愛し、神の嫌うことを嫌うことです。今日、神に対峙し、神と対話し、また人との交わりの中で、自分を見出し、真の自分になることにコミットしませんか?

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #受肉

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シリーズGod’s Image③会話相手と応答者

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毎週日曜日は、ランチから始まり... 毎週日曜日は、ランチから始まります。食卓を共にし、食事をすることは大変大切なことです。これだけは、続けたいものです!
2017年7月2日日曜日礼拝メッセージ音声は、


神様のイメージ、神の似姿に造られた人間という視点から、学んでいますが、二週間前は、ことばということを話しました、また先週は、コミュニティなる神そしてそのカギは愛であること。そして、今回は、ある意味で、ことばというカテゴリーなのかもしれません。しかし、文字、口から発する言葉以外の意思伝達方法である感情についてお話ししたいと思います。神は、ダイアログパートナーを探しておられます。私たちは、その呼びかけに答えるリスボンダーです。その関係の中に宝があります。
共感について前も見たかもしれませんが、次のビデオを見てみましょう。
ビデオはこちらから、


① 共感についてEmpathy

私たちが愛を学ぶためには、神との対峙、対話、face to face の時間が必要。
Youtube Video Mirroring
私たちは、自分以外の人がいてこそ、感情が理解できるのです。人一人では生きていけないのです。
このミラーリングによって感情を知るということは、神様によってデザインされ、意味をもって私たちの身体に組み込まれたものです。

② 感情の大切さ

全ての感情は神様からのメッセージ、自分へのサイン。この世の中では、ネガティブな感情を表現することをよくないこととしています。また、キリスト教会の中でも、ずいぶん長い間、「感情ではなく、信仰のみによって」であるとか、「感情は関係ない」というような教えをしてきたのではないでしょうか。前回も話した通りに、神様にも感情があるのです。私たち、神に似せられて造られている者たちとしても、感情には意味があるのです。

(例) 怒りは、ネガティブにとらえられるから、怒りを表さない、または、子供の時に怒れない状態だった場合、親が危険など。。。鬱になったり、いわれのかない倦怠感、原因不明の病気など。。。体に現れてくる

③ 神との共感

○報酬…天のお金は、喜びです。私たちのご褒美は、喜びです。これも、感情の一つです。
主人の喜びとともに喜んでくれ、と新約聖書にも書いてあります。

○悔い改め…一つの例として、ダビデ、ナタンを通して罪を示される。私たちは、神が罪を赦してくれるという言葉に聞きなれていると思います。しかし、自分のしたことというのは、共感する心がなければ、理解できません。自分のしたことのインパクトがどれほどあったのかということが分からなければ、本当の意味で悔い改めることはできないでしょう。

Ⅱサムエル12:1-7 ダビデが姦淫と殺人の罪を犯しても平然としていた時。預言者ナタンが神に遣わされます。

「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、 ひとりは貧しい人でした。富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、 貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。 子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、 彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。あるとき、富んでいる人のところに ひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために 自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、 自分のところに来た人のために調理しました。」「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして 償わなければならない。」「あなたがその男です。」

これは、いかに私たちの感情が、神様の心を知る鍵となっているかが分かります。ダビデは、人の気持ちが分かり、神の怒りと悲しみがどれほどのものであるかが、このナタンの言葉ではっきりと分かったのです。

○私たち共同体には…私たちの神は、共同体の神であり、あなたと、私、そして神の感情を通して、互いに共感し、思いやり、愛することができるようにしてくださっているのです。ロマ書12章の共同体、キリストの身体について書かれている続きに、ローマ書12:15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。Rejoice with those who rejoice, and weep with those who weep. と、ある通りです。
感情について少し、考えが変わったでしょうか。

④ 知ることとは、愛すること

創世記4: 1
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。Now Adam knew Eve his wife, and she conceived and bore Cain, and said, “I have acquired a man from the LORD.”

