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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きpart 2

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木曜日は、子供たちを連れてシア... 木曜日は、子供たちを連れてシアトルセンターにピクニック。
暑かったです。
私もすごく日焼けしました。
お弁当も食べて、楽しい一日でし... お弁当も食べて、楽しい一日でした!

子供たちは、いくら泳いでも元気... 子供たちは、いくら泳いでも元気いっぱい。
すごい体力です。
暑いのに。。。
2017年8月6日日曜日礼拝メッセージ音声と書いたものと、だいぶ違うことになっています。音声の方がおすすめです!


今日は、先週の続きです。先週は全部カバーすることができませんでした。

ヨハネ1:1-2 “初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.” 
イエス様のことを話している箇所ですが、私たちも、クリスチャンとして成熟すればするほどキリストに似たものとなります。私たちも神の言葉を体現するものとなります。そして、それが私たちの働きとなります。先週「神に造られた健全な私であることが私の召しである」という話しをしました。

よく聞かれる質問ですが、「自分が無くなることが、キリストのようになることですか」答えは、Yes and No です。神様と対話し、私が神様と一つになれば一つになるほど、ますますあなたらしくなるのです。本来は、神様に造られた通りで生きられていれば、何も問題がないのですが、生まれて来て私たちは、罪を犯し、罪にまみれた世の中で生きているので、いろいろな自己防衛システムができました。自分らしさ、自分の素晴らしさということに気付き、また、それを大いに発揮している人というのは少ないのです。

ですが、この罪の性質につられて生きてしまう自分を古い人といいますが、神の愛の中に歩む時に、この古い人を脱ぎ捨てながら、生きていったらいいのです。そうすれば、あなたらしく、イエス様の似姿に成熟していけるのです。
この「あなたらしく」の中には、過去の苦労や、悲しみ、そして罪も含まれています。これらを神にあって回復され癒されるときに、ますます、あなたの持ち味がでてくるのです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、真の意味で用いられる。古い自分の思うがまま、奔放に自分のしたいことをするのが神の働きではありません。Ego-centered vs God-centered service 神と心が一つになってれば、思いのままに動いても間違いはあまりせん。しかし、神と思いが一つになってないのに、思いのままにやると、それは、肉の働きになり、何の益ももたらされません。

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

ブドウの木は、つるです。リンゴの木のように、どこからどこが幹でどこが枝がよくわかりません。つるなのです。キリスト者というのは、それほどキリストと一つになっているのです。キリストが私のうちにおられ、私はキリストのいのちのうちに隠されている存在です。ブドウの木のように、他から見れば、一つに見えるものであるはずです。しかし、必ずしも、私たちを見たらキリストを見る人はいないのかもしれません。。。。そのためには大切なことがあります。

ヨハネ15:1,2
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away; and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit.

神様は、実を結ばない、枝は剪定してくれるのだそうです。私たちは、痛い思いをしたくないし、また、自分の自己中心的な思いで、ああしたい、こうしたいという枝を伸ばし放題にしていたいのですが、それでは、実がならないのだそうです。たとえ、それが、この世の目で見て、人間的に成功的に見えていても、神と一つになってないなら、きっと実ができていないはずです。

★実をみたら分かる

「愛があったら、わかります」の言葉。。。私の恩師が言いましたが。。。

神と一つであるかどうかというのは、自分の側では、ただ、神を純粋に愛する、人を純粋に愛することを求めて行ったらいいと思います。ただし、神との対話の中で。。。しかし、それが本当に神様から来ていたことかどうかという、吟味は、日がたってみないと分からないことが多々あります。ああ、あの人、活躍しているなー。すごいなーと思うかもしれません。しかし、実際、その人に会ってみたら、御霊の実を感じないとしたら、なんとがっかりでしょう。その人に、忍耐がなく、愛がなく、喜びが無ければ、がっかりするのです。

ガラテヤ5:22-23
122 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません

美味しい御霊の実は、どこから来るのでしょうか。

★死は、あなたが無くなることではない

受肉を考える時に。。。神と思いを一つにするためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。
常に、はじめの愛に帰ること、常にキリストの死と葬りと復活と一つであることを知ること。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまること

ヨハネ14: 23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」Jesus answered and said to him, “If anyone loves Me, he will keep My word; and My Father will love him, and We will come to him and make Our home with him.

私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

人は、人に愛された通りに、また人にするものです。これが、生きた命令です。神の言葉・愛があなたの中に生きるようにするには。愛にとどまること。多く愛され、おおく赦されることによります。

あなたは、神の言葉です。イエス様の美味しい実を周りの人に食べてもらいましょう。それが、あなたの働きであり、召しです。

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #受肉

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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きYou are Incarnated His Word

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これは、先週の写真ですが、最近... これは、先週の写真ですが、最近ギターの練習の成果が出てきて、Mさんが一人でも奏楽の奉仕ができるようになりました! すごい!! さすが、男性ですねーー。楽器を練習している方々もいらっしゃるので、これからも楽しみです。。。牧師としては、喜んで主に仕える姿を見ることが何より一番の喜びです。技術は二の次三の次です。。。。
2017年7月23日日曜日礼拝メッセージ音声は


★人生とは、対話である。

前回のメッセージを覚えていますか。人とは、神と対峙し、神に応答するために造られているというお話しでしたね。マーチン・ブーバーという、有名なユダヤ人哲学者が言うには、「人生とは、対話である」。第一回でも話したように、私たちのアイデンティティは、人との関係性の中で見いだされる。三位一体の神の関係から学びましたね。また、感情についてのお話しでもいかに、自分にとって対峙する相手が必要か分かりましたよね。人は、他者と対話をするごとに、自分を見出していくのです。不思議なことですが、私たちの傷というものは、人から来ます。でも、癒しも人からくるのです。私たちの人生にとって他者は切り離せない存在です。人生は対話。対話の中で自分を見出し、癒され、そして成長していく。隣人は、対峙しコミュニケーションをとる相手である。すなわち愛の対象であり、共感の対象である。ブーバーは、真の私と、隣人が本当に出会うところに神が働かれる。と言います。少し、真の私とは何かということを探ってみたいと思います。

★私になるという召し。

私たち一人一人に名前がついているように、私たちには一人ひとりユニークなデステニーが神に用意されています。神の意図された私になるには、召しがいる。召しがある。召しというのは、すべての人に与えられている。神からの天職というか、神の目的ともいえましょうか。自分が自分になるために献身する必要ある。私たちは、自分が分かるまで、自分の人生の目的が分かるまで、すっきりしないのではないでしょうか。

私がよく聞かれる質問に、どうやったら自分の召しが分かるのですか? 私は、どうやって自分の召しを自分のものにしたらいいですか? 私は、宣教師になるという召しが与えられましたが、どうやったら宣教師になれますか? と聞かれます。実は、この質問は本末転倒なのです。

