自然とともに暮らす老後は魅力的です。けれど、“老後の夢”が“静かな孤立”にならないように。ボンビー父さんの所得は164万円。田舎なら何とか暮らしていけます。
12月
27日
自然のそばで老後を暮らす――そんな言葉には、いまも変わらず憧れがある人も多いようだ。
けれど同時に、それが「静かな孤立」へと変わる危うさも、
歳を重ねるほど身にしみて分かるようになった。
年金とわずかな収入を合わせても、私の年間所得は百六十万円あまり。都会では心も財布も息切れしてしまうが、
田舎なら、どうにか暮らしていける。
問題は「田舎のどこに住むか」です。
東京・横浜に10数年住んでたどり着いたのはわが故郷、地方の県庁所在地の内陸部。
いわゆる「まち田舎」だ。山や畑がすぐそばにありながら、
坂を下れば、スーパーも役所も病院もある。
ニトリもヤマダ電機も、車で十分もかからない。
不便すぎない、けれど騒がしくもない。
その中間に、ちょうど自分の居場所があった。
(私の集落を見渡す)歳を取ってから、本格的な農業はできない。
だから、畑には種を少しばらまく程度だ。
それでも、今日の夕飯には
ダイコン、ニンジン、ジャガイモ、サラダ菜、ネギ、
ブロッコリー。
土に触れ、育ったものを口にするだけで、
一日がきちんとつながった気がする。
家は古い。実家は課税価格二十万円だ。限界集落では、きっと私は耐えられなかった。
人の気配が完全に消える場所では、心のほうが先に弱ってしまう。
だから「まち田舎」なのだと思う。
(築50年になろうとする実家)
週に五日はスポーツクラブへ行く。
プールで泳ぎ、汗をかき、サウナに入り、顔なじみと他愛のない話をする。
それだけで、人は驚くほど元気になれる。
人生は、もう無限ではない。
残り時間を数え始める年齢になって、
ようやく「のんびり暮らす」という意味が分かってきた。
ようやく「のんびり暮らす」という意味が分かってきた。
何もしないことではなく、無理をしないこと。
田舎暮らしは、たしかにいい。けれど大切なのは、
田舎か都会かではなく、
どこに身を置くかなのだと思う。
どこに身を置くかなのだと思う。
自然と人の気配、その両方がある場所で、
今日も静かに暮らしている。