アダムはエバを知った。知るは、ヤーダーというへブル語。男女が愛し合い身も心も親密に知り合うときに、神様からの賜物として子供が与えられたというのです。
知るということには、深い意味があります。

人は、誰かに本当の自分を全て見られる、知られるときに、癒される。問題の解決そのものが事実上の解決では決してない、ということにお気づきでしょうか。
神は、先週話した通りに、コミュニティの神です。知ることにはチャレンジが伴います。知りたくなかったら、向き合わなくてもいいからです。しかし、相手を知りたかったら、自分の心も開かなければならないのです。
聖書の中で、神に個人的に知られ、神を知り人生が変わった人たちを幾人か挙げてみましょう。

○ヨブ… 凄まじい試練の中で、なぜなぜと苦しんでいたヨブ、いつか神様に直接質問したいと願っていた。とうとう、神様が現れる。ヨブの持っていた質問そのものには答えられなかったが、ヨブの気持ちはすっかり治まってしまった。その後、ヨブに転機が現れ、すべてが回復した。

○ダビデ… ダビデは、数々の詩を詩編に残している。辛いことはそのまま辛いと書き、包み隠さず自分の感情を神様に伝え、向き合っている。彼は、神に愛された人と呼ばれている。

○ハンナ(1サムエル)… 不妊であったハンナは、いじめにもあい、つらくて、宮で長く祈った。祈りの後、彼女は別人のようになっていた。つまり、神に感情を知ってもらい、神の心をいただき、満足し、今までのように、悩み疲れ、身も心もずたずたの容姿ではなくなっていたのです。1:18 And she said, “Let your maidservant find favor in your sight.” So the woman went her way and ate, and her face was no longer sad. 彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

⑤ 勧め

今まで、自分の感情を無視してきた人はありませんか。また、感情を用いて物事を操作していた人はありませんか。
神と顔と顔を合わせることによって、私たちは、神からの愛を受け取り、また、神の心を受け取ることができます。
まず、第一のステップとして、自分の心を神様に正直に注ぎだすことから始めましょう。

2歴代誌 16:9
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。For the eyes of the LORD run to and fro throughout the whole earth, to show Himself strong on behalf of those whose heart is loyal to Him.

言葉である神は、私たちと会話を持ちたいと思っています。心の傷、悲しみ、怒り、喜び、すべての感情を共有し、互いを深く知る関係でありたいと願っています。私たちが神に知っていただき、私たちが神の心を知るならば、私たちは、変えられ、愛することが分かるものたちとなります。隠れた感情がないか、祈り、聖霊様に探っていただきましょう。


#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #会話相手

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シリーズGod’s Image②愛

スレッド
今週は、マイカの誕生日をお祝い... 今週は、マイカの誕生日をお祝いしました。
日本と日本人を愛していつも礼拝に来てくれているマイカ君。神様の祝福が豊かにありますように。。。。いつも、お祈りありがとうございます。。。
土曜日は、子供たちをシアトルセ... 土曜日は、子供たちをシアトルセンターに連れていきました。とても高い滑り台があるんですが、とってもチャレンジングです。。。
また五歳になったばかりのチェリーちゃんも挑戦。。。しかし、最後の最後に背が低くて、届かず、滑り台まで到達できませんでした。後で、簡単な方から回ってリベンジ。。。子供たちのたくましさに励まされました。
土曜日は、噴水でも遊びました。... 土曜日は、噴水でも遊びました。興奮しすぎて、みんな転んですりむいてしまいました。見かねた通りすがりの方がバンドエイドを分けてくれて、助かりました!
人のやさしさに感動した一日でした。
2017年6月25日日曜日礼拝メッセージ音声はこちら


シリーズ神のイメージ第二回。今日は、愛なる神についてお話ししたいと思います。神の姿は、愛ですが、逆説的に言うと、愛であるためには次の要素がなくてはなりません。
言葉と愛との間にある、神の最も重要な性質は、共同体コミュニティの神であるということ。

① 共存の原理  Coexistence Principal

人は一人でいるために作られていず、一人であることに愛はいらない。相手がいてこそ、愛を実行できる。Love is interpersonal. Without partner or community, you won’t need to practice love. 愛の意味が分かるのは、愛の対象があってこそです。

② 共同体 Community

○神は三位一体です。Rolheiser calls it shared existence. 互いに存在を分かち合う仲。その、根底には互いに愛する姿があます。

マタイ28:19 
父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit
父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位が一つである神です。

互いの接し方によって、また互いの受け方によって、独自性が示されてきます。
子なる神は、すべてを父に委ねる姿をとっていた。「わたしは父のしていることを見て、それを行っている。」また、「父よ、私の思いではなく、あなたの御心を。。。」と十字架の前に祈り、

マルコMark 1:10–11
水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」And immediately, coming up from[d] the water, He saw the heavens parting and the Spirit descending upon Him like a dove. 11 Then a voice came from heaven, “You are My beloved Son, in whom I am well pleased.”