召しは、あなたであることが召しなのです。もし、健全な神に造られた通りのあなたであるなら、ほかの働きはすべてついてくるのです。頑張って達成するゴールではないのです。

ただ、そこには、コミットメントが必要。自分が健全な自分になるために献身しなければ到達できません。ふわっと、ただ生きているだけでは到達しません。ライザップも結果にコミットするというてます。。

1、 神との対話を大切に
2、 人との対話を大切に
3、 真剣に神の声に従う= 神を恐れる= 神の愛することを愛し、神の嫌うことを嫌う
4、 自我に死ぬことを知ること
5、 赦すことを学ぶ = いつも心の癒しを受け取っている

これらをまとめると、愛することと言い換えることができます。愛の中にとどまること。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること。

召しは、賜物ではありません。神に造られたあなた自身になることです。私たちは、神のために生きる。または、自分の召しを全うするということに関して、たびたび賜物を用いることと混同して考えてしまいます。ですから、パウロは、他者の集まりのキリストの身体のことを説明し、そして、愛について説明し、それから聖霊の賜物について説明しているのです。一緒に、あなたがあなたとなるために必要なみ言葉、を読んでみましょう。

★最も優れているのは、愛。

 Ⅰコリント13章

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のしたあくを思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔を顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知らされているのと同じように、私も完全に知ることになります。13 こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

賜物を追いかけるでもない、実際、聖霊様が働かれるのは、召されて、召しに応じているあなたが、神と対話し、対峙する中で、他者に出会うときに、流れるものがある。それが、神様のお働きであり、御業である。エリックの父の日のメッセージでも話されましたが、愛によって、父から子に渡る霊的財産があるのです。イエス様も、ヨハネ14: 15 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」If you love Me, keep My commandments.と言われました。愛の関係のあった人の信念というのは、自然に受け継ぐものです。死んだおばあちゃんがよく、こんなことをしてくれた。私も知らず知らずのうちに、同じことをしているな、と、言うものです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、用いられる。一つになることも、愛。相手に向かう愛がなければ、働きもない、また働きの実も愛である。神と一つになることは、先週も感情というシグナルも大切だという話しをしましたが、「死」も大切な要素です。「死」とは、どういうことでしょうか。それは、古い肉の自分に死ぬことです。自己中心の肉が、愛の一番の邪魔者です。

受肉を考える時に。。。神と一つになるためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまりなさい。

ヨハネ14: 23

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

  私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

神を愛することは、神の愛していることを心から愛し、神の嫌うことを嫌うことです。今日、神に対峙し、神と対話し、また人との交わりの中で、自分を見出し、真の自分になることにコミットしませんか?

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #受肉

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シリーズGod’s Image③会話相手と応答者

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毎週日曜日は、ランチから始まり... 毎週日曜日は、ランチから始まります。食卓を共にし、食事をすることは大変大切なことです。これだけは、続けたいものです!
2017年7月2日日曜日礼拝メッセージ音声は、


神様のイメージ、神の似姿に造られた人間という視点から、学んでいますが、二週間前は、ことばということを話しました、また先週は、コミュニティなる神そしてそのカギは愛であること。そして、今回は、ある意味で、ことばというカテゴリーなのかもしれません。しかし、文字、口から発する言葉以外の意思伝達方法である感情についてお話ししたいと思います。神は、ダイアログパートナーを探しておられます。私たちは、その呼びかけに答えるリスボンダーです。その関係の中に宝があります。
共感について前も見たかもしれませんが、次のビデオを見てみましょう。
ビデオはこちらから、


① 共感についてEmpathy

私たちが愛を学ぶためには、神との対峙、対話、face to face の時間が必要。
Youtube Video Mirroring
私たちは、自分以外の人がいてこそ、感情が理解できるのです。人一人では生きていけないのです。
このミラーリングによって感情を知るということは、神様によってデザインされ、意味をもって私たちの身体に組み込まれたものです。

② 感情の大切さ

全ての感情は神様からのメッセージ、自分へのサイン。この世の中では、ネガティブな感情を表現することをよくないこととしています。また、キリスト教会の中でも、ずいぶん長い間、「感情ではなく、信仰のみによって」であるとか、「感情は関係ない」というような教えをしてきたのではないでしょうか。前回も話した通りに、神様にも感情があるのです。私たち、神に似せられて造られている者たちとしても、感情には意味があるのです。

(例) 怒りは、ネガティブにとらえられるから、怒りを表さない、または、子供の時に怒れない状態だった場合、親が危険など。。。鬱になったり、いわれのかない倦怠感、原因不明の病気など。。。体に現れてくる

③ 神との共感

○報酬…天のお金は、喜びです。私たちのご褒美は、喜びです。これも、感情の一つです。
主人の喜びとともに喜んでくれ、と新約聖書にも書いてあります。

○悔い改め…一つの例として、ダビデ、ナタンを通して罪を示される。私たちは、神が罪を赦してくれるという言葉に聞きなれていると思います。しかし、自分のしたことというのは、共感する心がなければ、理解できません。自分のしたことのインパクトがどれほどあったのかということが分からなければ、本当の意味で悔い改めることはできないでしょう。

Ⅱサムエル12:1-7 ダビデが姦淫と殺人の罪を犯しても平然としていた時。預言者ナタンが神に遣わされます。

「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、 ひとりは貧しい人でした。富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、 貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。 子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、 彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。あるとき、富んでいる人のところに ひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために 自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、 自分のところに来た人のために調理しました。」「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして 償わなければならない。」「あなたがその男です。」

これは、いかに私たちの感情が、神様の心を知る鍵となっているかが分かります。ダビデは、人の気持ちが分かり、神の怒りと悲しみがどれほどのものであるかが、このナタンの言葉ではっきりと分かったのです。

○私たち共同体には…私たちの神は、共同体の神であり、あなたと、私、そして神の感情を通して、互いに共感し、思いやり、愛することができるようにしてくださっているのです。ロマ書12章の共同体、キリストの身体について書かれている続きに、ローマ書12:15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。Rejoice with those who rejoice, and weep with those who weep. と、ある通りです。
感情について少し、考えが変わったでしょうか。

④ 知ることとは、愛すること

創世記4: 1
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。Now Adam knew Eve his wife, and she conceived and bore Cain, and said, “I have acquired a man from the LORD.”

