ようこそ!「な~んちゃって カフェ」へ!
(古本屋のエッセーより)
中村書店、中村三千夫の店、そこは詩人たちのいきかう場所だった。すれちがうというのかな、かの有名な白山南天堂ではないけれど、西脇順三郎がかけこんできたり、北園克衛が本を持ってきたり。福永武彦が棚をみていて、安東次男が立話をしていたりというふうな。
吉祥寺の、金子光晴が店の看板を書いてる古本屋で、金子さんをみたことがある。
わたしが上京したての頃。ふらふらーっと着流しで入ってきた老人の眉が異様に長く。あっ金子さんだ、と思ったら、どきどきと、気にしない風をよそおいつつ、気にしていた。金子さんは棚をみながら、
「このごろ『北越雪譜』もみないねえ」
なんて言ってたもんだ。わたしは、そうか古本屋ってそんなところなんだ、と、妙に感心して、それに感激していた。
きっと、中村書店にその頃行ってた人には、そんな感じがあったんじゃないかな。古本屋ってそんなところなんだ。
昭和二十四年、中村三千夫は、中村書店を創業する。宮益坂上に・・・
友人から借りた本を並べて開店した。
お客さんが、やっと買ってくれると思うと、並べていたのは友達の本だから、断るのに一苦労。といエピソードも。
自分が何者かも分からず「放浪」していたころ。中村書店の思い出・・・
中村書店をつくった中村三千夫さんは70年代初めにはすでに亡くなっていました。
棚は残っていた筈で、良子夫人が、こどもを育てつつ店を守っていた。中村三千夫さんが亡くなったのは、一九六八年八月十七日。
夏のまっさかり、恵比寿にあった古書市場で、市のたっているただ中であった。
中村さんが、すすめていた共同目録「雲の会」第一号の原稿を持って、市にやってきた、その日、その場所。
―山帖を書いていた私の後ろの椅子に座って居た時、突如鼾をかき昏睡。其後意識を回復しなかった。―
亨年四十六歳。
中村三千夫。大正十一年七月十一日生まれ。西暦ならば一九二二年。生まれたのは神奈川県横浜の新羽というところ。
実家は素封家というべきなのだろうか、その地域の地主であり、《うわだいの中村》と呼ばれていたそうだ。《うわだいの中村の次男坊》が渋谷の中村といわれるようになるのはずっとあとの話。
「中村書店」のシール、見ぃ~つけた。修正したら蘇りました・・・
■古本屋さんのエッセーより
昭和二十四年 中村書店創業。
その年夫人と入籍しているそうだが、実はそれ以前に結婚。結婚の時三千夫は無職!だったというのだ。
その年夫人と入籍しているそうだが、実はそれ以前に結婚。結婚の時三千夫は無職!だったというのだ。
その前、渋谷明世堂出版に勤めたことがあるという。年次は不明。渋谷明世堂出版がどのような出版社であったかも、わたしにとっては不明。御教示をおねがいしたい。
そしてその前にも勤務先があった。そこが「大倉精神文化研究所」であったというのだ。二年程そこに勤めたという。
その前が東洋大学ということになるのだが大学には六年間通ったというのだ。
では整理してみよう。こういう具合か、
一九三九~一九四四(昭14~昭19) 17~22才 東洋大学
一九四四~四五年(昭19~20)22~23才 大倉精神文化研究所
一九四六~四七年(昭21~22) 24~25才渋谷明世堂出版
一九四八年(昭23) 26才無職
一九四九年(昭24) 27才中村書店創業
類推です。三千夫にとって重要な筈の十年。
夭逝の詩人はどのように死と向き合ったのでしょうか? 僅か24歳でこの世を去った立原道造。
「エリーザベトの物語」。
これは、シュトルムの「みずうみ」という短編です。愛し合いながらも永遠の別れを告げてゆく、悲しい男女の物語です。私世代の純情な若者には、よく読まれていたと思います。
彼の詩は、映像と音楽の世界です。
この詩の第一連は、浅間山の小噴火、悲しい追憶の地(追分)の提示に始まり、
第二連は、溢れる光や声がよく響く空間の中で、愛し合う二人へと次第にズームアップされていきます。
第三連目で、一転して曲は転調し、愛への懐疑、淡い不安が提示されます。そして、
第四連目で、私たちは、火の山の物語や、シュトルムの「みずうみ」に描かれた永遠の別離の世界へと誘われて行きます。
渋谷の中村書店は、まだあるのでしょうか? 50年以上前に行っていた「詩歌」充実の本屋さん
「手動です」と書かれた引き戸を開けると、細長く小さいお店。左側は文庫がビッシリ。
こちらは店頭とは違い、しっかりと新しいところも揃えてある。
文庫の奥は全て詩歌。
短歌から始まりレジに向かうほど詩集が古くなり、スゴイ棚を作り出している。決して買うことは無いだろうが、これだけの古い詩集を一堂に収集しているお店は見たことが無い!驚愕の棚の対面は美術、そして芸能・映画・建築・文学・歴史・思想と続き、新らしめのハードカバー・新書類となり再び入口へ。(2009年の記事より)
■私が行っていたのは1970年頃
悲しみにくれている友人へ 大切な人を失ったあなたへ。「さよならのあとで」という一編の詩。
この詩は、死後の世界から語りかけるような形で、生前の人とのつながりや思い出を大切にすることを伝えています。
死はただの移り変わりであり、私たちは変わらず自分であり、関係も変わらず続いていくと言います。
作者は、生前の愛し合った人に対して、自然な言葉で接し、楽しい思い出を共有し、人生を楽しむように求めます。
そして、自分の名前が忘れられずに、生前と同じように話されることを願っています。
最後に、死後も待っていることを伝え、すべてはよしと結びます。この詩は、死を前にしても愛とつながりを大切にすることの美しさを描いています。