ヨハネJohn 14:26
しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。But the Helper, the Holy Spirit, whom the Father will send in My name, He will teach you all things, and bring to your remembrance all things that I said to you.

ヨハネJohn 5:19
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。Then Jesus answered and said to them, “Most assuredly, I say to you, the Son can do nothing of Himself, but what He sees the Father do; for whatever He does, the Son also does in like manner.

ヨハネJohn 11:41–42
そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしにお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」Then they took away the stone from the place where the dead man was lying. And Jesus lifted up His eyes and said, “Father, I thank You that You have heard Me. 42 And I know that You always hear Me, but because of the people who are standing by I said this, that they may believe that You sent Me.”

ヨハネJohn 17:1
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。 Jesus spoke these words, lifted up His eyes to heaven, and said: “Father, the hour has come. Glorify Your Son, that Your Son also may glorify You,
(Dan A. 結婚関係の中で互いの栄光を輝かせないような関係はいけない、と。)

○人も複数で一人です。Human is also plural in one.

神は人を男と女に造られた。
創世記1:27
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。God created humankind in his own image, in the image of God he created them, male and female he created them.

人間は、女と男がいて初めて人間です。どちらかのみで人間ではない。
そして、結婚は、父母を離れ、一心同体になること。

創世記2:24
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。 Therefore a man shall leave his father and mother and be joined to his wife, and they shall become one flesh.

です。これは、神のイメージを表すことであり、また、キリストと教会の関係を示しています。

○愛の役割 Love in the community

教会も共同体ですね。先月のペンテコステのお話しを覚えていますか。聖霊様が来られたことによって、教会が誕生しました。教会は、建物でなく、人々の共同体です。キリストの身体は一つです。キリストを頭として、一人ひとりは、それぞれの器官です。

1コリント、またピリビ書などでは、教会に対して、互いに愛することと、互いに尊敬することを使徒、パウロは勧めています。

教会という神の共同体は、キリストの花嫁と言われます。世の終わりにキリストが私たち信じる者たちを迎えに来られるとき、私たちは、いよいよキリストと一つになり、天では盛大な婚礼の祝いが始まるのです。黙示録19、
マタイ 22:2
婚礼のたとえ話; 天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。“The kingdom of heaven is like a certain king who arranged a marriage for his son, 3 and sent out his servants to call those who were invited to the wedding;

天の御国は、私たち神を信じた者たちと神が一体となる場所です。
そこには、愛が必要不可欠です。神に愛された者たちが、神を愛し、その結果御国において完全に一つになるからです。

キリストと教会関係が結婚に例えられるように、旧約聖書時代も、神と人とは契約によって結ばれていました。他の神々を礼拝したり、従ったりするならば、霊的姦淫とよばれ、神様にいみ嫌われました。神はねたむ神ともいわれています。なぜ、ねたむのでしょうか。愛しているから、親密な関係として相手を独占したいからです。強いきずなを築いて離したくないからです。

○人の使命 Man’s calling

親密さから生まれるのは、繁殖です。Reproduction
神様は、神と親密な関係を持つ者たちが地の上に増え広がることを御心とされました。
産めよ増えよ地を満たせ。

創世記1:28
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」Then God blessed them, and God said to them, “Be fruitful and multiply; fill the earth and subdue it; have dominion over the fish of the sea, over the birds of the air, and over every living thing that moves on the earth.”
神は、共同体の拡大を御心とし、それを私たちの使命とされた。

④ 神はダイアログパートナーを探している。Dialogue partner

先のみ言葉にもありますが、三位一体の神は、いつも私たちに手を差し伸べて、私たち人間も三位一体のダイアログに含みたいと願っておられます。
彼らがあなたを知るために。。。などなど
神の思いは、いつも私たちと一つになることであります。

人とは、神に応答する者たちであり、神の協力者である
God is dialogue. God is searching His dialogue partner. Because He is love. He wants to love you. Love means to know and to be known. Yada in Hebrew.
神は、私たちを求めている。探しておられる。誰が、神の心と共感してくれるだろうか。。。と。


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