アダムはエバを知った。知るは、ヤーダーというへブル語。男女が愛し合い身も心も親密に知り合うときに、神様からの賜物として子供が与えられたというのです。
知るということには、深い意味があります。

人は、誰かに本当の自分を全て見られる、知られるときに、癒される。問題の解決そのものが事実上の解決では決してない、ということにお気づきでしょうか。
神は、先週話した通りに、コミュニティの神です。知ることにはチャレンジが伴います。知りたくなかったら、向き合わなくてもいいからです。しかし、相手を知りたかったら、自分の心も開かなければならないのです。
聖書の中で、神に個人的に知られ、神を知り人生が変わった人たちを幾人か挙げてみましょう。

○ヨブ… 凄まじい試練の中で、なぜなぜと苦しんでいたヨブ、いつか神様に直接質問したいと願っていた。とうとう、神様が現れる。ヨブの持っていた質問そのものには答えられなかったが、ヨブの気持ちはすっかり治まってしまった。その後、ヨブに転機が現れ、すべてが回復した。

○ダビデ… ダビデは、数々の詩を詩編に残している。辛いことはそのまま辛いと書き、包み隠さず自分の感情を神様に伝え、向き合っている。彼は、神に愛された人と呼ばれている。

○ハンナ(1サムエル)… 不妊であったハンナは、いじめにもあい、つらくて、宮で長く祈った。祈りの後、彼女は別人のようになっていた。つまり、神に感情を知ってもらい、神の心をいただき、満足し、今までのように、悩み疲れ、身も心もずたずたの容姿ではなくなっていたのです。1:18 And she said, “Let your maidservant find favor in your sight.” So the woman went her way and ate, and her face was no longer sad. 彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

⑤ 勧め

今まで、自分の感情を無視してきた人はありませんか。また、感情を用いて物事を操作していた人はありませんか。
神と顔と顔を合わせることによって、私たちは、神からの愛を受け取り、また、神の心を受け取ることができます。
まず、第一のステップとして、自分の心を神様に正直に注ぎだすことから始めましょう。

2歴代誌 16:9
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。For the eyes of the LORD run to and fro throughout the whole earth, to show Himself strong on behalf of those whose heart is loyal to Him.

言葉である神は、私たちと会話を持ちたいと思っています。心の傷、悲しみ、怒り、喜び、すべての感情を共有し、互いを深く知る関係でありたいと願っています。私たちが神に知っていただき、私たちが神の心を知るならば、私たちは、変えられ、愛することが分かるものたちとなります。隠れた感情がないか、祈り、聖霊様に探っていただきましょう。


#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #会話相手

ワオ!と言っているユーザー

シリーズGod’s Image②愛

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今週は、マイカの誕生日をお祝い... 今週は、マイカの誕生日をお祝いしました。
日本と日本人を愛していつも礼拝に来てくれているマイカ君。神様の祝福が豊かにありますように。。。。いつも、お祈りありがとうございます。。。
土曜日は、子供たちをシアトルセ... 土曜日は、子供たちをシアトルセンターに連れていきました。とても高い滑り台があるんですが、とってもチャレンジングです。。。
また五歳になったばかりのチェリーちゃんも挑戦。。。しかし、最後の最後に背が低くて、届かず、滑り台まで到達できませんでした。後で、簡単な方から回ってリベンジ。。。子供たちのたくましさに励まされました。
土曜日は、噴水でも遊びました。... 土曜日は、噴水でも遊びました。興奮しすぎて、みんな転んですりむいてしまいました。見かねた通りすがりの方がバンドエイドを分けてくれて、助かりました!
人のやさしさに感動した一日でした。
2017年6月25日日曜日礼拝メッセージ音声はこちら


シリーズ神のイメージ第二回。今日は、愛なる神についてお話ししたいと思います。神の姿は、愛ですが、逆説的に言うと、愛であるためには次の要素がなくてはなりません。
言葉と愛との間にある、神の最も重要な性質は、共同体コミュニティの神であるということ。

① 共存の原理  Coexistence Principal

人は一人でいるために作られていず、一人であることに愛はいらない。相手がいてこそ、愛を実行できる。Love is interpersonal. Without partner or community, you won’t need to practice love. 愛の意味が分かるのは、愛の対象があってこそです。

② 共同体 Community

○神は三位一体です。Rolheiser calls it shared existence. 互いに存在を分かち合う仲。その、根底には互いに愛する姿があます。

マタイ28:19 
父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit
父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位が一つである神です。

互いの接し方によって、また互いの受け方によって、独自性が示されてきます。
子なる神は、すべてを父に委ねる姿をとっていた。「わたしは父のしていることを見て、それを行っている。」また、「父よ、私の思いではなく、あなたの御心を。。。」と十字架の前に祈り、

マルコMark 1:10–11
水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」And immediately, coming up from[d] the water, He saw the heavens parting and the Spirit descending upon Him like a dove. 11 Then a voice came from heaven, “You are My beloved Son, in whom I am well pleased.”

ヨハネJohn 14:26
しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。But the Helper, the Holy Spirit, whom the Father will send in My name, He will teach you all things, and bring to your remembrance all things that I said to you.

ヨハネJohn 5:19
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。Then Jesus answered and said to them, “Most assuredly, I say to you, the Son can do nothing of Himself, but what He sees the Father do; for whatever He does, the Son also does in like manner.

ヨハネJohn 11:41–42
そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしにお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」Then they took away the stone from the place where the dead man was lying. And Jesus lifted up His eyes and said, “Father, I thank You that You have heard Me. 42 And I know that You always hear Me, but because of the people who are standing by I said this, that they may believe that You sent Me.”

ヨハネJohn 17:1
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。 Jesus spoke these words, lifted up His eyes to heaven, and said: “Father, the hour has come. Glorify Your Son, that Your Son also may glorify You,
(Dan A. 結婚関係の中で互いの栄光を輝かせないような関係はいけない、と。)

○人も複数で一人です。Human is also plural in one.

神は人を男と女に造られた。
創世記1:27
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。God created humankind in his own image, in the image of God he created them, male and female he created them.

人間は、女と男がいて初めて人間です。どちらかのみで人間ではない。
そして、結婚は、父母を離れ、一心同体になること。

創世記2:24
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。 Therefore a man shall leave his father and mother and be joined to his wife, and they shall become one flesh.

