
どこに行っても線路は続いている。
ということは、どこにでも行けるってことだ。
野をこえ山こえ谷こえ~て~~
旅好きにはたまらない”道”なのだ。

駅は遊び場ではなぁ~~い!と叱られそうだが、十代の時のぼくにとっては、遊び場どころか、家とか学校よりも時間を費やした場所ではないだろうか。
学校に行く前の早朝から、本州から到着する列車を、時刻表片手に見に行ったり、放課後は一目散に駅に行ったものだ。。。休みともなれば、持ってるだけの小遣いを片手に遠出、当時は近郊区間というルールがあり、たとえば、トナリの駅まで乗るために、近郊区間内であれば、反対に出て、ぐるっと回ってきてもOKなわけだ、つまり一筆書き旅行だ。
それを利用すれば、筑豊や、遠くは北九州の行橋まで行けるのだ。
もちろん下車というか、駅を出れないことはいうまでもないのだが、駅員さんに頼んで、近くの機関区なんかには入れてもらった。 福岡近郊区間はかなり広く、オマケに筑豊の炭鉱線が入り組んでおり、早朝の博多発で出発し、夜遅くまで乗り継ぎを繰り返し、小さな旅を格安で楽しむことができた。

自転車小僧だったぼくは、よく一人で遠出した。峠をこえて3,4時間走ったところに、まだ操業中だった貝島炭鉱があった。
ここには、九州の国鉄から蒸気機関車が消えた後も、アルコとコッペルが走っていたからだ。
この筑豊の田舎町は、炭住長屋やボタ山や残る、今思えば昭和の雰囲気を色濃く残したところだった。

写真を見てたら食いたくなった・・・
崎陽軒のしゅうまいだ!
いつも日本に行くと、かならず東京か横浜で買うのだ。
シウマイについてくる、醤油入れはもちろんコレクト。
寝台列車に揺られながら食べるシウマイはいいなぁ~~
ベタだけど、ウマイ!
あ~~食いたい! つぎに日本に行けるのはいつだぁ。。

写真は寝台特急<日本海>号の最後尾より長岡駅通過
先頭車両、運転席の後ろが鉄キチの特等席なのだが、一番後ろ、つまり車掌室のところも、負けず劣らずいいポジションなのだ。
寝台特急列車などの客車に乗った時には、この最後尾から見る、遠ざかっていく風景を見るのが好きだ、特に夜、駅の通過時は、旅情をかきたてられる、とても楽しいひと時だ。

写真は、山の手線先頭車両より
汽車(未だにぼくの中では電車ではない・・・)は見るのも好きだが、もちろん乗るのは好きだ。そして子供の頃からの指定席がここ、一番前だ、厳密にいえば運転手さんのお後ろ。。。つまり成長してないということかも・・・でもここは面白い、いくつになっても面白いのだ。
またこのポジションには、決まって仲間がいる、子供か鉄キチだ・・・

ここのとこ、ぼくのインターネット生活で一番のアドバンスはフェイスブックだ。地元のシーホークステールゲイト仲間はもちろん、大学のOB会、古い友人、趣味の鉄道の会など、一気に幅が広がった感がある。また時間を気にせず利用できたり、自分のペースで進められるところも魅力だ。誕生日にたくさんの”友人”からメッセージ、プレゼントももらった。。。こんなことは学生時代以来はじめてだ。

写真はC57 109号機 小工式デフレクター 通称門鉄デフが美しい~~~、貴婦人と呼ばれている。
昭和42年に引っ越してきた福岡には、まだ新幹線はなかった。その代わり大迫力で迫る蒸気機関車がたくさん走っていた。 こんなのが近くを走っていて“ハマるな!”という方が無理だろう。 特に出発時に動輪が空転する様には、いまでもトキメクのだ。

愛読書、または好きな本と聞かれれば、まず時刻表と答える。
これはもうバイブルといっても過言ではないだろう。
ぼくの場合最初は蒸気機関車をみたくて、時刻表を買ってもらい読み出したのが小3だ。
それ以来、ぼくのカバンの中、デスクの棚、枕元にはいつでも時刻表がある。。。。勉強もせずに、時刻表を読みふけりダイヤ改正の時には、こぞって間違い(誤植)探しをした。
人にどこからどこのルートなんで頼まれるともう有頂天でルートを作った、これは今でも変わっていない。
また乗っている間はどこで対向列車とすれ違うかを検討したり、一昔前までは客車かディーゼルか、電車かなんてことも楽しめた。
時刻表には、旅のロマンが詰まっているのだ!

鉄キチのぼくは、そのキチから、あらゆる方面に趣味が広がっていった。
乗り系、旅系、写真系、模型系、機械系、中には特定の部分(連結器とか、パンタグラフとか)が好きなフェチ系まで、ぼくの場合は乗り→旅が本線で、それに写真、模型が支線ということになる。ちなみに部分では列車識別ナンバーが特にすきなのだ 以前に乗ったことがある車両に再び出会うと旧友に会ったような喜びを感じるのだ・・・そこが“キチ”所以。
Page 1/2
- First
-
1
-
2
- Next
- Last