です。これは、神のイメージを表すことであり、また、キリストと教会の関係を示しています。

○愛の役割 Love in the community

教会も共同体ですね。先月のペンテコステのお話しを覚えていますか。聖霊様が来られたことによって、教会が誕生しました。教会は、建物でなく、人々の共同体です。キリストの身体は一つです。キリストを頭として、一人ひとりは、それぞれの器官です。

1コリント、またピリビ書などでは、教会に対して、互いに愛することと、互いに尊敬することを使徒、パウロは勧めています。

教会という神の共同体は、キリストの花嫁と言われます。世の終わりにキリストが私たち信じる者たちを迎えに来られるとき、私たちは、いよいよキリストと一つになり、天では盛大な婚礼の祝いが始まるのです。黙示録19、
マタイ 22:2
婚礼のたとえ話; 天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。“The kingdom of heaven is like a certain king who arranged a marriage for his son, 3 and sent out his servants to call those who were invited to the wedding;

天の御国は、私たち神を信じた者たちと神が一体となる場所です。
そこには、愛が必要不可欠です。神に愛された者たちが、神を愛し、その結果御国において完全に一つになるからです。

キリストと教会関係が結婚に例えられるように、旧約聖書時代も、神と人とは契約によって結ばれていました。他の神々を礼拝したり、従ったりするならば、霊的姦淫とよばれ、神様にいみ嫌われました。神はねたむ神ともいわれています。なぜ、ねたむのでしょうか。愛しているから、親密な関係として相手を独占したいからです。強いきずなを築いて離したくないからです。

○人の使命 Man’s calling

親密さから生まれるのは、繁殖です。Reproduction
神様は、神と親密な関係を持つ者たちが地の上に増え広がることを御心とされました。
産めよ増えよ地を満たせ。

創世記1:28
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」Then God blessed them, and God said to them, “Be fruitful and multiply; fill the earth and subdue it; have dominion over the fish of the sea, over the birds of the air, and over every living thing that moves on the earth.”
神は、共同体の拡大を御心とし、それを私たちの使命とされた。

④ 神はダイアログパートナーを探している。Dialogue partner

先のみ言葉にもありますが、三位一体の神は、いつも私たちに手を差し伸べて、私たち人間も三位一体のダイアログに含みたいと願っておられます。
彼らがあなたを知るために。。。などなど
神の思いは、いつも私たちと一つになることであります。

人とは、神に応答する者たちであり、神の協力者である
God is dialogue. God is searching His dialogue partner. Because He is love. He wants to love you. Love means to know and to be known. Yada in Hebrew.
神は、私たちを求めている。探しておられる。誰が、神の心と共感してくれるだろうか。。。と。


#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿

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シリーズGod’s Image ① ことば

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ゆきくんも、高校を卒業したので... ゆきくんも、高校を卒業したので、みなさんでお祝いをしました。おめでとうございます。
あ、チェリーちゃんも実は、プリスクールを卒業しましたー。
卒業シーズンです。 ケニーさん... 卒業シーズンです。
ケニーさんがホライズンカレッジを卒業しました。
2017年6月11日日曜日礼拝メッセージ音声は、


皆さんにとって、神様とはどんなお方でしょうか。人それぞれ神様体験というものは違います。しかし、私たちが人と接する時、子育てをする時、夫婦関係、仕事をするにしても、何をするにしても、自分の神様理解が反映されてきます。人にアドバイスする時も、やはり、自分の信念すなわち神理解からアドバイスをするのではないでしょうか。

自分探しという言葉が、日本ではよく言われますが、自分を探す時に、自分を造った神様を見つけなければ自分を見つけることができません。自分の経験上。神様に出会って、初めて自分の状態が分かった。そして、神様に近づけば近づくほど自分らしさというものが解放されてくる。

私たちの独自性というのは、私たち自身からだけで出来ているものではありません。必ず、他者の影響があるのです。特に、神様の影響なくしては、私たちのアイデンティを見つけることができません。関係性の中に独自性が生まれるのです。どうして私たちは、神様を天のお父様というのでしょうか。聖書の中で、イエス様が天の父よと言ったからでしょうか? では、どうしてイエス様は子なる神なのでしょうか。私たちの神は、三位一体であり、優劣はなく、みな平等です。しかし、互いの立ち位置、関係性の中で、その独自性が決まっているようですね。
今まで、聖書講解をしていたので、すこし、神学をしてみたいと思います。神はどんな方か、私は、誰か、またあなたの隣の人はあなたにとって誰なのかと言ったことをシリーズで考えていきたいと思います。

神とはどんな方か? Love and Word 愛であり言葉である。

一番短い言葉で表すとこうなるのではないか。。。と私は思います。

★Word 言葉

神は霊です。
ヨハネ4:24神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。God is spirit, and the people who worship him must worship in spirit and truth. (NET)

神は、言葉を話す霊です。

創世記2:7 神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。he Lord God formed the man from the soil of the ground and breathed into his nostrils the breath of life, and the man became a living being.

いのちの息= Spirit of God 神の霊 

人は、神のいのちの息により、人もまた言葉を話す霊となりました。神は多くの生き物を地上に造られましたが、ご自分のいのちの息を吹き込まれたのは、神に似せて作られた人間にのみです。人間は、霊的な存在であり、つまり、霊は神が永遠の存在であるように永遠の存在であり、神が言葉を持っているように人も言葉を持つようになった。言葉持つことには二つの目的がある。次にあげる言葉を持つのは人間だけである。

① 創造 …創世記1:3-8
神は仰せられた。「光あれ。」すると光があった。4 神は光を見て良しとされた。神は光とやみを区別された。5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。6 神は仰せられた。「大空の水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」7 神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。

神様の言葉は、世界を造りました。

●人の使命
人の神から与えられた仕事は、次のようでした。

創世記2:19
神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるか見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。

人は、神の創造されたものに名前を付けたのです。どういう意味があるのか。それは、創造的な言葉を話す人として、神の創造を完成させる力が与えられたのです。

あらゆる動物や昆虫、植物を見て、これはどんな生態か、どんな性質か、どんな花を咲かせどんな虫を寄せ付けるのか、などと、物事を見極めながら名前を付けていったのです。そして、アダムが名をつけたものは、その名になったと書かれています。

どういうことかと言うと、名前を付けて預言的にその目的をcall out する時に、その動物なり植物がその通りになったというのです。この山に動けといって、この山が動くように。。。

聖書の他の個所に、箴言18:21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。Death and life are in the power of the tongue, and those who love it will eat its fruits.

逆に言うと、みなさんにも経験があるのではないでしょうか。自分は○○だ。自分は、いつも○○だ。などという言葉をいつも頭の中に描いていることはないでしょうか。すると、本当にいつもいつも必ず同じことが起きて、その言葉の実を刈り取り食べなければならなくなる。。。言葉には、力があるのです。
裁きの言葉には、死が伴います。本人に直接言ってないにしても、関係に死が訪れます。しかし、預言の言葉、励ましの言葉は、人の霊を生かします。

② コミュニケーション 文字、絵、イメージ、考えを含む言葉、感情

神は、言葉を話す神ですが、創造する言葉とコミュニケーションのための言葉があります。耳で聞こえる言葉から、文字やイメージ感情も含めて言葉。何かメッセージを運ぶ媒体としての言葉があります。
神様は、思いを伝える神なのです。私たちも、日々考え思いを発信しながら生きています。口からでる言葉については、よく私たちも理解できます。聖書にも、主は仰せられた。とよく出てきますよね。今日、一つ注目したいのは、感情についてです。
脳科学者のトンプソン博士は、感情は私たちが神体験をする場所であり、感情は神からのメッセージだ、と言われました。

聖書の中にも、神様の感情が出ているところが数限りなくあります。一例をあげても

• 怒りAnger – 申命記Deuteronomy 9:22
あなたがたはまた、タブエラでも、マサでも、キプロテ・ハタアワでも、主を怒らせた。At Taberah also, and at Massah and at Kibroth-hattaavah you provoked the Lord to wrath.(ESV)
• 笑いLaughter – 詩編Psalm 37:13
主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。but the Lord laughs at the wicked, for he sees that his day is coming. 
• 憐れみCompassion – Psalm 135:14
まことに、主はご自分の民をさばき、そのしもべらをあわれまれます。 For the Lord will vindicate his people and have compassion on his servants.
• 悲しみGrief – 創世記Genesis 6:6
それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。And the Lord regretted that he had made man on the earth, and it grieved him to his heart.
• 愛Love – エレミヤJeremiah 31:3
主は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。 the Lord appeared to him from far away. I have loved you with an everlasting love; therefore I have continued my faithfulness to you.
• 憎しみHate – 詩編Psalm 5:5
誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行うすべての者を憎まれます。The boastful shall not stand before your eyes;
you hate all evildoers.
• 妬みJealousy –出エジ Exodus 20:5
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、You shall not bow down to them or serve them, for I the Lord your God am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers on the children to the third and the fourth generation of those who hate me,
• 喜びJoy – ゼパニヤZephaniah 3:17
あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
The Lord your God is in your midst, a mighty one who will save; he will rejoice over you with gladness; he will quiet you by his love; he will exult over you with loud singing.

● 脳の働きと人間関係Mirroring and limbic resonance について

感情は神体験の場、感情は神からのメッセージというところを頭に覚えてください。来週も出てきます。トンプソン博士はクリスチャンですが彼は脳科学を聖書で説明させるかたです。
人は、赤ちゃんの時から、自分感情を自分一人で解決できずに存在します。お母さんがきて、赤ちゃんが泣いていると、あらあらー、と同じように悲しそうな顔で近づく、また、赤ちゃんがにこにこしている時には、同じようににこにこする。こうして、子供は、自分の状態を鏡のようにして母の表情に見て、情緒的にも成長していきます。母の表情なしには成長できません。。
人の脳は、大きく分けて三部分ありますが、一番主要な部分は、リンビック脳、日本語では、大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)一番原子的な脳ともいわれたりします。ここが反応して、うれしい悲しい表情を作り出しているのです。
神様と、私たちの関係も感情を通して、神様の感情と共感し、また私の感情を神様に知ってもらい、感情を共有していく、ここから、成長が始まります。
赤ちゃんの呼吸や、心拍数など、生まれてからお母さんのリンビック脳と交信しながら呼応することで、心拍数が守られているようです。アメリカで赤ちゃんの突然死が多いのは、母親と別の部屋で寝るからではないかと最近のリサーチの発表がありました。神様に造られた人間は、このようにして、自分が人づきあいが苦手だと言っても、人とかかわらずしては、存在できない存在になっています。私たちの造り主が、三位一体で、互いにコミュニケーションを取りながら存在しているように。。。。

次回は、愛と共同体なる神について

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿

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ペンテコステ Pentecost

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仕事のようにもくもくと遊ぶ子供... 仕事のようにもくもくと遊ぶ子供たち。。。
2017年6月4日日曜日礼拝メッセージ音声は、


今日は、ペンテコステです。ペンテコステは、イエス様が話された父の約束が与えられた日です。イエス様の復活、そのあと、人々に現れて、天に帰って行かれたイエス様でした。そして、イエス様はいなくなるけど、それは、私たちにとって良いことです、とも言われました。さあ、ペンテコステ・聖霊降臨に関してのイエス様の言葉を見てみましょう。

使徒Acts 1:7-8

イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

そして、それがペンテコステの日、五旬節の日にそれが実際に起こりました。

使徒Acts 2:1-4

1 五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

★ ペンテコステとは What’s Pentecost?

七週の祭とはどんな祭 (レビ記23章15~21節参照) 7 weeks after easter.
ここででてくる七週の祭り(ペンテコステ)は、聖霊降臨を象徴しています。

この七週の祭りというのは、二つのパン種を入れて焼いたパンを祭司のところに持ってくるという儀式があります。そして、これの意味するところは、一つの祭司によって、二つの罪ある存在、ユダヤ人と異邦人、すなわち、全世界の人々が一つにされる。ということを指し示すものであります。また、傷のない子羊これは、私たちの罪の贖いのために死なれたキリストを指しています。
また、穀物のささげ物と注ぎのささげ物をささげました。 …これは、自発的に捧げる捧げもの。 

穀物…罪の赦しを受けた者が、神の恵みに感謝してささげる物・粉々に砕かれたイエス・キリストの姿をあらわしている。粉々の粉は、どんな器にもいっぱいに入ることができる。また、私たちの奉仕の象徴。

注ぎ…主に聖別のしるしとして祭壇に注がれました。また、私たちの奉仕に油注ぎの象徴。

赦しと和解が私たちの働きであり、それに神様は油を注いで恵みを与えてくださるというメッセージではないでしょうか。

レビ23:18
そのパンといっしょに、主への全焼のいけにえとして、一歳の傷のない雄の子羊七頭、若い雄牛一頭、雄羊二頭、また主へのなだめのかおりの、火によるささげ物として、彼らの穀物のささげ物と注ぎのささげ物とをささげる。You must count fifty days—until the day after the seventh Sabbath—and then you must present a new grain offering to the LORD.

大きな音とともに、風が吹き霊が下った。。。

★ ペンテコステに起こったこと・始まったこと What started at the day of Pentecost?

なんと言ってもペンテコステの大きなテーマは、一つになることです。Theme of Pentecost

①  一つの言葉、一つのマインド、一つの霊

創世記11章までは皆一つの言語を話していたが、みんな一致団結して神様に背き高慢になってバベルの塔を建てたので、言葉がばらばらにされました。
それと真逆のことが起きました。みな、一つの霊によって思い思い、自国の言葉でない言葉で話し始めたのです。

これを、「異言」といいます。聖霊のバプテスマともいいます。
異言は、聖霊の満たしによって与えられる一つの賜物です。
異言、聖霊のバプテスマは、神と人とを霊によってつなぎます。
みな一つの神の霊に満たされるので、一人が一人が神に満たされると、自然に一致します。一つになります。

一つになることは、イエス様のたっての願いでした。ヨハネ17章参照。

② 教会の誕生
聖霊を受けた人たちは、互いに毎日集まり、食事を共にし、持ち物を共有し、教会というコミュニティができました。

③ 世界宣教へ
また、人々の心から恐れが無くなり、大胆にイエス・キリストのメッセージを語り、外国にまで行ってイエス様を伝えるようになりました。

★ ペンコステを  起こした要因 私たちの準備として How did people prepared for this?

私たちは、この教会の誕生日、ペンテコステを決して忘れてはいけないと思います。この出来事にインスパイアされるべきです。私たちがより一つになるために。私たちがよりキリストの花嫁、教会という共同体として成熟するために。
始めのペンテコステの父の約束の成就を経験した人たちは、どのようにしてそれを経験したのでしょぅか。一人ひとりで、聖霊に満たされることも必要ですが、教会に聖霊が豊かに注がれる必要があります。 祈りと期待

① 信仰により…イエス様の言われた、父の約束を信じて、待ち望んで。信仰は、期待して待つことでもあります。
② 集まって…百人以上が一つの部屋に集まっていたようだ。
③ 祈っていた…イエス様の言葉を信じて祈っていた

★ ともに祈りましょう Let’s pray!


#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #ペンテコステ

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ルツ記三章 信仰のチャレンジ The Faith Challenge!

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来週の金曜日、でっかいスクリー... 来週の金曜日、でっかいスクリーンで映画会をしますー。
シャック!
これ見たかったんですよねーー。
もし、シアトル近辺の方いらしたら、ぜひ、ご参加ください。会場には椅子がないので、ピックニック用の椅子を持ってくるか、枕やクッションで寝転んでみてもいいですね。。。ポップコーンがありますよーーん!! あ、映画は英語のみです!!
2017年5月22日日曜日礼拝メッセージ音声は、



ルツ記3:1-11, 18

しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。2 ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。3 あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。4 あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてから入って行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれるでしょう。」5 ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」6 こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。7 ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。8 夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。9 彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」10 すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように、あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。11 さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。

ルツのアイデンティティが変わっていく三段階の第三ステップに入っていく。ルツのアイデンティティは、モアブ人であることから始まり、二段階目は、ユダヤ人の妻となり、そして、夫が死んだがユダヤ人として生きたい。ユダヤ人とは、ユダヤの神を信じている人々のことです。すなわち、神を信じてユダヤ人の姑と生きていくことを決心した。ユダヤ人としてのアイデンティティ。そして、第三章は、第三のアイデンティティに足を踏み入れる入口となります。

ルツはモアブ人であったが、ルツの先祖であるモアブは、ロトの孫にあたる。どのように生まれたかというと、完全なる肉の働きによった。ロトの二人の娘たちは、独身であった。このままだと、子孫を残せないというので、父を酔わせ、父とねて、そして子をもうけた。その一人がモアブであり、モアブ人の起源となる。ルツは、そのような家系の出であった。そして、同じような状況の中にまさにいたのである。

しかし、彼女は、肉の働き、肉の知恵で物事をしなかった。また家系に流れているやり方、文化にも従わなかった。彼女は、信仰によって行動したのです。
肉の働きに頼っていたなら、年老いたナオミについてユダの地に来たりなどはしなかったでしょう。肉の働きは、目に見える世界、自分の損得で物事を判断することです。しかし、信仰とは、目にまだ見ないことを期待し、たとえそうでなくても、神を信じる信仰です。

信仰によって生きるということは、決して簡単なことではありません。それは、みな理解できます。実際的に、どんなことがチャレンジになる得るのでしょうか。ルツが乗り越えた信仰のチャレンジとはどんなものだったのでしょうか。今日は、そんなことを考えながら聖書を読んでいきましょう。

① 神に立てられたリーダーを信頼する
● 神にあって、ナオミに従った。

ルツは、神を信じているナオミを信頼していた。そして、ナオミは神を信頼していた。ナオミは、神を信じ神にあって祈っていた。すると、神の摂理が動いた。義理の娘ルツは、はからずも、ボアズの畑に行きついた。ボアズは、買い戻しの権利のある親戚である。ナオミは確信していた。祈りが聞かれた。神が働いていると。
ルツの方では、外国の地で何もわからなかったであろう。しかし、信仰によって、神に会ってナオミを信頼したのでした。

理由が分からなくても、ナオミの言われた通りにした。

ルツ記3: 4-6
あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてから入って行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれるでしょう。」5 ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」6 こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。

この行動とルツのナオミへの態度と信頼は、彼女がどれほど神を信頼しているかを表している。

ボンヘッファー Life Togetherより。神は、直接人に働くこともでき、人も神と直接話せるのに、どうして神は、メッセージを一人の人に託すのか。どうして、人を通して、人をキリストに導く方法をとるのだろうか。。。

② やり方に信頼する
● プロポーズの準備

油をぬって晴れ着・花嫁衣裳をまとった。ナオミは、ルツにやもめの服を脱がせ、晴れ着を着せた。
結婚を申し込む時には、風習に従ってこのようにした。
ルツは、買い戻しの権利のあるボアズに、どうぞもらってくださいと申し込みに行ったのです。
● 三章に見られるキリストの型

v9 彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」

衣のすそ。。。your wing (flare of his cloth)「神の守りと力」を表す。
おおってくださいtake under (cover)=贖う
愛は、罪を覆う。love covers a multitude of sins.(1Peterペテロ4:8)と言いますが、

ボアズはキリストの型であります。私たちを完全に贖うことのできる方。ルツは、身をきれいに洗い、晴れ着を着て、ボアズに覆いを求めています。贖いのお願いであります。(罪の赦しと贖い)キリストは、決して、信仰によって覆いをお願いする私たちを断ったりはしません。


● ボアズの言葉

v10 すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように、あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。

若い男を追いかけず、金持ちか貧乏かで結婚相手を決めるのではなく、信仰によってボアズのところに来たルツをしっかりしているとほめている。
あとからの真実。真実とは、「神の彼女に示される寛容、恵み」。それは先の真実にまさる。と言った。(ほとんどオッケー) ボアズの目にも、ルツは神に祝福された人だということが分かっていた。またこれは、私たちに、「信仰によって生きている人の人生は、信仰によって歩めば歩むほど、神様の寛容と恵みが増し加わっていく」ということを教えてはいないだろうか。

③ 神の時に信頼する
● ナオミのことば

v18 しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」

ボアズは、もっと近い買い戻しの権利のある親戚があるから、その人とルツを嫁にもらってもいいかとちゃんと確認してから。。と答えた。
あんなに勇気をもって行動して、はらはらするというものだが、ナオミのアドバイスは、「待っていなさい」と言った。

私たちは、こののりしろを忘れてはいけない。神は、行間の中にも働かれている。
私たちのできる分というのは、限られている。しかし、神は、私たちの見えないところで絶えず働いておられることを信頼しましょう。
待つことは、目に見えないことを信じることに他ならず、つらいことです。
しかし、それこそ、神を信頼するということであります。

① ~③のポイントを見ていきましたが、信仰者の成功というのは、どんなときにも、神を信頼すること。神を信じるの一事に尽きます。ルツの人生がこの後、どのように開かれていくのでしょうか。お楽しみに。。。

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #ルツ記

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木曜日の様子

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自分で作った、桜型のクッキーが... 自分で作った、桜型のクッキーが大自慢。目に当ててみて、メガネのつもりです。。。 あらあら、かわいいちゃんもやっ... あらあら、かわいいちゃんもやってます。 かわいいちゃんが、ドライバーで... かわいいちゃんが、ドライバーでチェリーちゃんがお客さん。
なんか、遊び方が進化してる。。。
静かにいい子にしてると思ったら、タクシー、あ、ウーバー? してた。。笑
木曜日は、ロバの子クラスで、ママと子供たちが集まっています。

歌と、踊り、そして、お話タイムが終わるとみんなで遊びます。

最近の遊びは少し進化しています。

子供たちって本当に面白い。。。

クリエイティブ!!!

#教会 #子供 #ブログ

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十字架の前にしての祈りPrayer before the Cross

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この日曜日は、アートの日。H先... この日曜日は、アートの日。H先生が教えてくれました。
みんな、すごく素敵な作品ができました。
子供たちの創造力素晴らしい!
このまま、のびのび育ってほしいですー
この飲み物は、最近のお気に入り... この飲み物は、最近のお気に入り。
炭酸水で、砂糖が入ってないものです。
これは、パッションフルーツのフレーバーがついています。
私は、砂糖を取らないようにしています。ソーダを飲むと砂糖の取りすぎで眠れないので。。。これ、おすすめですよ。カロリーもたぶん、ゼロに近かったと思います。
2017年4月2日礼拝メッセージ音声は、


ルカ22:39-46

39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」

もうすぐイースターですね。今日は、イエス様がいよいよ十字架に向かう直前、捕まる直前の様子から学んでみたいと思います。十字架は、イエス様の人生の目的であり、召命を完成するには避けて通ることができない場所でありました。そこには、苦しみと大きな恥がありました。聖書に、「各々自分の十字架をとり、それからわたしについて来なさい。」という聖句があるように、私たちもイエス様についていくならば、十字架の道を通らなければなりません。その道がどこにあるのか? と私たちは思うでしょう。先週、私は、あることで苦しみまる二晩一睡もできずに祈っていました。2日目の夜中に神様が、あなたが苦しんでいるのは恥だよ、と教えてくれました。それですべての謎が解けました。翌日、メンタリングのグループに行きました。先輩セラピストかこのように言いました。「私がどうして特別にこの分野の問題を専門にしているか分かるかい?それは、毎日自分の恥に向き合って感じなければならない、でも、それがあるからともに感じることができ、患者さんが癒されるんだ。」と。私たちは、その恥を乗り越えるなら、素晴らしい命の与えて手になれるんだと勇気をもらいました。みなさんの恥はどこにあるでしょうか? 恥は隠れて出てきませんが、そこに泉がわくことを覚えておきましょう。

★いつもの場所に-- 個人の祈りの生活

39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。39 Coming out, He went to the Mount of Olives, as He was accustomed, and His disciples also followed Him.

イエス様は、ご自身がもうすぐむごい死に方をする時が近づいたことを知り、いつものようにオリーブ山に祈りに行きました。さらっと書いてありますが、これは素晴らしい勧めです。私たちは、何か重大なことが起きたとき、自己が揺るがされ、自分を平常に保つことができなくなる、いわばパニック状態に陥りそうな、自分がばらばらになりそうな時があります。そんな時、イエス様のように、いつも戻れる霊の避けどころがあることは幸いです。強みです。あそこに行けば、大丈夫、あそこに行けば、励まされる。あそこに行けば、神様に会える。それが、イエス様にとっては、オリーブ山での静かな祈りの時でした。危機的な時、自分だけの確かな避けどころ。それは、日々の習慣から来ます。神様と過ごす時間、確信をいただく時間、奇跡を体験させてくださる場所。それが祈りです。神様に出会うことを求めて日々祈ることをお勧めします。

★誘惑

40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。40 When He came to the place, He said to them, “Pray that you may not enter into temptation.”

誘惑 ビラスモス 試して本物であると確認すること
πειρασμός peirasmós, pi-ras-mos'; from G3985; a putting to proof (by experiment (of good), experience (of evil), solicitation, discipline or provocation); by implication, adversity:—temptation

誘惑に陥らないように、試されることで、負けてしまわないように。私たちは、祈るべきです。誘惑というものは、簡単なものでも、簡単に勝てるものでもないのです。難しいからこそ、試される。しかし、難しいからこそ、祈りが必要であるとイエス様は教えています。

★弟子たちも近くに -- 共同体の祈り Near His disciples – Prayer with your community

41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。41 And He was withdrawn from them about a stone’s throw, and He knelt down and prayed,

そして、その戦いは、決して一人ではないことを聖書は教えています。イエス様は、弟子たちを近くに置かれて祈られました。みなさん、一人でもがかなくてもいいのです。ロマ書15章にあったように、私たちは互いの重荷を祈りで軽くしあうのです。私たちは、集まって祈ることをやめては行けません。ぜひ、教会にきたら誰かと祈ってください。教会の外でもそうしてください。

★個人的な葛藤 A very personal struggle

イエス様は祈られました。42a「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」“Father, if it is Your will, take this cup away from Me

イエス様は、自分の正直な葛藤を御父に現しました。救い主、神の御子”職” の葛藤ではなく、非常に個人的な葛藤です。これは、難しい。大きすぎる。無理だ。嫌だ。やりたくない。と人間の私たちの肉の言葉の代弁のようです。私たちは、神様の前に完璧な姿を保ちながら神様に祈り、近づくのではありません。ありのままでいいのです。そして、自分の本当の感情が神の前に出ないのであれば、本当の強さは来ないのです。
イエス様は、自分の心でなく、神の心がなりますように。nevertheless not My will, but Yours, be done.とすべてをゆだねるに至りました。

★御使いの励まし Angel’s encouragement

43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。43 Then an angel appeared to Him from heaven, strengthening Him.

イエス様の祈りの中で、素晴らしいのは、天使たちが来て、イエス様を力づけたということです。これは、天的な戦いであり、霊的なことであること、祈りは神様と繋がっていることと、確証しませんか?
私たちの個人的な葛藤、感情さえ、天的なことなのです。そして、このように天使が来て、私たちを励まし、強めてくれるのです。祈りは、神様の領域、霊的な領域のものです。ぜひ、自分の祈りを小さいと思わないでください。そして、祈るなら、必ず強められることを日々確信してください。

★悲しみから眠り-- 世的悲しみは私たちの霊を眠らせる Sleeping from sorrow – the worldly sorrow makes your spirit sleep

45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」45 When He rose up from prayer, and had come to His disciples, He found them sleeping from sorrow. 46 Then He said to them, “Why do you sleep? Rise and pray, lest you enter into temptation.”

弟子たちは、これから起こることを受け入られらなかった。あまりにも恥だから。。。恥は、隠れる。そして、世的な悲しみで心を閉ざし、そして、とうとう眠りこけてしまった。

悲しみにも二通り。。。神のみこころに沿った悲しみ。世の悲しみ。

2コリント 7:10 ... 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。10 For godly sorrow produces repentance leading to salvation, not to be regretted; but the sorrow of the world produces death.

死というのは、救いに対照的に、霊的な死を意味してます。私たちが世的な悲しみに浸ってしまえば、誘惑に負けてしまいます。私たちにとって一番危険なのは、霊が眠ってしまうことです。どんな苦しみがあっても、どんな難しい試みがあっても、霊が目覚めていれば打ち勝つことができます。

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #十字架

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ロマ書15章 One mind 思いを一つに

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沖縄からホームステイで来ている... 沖縄からホームステイで来ているお兄ちゃんと。お兄ちゃん大好物のねずみちゃんでした。。。。あーーーーしあわせ! 朝の英語の礼拝中。子供たちは、... 朝の英語の礼拝中。子供たちは、三人で音楽に合わせてくるくるまわって踊っています。こどもたちのようにならなければ、天の御国に入ることができません、と聖書にあります。。。。
子供たちを見てると幸せな気持ちになりました。。。

2017年3月12日日曜日礼拝メッセージ音声



今週で、ローマ書は15章です。みなさん、一章からの流れ、覚えていますか? まず、一章でロマ書のテーマである、1:16 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」For I am not ashamed of the gospel of Christ, for it is the power of God to salvation for everyone who believes, for the Jew first and also for the Greek. からはじまりました。そして、罪について、救いについて、ユダヤ人の誇りとしてした律法や習慣について、また信仰によって義とされることについて、信仰によって誰でも義とされること、真の礼拝について、キリスト身体について、クリスチャン生活についてと続きました。そして、16章は終わりの挨拶ですから、実質15章がパウロのローマ人への最終メッセージになります。さて、パウロは、何を言うのでしょうか。一章のテーマ聖句を頭において読んでいきましょう。
★ 力のない人の弱さを担う
ロマ15:1-6  私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、あなたの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

 パウロは、いかに私たちが弱い位置にある者たちの助けになることが大切かと言っています。この場合の「弱さ」は、信仰によって自由に行動ができない人々をさしています。それは、最終的に、すべての人が主、イエス・キリストにあって、父なる神をほめたたえ、礼拝するためであります。そのためには、自分を喜ばせることばかりを考えるのではなく、どうすれば他者の益となることができるかと心を配る必要があります。一章を思い出しましょう。それは、キリストによって、ユダヤ人同志のことだけでも、異邦人同志のことだけでもなくなりました。すべての人が心を一つに礼拝することができるように、というパウロの願い。神様からのメッセージが込められています。

★ 宣教について

ロマ15:16-20 

それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。17 それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。18 私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行いにより、19 また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。20 このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。

パウロは、神様から直接に召され、異邦人に遣わされる器となりました。イエス様の救いの福音を伝えることで神と人とをつなぐ祭司の役割をしています。異邦人たちを救いに導くために、神様はパウロをいろいろなところを通して、実現させてくださいました。詳しいことは、使徒の働きを読んでみてください。たくさん細かいエピソードが書かれています。イエス様にしたがって神の働きをするパウロは、そのことばに、行いにキリストを宿しました。キリストとともに働きました。インカーネイション。また、しるしと奇跡をおこないました。使徒1:8にあるとおりに、聖霊に満たされてエルサレムからイルリコ(ギリシャの北、現・アルバニア)まで福音を伝えました。クリスチャンのいないところ、いないところへパウロは宣教していきました。

★ 宣教のために捧げること

ロマ15:26, 27 

それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金(きょきん)することにしたからです。27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですが、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

エルサレムには、物資のたりない貧しい状態のクリスチャンたちがいました。また、パウロは元キリスト者迫害者であり、今は、使徒となり、今度は異邦人にイエス様を熱心に伝えているというので、あるユダヤ人指導者たちからはすこし変な目で見られているということもありました。そんな中、ギリシャ地方の異邦人クリスチャンたちは、困っているエルサレムの人たちにお金を募りパウロに託けることにしたのです。いつもなら、こういうことを献金と呼びますが、この聖書の箇所では「醵金」と書いてあります。ギリシャ語では、コイノニアという言葉がつかわれています。この言葉は、一般的には、「交わり」を指して使われる言葉です。が、交わりの証しとして捧げられる捧げものにも使われています。キリスト者の交わりというものは、ただ、ともに時間を共有するのではなく、「何かを互いに分け与え合うということ」にほかなりません。一節から六節のところで話した通り、本当の交わりがあるなら、心が一つであるなら、互いに支え合い、与えあい、そして、神をともにほめたたえることができるのです。

★ 宣教のために祈ること

ロマ15:30 

兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。Now I beg you, brethren, through the Lord Jesus Christ, and through the love of the Spirit, that you strive together with me in prayers to God for me,

パウロは、福音を恥としない。と一章から初めて、そして、最後に福音宣教に焦点を当てています。パウロがどんなに宣教のために未開地へ未開地へと進んでいったのか。そして、またキリスト者のネットワーク、人種を越えて結んでいく。そして、今からエルサレムに行くので、ぜひ、お祈りしてほしいとやがて会いに行きたいと願ってやまないローマ人たちにお願いしているのです。
冒頭の「弱い」もののために重荷を担う、ということは、物質的なことだけでなく、霊的なことにも及びます。パウロは、宣教のために、弱さを支えて欲しいとお願いしてます。

★ 思いを一つに

私たちの教会は、アメリカにある、日本とアメリカの文化両方、両方の言語がいるユニークな教会です。私たちは、日本とアメリカをいろろいな意味でつなぐ、ハブのような教会に思います。すでに、もう数十人の方が日本に帰国されています。つづけて彼らのために祈っていきたいと思います。ますます、互いに与えあい、支え合い、そして、祈りのあふれる教会にならせていただきたいものです。


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